ベネズエラの青年のこと。

もう10年以上前の話になる。
時々、弾丸ツアーと称して、ブエノスアイレスに訪ねたときのこと。
すでに3回目か、4回目だったか。
一人で旅するブエノスアイレスでの目的は、タンゴ音楽の勉強。
夜になると演奏されるタンゴの店に出かけて、現地でしか聞けない
19世紀末から20世紀初めに流行ったアルゼンチンタンゴの本場の
音を学んだ。昼間は楽譜店を訪問して、タンゴの楽譜を買い集めた。
自分のCDを売り込みに行ったことも、今となっては懐かしい。

そして、そこで知ったアーチスト。すでに伝説の人であったが、
すっかり魅了された。
その名はカルロス・ガルデル。アルゼンチンタンゴの歌手、俳優
として超有名な人物であった。日本ではほとんど知られていない。
そのガルデルの名が付く劇場があり、彼が残した名作ばかりを
演奏するという唯一の会場。出演する歌手たちもカルロスを
真似たファッションで登場し、100年前を想像し、タイムトリップ
を愉しんだ。余りに気に入って、そこに何度か通った、ある時の
こと。
ブエノスアイレスでタンゴを楽しむ店は、まず食事をしてから
音楽を楽しむという構成。

その店に私のような一人の客は珍しく、向いの席に、
これまた一人のお客。
一人同士であるから、話すしかない。
お互いたどたどしい英語でなんとか通い通じた。

その青年は、ベネズエラから来たという旅人で、仕事は電力関係の
会社につとめているようだった。石油ではなかっただろう。
30代になったばかりか、自分より若かった。
聞けば、その翌日が誕生日。それが理由はどうかはわからないが、
一人旅の海外旅行先としてブエノスアイレスを選んだようだった。
彼にとっては、生まれて初めて見た日本人、私にとっては初めて会った
ベネズエラ人。

そこから誕生日だという翌日に改めて待ち合わせをして、
カフェで会い、いろんな話をした。
たどたどしくても、お互い珍しいので、一生懸命言葉をぶつけ、
理解をしようとした。
話をしていて思ったのは、ベネズエラ人からすると日本は
スピードが速く、忙しくて、恐ろしい国と言う印象を
もっているということだった。
10年前だったせいか。今ならば、もっと違うかもしれないが。

誕生日プレゼントにあげたチョコレートの包装紙の
裏紙にいっぱい落書きをして、コミュニケーションをした。
なんだかよく笑い、楽しい会話をした。そのことだけは
よく覚えているし、
カルロスの歌を口ずさんでいたから、ベネズエラの人も
アルゼンチンの人も、音楽で通じ合っているのだと
興味深く思ったことは、今も覚えている。

世界で一番遠い国に行けば、さすが、いろんな出会いが
ある。

と、そんな遠い遠い国での楽しかったひととき。
すっかり忘れていたが、
今回の大統領の事件で、ふと彼のことを思い出した。

元気にしているのだろうか。
消息はもう不明だ。
その包装紙のメモ紙は保存してあったか、名刺もとって
あったか・・。
それすら、もう覚えていないが、
とにかく
元気なのだろうか。安全に暮らしているのだろうか。

「いつか、ベネズエラにも来てください。
海がきれいですよ。」と、
そんなことを言っていたな・・・。

旅の記憶は途切れるが、ある瞬間に蘇る。

今は心配している。
元気なら、安全に、幸せに暮らしているなら安心。

世界が衝撃的なことに襲われる。
こんなことに慣れてはいけない。

改めて、南米に思いを馳せる。

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