マーケティングコミュニケーションの実務家たちの国際交流組織
MCEI。Marketing Communications Exective of International
の略である。
20代の会社員時代からお世話になってきた。
勉強会の委員、国際大会の実行委員、いろいろさせていただいた。
独立をする自分にさまざまな面で影響を与えてくれた組織。
30代になっての国際大会で台湾の企業と知り合い、そこから
人生を変える大きなチャンスもいただいた。
台湾へ毎月通った30代後半。
今から思い出しても、本当に楽しく、貴重な経験をさせていただいた。
台湾の企業の皆さんに本当にかわいがっていただいた。
日本人の女性ということでの親しみももっていただけたのかも
しれない。
台湾で出会う日本企業、駐在員の人との出会いも、独時であった。
今から思えば、日本にとって、世界にとって良き時代であった・・・。
台湾とのつながりは、香港、上海の関心へと広がった。
私のアジア交流時代であった。
台湾の人々は、本当にあたたかく、陽気。
「加油!」(がんばろう、がんばって!)が合言葉。
台湾での仕事を終えてから、もう10年以上が経過する。
当時一緒に仕事したり、交流した仲間たちも高齢化、親友は早くに
旅立ち、心は変わらないけれど、交流の場が減っていた。
コロナでさらに、足を運べず、気になっていたけれど、ずっと
ご無沙汰。
そんななか、このMCEIの台湾支部の皆さんが万博視察で大阪に。
その夜に歓迎パーティーが開催された。
再び台湾の仲間に会えるならばと、会場に向かう。
世代交代も進んだので、もう知り合いはいないかも・・・それでも
台湾の皆さんに感謝の気持ちを伝えたい、歓迎の気持ちを表したい。
そんな気持ちでパーティーに参加。
なんと、20年以上前に出会った仲間。名前も覚えていないが、
それでも顔はしっかり覚えており、相手も同じで、顔を見た途端
懐かしく、握手、ハグした。そして改めて名刺交換をしながら、
当時とは違う職場におられることもお聞きし、20年の歳月を想う。
お互いたどたどしい言葉で会話しながら、当時を懐かしむ。
今回、新しい出会いも生まれた。たまたま隣のテーブルに座られた方。
なんと英語名が「Martha」マーサ。という女性。
(台湾の皆さんは英語名ももっている)
私のマーサ綴り(mahsa)は、オリジナルであるため、
ちゃんと英語的に読もうとすると「マーサ」と読めず「マーシャ?と」
となるが、そんなことはお構いなしで、マーサ同士一気に打ち解ける。
短い交流時間であったが、共通の知人の話題、台湾の話、そして音楽の
話題にも・・・。「台湾に来てください。」と何度も誘われた。
すっかり友達になった。
そう行かないといけないとずっと思っているが、コロナ禍後、
足が遠のいていた。
このMCEI台湾の創立者、頼さん。お世話になり、交流も長く続いた。
でも、ご無沙汰してい間に体が弱ってこられているとお聞きして、
これは近いうちに会いに行かねば。
彼に日本の歌を聴いてもらって、元気になっていただかねばと
強く思った。90歳を越えておられると聞く。会いに行きたい。
などなど走馬灯のように、私の台湾時代が蘇り、
もう会えない、先に旅立った親友のことも改めて思い出し、
自分の人生の成長に台湾の皆さんの応援、力は本当にかけがえの
ないものであった・・と感謝の意が湧いてきた。
長崎のコンサートに行く!
と言ってくれた台湾のマーサさん。
コンサートを行う場所は孫文の記念資料館もあるから、
ちょうどいい。
感謝の気持ちと、新たな交流のはじまり。
台湾のことは忘れない。
楽しい思い出、数えきれず。
恩返しができていないな。
近々、出かけようと思う。そして頼さんに会って歌を贈りたい。
台湾がずっと平和でありつづけるように、
心から願っている。
台湾 加油!
無理して出かけて良かった。
台湾を忘れない
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