映画から学ぶ、残る仕事。

この一週間は戦後80年ということもあり、昭和をふりかえる
さまざまな作品に出合う。
たとえば、昭和30年代の映画。まさに自分が生まれているか
どうか。日本が敗戦を乗り越え、これから成長を遂げる希望に
満ちた時代。社会の変化に戸惑いながらも新たな時代に向かう
人びとが描かれている。昭和を懐かしむ貴重なひとときだ。

当時映画はまさに国民にとっての大きな楽しみ、娯楽。
映画館で観る、というお出かけが非日常だった時代。
ふと、岐阜の柳ケ瀬の繁栄ぶりも浮かんでくる。

その頃の映画を見る。たとえば、林芙美子の「放浪記」や
それを撮った、成瀬巳喜男監督の作品・・・。
主役は高峰秀子。子どもの頃から知っている名女優。
昨年が生誕100周年だったようであるが、亡くなっても
作品が残り、時代を越えて今なお人々に感動を与えている
こと自体に感動を覚える。

女優という仕事はいいなあ。
監督という仕事も素晴らしいなあ。
現在、劇団活動をやっている仲間との交流もあり、
彼ら彼女たちの夢がとても理解できるが、
作品を世に出す、そしてその作品が世に残る。
となれば、本望である。

今、高峰さんがこの世にいなくなっても、
彼女が出演した作品を見れば、彼女に出会い、
彼女から学び、そして当時を懐かしみ、忘れていた
大切なことを取り戻すこともできる。
当時気づかなかったことに、今気づかされることも
ある。自分が年を重ねたこともあるだろう。

自分がこの世からいなくなっても、
残る仕事ができたら、と改めて思う。
さまざまな先人たちの仕事ぶり、生き様に
触れながら、自分のこれからを考える。

残る仕事。
子どもを立派に育て上げるのも、そのひとつ。
会社を成長させ、次代に受け継ぐのも、そのひとつ。
わたしの場合は、何が残せるのか。

高峰秀子さんの素敵な表情を見ながら、
彼女が遺した作品から見えてくる、「女優」という
生き方を自分なりに受け留めながら
人の一生とは、もちろん運もあるけれど、
まずは自分次第であると思えてくる。

残す仕事。
まだまだ、もっともっと。



カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク