言葉のお守り

瀬戸内寂聴さんを思い出させる、関西の尼僧の存在を知る。
姫路の不徹寺の庵主、松山さん。
NHKの「視点・論点」でやたら、元気いっぱい語っておられる
姿に、こういう尼さんが瀬戸内産以外におられたんだ。と思わず
手を止めて話しぶりに注目した。

調べてみると年齢もほぼ同世代。
ご自身の人生もなかなか波乱万丈であったようであるが、
その経験が今のお仕事に生かされているのだろう。
悩める人たちの駆け込み寺として、いろんな相談を受けて
おられるのだとか。

苦労、苦難の道を歩んで生きてきた人にこそ、僧職という
仕事、生き方は意味はあるのかもしれない。
瀬戸内さんもそうであったが、自分をさらけ出したり、
生々しい生き様を見せてくれて、同じく悩める存在である
と人々が共感を抱いた時、心開き、手を合わせる。
寺がまさに、駆け込み寺というのは、良いことだ。
と、この姫路の松山さんの話を聞きながら、思った。
いろんな相談に向き合っておられるのだそう。
どうしたら楽に生きられるかを悩む人たちにわかりやすく
説く。
その生き方のヒントのなかで、ひとつ、印象に残った言葉。
「まあ、いいか」

この一言で、気持ちが楽になる。
いろんなもの、人、自分を許したり、開放したりすること
ができる。

早速、昨日企業での面談時間で、相談を受けた際に、
「まあ、いいか」の話をしてみたら、相談者の表情が
変わった。
覚えやすいワンフレーズの言葉は、ときにお守りになる。

難しい経本や教本よりも、
わかりやすいワンフレーズの方が人の心には即効性がある
こともある。

そういえば、お寺の門の掲示板に書いてある言葉にも
時々、そういう例もある。
そんなときはつい、足を止める。

ワンフレーズで人の気持ちが楽になる。
生きる元気が湧いてくる。


「まあ、いいか」、自分にも言い聞かせる。

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