戦後80年ということで、今年は戦争に関する、それに伴う
関わりのあった国の歴史に触れるきっかけが多い。
最近、香港や韓国について戦時、戦後の様子を知る
番組を見た。真の報道資料とは取材を丹念に重ね作られており、
拡散して消失せず、時間を経ても振り返ることができるのが
ありがたい。
生まれる前の世界、幼いころの社会を今改めて見ると、
日本という国がしてきたこと、そしてされたことに
胸が痛くなる。
戦争は改めて絶対にしてはいけない。
それなのに、同じ空の下、歴史は繰り返されている。
それぞれの国が違う歴史、価値観をもって存在し、
せめぎ合い続ける、悲しい人間社会。
そんななか、少女時代の文化交流を思い出す。
それは地元の合唱団に所属していた頃の多くの経験。
そういえば、いろんな国の合唱団と演奏したなあ。
歌を通じて、しばしの交流を楽しんだ。行ったことも
ない憧れの国、未知の世界の同世代の人たちと
一緒に歌った、そんな日々が蘇るのだ。
ともに歌い、たどたどしい言葉で会話をして、プレゼント
交換をして・・・。国際交流が子ども時代にできた
ことは本当に良かった。一気に世界が広がった。
夢が膨らんだ。
すぐに友達ができた、今から思えばろくに英語もわからない
のに、よくコミュニケーションができたものだ。
歌がコミュニケーションツールだったのだ。
演奏会のあと、住所の交換もした。
そのあと、手紙を出し合って、返事がきたらとても
うれしく、しばらくは続いた、がいつの間にか、
途絶えてしまった。
郵便受けを見て、エアメールが届いた時の感動は
忘れられない。
ソウルから、ルーマニアから・・・。
相手の人の住所を見て、地図を見てどこかなあ。
と探した。もちろんみつからなかったけれど。
メールがあれば、ネットがあれば、
訪ねていけたかもしれない。
国際交流は平和の使者。
改めて当時のことを思い出し、そう思う。
世界に友達がいたら、戦争という発想はしないだろう。
今、改めて一緒にステージに立って、合唱していた
異国の人たちはどうしているかなと思う。
同世代だから、いい歳である。
彼らも、日本に、片田舎の岐阜に来たことを
思い出してくれる日があるだろうか。
今もさまざまな国際交流をされている人、団体は
多い。素晴らしいことと思う。
改めて、私もできることを・・と思う。
文化交流こそが、国境を越えて心を結ぶ。
いい思い出づくりこそが、平和への道だ。
小さな国際文化交流の時代。
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