京大元総長で、霊長類学者としても知られる山極壽一さんが
NHKの論点・視点という番組で「老い」について語っておられ、
瞬時に引き込まれた。
ゴリラ研究から、人間社会における老化について論じておられた。
老いとは本来、人間に与えられた豊かな時間なのだという。
老いを悲しみ、ネガティブにとらえるのは、老い方が間違って
いるのだそう。
若さと老いは対極にあるものではない。
若者と張り合う必要もない。
むしろ、老いの時間を有意義に過ごすために、若い時代とは
違う視点で自分の生きやすい環境を求め、また生きやすい
ライフスタイルをつくる。
そういう心構えが必要だとのこと。
ゴリラでも、年を重ねると翁的存在として、周囲の若者とは
違う威厳をもち、周囲から尊敬され、生きるのだそう。
人間はもっとゴリラに学ぶべきだというのだ。
年ととったら・・・
地方に住む、仲間をつくる、我欲を抑え、人に譲る。
趣味に講じ、縁側で語る・・・そんな暮らしがおすすめだと
いう。若者のマネをする必要もなく、また地方に住めばお金が
かからない。自分のペース、リズムで動ける・・・。
この話を聞きながら、昨日会った叔父のことが浮かんできた。
叔父は両親が弱ってきてからずっと、実家の庭の手入れを
自分の趣味として、健康のために続けてくれている。
そして、それを自分の生活の一部として、取り入れながら
ボーリングやゴルフなど他の趣味の時間、モーニングの時間、
孫との時間など充実した日々を過ごしている。
何曜日はこれ・・と毎週毎週予定が決まっている。
「1年1年、体が変わっていく。できるはずのことが
できなくなっていくことを感じるな~」
と言いながら、毎日のようにイオンの中にあるミスドに
行って、ドーナツとコーヒーをいただき、読書をする
のが日課。元気なものだ。
「今、流行っているドーナツあるやろ。それをみんな
買おうとして行列ができているんやけど、最初に
並んだ人たちがいっぱい買って、後ろの方の人に
回ってこない、この前、自分に順番が回ってきた
ときもう3個しか残っていなかったので、
自分は1個買って、後ろの人たちに譲った。
店の人に、『他の店では、ひとりいくつと制限している
のに、ここはそうしない?若い人は急いで並べるけど
年寄りや赤ちゃんがいる人は、そんなに早く並べない。
そういう人はいつも買えない。それはおかしい。
公平にすべきだ~』というようなことをお店の
スタッフに言ったそうだ。
毎日通っているので、まあ、言いやすい関係も
あったのかもしれない。
そうしたら、翌日からそのドーナツ購入には
おひとり様〇個という制限がされたそう。
後ろの方に並んだ人も買いやすくなったわけだ。
わがおじさん、あっぱれだと嬉しく思ったが
まさに、山極さんの話と通じる。
我欲ではなく人に譲るという心。
さらに、縁側という存在が老人の暮らしには
良いそうだ。
家と外との接点をつくるコミュニケーションの
場。
そう、昔はお年寄りが縁側でひなたぼっこして
いた。
ゆっくり時間を過ごす。隠居の時間の尊さ。
老い方が正しいとか間違っているとか
考えたこともなかったが、
山極さんの話を聞きながら、わが叔父の
生き方は本当に理想だと改めて思った次第。
「庭にさつまいも、植えたよ」
と嬉しそうに話す叔父。
まだまだ元気に庭いじりもお願いしたいし、
私の出前演奏の機材搬入・搬出もお願いしたい
し、叔父さんの人生をみつめたい。
我欲を捨て、人に譲る。
そして、
年を重ねるほどに、頭をたれる稲穂のように
なっていきたい。
久しぶりに犬山モンキーセンターに行ってみるか。
ゴリラに会いたくなってきた。
ゴリラとおじさん。
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