
鹿児島市内にあるザビエル公園。ザビエルが鹿児島(日本)をたずねて400年を
記念して1949年に開園。この石造りの記念碑はかなりのインパクトがある。
戦時中に空襲で焼け落ちた旧ザビエル教会の残った玄関部分で作られたとの
こと。刻まれた力強い文字が印象的だ。
ザビエル来鹿記念碑として、ザビエルとこの町との関係、永遠の繋がりを
伝えている。このたたずまいから、旧教会の威厳を感じることができ、
戦争がなければ・・・と悔しい思いになるが、一部でも残っていてよかった。
マカオの巨大な聖門を見たときの感動が蘇る、そんなたたずまいだ。
ああ、ザビエルが本当に日本に来たのだ、ここにいたのだ、ここで活動を
はじめたのだ。
想像もしていなかった、日本という異国での滞在は夢と希望だけではなかった
はず。戸惑いも苦労もあったはず。

その強い意志が、人々の心を動かした。
どんなコミュニケーション力に長けた人だったのだろう
と想像すると、わくわくしてくる。
当時、聖書もなく、そこに出てくる言葉を使って、
しかもその宗教に出会ったこともない、神様の概念も
わからない人たちに、どうそれを伝えたのか。
言葉がわからない人同士で、どのように、信仰について
語り合えるのだろう?語学の問題だけでなく、教養は?
鹿児島の人たちも、すぐれた受容力を持っていたのだろう。
そうでなければ、伝わらない。
伝わるということは、誰かが聴いて終わりではなく、
その人がまた他の誰かに話す、その口コミが重要だ。
しかも聖書もなく、スマホもない…そんな時代。
470余年前のこの地でのザビエルの対話を想像すると
不思議なことは多い。
でも、その積極性、高いコミュニケーション能力は確か。
それがなければ、キリスト教は日本に定着しなかった。
後に禁止されるほどに、力をもつようになった
日本でのキリスト教。これはザビエルの発信力の高さに
ある・・・。
と、妄想を重ねる。
そのザビエルをここに連れてきたヤジロー(アンジロー)
という少年の存在が気になる。この人がいなければ、
ザビエルと出会っていなければ、今の日本は違っていた。
改めてその存在、その行動力に勇気をいただく。
人間の行動力は、計り知れない。
このザビエル公園の向かいに、20世紀末に立てられたザビエル聖堂がある。
中に入らせていただいた。美しい聖堂。ザビエルの教えがここで、今も
伝え続けられている。赤い照明にパイプオルガン。強く印象に残る。
ザビエルに会える場所。またみつけた。また訪ねる。必ず。

