確かにイケてるだけに。

最近、身近なところでchat GPTなどの生成AIを使うケースが
増えている。
その言葉は、毎日のように耳にするようになった。
2年ほど前、「生成?」その用語も聞き慣れず、へんな
ネーミングだと思っていたが。

先日もある企画書を作るときに
「このイラスト、生成AIで作ったんですよ」とある方。
自分が指示した内容と出来上がった作品について、
説明され、まあまあですねとの評価。
「これぐらい作れるならばいい」という感じ。

私も実際にどの程度の文章作成力なのかを実感したく
問いかけをしてみる。
この問いかけの仕方こそが、ポイントのようだ。
人間とのコミュニケーションとも共通する。

相手をどういう存在として位置づけるか。
どういう役割を担ってほしいか。

最初にその定義づけをしておくと、chat GPTも
それに従って学習した言葉で目的に沿った
アウトプットをしてくれる。

驚くのはその時間の速さだ。
ひとつの問いかけをすれば、瞬時にその答えが
出てくる。
問いかけの意図が相手(あえてそう呼ぶ)に
伝われば、期待した文章が時間と手間をかける
ことなく入手できるのだ。

生みの苦しみを伴わない創造とは?
ここは考えねばならないが、使う側の
力量によって、使いこなせるツールであることは
確かなようだ。

学生がレポートや論文でよく使うのもわからなく
はない。
もちろん先生からすれば、これは「使ったな」
とまだわかるレベルだそうだが、いずれ
見分けがつかないほどに、精度アップする
日も遠くないだろう。

感情もなく、血も涙もないが、
それでもコミュニケーションの相手になりうる。
仕事のパートナーにもなりうる。
期待と怖さを同時に感じつつ、
あくまでも、使うのは人間だ。
使われてはいけない。
と自らに言い聞かせる。

それにしても、AIの成長は凄すぎる。
これを活用しながらも、人間にしか、自分にしか
できないことを真剣に問い、自己研鑽しなければ。

その人がゼロからやったことか、
AIとの共同作業か。
見分けがつかなくなる日が来るのは
心配もある。
それでいいのか?と。

魂、思い。伝えたいという意志。
感動、共感・・・。
これを大切にしたい限り、自力で書かねばならない。
と私は思うが、それも人それぞれか。

改めて、
便利な使える、イケているツールだからこそ、
人間が主役でなければならない。


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