親の代わりに、草ひきや小枝の伐採等など庭の手入れをして
くれる叔父。健康のためにと、親たちがそれをできなくなって
から、すすんで担ってくれている。もう数年になろうか。
自分の仕事として、自身のペースで週に何度か時間を決めて
やっていただける。本当にありがたい限り。
庭がきれいだと、家も喜んでいる。
こちらの健康にも気を配ってくれ、気遣いの声をかけてくれる。
「よー、はたらくなあ。」
といい、「無理するな」と草をむしりながらの会話。
「時には、ストレスもたまるわ。」
「そりゃ、仕事してたら、ストレスはしようがないなあ」
「もうこっちは引退したから、気楽なもんや。ストレスはない。
自分ひとり、こうやって庭いじって、自分のペースで」
そんな言葉をくれる。なぜか癒される。
庭いじり、孫たちの送迎、ボーリング、ときにゴルフ。
毎日しっかり予定を組んで、計画的に生活している叔父も
気が付けば70代半ば・・・。
自分を生まれてから知っている数少ない一人。
貴重な存在だ。
そう、仕事をしているといろんなことがある。
日々、この人間社会で生きていればそうである。
いろんな人間関係を乗り越え、自分らしく生きていくには、
それなりの葛藤もある。思い通りに行けないこともある。
流されていく辛さを抱えている人もいるだろう。
まあ、人間関係の悩みやストレスとは、まさに生きて
いる証拠。現役である証しなのかもしれない。
それに反し、高齢者施設での光景が浮かんでくる。
父が病に倒れ、病院から施設に移ったときは、まだ元気も
あり、普通の生活に戻りたいという欲求もあり、いろいろ
やんちゃをしてくれた。施設の方にも何度も謝りに行った。
父なりのストレスの発散であったのだろう。
おれは生きているぞ!俺は好きにやるぞ!何が悪い!
という感じだった。
でも、だんだん元気がなくなると、そういうこともなくなり
おとなしくなった。
他の入居者も同じように、おとなしくなり、反応が鈍くなる
方もおられた。そこには人間関係というのはあまり見られず
個々の高齢者が介護してくれる人の世話になっているだけ
という関係であった。
働く側にはストレスはあると思うが、被介護者には、
そんな力もなくなっているように見えた。
人間関係で悩んでいるうちは、まだ元気なのだ。
仕事していれば、ストレスはある。
ほんとうに、そうだ。
その葛藤とどうつきあうか、折り合いをつけて前に進むか。
人間関係を避けての仕事もあるが、
多くは人と人とのかかわりのなかで、生産したり、販売
したり・・。
人の力がもたらす、プラスとマイナスの両面を活かしながら、
ミッションをいかに果たすか。すぐに〇〇ハラと言われる
世の中、うまくコミュニケーションをとりながら、仕事を
するのも難しい時代。変化に対応していかねばならない。
生涯現役を目指すならば、ストレスともおつきあい
し続けねば。もちろん程よいストレスのなかでの
持続性を求めていくのが良い。
庭いじりをしてくれている叔父には、本当に
教えられる。
人生の先輩を大切に、感謝して学ばせていただこう。
日々の悩みは生きてる証拠。
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