そこで敬語?

若き日に、岐阜から京都に行きたい!と思った理由のひとつは
「ことば」である。
全国でも、名古屋や岐阜地区の言葉は、けっして美しくはない。
正直、あまり好きではなかった。子どもながらにレッスン等
で外に出ることが増えてくると余計に恥ずかしいような気持
にもなった。標準語を話す大人は周囲にあまりいなかった。

親たちが話していた方言も、違う地域で生まれ育った人から
みると、ちょっとわからないと言われたこともあったが、
ちょっと独特であり、あまり人におすすめできるものではない
と思っていた。

念願かなって京都に無理やり住むことになり、
バイト先やお店などで「おおきに」と最後に、さりげなく言う
と、それだけでも京都人らしくて?っぽく見えてカッコいいと
学生時代は、京都に生まれ育った仲間たちの言葉遣いをうら
やましく思いつつ、横目で見て学んだ。

そのあと、東京暮らしになり、各地へ出張に行っても
「関西人ですか?」と言われるようになり、それなりに京都
弁?関西弁?(実は厳密にはよくわかっていないところも)
らしき言葉遣いが自然にできるようになった。
今も、ご縁をいただいている京都での仕事では、地元の方と
自然にやりとりをさせていただき、それなりに京都言葉は
わが身に浸透しているつもり。

最近、近鉄電車に乗っての移動中。高校生か中学生の会話が
聴こえてきた。どうやら、ある先生のことを話題にしたいよう
で、その先生の特徴を一人の学生がもう一人に尋ねている。
「その先生、若い人?」
「声の大きい人?」
など、いろいろ特徴を挙げていった。そして
「はげてはる?」
と聞いていた。
そこで私はたまらず、おかしくて車窓を見ながら笑いをこら
えた。

確かに京都弁の「○○してはる」は京都人が日常で使う敬語
である。
公的な場面、ビジネスの場面ではあまり使われていないかも
しれないが、日常の敬語としておなじみだ。
「〇〇していらっしゃる」というのを、簡単に「〇〇しては
る」というと、簡単に敬意を表することができる言葉・・と
周囲から学んだ。

学生まで受け継がれているのは素晴らしい。
でも、そこにも敬語か?
おそらく、何についても「〇〇してはる」が当たり前になって
いるのだろう。

まあ、どんなことに敬意を表するのも悪いことではないので、
と思えば、さすがの京都人!

きっとその学校中にも、他の学校でも、毎日「〇〇してはる」
が溢れているのだろう。
悪いことではなく、いいことだ。

でも、「はげてはる?」とは?先生が聞かれたらどう思われる
かな?と、思わず苦笑いされている様子が浮かんだ。

ほほえましい方言。これも楽しい京都の時間。

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