いろんな企業さんと出会い、かかわるなかで、あるふとした瞬間に何年もご無沙汰している方たちのことも思い出すことがある。
成果が出ている企業さんとご無沙汰しているのは、自立の証拠でこれは心配ないが、さまざまな理由で行方不明になっている方も
おられて、その方のことを思い出すと、なぜかしら心苦しいような、悲しいような気持ちになる。
企業を守るために、第三者の資本を投入されることになった場合、親が作り一代で築いたものの激しい時代の変化とともに廃業、新たな道への転職をされた場合などなど・・・会社とは生き物であり、安定し続けるということは並大抵でないことを改めて痛感する日々。
以前、かかわらせていただいていたある企業のことをふと思い出した。現在、その会社も店も存在しない。昔ながらの流通業、とくに専門小売業は、ネットや大型量販の登場とともに衰退の一途をたどり、そして多くが淘汰された。今やひところ、隆盛を極めた家電量販も今や再編を余儀なくされている。話を戻す。私が応援していた小売業の社長さんは、いつも資金調達と営業統括と総務と・・・ひとり何役もなって会社で一番働いている人状態を何年も続けておられた。社長と社員はまったく違う、その責任の重さは楽しい人生をも引き換えにすることがある。
ときどき、その社長は「今尾さん、私、息をするのも苦しいですわ」とこぼしておられた。なぜかその言葉が時々よみがえるのである。その社長さんはその後、決心されその会社を整理し、ひとりで新たなビジネスを興され、今は幸せにやっておられる様子だ。
結果的に良い判断であったと思いたい。
人口が減る町でサービス業のみなさんにお会いしたタイミングで改めて、自分ができることは?と自ら問う。元気になってがんばってもらえるよう、小さな知恵でも工夫でも、気づいたらやってみることをどんどん提案したい。
「息ができるだけでも、ありがたい。」と思って一日一日を真剣に生きるのみ。
「息をするのも、苦しくて」はもう二度と。
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