サンキュー ハッピーバースデー。

おかげさまで、また123の日がやってきた。
誕生日は一年に一度の、自分にとって一番の記念日であるから
少しでも長く過ごしたいのに、24時間起きていたいぐらい
なのに、もう5時間も経過してしまい、もったいない感じ。

それぐらい誰にとってもバースデーは、特別である。

12月3日は自分が生まれた日であるが、歴史的にこの日を
辿っていくと、フランシスコザビエルが帰天された日でも
ある。
このことを、知った日から勝手にザビエル縁を感じている。
そして、お手本のひとつとしてその短く太い人生を、崇めている。
この勇気ある先人の生き様を見習って、自分ではない
誰かのために生きられたら、と思っている。
大したことはできていないけれど。

そして、誕生日は、
ここまで、出会い交わり、支えてくださった
すべての方々への感謝の日である。

あと何回誕生日を迎えるのかわからないが、
想像もできないけれど、
とにかくさらに磨きをかけたい。
生きててよかったな。
と言える次のバースデーまで。

今日は生まれた日から今までのことを、できる限り
たくさん思い出し、一緒に生きてきていただいた
人びとに心から感謝の気持ちを表したい。

そういえば、親たちが元気だった日には、
誕生日になると電話していた。
「もう、いくつになったんかな~。」と
交わした会話が懐かしい。
親にとっても
特別な日であったはず。

改めて、誕生日は感謝の日。
原点をみつめ、ゴールを見据えて・・。
123,123と進んでいこう。

誕生日、ありがとうございます!



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ながさき愛のレクイエム

長崎が、自分にとって大切な存在になっている理由のひとつは、ここには
悲しみを乗り越えて生きてきた人々の真の強さと優しさがあるという点だ。
土地に、町に、そこに住まう人達からそれが伝わってくる。
悲しいけれど、何度訪ねても心が震える西坂にある、二十六聖人の記念碑。
この虐殺は16世紀末のことであるが、ここにある26人だけでなく、二百人以上の
カトリック信者の方がここで殉教されていると知り、言葉を失う。

さらに、このほど近くに、原爆で被爆死された方々のご遺骨が集められ、安置されている
お寺の存在を知る。地元の方たちが被爆直後にご遺体を集め、火葬され、その遺骨が眠るお寺。今も、9がつく日に供養を続けておられるとのこと。そこにはなんと2万人のもの方の遺骨があるのでは・・との数字に驚く。でも数えきれないから、もっと多いのかもしれない。名もなき、そうなってしまった人々が眠っている。(東本願寺 長崎教会)
そしてお寺の敷地には「非核非戦」と記した記念碑が立つ。被爆経験をもつ長崎だからこその強い思いを改めて知らされる。ここでも、言葉が出ない。

二十六聖人記念館の方に、自分はここに何度も何度も足を運んでいること、
何度来てもまた行かねばという気持ちになるという話をしたら、こんな
答えが返ってきた。
「長崎は、弾圧と原爆と、そして開国の歴史がある町ですね」

長崎にはここに記載した人をはじめ、多くの人々が眠っておられる。
死を恐れず、強い信仰と神の愛のもとに亡くなられた方たち、自分の意志に
反するかどうかも考える間もなく、瞬間に亡くなってしまった多くの方たち。
いずれも、人としてそれが正しい人生の終わり・・ではないだろう。

「長崎は今日も雨だった」・・という歌があるけれど、
私にとっては、あれは涙という意味の表現ではないのかなと思う。
私が長崎をたずねる多くの日はいつも晴れている。
なのに、みんなが泣いているそんな気になるのだ。

ながさきレクイエム・・・。
でもね、悪いことばかりじゃないからね。
と優しい長崎の人の声が聴こえてきそうだ。

ながさきは、やっぱり強くて、やさしい愛の町。
そこでのバレンタインコンサートはわたしにとって
大きな意味、そして意義がある。

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待ってました!my December!

ゆうべのある方からのメール。
「明日から師走です。宜しくお願いいたします!」
今年もあと1か月。気を引き締めていくぞ!と意気込みが伝わる。
12月とは1年の締めの月。
私にとっては、誕生月であり、また寒さも増して、頭も冴えて
やる気満々。いつも以上にテンションもアップ!
月替わりカレンダーを丁寧にめくって、最後の1枚。
「今年も、無事ここまで来たか」
とゆうべのうちに、12月にスイッチ。

ふと、1552年12月3日に旅立ったフランシスコザビエルのこと
を思う。約470年前、当時も寒かったであろうこの季節に、
中国の川中島(サンシャイン島と言うそうだ)で世を去った。
どんな思いでこの世での旅にピリオドを打ったのか。
どんな最期であっただろうか・・・。

勝手につながりを抱き続けて生きているが、12月3日という
日があればこそ。
そんな記念日を抱く12月という、私にとって特別な時間を
大切に、流されずしっかり過ごしていきたい。

長崎への出発からはじまる12月。
そして、久しぶりに台北の仲間との再会も待っている。

素敵な思い出がまた増えるとっておきの12月にする。

町がにぎやかになる。
平和であればいい。

わたしの12月。今年も無事にここまできた。
感謝を込めて。笑顔で走りはじめるとしよう。

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「PRESS」の文字とジャーナリスト

この夏、ガザで空爆で亡くなったジャーナリスト。
何度か戦地からの取材レポートで見たことのある若い記者である。
つい最近 その方の追悼番組を見た。戦地で生まれ育った不幸を
背負い、何とか世の中を平和にしたいと命がけで戦地の現状を
伝える事を使命とし、そして空爆の被害に遭い一生を終えた短い
人生・・・。
このことを知り、改めて戦争の残酷さと伝える仕事の厳しさを
重く受けとめた。

戦地で取材を続け、その惨状を伝え続けるジャーナリスト。
そのガザの青年は、モハメッド マンスールさんという方であるが、
彼が日本のニュースに出演するとき、いつも「PRESS」という文字が
大きく見えるチョッキを着用しているのが印象的であった。

このネット社会で、新聞など紙の媒体の存在が衰退するなか、
この「PRESS」という文字が大きく自分のなかに刻まれる。
記者が現地で苦労して取材をし、それを書き、撮りおろしたものが印刷され
(まさにPRESS)世に配布され、多くの人に伝えられる・・・。そんな
時代はもう終わろうとしている。PRESSしなくても、ネットで伝えられる
世の中になってしまった。
しかも丁寧に取材を重ね、報じられる一方で、嘘やごまかしが器用に
加工され、それが拡散されるフェイク報道の拡大。
こんな悪行が広がるなか(あえてそう言わせていただく)、
命をかけて取材し、真実を伝えようとするPRESSの方々の存在と
その思いを思うと複雑な気持ちになる。

フェイク報道に振り回されるなか、今回の記者の死は、私にとっては
戦争と報道の現実を改めて知る悲しい出来事として、心に残る。

戦争をこの世からなくすために、真実を伝えよう。
と命をかけるジャーナリストという職業とその生き様に改めて
敬意を表し、マンスールさんの安らかな眠りを祈りたい。
そして、戦地での取材などなくなる世の中になってほしい。

PRESSという文字がなくなるとき、報道はどうなっているだろう。

どんな時代になっても、真偽を見極める力、正しい判断ができる
人間のひとりでありたい。

そして、戦地で命がけで取材をし、真実を提供し、思いを届けてくれる
「真の伝え人」としてのジャーナリストの仕事に対する思いを理解し、
応援し続けたい。




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時には、心の避難訓練。

どんなに集中していても、想定していなかった
ことが起きると、想像していなかった一言が耳に入ると、
それまでの集中がそがれてしまう。
そんなことはないだろうか?

そして、そのことが気になってしまい、
やろうとしていたことが うまくいかない。
調子が狂ってしまう。

予め、どんなに準備していても、
いざやってみると、相手や環境により、
思わぬ展開になることがある。

お客さん、相手の一言や反応が気になって
普段どおりの調子が出ないこともある。
相手があっての仕事であるから、当たり前
といえば当たり前。
気にしながら、対応していくのが仕事。

それはそれ、これはこれ。
と何があっても、気にせず目の前のことに
集中したらよいけれど、そうもできない。

そんなこんなで、その一言が気になりながらも
何事もないかのように最後までなんとかやり終えるが、
後味はすっきりしない。
もっとうまくかわせたら良かった。という悔いが残る。

集中したいときには、何があっても気にせず、
その一点だけにすべての意識を集中させたい。

反応があると、ついそれに合わせていかねばと
思ってしまう。
コミュニケーションの仕事であるから、
合わせることは大切、寄り添いは大切。
と思いつつ、
何事にも動じず、表情も変えず、
にこにこ笑い続けながら、かわせるように。

どこまでも想定外を見越して
準備をすることが求められる。

何かしていても、そのときに地震が起きるかもしれない。
それと同様、
何があっても動じず、あわてず、冷静に。

時には、心の避難訓練も、しておかねばならない。と
反省しながら、次に向かう。

それにしても、毎日いろんなことが起きる。
生きていればこそ、生身だからこそ。
向き合う人との時間を大切にしたいからこそ、
事前準備を全方位で。

何十年やっていても、毎日が新しい。
不意に備えよう。
油断は禁物だ。

動じない自分。あわてない自分。

まだまだ修行はつづく・・・。

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今日1日をコンプリート!

自分も動けば、周囲も動く、世界も動く。
生きていれば、そのくりかえし、積み重ね。
人には等しく1日24時間しかない。
でも、同じ朝は二度と来ない。
毎日、動いた分だけ違う朝を迎える。
経験が余韻となって身に沁みいって、
次に向かう活力にもなる。
昨日と違う自分になっている。違う自分にもなることができる。
この1日をどうせならば、悔いなく終わりたい。

仲間より、無事 演劇公演が終了し、これから
オンラインで視聴できる配信サービスが
始まるとの知らせを受け取る。
ああ、無事終わって良かったな。なんと清々しい
メッセージだろう。一同がやり抜いた様子が
伝わってくる。
演劇の世界は毎日毎日やりきることが
求められる。
全力で演じなければ、目の前の観客には
伝わらない。
だからこそ、緊張もするが達成感も生まれる。

どんなことでも、やりぬく人は素敵だ。
そして自分もそうありたい。
そして、今日という1日をやりきった!と
気持良く、終えられるようにしたい。

ひとつの作品を完成させた仲間の報せに
歓びを感じながら、自分も今日という
1日を完成させようと思う朝。

毎日毎日を中途半端にせず、コンプリートな1日に
仕上げたい。
全力投球すれば、悔いはない。

下北沢で23日まで上演された「鴨川リトルウォーズ」。
ぜひ関係者一同でのコンプリート!な出来栄えを
週末にでも楽しんでいただけたら・・・。
詳細はこちら
https://blets.stores.jp/items/6918acd9888a2ef4c09794ab

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ホームに戻ったひとときを

11月ももうおしまいに近づいている。
気が付けば、町はクリスマスムードに包まれているが
このまま流されず、今月歩んだ道をふりかえってみる。
やはり、新潟でのディナーショーは、心に強く刻まれて
いる。2週間前の出来事が、目を閉じれば蘇る。

今回は新潟のコミュニティーFMラジオ局で、
番組をやっていた頃の制作ディレクターが多忙のなか、
駆け付けて録音、撮影など面倒を見てくださった。

番組「愛の元気人」が終了し、それからお会いする機会も
なくなり、さらにコロナで・・・。おそらく10年近くのご無沙汰か。
にもかかわらず、会ったとたん、変わらずお元気で、一緒に
番組作りをしていた頃が蘇り、心から懐かしさがあふれた。

「久しぶりに演奏を聴けて、良かったです。やっぱり、ここで
やるということは、ホームに帰ってきたという感じですよね」
そんな言葉をいただいた。
そうか、新潟は私のホームか。そして、この会場(新潟モノリス)
がホームなのか。
いずれにせよ、懐かしい仲間に再び会えて、それをともに喜べる
とは嬉しい。
いつも、誠実にまじめにいい作品(番組)を作ってくださった。
素人の私が100回以上の放送を実現できたのは、放送局(FM KENTO)
やスポンサー企業、そして制作ディレクター、地元の企業の皆さん
のおかげ。

と、しばらく忘れていた当時の様子を思い出した。
いろんなことをさせていただいたなあ。いろんな人に出ていただいた
なあ・・。

今回のディナーショーのラストに歌った新曲をYouTubeに公開した。
素敵に録音・編集していただいた。
演奏のテンポが少し速くなってしまったのは、次に抽選会を控えて
いたから。(笑)と、そんなことも思い出させてくれるありがたき
記録。番組「愛の元気人」も懐かしい。
新潟の仲間を、わがホームを大切にしたい。

新潟モノリスで11月13日に開催した、愛の元気人スペシャルディナー
ショーでのラストソング「歌のブーケをあなたに」 はこちら。
(クリエーションの中の、youTubeの最初の曲です。)
https://www.mahsa.jp/creation/

そして、愛の元気人の番組の一部をまだ大切に残してある。
こちらも久しぶりにチェックしたら、さらに懐かしさが蘇った。
改めて、ゆっくりじっくり聴き直したい。
「愛の元気人」保存版


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お役目果たして、次へ。

思えば、どんな仕事もずっと同じように・・ということには
ならない。時代の変化とともに、出会い、交わり、そして次へ・・。
という変化、交代はとても重要なことだ。
生きている限り、前に進んでいかねば成長しない。
だから、何事にもしがみついていてはいけない。

27年前、脱サラしたときに、脱サラ前と同じ仕事をし続けるので
あれば、独立した意味がない。と意識的に新しい課題に向かった
選択は、正しかったと今も思っている。
一人の人間が持てる荷物の量に限りがあるならば、
何かを下さなければ、新しいものを運ぶことができない。

過去の慣習、経験にこだわらず、卒業するタイミングがあれば、
役目を降りることも重要だ。
もちろん培った経験は、卒業後にも生かせる。

同じ場所にい続けるのではなく、いったん離れてみる。。
自分から離れてみる。
離れて見えてくることもある。

人は必要とされて、お役に立つことができる。
コミュニケーションをとることで、お役に立つことができる。

そろそろ、新しい年への挑戦も考え、備えていかねば。
と考え始めている。

お役目を果たして、いったん一区切り。
という選択は、ある意味、すがすがしい。

長く生きていると、時に頭と心の掃除も大切だ。
いろいろ整理して、自分の引き出しをきれいにする。
すると、また新たな課題が入ってくる。

自分が生きる、生きる限りできる「お役目」は、
何だろう。

と真剣に考える。

人生は、与えられるお役目を果たすことに尽きるのだろう。
なんだかとても、シンプルだ。

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母国への思いが導いた勝利か

久しぶりに大相撲の千秋楽、決勝戦の様子を見た。
残念ながらテレビでの観戦ではあるが。

20代になったばかりの若き力士が、優勝するかどうか。
日本中の相撲ファンにとって大きな注目の的。
今年最後の取り組み。まさに2025年の相撲ファイナルに
ふさわしい決戦となった。

相撲は時々、気になった時だけ見る。
今回は、ウクライナから17歳のときに来日したという
青い目の若き力士のことがとても気になった。
まだ日本へきて、プロの相撲業界に入って3年というの
に・・・。どんな稽古を積み上げてきたのだろうと
知るほどに興味が増す。

そして、多くの期待どおり優勝した。
物凄い快挙である。大先輩を次々打ち破っての初優勝。

優勝後のインタビューも聞いた。
質問に的確に、答える。日本語も見事だ。
ただ、ほとんど笑わない。

笑わない奥にある気持ちを勝手に想像していた。

戦争で苦しむウクライナの人びとのこと、
そしてご両親のこと。
ふるさとから 戦争を逃れ 日本にやってきたのは
本当に重い決断で、命を懸けるぐらいの勇気がなければ
成し遂げられなかったと思う。
本当に全身全霊、相撲に尽くしてきた3年であったのだろう
と推察する。

翌日のニュースで優勝したことを、電話で母国の両親に伝えたら、
喜んでおられ泣いておられた・・・との報道も見た。
息子の努力と、現実の戦争と・・・。複雑な思いで
日本での息子の活躍を祈り続けての3年であっただろう。
よくがんばったね。ほんとうによくがんばったと喜んで
おられることだろう。

ウクライナの青年の快挙の報せで、彼のふるさとに
住む人たちが、少しでも元気になるといい。

日本は、今のところ平和だ。明日はわからないけれど。
世界から逃れてやってきた海外の人たちの応援、支援は、
今、日本にこそできることだ。

「日本はいいところだよ。」
と、日本に来て働き、夢をかなえた若者たちが
心からそう思って、胸をはっていつか故郷の土を再び
踏めるように。そして、日本との新たな交流が生まれることも
とても素敵だ。と、想像を勝手に膨らませる。

平和の使者としての、日本の存在を忘れてはいけない。

安青錦、ほんとうにおめでとうございます!
世界をしっかりみつめ、ふるさとを大切にする
素敵な力士として、ますますのご活躍を!

戦争がまだ終わらない。
そのことと、笑わない顔が重なってしまう。
ウクライナの人たちが笑顔で暮らせるように、
心から祈りたい。


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助け合い、支え合う社会に。

京都駅ビル内にある回転寿司。
このところ、通るたびに行列ができている。
待っているのは外国人観光客。
店内を覗くと、座って食事をしているほとんどが
やはり外国人。
日本人、地元の人であれば、こんなに並んでいるなら
ここじゃなくてよいとあきらめてしまうだろう。

でも、コロナのときの店内は閑古鳥が鳴いていた。
そんな時にこそ、よし!と思って、ひとりで何度も
足を運んだものだ。
今は空席だらけのあの様子が、少しだけ懐かしくもある。
今は、もっぱらテイクアウト。その時は店頭に並んで
いない納豆巻きを決まって握ってもらう。

今回も仕事の帰りに立ち寄る。
閉店時間が近いのに、行列だ。
あと30分ほどでこんなに多くのお客さんをさばくことが
できるのかな。と余計な心配。

納豆巻きができる間、店内を眺めていた。
よく見ると、カウンターの中の職人さんたちが以前より
増えている。そうだよな~いつも満席なので、職人さんは
お寿司を握りっぱなしになる。
そんななか、外国人のスタッフが納豆巻きを握っているのを
みつけた。おお!彼が握っているのか!急に親近感がわく。

客席も厨房も国際色豊かな、京都の開店寿司屋。
値段もそこそこ、美味しさもまずまず。十分満足できる
店だから、SNSでの評判も高いのだろう。

一方、今度は、名古屋駅にほど近い居酒屋に寄ってみる。
名古屋に住む前から存在は知っていたが、初めて店に入った。
駅前の喧騒を離れ、少し落ち着いているたたずまいで安心。
なぜか新潟の酒と料理が売りのようで、個人的に興味が湧く。

店長以外の厨房スタッフはすべて外国人の
女性スタッフ。ホールでも外国人の女性スタッフが
接客をしている。
なんときれいな日本語で、丁寧でちゃんとした仕事を
されているのか。
総合的に良い店だ。と、満足して店を出た。
インバウンド客もおらず、ちょっと前までの普通の
居酒屋の風景で、落ち着けたのも、満足の理由かもしれない。

「外国人」という言葉は実は好きではない。
区別のようであるが、隔離的な線引きを感じるから。
人手不足の業界では、日本人以外の皆さんに助けられている
ことを忘れてはいけない。

先日コンサートで伺った老人ホームでも東南アジアの
青年たちが利用者を丁寧に介護されていたことを思い出す。
飲食、福祉、建設ほか、人手が足りない現場を担っていただいている。
彼らの力がなければ、日本の産業は成り立たない。

当たり前であるが、助け、助けられる世界。
国を越え、年代を越え、お互いに支え合う社会が
現場では当たり前になっているし、必要とされている。

強いか弱いか・・といった閉じた価値観ではなく、
やさしく、助け合う、支え合うことができる人になりたいし、
それぞれが生きやすい社会づくりをもっと意識したい。

自分ができることからで良いから。
等しく優しくできること、しなやかに生きることの方が
本当の強さではないかとも思う。

分断する社会が加速すると言われているが、その反対に
融合する、相互協力する、みんなが生きやすい社会こそ
目指さなければ。
小さなことから、はじめればよい。

居酒屋で清算したあと、スタッフに
「日本語うまいね、これからもがんばってね!」
と声をかけたときの、あのさわやかな笑顔が今も
思い出される。
日本でがんばる皆さんに、感謝とエールを!




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