ドキドキハラハラは成長薬

コロナ禍が生んだ、新しいコミュニケーション様式。
オンラインでのビジネス、学習は、もはや常識として、世界中で受け入れられている。実際、今、東京に行かずしても商談やミーティングはできるし、学びたい講座も受講できる。
移動しなくてもできる。これは本当に便利。

そして、今回は、全国各地からオンライン上に集まっての、プレゼン大会。
しかもそれを聴いてもらう企業は東京からゲスト参加。
総勢50名近くが、同じ時間を共有する。
しかもほとんどが、面識がない者同士、しかも一人の話を全員が聴くのではなく、チームでプレゼンをする、それを聴き合い、それについてもコメントを言う。という双方向、まさにオンライン上でのコミュニケーションが飛び交う
研修の場。
そのナビゲーター兼コーディネイターという役割を担当。

本番に向けての準備はしてきたつもり・・・でも、
うまくいくだろうか・・。回線が一番心配。
リアルの講演や研修会でも、パソコン環境のことが一番気になる。
今回オンラインで実施するということで、まさにネット、パソコンが命である。
目の前にいるはずの相手は、実は近くにはいない。個人個人に話しかけることも
できない。
リアルとはかなり違う条件のなか、かなりの気合いを入れ、緊張感でもってのぞむ。

おかげさまで、予定していたプレゼンは、全て予定通り進行。
質問応答も進み、ゲストからの講評もしっかりいただいた。
素晴らしい企画提案、そしてプレゼンテーションをお互いに披露してもらうことができ、模擬クライアントにもしっかり届けることができた。

時間通りにうまくいくように、なんどもなんども時計を見ながらの進行。
時間経過とともに、うまく進んでいることを確認しながら、
無事全プログラムが終わった時は、思わずガッツポーズ。

気がつけば、珍しくジャケットを着たままの奮闘であったため、
かなり汗をかいていた。本番中は無我夢中で気づかなかった。
オンラインの方が、リアルよりもパワーを要する。だから汗もかく。

このハラハラドキドキ。この緊張が、心地よい達成感に包まれる。

画面越しで会った皆さんにも、いい時間であっただろうか。
ひとつの画面に全員が入りきらず、全員の目の表情を見ることは
できなかったが、おそらくそれぞれが、「良かった」と胸をなでおろして
おられることだろう・・。
お互いに成長できるいいきっかけになっていたら、嬉しい。

今日は今日であらたな、はらはらドキドキ。
でも、今日はリアルコミュニケーションであるので、ずいぶんと
荷は軽い。

オンラインは見えない分、触れない分、人を動かす別のパワーが要る。
まだまだ道半ば。でも、まずはひと山、無事越えた。


ドキドキハラハラする瞬間は、時にいい。
自分を成長させてくれる。
次はもっとうまくいける。

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50年前の自分に会う

9月7日は幼き日にとてもかわいがっていただいた、叔母ちゃんの命日であった。
その日のことは、ずっと覚えていたが、大人になって、ふるさとを離れて
お墓まいりに行かなくなっていた。
亡くなって時間が経つと、だんだんに人はあまりお参りをしなくなる。
そんなもんだと思うが、
そんななか、母はせっせと自転車でこの墓に通い続けていた。
誰も行かなくても、わしだけは行く!という使命感をもっていた。
このお墓は坂道の上にあるため、自転車で行くのは年々大変になっていた
だろうが、元気なうちは、そんなことを続けていた。
そんな母もいなくなり、命日だからといって、お墓に行く人はおそらく
ほとんどいない。
よく考えてみれば、私が小学校一年のときに亡くなっているのだ・・。

そうか。50年だ。そう、五十回忌ということになるのか。
そう思ったら、どうしても今日はお墓には行っておかねばと思った。
母の代わりに行かねばと思ったのだ。
そして、50年前、なくなる前日まで大変よくしていただいた叔母に
報告しておかなくちゃと思ったのだ。

何十年ぶりのお墓。
うっすらとある記憶だけで、また妹にその場所を聞いて、ひとりで向かう。
このあたりだったような・・・。すぐみつかった。
子どもの頃にお参りしたお墓は随分と古くなっていた。
でも、そこに確かにあった。
花を供えて、おばさんに挨拶をしながら、手を合わせる。

五十年前、30代で逝ったおばちゃん。
本当に好きだった。怖い母と対照的でやさしかった。
ここの娘だったらよかったと、幼心に思ったこともあった。
おばちゃん、おかあさんも、そっちへ行ったよ。
そんな言葉を投げかけ、
50年前の自分の子供の頃をありありと思い出す。

何十年経っても、いくつになっても、こちらが覚えているうちは
相手も自分の中に生きている。
しばらく忘れていたくせに、この記念日のおかげで、
改めて思い出した。

故人に会うということは、その時の自分にも会うということにもなる。
そう、その当時の自分との対話でもある。

そういえば、おばちゃんが亡くなる前の日。町で市が立つ日曜だった。
昭和45年。
そこに連れていってくれて、買ってくれたのが、ディズニーの腕時計に、
ひみつのあっこちゃんの鏡。おばちゃんは憧れのものを、親が買って
くれないものを私に買ってくれる、まさにひみつのあっこちゃんの
鏡のような存在だった・・・そんなことも思い出す。
そして、その帰りに寄った叔母宅で、いつもの、
しょうゆ味だけの玉子焼きを焼いてくれたのがごちそう。
それが、最後の晩餐になろうとは・・・。
と、そんなことをくっきりと思い出した。

50年前の私は、50年後の私を想像していただろうか?
それはない。でも間違いなく、ずっとずっと何かにつながって生きているのだ。
優しかったおばちゃんのことを思い出し、
若くして亡くなる人生についても、考えさせられる。
おばちゃん、おかあさんをよろしくね。と言いながら、母が自転車をひいて
下った坂をひとり、降りた。

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デジタル時代のプチアナ・コミュニケーション。

企業での勉強会などでよくアンケートをとったりする。
感想を書いてもらうこともある。
後者の場合、なんだか書きたくなるように そんなムード作り
も考えてみる。また長く書かなくてもいいと、プレッシャーを
与えないためにも・・とあれこれ、工夫する。
ということで、最近は感想文をオリジナルの一筆箋を使って
皆さんに書いてもらうようにしている。
パソコンで作成するアンケートもいいけれど、
まるで手紙を書くように、心を込めて、素直な気持ちで
自由に書いてもらえるので、とてもあたたかくて、とてもいい。
その感想を受け取ったときは、自分宛てにお手紙をもらったような
とてもやさしい気持ちにもなる。

また違う場面でも 一筆箋をよく使う。
ちょっとしたメッセージを添えたいとき、
請求書を送るときも、一言お礼を添えたいとき
一筆箋を使う。

また、手紙をいただくときにも、一筆箋で書かれる方が
多い。昔のように、便せんに何枚も・・というケースは
減っている。
日々、メールなどでやりとりをしていると、あらたまった
手紙ではなく、ちょっと気持ちを添える程度で充分なのか
もしれない。

手書きで気持ちを伝えるには、ちょうどいいサイズ。
私が子供のことは、なかったアイテムだ。
誰が最初に商品にしたのだろう。
改めて素晴らしいと思っている。

なんでもうまく使って、心の交流を楽しもう。
ちょっとした工夫で、満たされた気持ちになる。
もちろん1枚のはがきも同様だ。
デジタルのなかの、プチアナログ。とてもいい。

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同じ空を見ていて

父の施設、母のお墓、実家を巡る地元ツアーは最近の習慣。
その帰り道に撮った1枚。
もう夕暮れだ。これから、どんどん日が短くなっていくだろう。
日中はまだ暑さも厳しいが、それでも空は秋。うろこ雲が空いっぱいに
広がり、夕日が差し込んで、ちょっと幻想的でもある。
私は秋に向かうこの季節の空が好きだ。

この写真の奥に父が住む施設がある。
父の部屋からも窓を開けたら、同じ空が広がるはずだ。
見ているといいな。

コロナでまた何か月も顔を見れなくなってしまっている。
せっかくワクチンを打ったのに、緊急事態宣言下では、面会も禁止のままだ。
父が、せめて同じこの空を見てくれていたら・・・。と思い、足を止めた。

施設を訪ねるたびに、ひまわりの花と手紙を持参した、この夏。
手紙も、POP UP式のものや、食べ物の絵が描いてあるものなど、
見て楽しく、また食欲が少しでも湧くようなものを考えた。

プリンや やわらかいお菓子、好きな魚のカンヅメを
差し入れしていた何か月前かが懐かしく、
もう今は、そんな差し入れも必要なくなってしまった。

だから、今は、せめて・・・花と手紙。
「お父さんへ」とまだ書いて、出せる相手がいるだけ、幸せだ。

そんなことを思いながら、今、父と同じ空の下にいることをかみしめながら
うろこ雲に見守られながら、帰り道を急ぐ。

「お父さん、またね、またね。」
生きていているから、言える言葉。
同じ空のもとで、1日1日・・・生きてほしい。と願いを込めて。

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どこ向いて誰に、何を言う?

ネット社会。SNSの時代。は当たり前。
今や情報発信は誰も可能も当たり前。
誰もが発信者になることができる・・という
ある意味公平、ある意味、恐ろしい時代だ。
自立した人間が目的をもって、意図と覚悟、責任をもって発信するなら、
賛成できるが、匿名の無責任な言いっぱなしの・・の発信の多さには、
危機感もを感じている。
このふわふわっとした、ライトな社会参加、でも、言うことはキツイ。
それに対して、そうだそうだ。と盛り上がるという現象。
もちろんネットから流行が生まれ、世論が形成されることもありえるし、社会に声を届けることもできるが、その情報に目を向けてほしい人が見てくれなければ、単なる毒のはき合い、愚痴の言い合い、傷のなめ合い・・になってしまうこともある。
匿名で、お互い「そうだそうだ!」と言っているだけでは、社会は変わらない。
書くことで満足し、ま、いいか。ということになっているのかもしれないが、
本当にそれでいいのかと膨大な書き込みを見て、感じる日々。

〇〇責任という言葉があるとすれば、自分の考え、意見を世に公開する以上は、本来は実名で、責任をもって発信することがいいと思う。まさにコミュニケーションの自己責任。

と、自分にも言い聞かせる。
コミュニケーションは目標をもって、具体的に。
そして責任をもって。
レスポンシビリティは、ひとり一人の行動から。

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学生さん、いらっしゃ~い。

今、支援企業にインターン生が来られている。
もともと、自分がその学校を紹介したいきさつもあり、その受け入れ前から
研修プログラムづくりから、レクチャーも含め、期間中の学生さん対応もお手伝いさせていただいている。
もともと、自分は教師志望という一面もあり、また日ごろから、研修をはじめ学びの場づくりは本業の一環でもあり、何かを伝える、一緒に成長できるチャンス!がまた増えると思うと、その出会いもわくわくする。

今回は18歳の女子学生たち。自分の年齢の三分の一!の若者たち。
平成生まれの、ミレニアム時代の彼女たちに、あえてコミュニケーションの体制さのことを伝える。
不思議なものだ。世代を越えても、コミュニケーションは永遠。
この課題は変わらない。
いかに伝えるか、伝わるかは共通のテーマである。
10日間で、数種類の課題を出し、毎日こなしてもらう。
なかなかタフで、真面目である。

私たちの時代には、インターンといえば医学生限定の世界のようなイメージがあった。
一方、自分が教育実習に学校に行ったときのことを何十年ぶりかに思い出した。
今改めて思えば、あれも、インターンの一種だったな・・。
現場に行った緊張感、母校の学生たちとの触れ合い、実習・・・。
形は違えど、現場体験は貴重であった。懐かしい。

話しを元に戻す。
今は、多くの学校がその経験を授業として活用している。
企業の地域貢献。いいことである。

最終日に向けての作戦会議と称して、どうしたら自分たちがつくる作品がうまく
プレゼンできるかについてアドバイスした。
まっすぐに受け入れて相手がいることは、とてもうれしい。

企業には、多忙であっても、インターン生を受け入れることをおすすめしたい。
企業の従業員にとっても、会社にとってもメリットは大きい。
ある意味、企業側のいい社内研修にもなる。
また学生さんも貴重なステイクホルダーだ。

学生さん、いらっしゃ~い♪

そんな気分で楽しいインターン時間をこちらもいただいた。
厳しい時代に生きていく、若者たちを応援していきたい。
彼女たちが、この10日のインターン時間の思い出を忘れないで
未来に向けて生きてくれるとうれしい・・・。



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泣けるオンラインコミュニケーション

コロナでしばらく開催できなかった、障がいをもつ皆さんとの
コミュニケーションの時間「マーサの会」をオンラインで再開。
生コミュニケーションを大切にしたいと対面で会うことに
こだわっていたが、なかなかコロナも終息しないため、
オンラインでやってみようということに。
サポートの皆さんも加わって約20名が、部屋を4つに分けて、
参加。そして私がそこに加わる。部屋を分けて会場をセッティングし、
それぞれが順番に発表できるようにするという準備自体も大変だ。
でも、それがコロナ時代の会議準備だ。お茶を全員に配るとかそういう
ことは、オンラインでは必要ない。
今回、皆さんオンラインでの集まりは2回目だそう。ちょっと緊張もする。

さて、本勉強会。3か月以上間が空いてしまったが、元気に再会。
画面越しに会っていると、リアルで会っているよりも近いような
感覚になる瞬間もある。画面に手を触れれば、そこにいるような・・・。
今回は、そんな感覚があった。
まずは、マスクをしての笑いの練習(目とまゆげをよく動かす)と、
手を使って大きなゼスチャーしよう!とやってみせる。
画面いっぱいで自己表現をすることを伝え、練習してから笑いの中
プログラムを開始。
まずは、それぞれが、夏の思い出を書いた宿題手紙を画面共有しながら、
発表してもらった。それぞれが一生懸命に書き、話して、聴いて・・・。
その一生懸命な姿勢に感動。コロナの中で、思うように動けない夏を、
それぞれがいかに過ごしたかを皆さん、自分が書いた私宛ての手紙を
画面共有しながら、一生懸命語ってくれた。
オリパラを一生懸命応援し、感動した。自宅でパソコンの課題をがんばった、
お墓まいりにいった、久しぶりに友達に会ってくだらない話をして・・
それぞれが「今年の夏」を思いを持ちながらも、楽しく前向きに
過ごした様子を見て、またひとりひとりが自分の思いを、
一生懸命文字や絵にし、言葉にされているそのさま、
そして、サポートスタッフの皆さんが、ひとりひとりちゃんと
発表できるように横で応援されている様子を見て、
なんども泣きそうになった。
後半は、私の夏とふるさとの話を、写真を見ながら時には
クイズを出しながら、心の旅を楽しんでいただき、
次の課題を出して、あっという間に閉会。
最後は集合写真も!そうだ。オンラインでも集合写真ができるんだ。

画面越しに分かれる時に何度も何度も手を振って
「マーサさん、元気でね、がんばってね」
と皆さんが声をかけてくれた。
リアルで会っていたら、こんなに手を振らないだろう・・。

オンライン会議を退出すると、そこは一人の仕事部屋。
ああ、東京にいたんじゃなかったんだ。
これが現実・・・。

何とも言えない気持ちにもなるが、
でもちゃんと盛り上がったのは事実。
東京の皆さんも同じ気持ちだろう。

次回は、秋本番の頃、東京で開催したい。
障がい者をもつ人々と、そうでない人。その境界線はない。
前にも書いたが、いつどこで、
私も障害をもつことになるかわからないから。
大切なことは、一緒に、同じ空のもとで生きているということ。

彼ら、彼女たちから学ぶことは大きい、多い。
純粋。きれいな心。まっすぐに生きる。

皆さんが会社で、社会で、のびのびともっともっと輝けるように、
コミュニケーションの面から、これからも応援を続ける。
そして、一緒に新しい世界を創れたら・・・と思う。

さあ、皆さんの宿題が楽しみだ。
この勉強会、私にとって最高の夏の思い出になった。

最後に撮った集合写真。
コロナに気を付けて、次回も全員集合!!!

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空気清浄機な人、生ごみ箱の人。

昔、とにかく黙って人の話が聴ける方がいた。とある、女社長さんだ。
どんな相手の話でも、「あ、そう、そう」と静かに聞かれる。人の話を絶対に
否定しない。途中で遮らない。静かに「あ、そう、そう」。と頷いて受け入れておられた。周囲の人々は、その人を指して
「あの人は、ほんとうに空気清浄機のようで、人の話を聞いて、すっきりさせてくれるね」と評されており、なるほど。空気清浄機か。と納得し、またそんな風に自分もなれたら・・と思っていたが、当時はそんな風にはなれなかった。

そして、最近、私はいろんな企業さんとお会いし、お話しをお聞きする機会が
多い。おそらく30年前、20年前、10年前・・・。時間を重ねるごとに、人の話を聞くということが増えていると思う。
さまざまな仕事をする、いろんな人のいろんな言葉…。眼に耳に入ってくる。
それを受け入れ、戻す仕事。
その課題や悩みに対して、的確な答えを出すことは重要な仕事。
そして、その前にはしっかりよく聴かねばならない。
とにかくいろんな人生、仕事の断片が入ってくる。生の言葉。そして吐き出したい言葉は、言葉の生ごみ。
時にはそんなものも受け入れる必要がある。
もちろん単なるゴミ箱ではダメで、そのゴミをどうにかしないといけない。
リサイクル、リユースできるようにキレイにして戻していくことも時には必要。
なかなか、この言葉のゴミ箱は、回収が大変であるが、ゴミ箱がないと、
人の心が汚れる。
受け入れる力。これには大変なパワーもいる。タフでなければ、多くを受け入れられない。
もっと大きなゴミ箱にするか、素早く処理できるようにするか。
コミュニケーションに悩む人には、ときにはそんな役割も必要だ。

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主役のいない、バースデー。

今日9月1日は防災の日。1923年のこの日に、関東大震災があったことを受けての記念日だそう。
コロナ禍での全国規模での防災訓練も2年目になる。この大震災発生時よりも、
災害が増大した。日々備えておかねばと思う今日この頃。

その9月1日は、母の誕生日だ。
こどもの頃のことは思い出せないが、年を重ねるにつれ、誕生日には何かしら
してきた記憶がある。
遠くに住んでいるときは、電話、ハガキ、メール・・・・。プレゼントを贈ったり、一緒に外食したり・・・。とにかく忘れたことはなかったと思う。
昨年の誕生日は、施設に入っていたため、施設でお誕生会をしてもらった・・その写真が残っている。

まさか、それが最後の誕生日になるとは。
去年の今日、考えたこともなかった。
そして、考えたこともなかった記念日が増えてしまった・・・この1年。

今年は主役のいないバースデー。
母の存在に感謝する日にしたい。
そう、母がこの世に生まれたことで、自分がいる。
だから、誕生日は永遠に。
元気だったら、82歳の誕生日。
おめでとう。と言えないのは・・・であるが、
「ありがとう」は永遠だ。

あなたの存在に感謝のバースデー。ハッピーバースデー TO YOU♪

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求められる仕事をする人。

「こんな仕事がしたい、こんな仕事は嫌だ。」
求職をするときには、自分ができること、したいことから、探すだろう。
もしかしたら、条件面から探す人もいるかもしれない。
就職をするにせよ、起業するにせよ、どうせやるなら、人さまに喜んでいただける仕事がいい。
人さまに喜んでいただける仕事をする。言葉でいうのはたやすいが、とても難しいことだ。
心からあなたに頼んでよかった!と感謝される仕事ができるなんて、結果とてもうれしいが、その道のりは平易ではない。

最近、遺品整理をしたり、実家の片付けをする際に、自分たちだけではできないため、専門の業者さんにお願いをしている。
生前整理、遺品整理のプロである。
実は母の生前からも、少しづつお世話になってきたが、今回も炎天下のなか、
外での片付け作業を依頼した。
こんな暑い日、しかも力仕事、しかもキレイな仕事ではない・・・・。
でも、台風までには何とかしなきゃと思い、苦渋のお願いとなった。
専門家は、嫌な顔をしない。
すると決めたら、笑顔で受けてくれる。
そう、プロは笑顔が決め手。

そして、作業日当日も三十数度の熱い中、朝から屋外で作業をしてくださった。
「いえ、外の方がいいんですよ。中だと、窓も開けられないですので、この方がいいんです」
汗をかきながら、笑顔で作業を続けてくれる。

ゴミの仕分け、撤収と、産廃の処理など・・・。
とても自分たちにはできないことを、スムーズにやってくださる。

人が嫌がる仕事。人ができない仕事。
「片付けること、好きなんです」
最近は大変忙しい業界のようだ。
何でも、納骨の代行や、片付けだけで終わらないサービスもときには舞い込むそうだ。
いろんな人生の終わり方に、モノの整理・処分は必ず必要だ。
これから、ますます忙しくなる業界だと思う。
求められる仕事。これはまさに、そのひとつだ。

この仕事の依頼を通じ、新たな仕事を知り、モノをつくる、使うだけでなく
その後処理をしてくださる方がいてくださる。
このことを忘れないで、消費をしなければいけない。ということを学ぶ。

やりっぱなしの人生。では終わらない。
求められる仕事とは、本当は人が嫌がる仕事。
それを笑顔でできる人たちに、出会えると、
自分は一体?と考えさせられる。


せめて、自分は自分ができるところで、求められる仕事をきちんと
していこうと思う。

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