朝は、1日のはじまりでもあり、過ぎた1日を改めて俯瞰するときでもある。
たとえば、昨日と言う1日。
自分は何人の人とかかわりをもっただろうか?
メール、オンライン、電話、直接の交流・・・。さまざまな手法を通じ、いろんな人とやりとりをしているが。気が付けば、毎日違う、多くの人とコミュニケーションをしている。性別、世代、職業、立場、価値観・・・まったく自分と同じ人はいない。
そして、
頻繁にやりとりをしている人もあれば、時々、たまに、の人、そして初めての人・・・。
いろんな人との出会い、交わり、関わりがあって、自分の人生の「1日」が成り立つ。
そのひとり一人とのやりとりを振り返ってみる。
自分はその関わり、やりとりを大切にクロージングできたかな?
こうだった、ああだった、ありがたいな。ああ、よかったな。でも、こうしてもこの言葉の方がよかったかな・・・。
・・・と、いろんな思いが巡ってくる。
言えることは、毎日毎日、1日に何人もの人との関わりがあってこそ、自分の1日があるということ。
たまには、誰とも口をきかない日、電話もメールもしない日がある?
あるだろうか?
思い返せば、誰ともかかわらない人は、記憶にある限り、そんなにない。
人との関わりは、本当に大切だ。ていねいに向かい合わねば。
かかわるすべての人の言葉、表情を今一度胸に置き、感謝をもって、
新しい1日を迎える。
今日も、また新たな何人もの人との時間が待っている。
いろんな人の想い、寄り添い、気遣い・・・。
それぞれの想い、キモチを大切に、
関わる皆が気持ちいい1日になるように・・・。
さあ、今日は誰に出会い、どんなコミュニケーションが?
楽しみだ。
今日は誰と出会い、どんな?
表情豊かに、想い伝えよう。
コロナ禍でのコミュニケーションは難しい。
商談、会議、接客・・・。なかなか表情が見えないと言われる。
確かに、口元の表情はその人の内面を見るのに、大変わかりやすいため、
そこが塞がれていると、内心怒っているのか、笑っていいのかは
判断しづらい。
一方、伝える立場になると、マスクをしていても「見える部分」をいかに
意識するか。具体的には眉、眉間、目の力、働きが、コミュニケーションに
影響する。
普段から、愛アイコミュニケーションと銘打って、目元での豊かな表情について
お伝えする機会が多い。かなり意識しないと変化が出ない。
顔が半分しか見せ合うことができない中の、発信力は大きな課題だ。
もう少し広い視野で考えてみる。
表情の表現と言った場合、演奏家の例は勉強になる。
ピアニストの多くは、横顔しか見えない。撮影録画されていれば、カメラ位置によっては、もちろん正面の様子も見えるが、だいたいは横から。
一方、歌手やバイオリンなどの場合は、正面から見える。表情もより伝わる。
音が素晴らしく、また技術が良い。でも、表情が・・・となると、感動が変わる。
演奏家のキモチが歌わるかどうかは、感動につながる。
表情で伝わることは多い。
私の場合、全身を使った、豊かな表現をするバイオリニストの演奏が好きだ。
歌の場合は、口から声を出さねばならないので、表情にも限界があるし、
あまりくしゃくしゃになっていて口を開いても、あまり美しくない。
その点、バイオリニストの表情はとても興味深い。
ピアノの場合は、表現に制限があるかもしれない。
私の場合は、
弾き歌いの場合はとくに、ピアノの前に座らず、立って演奏する。
だから、自由に動き、表情も表現できる。それは個性であり、自分らしく演奏するには大切なポイントと思っている。
技術も大切であるが、表情が決め手になる。
表情豊かであるということは、自由のしるし。
と、庄司沙矢香さんやチョ キョンファさんの演奏録画を見て、
魂入ってるな!と感動、学びを得る。
表情豊かであるということは、心がそこにある、魂が入っているということ。
これは演奏だけでなく、日常のコミュニケーションでも重要だ。
「経験」も「若さ」も。
この1年半、いろんな福祉施設を訪ねている。
必要に迫られて・・ではあるが、勉強のためにも、なるべく
現地に出向き、現場を見るようにしている。
こういう世界があったのだ・・。そこで働く人によると、
この数年、施設は急増しているようだ。介護サービスの市場は競争が
激化している。
2年前までは、まったくの他人事であったこの介護の世界。
要介護、 負担割合、ケアマネ、ヘルバー、老健、特養・・。
今となればお恥ずかしいが、全部、「それって、何のこと?」
という感じで、まったくの他人事であった。
この世界は、自分の身に降りかかってはじめて、
突然、重要で身近な現実として目の前に出現する。
その福祉施設。
いろんな所といっても、この間 数件ほどであるが、見学に行き、
話しをきいた。ハードだけでなく、雰囲気や応対の様子も見ることにしている。
若い方ががんばっておられる施設、中高年の方ががんばっておられる施設。
さまざまだ。
若い人は元気がある。きっとお年寄りも若い人を見ていると元気になれる。
という効果もあるだろう。
でも、相談したいときには、若い人には正直相談しづらい。
人生経験が少ない人に、わかるのかな?と思ってしまう。
そんなときには、仕事のキャリアをたずねることにしている。
その道のプロ、それに近い人であれば、こちらも助かる。
経験が少ないと、その人に頼ることは難しく、上司と一緒でないと不安になる。
一方、年配の方がお世話されていると、安心感がある。
経験が豊富な方には、なぜか相談もしやすい。
対応の仕方も慣れておられるのも好感がもてる。
でも、体力も必要で、とても大変だな、と申し訳なく思ってしまう。
さらに、この世界はマニュアルどおりではよろしくない。
被介護者や家族にはそれぞれの事情があるため、一般論ではすまないことがある。
また、なんといっても、人の命に係わる問題であるため、
あまり軽い接客、応対は似合わない。
どんな仕事も経験があった方が良いと思う。
でも、いつまでもやれない仕事も多く、組織では若い世代に引き継いでいかねば
ならない。
次の時代を見据えて、今、若い人たちが自信をもってこの仕事を続けてくれるように、被介護者やその家族は、働くみなさんに敬意を表し、関わるべきと思う。
年寄りになれば、若さがまぶしいと言い、
若い人には経験が必要だ。
コロナに向かう医療関係者の人と同じように、
老人施設で活躍されている介護関係者の方のことを、
もっと感謝しなければ・・・。
本当に、本当にありがとうございます!
「ぬくもり」が消えぬうちに。
体力も意識も低下・・・。そんな父に、施設の方が特別に、束の間の面会を許可してくださる。
特別に・・という気持ちが本当にありがたい。
2週間ほど前も、症状を確認するため、特別に・・していただいた。
ありがたいことだ。
1年前とは別人のような、父に会う。
ベッドに横たわり、静かにしている。
前回は私に気づいたけれども、今回はちょっと様子が違う。
前回は目を見て、手を握っていたが、今回は目が合わない。
それでも、
そっと触れた父の手は、あたたかい。
人の命は、結局は、この「ぬくもり」がすべてなのだと改めて感じる。
半年前、ぬくもりが消えた母に対面したあの日を思い出し、
父のぬくもり・・について、これは、決して「当たり前」のことではなく、
「ありがたい」ことなんだと思えてきた。
父にどこまで通じるか、どこまで伝わるか?
だんだん、その糸は細くなっているような気がするが、
それでも、1日1時間、少しでも長く・・・と思う。
ふと、延命をしようと選択する人たちのキモチも、わかるような気がしてくる。
ぬくもりと、コミュニケーション。
ここ、絶対に忘れてはいけない。
母が旅立って、半年。
母の在りし日のぬくもりと、父のことを重ね、
改めて、命の尊さについて、考える。
懺悔のゴミ出しと生きるコスト
ゴミの出し方、出せる曜日は自治体で異なるが、コロナの影響で
外食が減った分、家庭ごみの量は、増えているように思う。
相変わらずプラゴミも多い。エコバックが浸透したように、お惣菜の容器も
今後、リユースできる形態に変わらざるを得ないだろう。
昔、なべをもって豆腐を買いに行った・・。そんな時代が、正解だったのだ。
「もったいない!」この言葉を大切にしているはずなのに、
それでも、食べきれなかった、あるいは賞味期限がかなり過ぎても
そのままになっている食品・・・。正直、わが家の冷蔵庫のなかにあることが多い。
いただきものや、出張先でみつけたものや、いろんなものが入っている。
そして、久しぶりに冷蔵庫の中をチェックすると、
「あ~あ。」とため息が出ることがある。
もちろん食べられるものは食べるが、処分せねばならないものが
たまにある。もったいないことをしてしまったのだ。
そういうときに、大変申し訳ない気持ちとショックが入り混じる。
その商品をつくられた方、送ってくださった方への申し訳ない気持ち。
そして、せっかく働いて買ったのに、無駄にした。ということについての反省と自分へのくやしさ。無駄に捨てるための消費をするために、働いているんではないのに・・というくやしさだ。それが何十円分であっても・・だ。・
ごめんなさい。ごめんなさい。といいながら、後ろ髪をひかれる思いで
処分する。
美味しく食べるはずだったのに・・・。
ゴミを出す日が懺悔の日にならないように、こまめにチェックし、
また買い置きはあまりしないこと・・。
そしてそのたびそのたびで、使い切る習慣を。
まだまだ、私の場合、もったいない・・が中途半端だ。
モノを大切にする。ということについて、今一度よく考え、消費せねば。
このことは、生きるコストを真剣に考えるということになる。
そう、仕事の上だけでなく、このコストこそ、一生続く。
ゴミに謝りながら、人生の折り返しを真剣に考える。
わが才能を再発掘する秋。
誰にも、人とは違う特徴がある。
そして、能力もある。そして、才能もある。
あるはず。気づいていなかったり、磨いていなかったり、
そんな場合もあるかもしれないが、
人は何等かの才能をもっているはず・・と思う。
たまに供の頃のことを思い出してみる。
子どもの頃、こんなことが得意だったとか、
人に褒められたとか、驚かれたとか・・。
成長するにつれ、社会の枠に自分をあてはめていく間に
その才能が隠れてしまうこともある。
もしかしたら、そのことも忘れているかもしれない。
自分の才能に再び出会うには、ちょっとしたきっかけがあれば十分だ。
私の場合・・(ちょっと長くなるが)
毎朝、仕事をしながら、「名曲アルバム」という番組を流し聴く。
有名なクラシック曲とともに、その曲や作曲家にゆかりの地域の映像が流れる、まさに5分間の世界旅行だ。
その番組で、つい最近、コロナの直前2019年12月に尋ねた、ドイツのワイマールにある、リストの家と周辺の様子が映った。
流れた曲は、「愛の夢」という有名なピアノ曲。
私は思わず、手が止まり、その映像を凝視した。
自分が訪ねたあの町、あの家、そしてあの曲・・・。
リストの悲しい恋愛物語が曲に重なり、自分が実際に目にしたリストの
家のピアノや、ベッドが浮かんで、彼の人生が浮かび、胸がいっぱいになった。
「よし、あれを弾こう、弾きたい!」
そして、すぐ楽譜を買った。
やっとピアノの前に座れる時間ができ、楽譜を広げる。
先日テレビで流れていたあのメロディーを楽譜を見ながら
辿っていく・・。
(長い前置きになった・・)
そのとき、子どもの頃の才能について、思い出した。
音楽を学ぶとき、いろんな能力が求められるが、
私は、初見や、即興が得意であった・・・ことを。
そう、何十年ぶりかに思い出した。
もちろんリストのような難しい曲はもちろん完ぺきには
弾けないが、それでも楽譜を見たら、何とか耳で聴いた感じを思い出しながら、何とか弾ける。
もっとカンタンな曲であれば、聴いたことがない初めての曲でも
なんとか弾ける。
また、瞬時に曲が浮かぶ。アレンジができる。
これが即興だ。3歳の頃から、適当に曲をその場で作って弾いて遊んだいた。
「今、つくったよ」と言っていた。
レベルはともかくとして、初見と即興。
これは子供の頃の自分の才能であった・・ということを
すっかり忘れており、今回思い出した。
これは、今からでも磨き直せるだろうか?
初見も即興も、実は音楽以外のところでも
生かせる力だ。
初対面の人ともすぐコミュニケーションできる、これは初見?
アイデアがすぐ湧いてくる・・というのは、もしかしたら
企画の即興なのかもしれない。
このように、
自分の才能・・について考え始めたら、
まだまだ無限の可能性がある!と
思えてくる。
誰にでも、その人にしかできない、その人だからできる
才能があるはず。
いくつになっても遅くない。
自分の才能を発掘することは、わくわくする。
新たな自分探しをしたい、秋である。
初見と即興。これは得意でも、練習しなければ上手くはならない。
そこが私の課題。
無限の可能性に向かって、今日も出発!
オンラインで育んだ関係を次へ。
実際に会うこともなく、ひとつのチームが3か月、自分たちで立てた計画のもとに、オンラインでミーティングを重ね、チームプランニングをして、プレゼンに臨んだ。そのチームは全部で5チーム。全国から集まった印刷女子30名。
その工程を上司たちもフルサポート。約50名で手探りで進んできた研修プログラム。
一緒にひとつのことを成し遂げた。
この余韻が消えないうちに、プレゼン大会の後、クロージングミーティングと
して取り組んだチームごとに、再びオンラインで集まった。
「お疲れ様でした!」と、それぞれの努力をねぎらい、そしてプレゼンについて自分たちのチームの振り返りと、他のチームの感想などをお互いに述べ合う。
今回行った研修は、チームプランニング&プレゼンがメインテーマであるが、
プレゼンをよく聴き、次に生かす。というところも大切なポイント。
当日、他のプレゼンをどう受け止め、いいところをみつけられたか、そしてその中で、自分たちのことはどうであったか?
客観的にみつめることは、とても重要だ。
やったことのない、大きな仕事をやったという自信。
オンラインプレゼンははじめてやった。でもこれでわかった。
これから、自信をもってできそう。いろんな意見が出てくる。
コロナでなければ、思いつくこともなかったこの挑戦。
皆さん、本当に大変であったけれど、やってよかったと口々に言われ、
こちらもほっとする。
オンラインで出会い、生まれ、育まれた関係。
研修が終わったから、チームも解散。はい、お疲れ様!
では終わりたくない。
また、オンラインで培ったこそ、さまざまな配慮のもとで
丁寧に育んだ関係であるため、絆は深い。
ここで、終わりではなく、ここから新たに何かできるかも?
という次の希望も見えてきた。
オンラインから生まれた関係。どうかここで終わらせず
リアルにつなげたい。
コロナが終わったら、ぜひ会いましょう。
もっと、何かしていきませんか?
そんな思いを込めて、クロージングミーティングを終える。
オンラインは、何とも言えない余韻を残すものだ・・。
とにかく、皆さんの奮闘ぶりに頭が下がり、こちらが感動した。
どんな環境でも逃げずに前に進むと、
必ず、いいことがある。
小さな腕時計。
「大きな古時計」という歌がある。
おそらく、どの人も小学生の頃に覚え、近年でも有名歌手がカバーしていたり・・・で、世代を越えて、お馴染みのメロディだと思う。
私自身も、ライブでよく歌う。歌いやすいというのもある。
大人になってから、だんだん意味がわかってきて、泣ける曲だ。
♪大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計・・・♪
で始まる。
さて、今、私の手もとにある、ひとつの時計。
♪小さなバンドの腕時計 としこさんの時計・・。♪
とこんな風に替え歌にしようか。
そう、よれよれバンドの古い腕時計。とても安価なものだ。
この時計を、母が救急車で運ばれた後、看護士さんから
貴重品として、受け取った。
「はい、こちらお母さんが付けておられた時計です。と
一緒についていた輪ゴムも・・・」
と思わず、笑えてくるあの場面。
今にも死にそうで、ハーハーと息している母の横で、
そんな風に看護士さんに渡された腕時計。
実は、私はその日から、葬儀の日も、いつもずっとポケットに
入れていた。
今は出張に行くときも近くに行くときも、バッグに入れて持ち歩いている。
「さあ、出かけようか」という感じで。
その時計。先日、動かなくなった。
母がしていた時計の時が止まるのは、困ると思った。
そして、電池を入れ替えた。
お店の人が、あまり古いので、
「電池を変えてももし、動かなかったら、お代はいただきません。
それと、ベルトもついでに変えておきますか?」
と親切に言ってくれる。
「なんとか、動くといいですが。ベルトは変えなくていいです」
と言って、預けた。
後で、受け取りに言ったら、時計が動いていた。
母が生き返ったような感じがして、うれしくなった。
そして、
大きな古時計のメロディが流れてきた。
♪百年休まずにチクタクチクタク、としこさんと一緒にチクタクチクタク・。♪
そう、この時計はずっと持っているつもりだ。
いつも一緒に出掛けるつもり。道連れ、という感じで。
今思えば、亡くなるニ三か月は、目の調子も良くなかったので、
もしかしたら、時計の文字盤も見えなかったかもしれないけれど、
毎日時計をしていた。
さあ、今日も出かけるぞ。
そんな意気込みだったのかもしれない。
古い腕時計とともに、母の意気込みも一緒に抱えていこう。
細いあの手首で、ずっと母を見守っていた時計には、
1日も長く、生き続けてほしい。
海を越えたい、空を飛びたい。
NYのブロードウェイが1年半ぶりに再開したとのニュースに接する。やっとやっと、あのステージが戻ってきた。有名なロングランの作品がまず、上演再開となったようであるが、そのなかで、私が何度も何度も足を運んだCHICAGOもそのひとつ。
再開にあたって舞台裏と舞台、会場外の様子が短い時間であったが、ニュースで流れた。
あの懐かしい音楽とダンスが、演者と観客の熱狂のなかで、蘇った。
舞台下から眺め、大きな拍手をおくったあの歌手たちが、健在であったことを知ると心が震え始めた。
ステージと観客が一体となり、マスク越しの反応ではあったが、それはそれは
熱い様子が伝わり、こちらまで思いっきり泣けてきた。
それは、NYに活気が戻ってきてよかったということ、待ちに待ったステージが
再開されて良かったということ、そして、私も今すぐ飛んでいきたいのに行けないという悔しさと・・・。いろんな思いで、テレビの前で一人大泣きした。
同時多発テロから20年で世界は変わった。コロナで世界は変わった。
変わり続けるなか、やっぱりNYはいつものNYだ。
NYは、私のエネルギーの源泉のひとつ。
このままでは一生行けないのではと思うこともあったが、今は、何が何でも
もう一度、25歳で初めて訪れたときと同じように、NYに触れたい。
とにかく、全身で感動する、おもいっきり感じ合える。そんな経験が待ち遠しい。
今月の自分のミニコンサートもコロナで中止。
生の歓びを知るものにとっては、残念でならない。
ああ、感動したい。
ミュージカルだけでなく、クラシックコンサートも、アルゼンチンタンゴも・・・。
全身で感じることで、注入されるパワーがあるのだ。
これができなければ、死ぬわけにはいかない。
ネットではダメだ。
全身で思いっきり身を揺らし、拍手を思いっきりして・・・。
涙を流したい。
ああ、海を越えたい。
ああ、空が飛べたなら・・・。
と、そんな思いを抱きながら、
心は越境、空に夢を描きながら、前に進もう。
小さな宝石に出会う喜び。
昨日書いたジャーナリスト横村出さんの講義の言葉でもうひとつ、大切にしたい言葉がある。
「どこの新聞とかではなく、どんな新聞であっても、そのなかに、キラッと光る宝石のような記事があると思います。それをぜひ探していただきたい・・・」
日々、私たちは、自分の考えと近い主張、論調の新聞を読むことが習慣となっている。そういう方が多いかと思う。
何新聞を読んでいると聞けば、ああこの人は・・・とその人の考え方を知ることもできる。
一方、あるメディア関係者は、自分の考えと共通する新聞と、反対のものを詠む。という人もいて、なるほど、そういう目はプロとして確かに必要だとも思っている。
また、どの新聞も目を通すという方もおられるが、それも大変良いことだと思っている。
まずは、現実をさまざまな視点から見ること、これを相対化し、自分の考え方をもつということが、重要。これしか読まない!となるのは、自分の世界も狭くなる。違う考え方を批判するにも、その相手を知らなければ、何も言えない。
そんななかで、
冒頭のことばにあるように、どこの新聞ではなく、どんな記事かが、が大事
という点に着目したい。
結局は、組織が記事を書くのではなく、記者個人が書く。もちろん社内チェックもあるため、個人の原稿そのままが公開されるとは限らないが・・・。
それでも、チェックも人がしている。
組織ではなく、人がする仕事。
だから、時々、きらり光る記事に出会えることがある。
一次情報であればあるほど、それをみつけることができる。
小さな宝石。
これは、メディア業界に限らず、どんな業界でもあてはまる。
組織はこうだけれど、あの人の仕事がいい。
あの人がいるから、商品が好きになる、店が好きになる、会社が好きになる。
そういうことは多い。結局、決め手になるのは、組織に属す属さないにかかわらず、個の仕事。
もちろん一人の場合もあれば、チームの場合もあるが、それでも人の仕事だ。
働く一人ひとりも、
企業も、この小さな宝石をなくさないように意識してほしい。
効率や生産性のみを優先し、個性をなくさないように・・・。
この宝石探しは、これからの希望につながっていくものだと思う。
そして、私自身も、誰かがみつけてくれる、「小さな宝石」になれるように
自分から光を放つことができるように、日々自分磨きを心がけたい。