目の見えない状態で食体験をする・・・。そんな試みを企画し、
仲間たちと何度か体験会を行っている。
普段、目が見えている人に、見えない状態で店で食事をする
ことを体験していただく。
店に行くところから、入って注文して、待って、食事をして・・・。
この一連の活動。見えていれば当たり前のことが視覚が
閉ざされることで、状況は一変する。
たとえば、店に歩いていくことひとつとっても、見えないと
車の音、道の段差、さまざまな音が交雑して、不安になる。
また道を歩くその一歩も、足の裏の感覚を意識するようになる。
食事も見えない状態では、美味しいかどうかわからない。
見て得る情報があるから、想像して美味しいと感じることができる。
最初から見えなければ、何を食べているかもわからず 楽しめない
はず・・・。と思っていたが・・・。
今回、この企画に実際に視覚障害を持つ方にも参加いただいた。
その方は見える人と変わらず、食事を楽しみ、会話も積極的だ。
いろいろお話しを聞きして、一番関心したのは、
察知する力と想像力をお持ちだということ。
見えない分、音や匂いの情報には敏感で、どこでどんな音が、匂いがするか
で自分がいる場所や状況を察知する。
とにかく入ってくる情報には敏感で、一度経験したらわかる・・というから
本当にすごい。
察知する力と想像力。
見える人は、そんな力をもっているだろうか?
音や匂いで察知する。
普段見えている者は、考えもつかない学習だ。
目が見えないことが当たり前であれば、それをどう乗り越えるか。
を自分で考え、行動する。
人に何でもやってもらおうとは考えていない。
自分から経験をする。外に出る。
この自立した生き方が素晴らしいと思った。
もしかしたら、見えている者は、見えるのが当たり前であり、
自分からそのモノを知ろうと思わないが、
見ることができなければ、その分、それは何なのか?を
より主体的に知ろうと五感を働かせ、世界と関わりをもとう
とする。
見えないけれど、見えている。よく知っている。
それは、世界とのかかわり方、向き合い方の問題かもしれない。
視覚だけではない、すべての五感。
今はおかげさまで不便なく生きているが、ただ
生きているだけではダメ。
見えないものを見る、察知する力、想像する力。
ぜひ、自分も養いたいと思った。
まだまだ世間知らずで、自分の見えている世界は狭い。