人生はミルフィーユのようだと、自作の「人生は
観覧車のように」の歌詞の中にも書いているが、
本当に生きていくこと、時を重ね続けること
は時に、繊細で壊れやすいものであると思う
一方、バウムクーヘンのごとく、年を重ねた分
だけ年輪となっていく楽しみもある。
その人生の年輪の多くは、人との出会い、
交わりによって出来上がってくる。
生きている限り、いろんな縁をいただくことで
生きた証ができ、思い出が残る。
このお盆休みなど、少しまとまった時間がとれる
ときには、家族との団らんももちろんであるが、
久しぶりに会う人との時間も大切にしたい。
日々、忙しく動いていることでなかなか会えない人や
ふるさとにいることで、再会できる人もある。
肩書など、まさに鎧を脱いで、素の自分のまま
向き合える人との時間を過ごすのも良い。
新たな気づきや発見も大いにあることだろう。
普段している会話とは違う、お互いの人生を
ふりかえったり、これからのことを思い描いて
みるのも良い。
家族や職場での時間だけでは得られない対話を
もつのも良い。
そんな自分も、東京でなかなか会えない心族
のひとりと久しぶりに地元で再会。
気づけば2時間半も話を続けていた。
そして、別れ際、ずっと姿が見えなくなるまで
見送ってくれていた・・・。
何とも言えない余韻をいただく時間となった。
このような。ちょっとした非日常の時間は、
ちょっと忘れていた、人生のアルバムを
久しぶりに開くような、心に染み入る
素敵なひとときだ。
なかなか会えない人と、心を重ねる時間は
普段走り続けている自分への良きふりかえり
の機会にもなる。
会いたい人には会っておく。
普段会えない人との時間を大切に。
もちろん、身近な人との時間も大切に。
久しぶりにいただいた小倉あんのモーニングと
おみやげにいただいた、かりんとう。
ちょい甘な時間の記憶は、消えないだろう。
こんなことを言えるのは、平和であるから。
そして心を重ねることで、平和を貫けるはず。
心重ねる、ちょい甘な時間。
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