世界が揺らいでいる。
と感じない日がない。
地震が毎日起きる不安と同じように、空中、ネット上で。
心地よい「揺らぎ」なんてものではなく、
突飛な思い付きのような発言、方向転換で、世界規模で
仕事をしている企業、それを受けてものを造ったり、
動かしている企業などへの、この影響力は計り知れない。
責任あるべき人たちの、日替わりメニューはもうお腹いっぱい。
いい加減にしてくれ。
怒り以上の感情は何か?諦めか?
そんなことまで考える今日。
一方、SDGsの達成率は2割にも満たないとの国連報道も。
地球を守るために協力して、何かを実践するということは
もう夢物語なのか?
また、自分の言動、行動がもたらす社会への影響を考慮し、
調和の世界を作っていこうとする挑戦はもう不可能で、
無駄な抵抗なのだろうか・・・。
と、そんなことが頭をよぎってしまう。
大手放送局がある大手自動車メーカーの工場閉鎖に
ついて、トップニュースとして何度も報じる。
一度目は驚き、自動車産業の明暗について考え、
そしてその企業の知る範囲での歴史をふりかえり、
ああ、あの経営者はいったい・・。など思った。
このニュースは夕方も、深夜も、朝も続いた。
トップニュースとしてインパクトがある話題なのだろうが、
途中から、もう見ないことにした。
こちらの企業、工場で働いている人、家族のことが
頭に浮かんだから、見ていられなくなった。
お父さん、お母さんが働いている工場がなくなる。
という報道は、その子供や家庭、地域に広がり、
不安が増幅する・・。
その顔が浮かんだのだ。
今日、学校に行って大丈夫かな。そんなことまで・・。
報道する側は何度も何度も報ずれば、そのネタで
番組がもつ。伝えっぱなし。
それを見た人、受けとめた人の気持ち、不安を
どうしてくれるのだろう。
報ずる側は、報ずることの責任は?
少なくとも発信することと、報道は違う。
公的かつ、もともと価値がある存在であった
マスメディアとしての役割を担ってきたはずの人たちが、
単に発信することにとどまらないことを心から祈る。
報道とは?報じて生きる道を作らねばと思うのである。
尊敬するジャーナリストの一人、横村出さんが
「いのちを守るジャーナリズム」を自身の
仕事のコンセプトとして掲げておられるが、
このように、報道に関わる人は、
自分がやっていることは何のため?と、
改めて目的と意義と、責任をもって
その目的に向かって行動してほしいと
思っているが、大手のメディアは?
それを誰に、何のために伝えるのか?
みんなが元気になる、いい話題をもっと
発掘してきては?
世界が揺らいでいる。
人が揺らいでいる。
地が揺れても、人は、自分はしっかり立っていかねば
と思っている。
報じる責任。
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