存在感と影響力。

フランシスコ教皇の葬儀が行われた。
以前、何度か訪ねたバチカン。そこに何十万と
いう人々が世界から集まったのだ。
また、各地で追悼ミサも行われたようだ。
そして、現地に足を運べなくても、今はネット
での参列もできる。世界中の人々がその様子を
見守ったことだろう。戦地からも病院からも・
・・・。
そのことを想像するだけでも、キリスト教の
世界はすごいと思うが、それだけではなく
フランシスコ教皇ご本人がそれだけの人
であったのだ。

私もその時間は移動中であったが、スマホで
その様子を拝見した。
「バチカンニュース」というメディアをみつ
けた。主催者が撮影しているのだから、
至近距離でその様子を見ることができた。
教皇が亡くなってからのさまざまな動きも
この媒体では時系列に確認することができ、
とても近い距離感で接することができる。
初めてこの媒体を知った。

歴史に残るこの厳かなセレモニーを、
手のひらサイズで、しかも立って上から覗い
ているなんて、しかも画面を指で拡大したり、
途中でON OFFしたりとずいぶん不謹慎な
参列であるが、きっとゆるしてもらえるだ
とう。と思いながら見ていると、お会いした
こともないのに、不思議な感覚が湧いてきた。

世界のほとんどの人が、直接会ったことはない。
そうであるのに、世界中の人がその死を悼み
別れを惜しむ。
感謝の気持ちと、喪失感と・・・。
会ったことがなくても、語りかけたその言葉
や姿、表情がまさにメディアを通じて、
人びとの中に棲んでいるのだ。

まさに、信仰されている皆さんがパパと呼ぶ
ほどに、国境を越えた、そしてフランシスコ様
においては、宗教を越えての世界の父親的
存在だったのかもしれない。

実は葬儀前の時間。
私は実家のピアノの前に座っていた。
ひとりで哀悼の気持ちをささげて、フランシスコ様の
ふるさとブエノスアイレスの空を想い、
アルゼンチンタンゴを弾いていた。

そして、電車の中で葬儀の様子を見た後も、
おそらく教皇様と同世代だった演奏家たちの現役時代の
バンドネオンの音を聴き、タンゴを讃美歌代わりに
ご冥福を祈った。

フランシスコ様もバチカンに移られてから、
懐かしきふるさとのことを何度も思い出されたことだろう。
そして、もともとはイタリア移民であったということで、
その地元の木で作った棺を希望されたとのこと。
そこで永遠の眠りにつかれた・・・。
ご本人も、そして棺をつくった職人さんも喜んで
おられることだろう。

と、こんな風にいろんなことを想像し、
世界の人々のために祈り、励ました尊い宗教者の
存在について改めて思いをはせる。

世界中の人が感謝をし、これからもずっと
皆の心の中に棲み続ける存在。
ひとり一人が忘れない限り、その存在は永遠だ。

人はいかに生きたか。伝えたか。
により、その存在感が永遠のものとなり、
時代を超えて人々に影響をもたらす。

これをきっかけに、世界が平和になれたら
一番いい。

安らかな眠りを。感謝を込めて。

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