マーケティングやコミュニケーションの世界に身を置いた十数年の間に、
ピアノの演奏力は低下した。この現実は、ときに苦しく、ときに
悔しく・・・。でも、その代わりに得たものは、出会いは、新たな世界は、
より広く、大きく、また違う豊かさもあるのだから、それでよかったのだと
言い訳をする自分もいる。
音楽だけ一筋に生きてきた人の生き方をうらやむことはしないと
思ってきたが、それでも、華々しいステージで勝負する演奏家たちの
姿を映像などで見るにつれ、いろんな思いが募る。
そんななか、
ショパンの再来といわれた、あのブーニンの9年ぶりの復帰の報道に
接し、釘付けとなる。
まさに音楽一筋、ピアノだけに生きてきたあの天才が、そういえば
ここんところ、コンサート情報も来日という話題もなかった。
左手が動かなくなるという大病を患い、足も骨折。そのための治療や
リハビリをされており、やっとこのたび日本での演奏会で復帰された
とのことで、番組はその様子を伝えた。
いつの間にか中年になったブーニンが、久しぶりに演奏した曲は、
昔のような華麗なショパンではなく、静かなシューマンの小品集から。
以前の指先の見事な速い動きこそないが、ひとつひとつの音が
心にしみわたる、深いキレイな音色が心を震わせた。
技術ではなく、美しい音色を届けたい。
そんな思いがじんわりと伝わる、素晴らしい演奏で、
苦難、苦労を乗り越えたブーニンの今を感じることができた。
昔は聞いていて、その指さばきに感嘆こそすれど、涙は出なかったが
今は、いろんな思いが重なって、一音一音が全身に染み渡った。
演奏後のインタビューのなかで、
「ステージはごまかしのできない場」であると言っていたことが
とても印象に残った。
「自分ができること、できないことが、わかってしまう世界」
確かにそうだ。
音楽は音が出た瞬間が、永遠である。
上から色を塗り足すことも、消しゴムでなかったことにする
こともできない。
出された音が、すべて。
この瞬間にすべてを賭ける。
それが演奏家の仕事。
ごまかしができない仕事。
ふと思った。
音楽の世界で学んだことのひとつは、これだったと。
今、音楽以外の仕事、活動をするときにも、
ここは大切にしなくては、と無意識ではあるが、
ずっとそうしてきたような・・・。
ごまかしはいけない。
ブーニンは1年後、さらに昔に戻るようにリハビリ練習を
続けるそうだ。
人生の頂点とは何かわからないが、
年齢や苦労や経験を重ね、
真なるものに向かっていく・・。それが人生か。
もちろん努力がなければ、向かうことはできない。
ごまかしのない仕事、生き方。
自分がまず、それをわかっているはず。
さらに人間味と愛にあふれたブーニンのこれからを
影ながら応援し、そして
私もさらなる復帰!を目指したい。
技巧を尊敬するだけでなく、
生きざまが尊敬される。
そんな人になれるのかどうかは、あとでわかること。
まずは、ごまかしのない今日1日を。
ごまかしのできない仕事。
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