ウィーンフィルに励まされる。

ベートーベンの第九の演奏を聴き、その解説を学ぶという放送プログラムをたまたま見つけ、釘付けに。ベートーベンの最後の大作に初めて触れた小学校時代、ドイツ語もわからないのに、フロイデ、フロイデと歌う合唱団に参加していた時代を懐かしく思い出しながら、ずらり並ぶオーケストラと合唱団のメンバーが立つステージを見て、??以前と違う印象を抱く。

昔から、隙間もないほどにひしめき合って何百人もがひとつのステージに立つことには、特別感があった。そしてそのスケールに感動していた。自分もそこに立った幼き日のことは今も良き経験。そして、日本では年末といえば、第九、第九。それが恒例行事であり、なかには何万人の第九というのもあった。

しかし今、そのオーケストラと合唱団の大集合の映像を見るとまあ、もうこんなことできないのでは、と思ってしまう。人が集まると、力を結集しやすいが、今となれば、これは大いなる密の世界、危険な行為ということにもなってしまう。

コロナ感染後、音楽家の活動の危機が叫ばれ、オンラインで演奏をする人も増えた。オーケストラの演奏者たちもネット上で同時に配信する例をいくつも見た。
皆さん、努力されている。

でも、やっぱり生がいい。音楽はライブに限る。自分自身の演奏活動再開について悩んでいたところ、ウィーンフィルの取り組みを知る。

どうすれば演奏会を再開できるのか。彼らはさまざまな実験、調査を繰り返した。そして、どうやら楽器を演奏したときに飛ぶ飛沫は、75センチ程度だということが判明。その距離に気を付ければ、オーケストラ編成は可能ということになり、また、客席もたっぷり余裕をもって座席を指定し、大きなホールに限定100名での演奏をこのたび実施した。

大ホールにわずか100名の観客。演奏者もフル編成ではなく、小編成での演奏ではあった。
が、演奏後の拍手は本当に感動的で、泣いている人もいた。

生の演奏が聴けて本当によかった。
生の演奏を聴いていただけて良かった。

そんな様子が報道から伝わった。

残念ながら、私がその生演奏を聴けたわけではないが、その様子を知るだけでも
元気が湧き、明るい道が見えてきた。

演奏者も聴衆もまさに一体となり、これまで以上に生の素晴らしさを共有することになったこの取り組み。
このウィーンフィルの活動で、世界の演奏家の取り組みもこれから前向きに
変わってくることだろう。

早く、演奏がしたい。

7月すでに入っている予定を見ながら、生で伝えたい。生で・・・。

ますます思いが募る。

音楽はやっぱり生、ライブが一番。それが基本中の基本だ。



カテゴリー: Essay (Word) | ウィーンフィルに励まされる。 はコメントを受け付けていません

昔歩いた道を、今改めて。

実家に向かって最寄り駅からひたすら歩く。雨のなか、田植えをしている人
の姿が目に飛び込んでくる。久しぶりに見る光景だ。雨の中、頭が下がる。
田んぼは、子供の頃の方がたくさんあった。私が岐阜を出てから、たんぼがどんどん宅地となり、住宅が立ち並び、田んぼは点々と、その間にとり残された。
その残った田んぼで、今もしっかりお米が作られているのだと、田植えの人を見て感動する。

子どものころは、この時期になると、かえるの大合唱も聞こえ、時折、その中から一匹が道にぴょんと飛び出てきたり、庭のあじさいの葉っぱにかたつむりをみつけて・・・そんな自然の動きから季節を感じたものだ。
長らくそんなことも忘れていた。

最近は実家やその付近での用事も多くなったため、子供の頃に歩いた道を通ることも多い。小学生の頃の、中学生のときの、高校時代の・・・私の若き日、それぞれの時代の通学路。
18歳までの私の日々が、歩いた道とともに、今、蘇る。
それぞれの道を歩くと、40年~30年前の「まさこちゃん」に出会えそうだ。昔の同級生や近所のおばちゃんたちは、いかがお過ごしかと、あれこれ思い出す。
今、昔歩いた道が、近く、懐かしく感じられる。

また、ここを歩けてよかった。晴れない心になりがちな日も、懐かしさにふれ、ホッとした気持ちにもなれる束の間の幸せ。

そして、これまできた道を歩きながら、これから進むわが道についても考える。

きた道、戻ることはない。でも思い出すことができるこの時期こそを楽しみたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 昔歩いた道を、今改めて。 はコメントを受け付けていません

雨にうたいたい・・・♪

雨の日は、確かに鬱陶しい。
でも、実は、雨の日は悪くない。
もちろん豪雨は困るが、小雨であれば、問題ない。
普段通り歩く。
小雨であれば、傘をもたずに帽子で済ます。
できる限り、身軽に動きたい。

でも、ちょっと雨が強くなってきたら、傘をさす。

雨の状態で、傘を選ぶ。
降りそうな日の出張には、超軽量の折り畳み、
今日は本降りになりそうだから、ちょっと大きめ、しっかりした傘を選ぶ。

傘をさしながら町を歩く。

混雑した道は困るが、すいている道ではマイワールドになる。

観覧車の傘を持ちながら、歌を歌いながら歩く。
映画やミュージカルでも「雨」や「傘」の名を冠する作品があるが、
雨と付けば、非日常観がして、ちょっとわくわくもする。

雨の日はみんな急ぎ足。そんななか、傘を持ちながらお気に入りの
曲を口ずさむ。車と雨の音に消されるから、大声をだしても大丈夫。
ここではマスクも要らない。

雨にうたえば、心も晴れる。

雨は人を情緒的にさせてくれる。
雨は悪くない。
昼と晴れ、夜と雨。
どちらかというと、後者の方が想像が膨らむ。

雨の日。楽しく。雨は天の恵み、心の癒しにも。

一方、豪雨はもちろん困る。
雨での被害がないことを祈りつつ・・・。
歌えるほどの雨が、ちょうどいい。


カテゴリー: Essay (Word) | 雨にうたいたい・・・♪ はコメントを受け付けていません

曲がった背中は生きた勲章。

母がまもなく退院。
コロナ期は病院での面会は厳しい。
1週間あまりの入院中、途中で母に会えたのは面談のとき。
やはり入院すると見た目も変わってしまう。

2週間前まで重いリュックを背負って、気丈に自転車に乗っていた母の背中を
見つめ、事故を起こさないようにと願いながら、見送っていたが、
今はそのリュックもなく、寝間着という薄着になり、いかに母がかぼそい
身だったかと改めて知る。
そして、小さな背中をさすりながら、この前みた背中はこんなに曲がって
いたのかと改めて気づかされる。
母は、気丈であり、調査員の答えにもパーフェクトに答え、しっかりしているという印象ではある。でも、疲れているのがその背中に出ている。
人は前からの印象に気を配る。
化粧をしたり、表情の勉強をしたり、鏡をみて工夫、努力する。

しかし、実はその人が歩いたあとに見える背中こそが、真の生きた勲章かもしれない。

もちろん刻まれた皺も、しみも、傷も・・・。

上塗りしてごまかせない姿。素のままの姿。これは大切だ。

くしゃくしゃになろうとも、腰が曲がろうとも、生きようとがんばっている
その姿は尊敬と慈しみに値する。

自分はどんな風に年を重ねていくのだろう。
腰は曲がらない方がいいな、しみはできるだけ作りたくないな。
いろいろ思うけれど、ごまかしはなし。

素で生きる。それが一番。
もしかしたら、母は今、自分に発信してくれていることは、そこなのかも
しれない。

まだまだ生きる、まだまだ生きて、まだまだ。
口が達者なので、大丈夫だろう。

カテゴリー: Essay (Word) | 曲がった背中は生きた勲章。 はコメントを受け付けていません

応援の声で、新たな力が湧く。

日々、いろんな方が応援してくださっていることを感じる。

家族に対して、自分に対して。
本当に世の中は、愛にあふれていると思う。
愛は、ときに哀しみや、憎しみに変化していくこともあるが、
基本、応援されたり、支えられることで、人は前を向いて
歩くことができる。

日々応援していただいているせいか、頑張っている人を見ると
こちらもつい、つい応援したくなる。
長年のおつきあいの方にも、最近知り合った方にも。

先日知り合ったばかりの起業3年の画商さんのことも、初対面で
応援の気持ちが芽生え、新たな交流がはじまった。
夢に向かって進んでいる人との価値の共感、共有は自らをも
さらに前向きにさせてくれる。

どんな人を応援するか?したくなるか。
頑張っている人を。
前を向いている人を。
共感できる人を。

アスリートを人々が応援するのは、彼らが努力を続け限界に
挑む姿に感動、感銘するからだろう。

今、とても多くの応援をいただいている。
ありがたい。

そして、自分も周りの人をエンカレッジし続けなければならない。
人は、その力をもらって、元気に走ることができる。
今日も幸せに1日がスタートだ。

カテゴリー: Essay (Word) | 応援の声で、新たな力が湧く。 はコメントを受け付けていません

自分が世界のサイズを決める。

高齢化社会というけれど、単に年寄りの数が増えるだけの、要介護者が
うようよたくさんいるだけの社会では、意味がない。
何のために生きるのだろう。何のために生きているのだろう。
本当に複雑な気持ちで、そんなことを最近、強く感じる。

人として生まれた以上、人生を有意義にするために、勉強したり、世の中の役に立つように努力したい。

歌を歌う、ピアノを弾く。料理をする。文章を書く、絵を描く、写真を撮る・・
何でもいい。自分の好きな世界で自分を活かせることができれば、幸せなはず。

単なる長生きは苦しい。そうなるか否かはそれまでの積み重ねに尽きる。
ふと、
人間は、自分で世界のサイズを決められるのではないか。
と最近思う。
自分が多くの経験を積み、学び、いろんな出会いを大切に生きていくと、
おのずと世界が広がり、さらに開く。
一方、経験を生かさず、何も考えずにただ生きていると、世界は広がらず、
年とともに閉じていく。

世界が閉じる生き方をするぐらいなら、長生きはしなくていいかな。

生きている限り、世界を広げ、自分を成長させていきたい。
世界の大きさを決めるのは、自分自身。そして、それは一生の住処にもなる。
と、日々の複雑な気持ちを抑えながら、
そうありたいという自分の信念を持ち続けたい。

自分が生きる世界だから、自分が大きくすればいい。
そう、人生には無限の可能性で満ちている。

カテゴリー: Essay (Word) | 自分が世界のサイズを決める。 はコメントを受け付けていません

終活伴走

人生、終わるまで、なりゆきでわが道をいく。
そんな人に今、向き合っている。

終活ということばが生まれ、高齢化社会ではそれも長生きするための必要条件として馴染みもあるが、実際死を考えたく無い人には、「終活」この考えは難しい。

でも体力気力が失せることで、もう無理かな。と思った時点で自分でいろんな始末ができなくなり、急に焦る。

今、親のいろんな始末について格闘している。
パズルになった言葉を想像しながら、無理やりつなぎ合わせ、何がいいたい、したいのかと考え、対応策を練る。


いやはや、年をとるとコミュニケーションがいろんな意味で難しくなる。
今回、それを毎日痛感し、コミュニケーションクリエイターではなく、
コミュニケーションクルシミマスワー状態になっている。

ものがうまく伝えられない人の最期をなんとかするというのは、
なかなかのハードワーク。
普段の仕事を思いっきり気分転換のチャンスを想って取り組みながら
今、親の終活を伴走中。
毎日闘いだ。でも、これをクリアすれば、もっとコミュニケーションのことを
理解できるだろうか。いろんな意味でプラス志向で、いくしかない。

モノがいえるうちに、耳が聞こえるうちに、モノが書けるうちに、
動けるうちに・・・。

それが一番大切だ。まずは目の前の反面教師を見ながら、わが襟を正し、
現実に向かっていくとしよう。

カテゴリー: Essay (Word) | 終活伴走 はコメントを受け付けていません

つながりは「ち」から。

40年もの間、別居してきた親たちは、子どもに頼らず自分たちで生活するため、近所の人たちとのつきあいを大切にしてきた。
もちろん気が合う人、そうでない人もいろいろあれど、助けていただける人たちがいることはありがたかった。

親はとにかく「地元」「地域」。そこですべてのコミュニティが成り立っている。ご近所の喫茶店、お米屋さん、ガス屋さん、電気屋さん・・・。お客さんとお店の人という関係を越えて、いろんなことでお世話になっている。
ガス屋さんなのに、いつの間にか網戸の相談まで、喫茶店なのに自宅の庭の水まきなど・・・。
こちらからすると、ありえない無理を皆さまにお願いしているので、最近は頭を下げ続ける日々だ。
まずは、家族に、地縁関係に・・といっても、そばにいないから、仕方ない。忙しいだろうから心配もかけたくない
だから、こういうことになってきたのだろう。
親にしてみれば、自分たちの生きる道はこれだったのだと思う。

地域の皆さんとの関係が良いということは、本当に幸せだ。

時々、地元優先過ぎて、家族がおきざりになることもあるので、振り回されているが、まあまあ、親なりの自活の道がこれだったのだと思えば、ありがたい。

今は地域に感謝しかない。

お返ししなければ・・・。

血も、地も。みんな生きる力になればいい。

カテゴリー: Essay (Word) | つながりは「ち」から。 はコメントを受け付けていません

不要不急。でも一生ものの商品を扱う仕事。

最近、デパートの催事場で出会った、ある画商さん。
私の好きな藤田嗣治の作品を中心に、ピカソやルオー、ミュシャ・・などヨーロッパの名作をそろえての即売会。
値札さえついていなければ、立派な美術館。しかもそこで観るのは無料。
考えようによっては、デパートの美術品売り場や即売会は、超限定の移動美術館でもある。だから、昔からよく足を運んだ。目的をもってチケットを買って行く美術展よりも、知らない作家、未知の世界と出会うこともあり、大変有意義だ。
とくにコロナの影響で、美術館が長期休暇であったため、アート不足な日々にストレスも感じており、この催事の開催を知って、正直ほっとした。でも、コロナの影響で、食品フロアのような賑わいはなく、ひっそりしていた。

人影がほとんどない絵画の即売会に足を踏み入れるのはちょっと緊張もする。でも、展示されている作品が好きなジャンルであり。つい、引き込まれた。そしてある作品の前に立ち止まった私に、その画商さんが背中の方から絵について少し解説をされた。この最初の一言はとても重要だ。おそらく、いつ声をかけようかとずっと様子を伺っておられたのであろう、その後何枚かの絵を見ていると、さりげなく、その人は作品について少しづつ丁寧に、解説を始めた。
聴いていると、話し方も含め、その語り口が素晴らしい。作品のことを社会情勢と作家の人生と絡めてわかりやすく話される。とくに戦前と戦後の作品の違いについての説明は大変興味深く、まるで美術館で学芸員からツアーで説明を受けているような感じであった。芸術とは世のなかの変化とともに存在し、そして作家という人を通じて、表現される世界であることを改めて認識。ついつい、こちらもいろいろ質問をしたり、藤田の生誕50周年の話題や、藤田が終の棲家としたランスの話などで、しばし盛り上がり、打ち解けた。
他にお客さんもおられなかったせいで、貸し切り状態となり、随分と話を聴くことができた。画商という仕事はこの対話が重要なのだろう。どこまで語れるかが商売の成否を決める。値段ではなく、価値。まさにここをどう伝えることができるのか。
この方は、フランス美術に精通されており、また地元っぽくない品を感じたため、たずねてみると、東京の画商で修行を積まれ、フランスとのパイプももち、3年前に独立された方であることがわかった。
デパートでのデビュー戦として出展したはいいが、同時開催であったはずの近隣の美術館の企画展も中止となり、デパートの営業もコロナで自粛・・・と思っていないデビュー戦となった。
しかし、その方は大変前向きで、「いいんです。こんなときのデビュー戦。
ま、ひとりお祭りとして、盛り上がろうと思っています。」笑いながら話してくださる。きっと心中は複雑な思いでおられたと思うが・・。

画商という仕事。作品を売ることをすすめる仕事。作品を入手する立場になれば
美術館で見るのとは違い、作品を購入するというのは、作品と長いつきあいになるので後悔することになってはいけない。直観で買ってはいけない。などなどなるほど・・と新たな勉強にもなる。

すいているので、ゆっくりお話しできた。
でも、さすがに作品を洋服を買うように、衝動的には購入できない。
でも、今回の出会いで何か新たな世界が広がる予感がした。

絵画を通じてフランスをはじめとするヨーロッパのアートを学び、愛する方とのご縁は貴重だ。私のグラン・ルーも生まれはパリだ。

作品の魅力を伝え、販売する。この仕事は、学芸員の仕事とはまた違う。
また売ろうとしてはいけない。価値の伝え方・・ここは、大変重要である。
なんだか我慢の、修行の世界にも思えてくる。

不要不急の商品を扱う仕事。
車や住宅もそうかもしれない。絵画というジャンルもそうなのだろう。
車や住宅以上に、100年経っても価値があるものを扱う。
不要不急だからこそのお宝。人間の心を豊かにするアート。
おうち〇〇が、今人気であるが、おうちでアート。これもひとつのビジネスチャンスともいえる。

コロナのおかげで、いい画商さんとの出会いを得た。
これが、密の展示会場になっていたら、こうはならなかった。
好きな作品を扱い、人々に感動を届ける仕事。まさに夢を売る仕事。
ぜひ、これからも普遍の価値を伝え続け、活躍されることを願っている。
これから藤田の作品をみるたびに、彼を思い出すことだろう。




カテゴリー: Essay (Word) | 不要不急。でも一生ものの商品を扱う仕事。 はコメントを受け付けていません

横田さんへの思い。

娘さんがある日突然行方不明になり、拉致されたとの報せから、その後ずっとずっと待ちわびて、ご夫婦力を合わせて、同じ境遇におかれたご家族たちと一緒に署名を集め、訴えを行い続け・・。そして、娘さんとの再会を果たすことができないまま、生涯を終えられた横田滋さん。

45年、娘を待ちわびた人生・・。どんな時間であっただろうか。
今、両親の老いと向き合う日々、親と同世代の横田さんの最期の思いは・・。想像するだけで胸がつぶれそうになる。

10年ほど前のことだった。
東京での新潟市の関係者の集いで、横田さんが拉致被害者家族会の代表として、参加されており、会場で名刺交換をさせていただいたことがある。
見知らぬ者、無名の私にも、名刺をくださった。一人でも多くの人にこのことを知ってほしい、応援したいという思いでおられたのだろう。
私自身、思いはあるけれども、自分が経験したことのない大変な状況を生きておられる、こんなにつらい人生をおくられている横田さんに気の利いた言葉をかけることもできず、ただ、頭を下げて
「がんばってください!」のようなことしか言えなかったほろ苦い記憶が蘇る。
そして、その後、何度もテレビで見るたびに、その時のことを思い出し、高齢にも関わらず精力的に活動を続けておられることに、複雑な思いになった。国は何をやっているんだろう。いつになったら・・・という気持ちもじわじわ高まった。

おそらく、昨年のことだったと思う。
出張からの帰り道、新潟空港で搭乗を待つ時間、ひっそりしたターミナル内で、ある展示コーナーをみつけた。横田めぐみさんに関するパネル展であった。
人手も多くない空港である、しかもその中でも人が行き来しない、目につきづらい2階のスペースにその展示コーナーがあった。偶然通らないと気付かなかった。
横田めぐみさんとご両親の写真や拉致問題の紹介展示を見ながら、もっと目立つところでやればいいのに、なんで、こんな誰も来ないような場所で・・・と思いながら、お会いしたときの横田さんのことを思い出していた。最近、テレビにも出ておられないが、お元気かな・・と・・・。

人生。最期は子供に送ってほしい。子が親を送るのが自然。
愛する娘に会えないまま、命が絶える・・・。
そしてともに戦ってきた、ご夫人の由紀恵さまの心中を想うと、たまらない。

うまく表現できない。
拉致。恐ろしい。こんなことが起きない世の中になってほしい。
心からお悔やみ申し上げ、長年がんばってこられた横田さんの
ご冥福をお祈りしたい。
この事件は、他人事ではない。



カテゴリー: Essay (Word) | 横田さんへの思い。 はコメントを受け付けていません