曲がった背中は生きた勲章。

母がまもなく退院。
コロナ期は病院での面会は厳しい。
1週間あまりの入院中、途中で母に会えたのは面談のとき。
やはり入院すると見た目も変わってしまう。

2週間前まで重いリュックを背負って、気丈に自転車に乗っていた母の背中を
見つめ、事故を起こさないようにと願いながら、見送っていたが、
今はそのリュックもなく、寝間着という薄着になり、いかに母がかぼそい
身だったかと改めて知る。
そして、小さな背中をさすりながら、この前みた背中はこんなに曲がって
いたのかと改めて気づかされる。
母は、気丈であり、調査員の答えにもパーフェクトに答え、しっかりしているという印象ではある。でも、疲れているのがその背中に出ている。
人は前からの印象に気を配る。
化粧をしたり、表情の勉強をしたり、鏡をみて工夫、努力する。

しかし、実はその人が歩いたあとに見える背中こそが、真の生きた勲章かもしれない。

もちろん刻まれた皺も、しみも、傷も・・・。

上塗りしてごまかせない姿。素のままの姿。これは大切だ。

くしゃくしゃになろうとも、腰が曲がろうとも、生きようとがんばっている
その姿は尊敬と慈しみに値する。

自分はどんな風に年を重ねていくのだろう。
腰は曲がらない方がいいな、しみはできるだけ作りたくないな。
いろいろ思うけれど、ごまかしはなし。

素で生きる。それが一番。
もしかしたら、母は今、自分に発信してくれていることは、そこなのかも
しれない。

まだまだ生きる、まだまだ生きて、まだまだ。
口が達者なので、大丈夫だろう。

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