会社員時代から、独立を決め、そしてその道を歩み始め、
現在まで。
30年以上にわたり、ずっと応援団でいてくださった、KENさん。
年もかなり離れているけれど、互いにマーケティングの実践者と
して、出会い、交流し、定年されたあとも、ずっと縁は続いた。
独立した私のことを合うたびに、順調か?ちゃんとやれているか
と、気にかけてくださった。
音楽活動についてもずっと応援いただいた。さらにはザビエルに
捧げる楽曲の歌詞の翻訳も手伝ってくださった。
コロナのせいで、会えなくなり、いつか会えるとだけ信じて
疑わず、時折連絡は取り続けた数年。
コロナが落ち着いた一度、有楽町でお会いし、
久しぶりにお好み焼きとビールで乾杯・・・。
別れる時は、またそのうち会えると笑顔で握手。
この1年半ほどは、闘病生活をされ、連絡の頻度も変わった。
コロナの前のように最低でも1年に一度は会う。という
こともままならず、
「会えるようになったら、連絡します」
と5月の始めに頂いたメールが最後になった。
きっと会えると、また歌も聴いてもらえると、
ともに関西文化に親しんできた身なので、
東京で関西弁が通じ合うコミュニケーションも楽しかった。
そんなKENさん。
鹿児島のザビエルに会いに行く前日に
旅立たれていた(帰天されていた)とのメールが
ご家族から入った。
こういう報せとは、受け入れがたい。
その人のメールアドレスなのに、ご本人からの
メッセージでないというのも・・・。
ご家族も、どんな思いで送ってくださっているのか
と思うと、たまらない気持になる。
グラン・ルーの繁栄を、マーサとしての活躍を
いろんな意味で、心から支えていただいた。
私にだけではなく、信仰を大切に、周囲を
大切にされ、国際交流にも貢献された。
外国人の方の就労のお手伝いもされていたことも
聞いたいたが、近年の移民問題については
きっと心痛め、ご自身ができることを
最後まで続けておられたと想像する。
国際人として生きるには、語学だよ。
と外国語が専攻であったため、いつも
そんな風にアドバイスも多くいただいた。
考え方が共通するところ、違うところ
そのディベートらしきやりとりも、
とても楽しく、学びになった。
立場も背景も異なるからこその
魅力があった。
もう会えないのか・・・。
正直、まだ実感が湧いていない。
ただ、この30年間、本当に本当によく見守り
応援していただき、楽しい東京での時間を
共有させていただいたことへ、
感謝の気持ちが募ってくる。
応援団の存在は、生きる糧になる。
よし、がんばろう!と自信も沸く。
KENさんの存在は、私に頑張る意欲を
授けてくれた。
もしかしたら、現代に生きる私のザビエル
だったのかもしれない・・と
思えたりもする。
まだ信じられないでいる自分。
ではあるが、
KENさんの存在に感謝。安らかな眠りを心より祈る。
応援団の力は、偉大すぎる。
