名前なんかどっちでも。

約1年半ぶりに会った西国の妹。もともと岡山出身であるが、
最初に出会ったのは京都。ふるさとから出て社会に出たばか
りの若き頃。
最初の出会いは20年ほど前だというから、思えば長いつき
あい。
彼女の仕事に合わせ、北は札幌へと足を運び、彼女も私の
コンサートに合わせ、岐阜へ、山口へと、相互駆け付け隊。
そして、気が付けば東京でも再会し、二人の出会いの町、
京都では何度も会った。
時々会うことで、お互いの変化、成長も確認しながら、
安心もした。

探求心旺盛でいつもきらきらしていて、どこかスピリチュ
アルな一面を持ち、他のビジネス界であう人とは違う力を
もっていると感じていた。
人の心と体と魂を健やかにする仕事。
日本国内、そして海外も含め、一通り修行の旅を終え、
実家に戻って7~8年。ちょうど、自分が東京を離れた頃と
重なる。
親御さんの旅立ちが、今の生き方につながっているという
点は自分とも共通している。

ずっと一人で自由奔放に生きていくように見えていた彼女。
久しぶりに会ったら、ふるさとの地で、新たな道を選び
歩み始めたようだ。
「名前なんか、どっちでもよくなって。
名前が変わったらどうなるんかなとちょっとそれも試して
みたいと思って」
ということらしい。

確かに、田舎の地元で暮らすと、名前のしがらみは確か
にある。
違う名前になっていれば、昔と違う、地元と関係ない
知らない人になることができる。
そう、名前はときに足かせ、ときに隠れ蓑になるのだ。

一度、違う名前を名乗ってみるものいいかなと思って。
そんな軽いタッチで、しなやかにふわっと、人生を
選択していく。
その生き方自体が、彼女らしい。

彼女の起業時に少しだけ関わらせていただき、その
スタートを見守りながら、1年経った。
しっかり地に足をつけながら、彼女らしく生きている
さま、そして、都会でふんばっていた時代があっての
現在であると、その横顔を見ながら、人の縁の不思議
を思う。

名前など、どっちでも。
それもひとつである。

選べればいい。選べばいい。

波動の話、東西医学の話、自然を愛でる姿勢。
彼女の価値観を支えている
世界の一部に触れ、改めて共感するところもあり、
さらなる成長、発展を応援したいと思った。

自然と生きる、自然に生きる。
そして美しく。
目を閉じれば、
いつもかわいらしい笑顔が浮かぶ。

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