気にならないサポーター。

外反母趾と長年つきあっている。
靴と足の関係は難しい。
最近、新たに購入した靴が足に合わず、ネットで評価の高い
サポーターを入手して、早速装着して、新しい靴を履いて
歩き始めたが、途中から足先に痛みが走った。
時々立ち止まり、靴の紐をゆるめたり、サポーターの位置を
変えてみたり・・・。でも、やはり痛みはとれないため、
せっかくのサポーターを外した。
外反母趾とつきあうのは、なかなかむつかしい。

今回装着して痛かったそのサポーターを手にとってみつめる。
「ああ、これは確かに痛いわ。」
とても小さいサポーター。これを無理して足に付けていた。
それを足のサイズまで伸ばした分、ゴムの圧が足全体にかかる。
「支えられている!」という状態は、力のかけようによって
苦痛になるのだ。

さて、このサポーターを自分自身や仕事にもあてはめてみる。
今どきは、「伴走者」という役割が重要で、企業にとって、
経営者にとって、働く人にとってのサポーターの存在は必要。
豊かな経験を活かし、組織内で見える世界とは違う視点をもち
外から寄り添ってくれることはうれしいが、
そのアウトプットが時に強すぎたり、痛かったりするのでは、
長続きはしない。

付け具合も重要なのだ。
あまり自己主張もしてはいけない。
まずは、よく聞いて、ほどよくいい刺激やアドバイス、アイデア
を届ける。
苦にならない、気にならないコミュニケーションを心がける。

ときに、「全力で支援させていただきます」という入れ込みも
相手には負担になることもあるかもしれない。
究極は いるかいないかわからないぐらい相手と一体になっている
こと、気が付けば一人で走っている時よりも、何倍も力を発揮している。
気が付いたら、ずっと傍らにいてくれること。そんな伴走が理想か。

私自身、まさに日々、伴走をさせていただく仕事がある。
今一度、自分が痛くないサポーターであるかをふりかえりたい。
付けていても自然、じんわりきいてくる。
それが関係の長続きの秘訣かもしれない。

今回、購入した靴とサポーター。ちょっと無駄な消費になって
しまったかもしれないが、そこからの気づきは大きい。

伴走者という役割については、引き続き考えを深めていきたい。
あなたのお供。
ふと、桃太郎のお供たちが浮かんできた。

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