街頭演説。駅前に街宣カーを止めて、高いところから手をふる、あの
スタイルは昔からどうも・・・である。
しかし著名人などがそこにいると、おのずと人が集まる。
その効果を狙っているのだろう。でも、そこでは何を伝えているのか、話して
いるのかはよく聞き取れない。いわゆる辻説法というスタイルは政治活動
のひとつとして、存在するが、人を集めることに意義があるのだろうか。
むしろ、日常生活の風景。たとえば小さな交差点や駅の出口を出たあたり
でひとり、ふたりで一生懸命語っている人の方が、何を言いたいのかなと
つい、耳を傾けたくなる。
昨日もたまたま、地元の急行が止まる駅の交差点の角で演説する、ある
政党の方がおられた。地味な感じである。そこでもうひとりの人がビラを配って
いる。
ああ、あの党か。前から本当にネーミングが惜しいとずっと思っている党であ
った。姿勢やメッセージは納得できることも多いのに、ネーミングが・・で
人気がないのだろうと自分なりにずっと思っていた。
相変わらず、まあいいことを言っているなあ。でもなあ。
とビラを配っている女性の方の横を通り過ぎようとしたら、
「○○新聞読んでみませんか?」
と、サンプル誌を見せられた。
「あのー、ちょっといいです?ほんとうにおたくの党はさあ、
いいこと言っていると思うけど、ネーミングが時代に合っていないと思うので、
本当に変えた方がいいとずっと思っているよ」
と思わず、その女性に言葉をかけた。話しかけやすい人だったからだ。
すると、その人は
「ええ、実はそう言われる方も多いんです。でも、私たちはあえて、これで
いこうと・・・」
「だから、それだから集まらないと思うよ。時代に合わせた表現があるし。
今どきこの言葉、どこの国?という感じだし、イメージ悪い言葉だと思うし。
本当に名前変えてくれたら、応援するわ」
「確かにそういわれる方も多くて。こういってくださる方が中にいてくださったら
いいんですけど」
と思わず勧誘モード?
「いや、その名前では関わりたくないです。とにかく名前変えた方がいいって。
今日の街頭演説でそういわれた。とちゃんと上に報告してくださいね。
応援したいからそう思っているんで」
と伝えた。
「はい、伝えます。ありがとうございます」
と、そんな会話。笑顔で別れた。
この党がどうこうではないが、このように、こちらからも声を届ける。
そのことが、活動する人にとって、その団体にとっても大切ではないかと思った次第。
自分の考えを、党の考えを発信することはもちろん大切であるが、
政治家の仕事は「聞いて届ける」仕事だと思っている。
小さなコミュニケーションであるが、人がいない街角だからこそ、
気軽に意見が言えること。
このことは大切だ。
たまたま、その党とは関係ないが、
ある県議会議員の事務局代表に、ライバルは?とたずねたことがある。
すると「無関心」だという。
そう、ライバルは別の候補者ではない。
有権者の、民の無関心が一番怖い。無関心では世の中、良くならない。
お互いに聞く、言う。
できたら、顔が見えるところでやりとりをする。
その方が伝わるはず。
そんなことを思う一コマ。
この社会から、民主主義が消えないようにと切に願う。
声を届けるのが第一歩
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク