報道で何度聞いても、読んでも、その瞬間に心が洗われ、背筋が伸びる人がいる。
中村哲さん。
お会いしたことはもちろんないけれど、生前からこんな人が本当にいるのだと
同じ日本人として誇り高く、心から尊敬できる方であった。またなんとも無念な
最期となり、亡くなって数年の歳月が経った今も、その存在は薄れることはない。
むしろ、戦争がつづく今だからこそ、中村哲さんの生き方、生きざまが、
心に改めて強く深く、刻まれる。
仕事とは、人生とは、いのちとは・・。生きる上で、意識しなければならない
大切なテーマについて、多くのヒントをいただける。
また、人は「死して、残す」存在なのかなとも思えてくる。
「いかに生きたか」このことが、今を生きる自分たちに貴重なヒントになる。
一人の尊い人生は、次代へのメッセージになるのだ。ということを教えられる。
とにかく、尊い存在である。
アフガニスタンという危険かつ不安定な地域に自らの拠点を移し、医師として
現地の人々のいのちを救う・・だけでも、素晴らしいのに、水不足の環境では
人びとは生きることはできない、水さえあれば・・ということで、現地の皆さん
とともに、水路を建設。医者がインフラにまで関わり、自ら先頭に立って、
活動をする・・・。そんな人、世界中を探してもいないだろう。
世界情勢に惑わされず、自分のまわりで困っている人がいたら、何ができるかを
考えて、行動すること。
戦争なんかしている暇はない・・・。
いろんな名言が残されているが、ほんとうにすべてがごもっともで、
一言一言に共感すると同時に、感動を覚え、さらに、自分は一体何をしているんだ
という気持ちになってくる。
中村さんだから・・他人事ではなく、自分にもできることが何かあるだろう。
という気持ちになってくる。
純粋な心で。ほんとうに困っている人のために自らできることをする。
中村さんの発想、決断、行動。そしてそれを支える隣人愛のこころ。
年末。何ができるかと考える。
何もできていないに等しいけれど、世界に惑わされず、自分の世界のなかで
必要と思うことをし続けよう。
それにしても、中村哲さんは素晴らしい!
どこか、マザーテレサに通じるものを感じるのは、わたしだけだろうか。
真のお手本。
うららびより ♪ラララ クリスマス

デイサービスとグループホームの合同クリスマスコンサートを企画
いただき、演奏に出かけた。
利用者のみなさまは40名ほど、スタッフを含め50名と多くの方が
時間前から、会場(おそらく食堂)に集まってこられていた。
全員がサンタ帽やクリスマスのコスチューム、会場内も手作りの
素晴らしいディスプレイ。
こんなにこの時間のために準備をしていただいていたのかと
入室した瞬間から感動。これは、がんばらねば!
福祉のお仕事をされている皆さんは、昼夜を問わず大変忙しいので
何度も打ち合わせをする時間もとりづらいため、必要最小限の確認
だけして、あとはお任せ。といったオーダーにも慣れてきた。
クリスマスムードたっぷりの会場で、トークを交え、利用者さん
に馴染みのある懐かしの曲から、季節の音楽メドレー、そして
クリスマスソングなどを演奏。本当に、いずれも皆さんノリノリで
楽しんでいただいた様子。中には時折、泣いておられる方もおられ、
ああ、心が動いているのだと、うれしく思いながら、こちらも
はりきって演奏を続ける。
マイクスタンドがないことに気づき、今回は新たな演奏法に挑戦。
片手でマイクを持って歌い、片手で演奏するというスタイルだ。
これは、やったことがなかったが、人間、やろうと思えば何でも
できるものだ。アカペラからはじめて、そのあとにわかに片手の
伴奏がはじまるのもなかなか。ゴージャスな演奏ができずとも
歌の伴奏であれば、左手だけでも十分耐えうる。と演奏しながら
この新奏法にわれながら感心。人間、その気になれば何でもできる。
楽しい時間が過ぎ、大きな拍手をいただき、「またきてね~」
と多くの声に見送られ、退場する。
素敵なひとときを提供できていたらうれしい。
今日、このことを思い出してもらえるだろうか?
もし、そうでなくても、瞬間を満喫していただけたことで、いのちに
元気を注入できていたら、それでよいと、最近はそう思っている。
ありがたい会場準備、機会をいただけていることに、心から感謝。
うららびより・・・。毎日 あったかい気持でいい時間を過ごして
いただきたい。

待ち時間のフィナンシェ
葬儀会場内のカフェ。
といえば、地元で両親を送るときの火葬の待ち時間に
利用したカフェを思い出す。
そのときは当事者であったため、周囲の景色など目に
入らなかった。一杯のコーヒーを飲み、妹らと世間話をし、
ただ呼び出されるのを待った。
人生の中でもっとも非日常な時間であった。
地元ではないが、斎場内でカフェを運営する知人がいて、
「クリームソーダがよく売れる」
「うどんが美味しいと言われる」
との話を何度かきいて、どんな空間なのだろうかと 素朴に
興味が湧いた。
フードコートのスタイルらしい。
映画の「お葬式」ではないけれど、一体、どんな世界かと。
やっと時間がとれて、そのお店を訪ねてみた。
街から少し離れた山間の場所にある。
その葬祭場のなかにあるお店。
広い食堂のような空間にテーブルとイスがずらり並んでいる。
その奥にキッチンカウンターと券売機。
各テーブルにはメニュー。コーヒー紅茶だけでなく、
たしかにクリームソーダも、各種うどん、カレー、
スイーツまで・・・。A4裏表 写真付きでびっしり
メニューがかいてある。こんなに種類が豊富とは・・・。
最期のお別れを終えたご遺族たちが、ここに案内され、
ほっとして着席して見るメニュー。
もしかしたら、この瞬間にさっきまでの張りつめた
気持が変わるのかもしれない。
運営者である知人が、私に「ほんまに来たね」という
おもてなしを込めて、
コーヒーと「フィナンシェ」をご馳走してくれた。
「このフィナンシェ、結構おいしいんですわ。よく
売れてます」と言いながら、本人も召し上がり、
すすめてくれた。
わたしは、次々と室内に入ってくる遺族たちの
様子を眺めていた。
次々と・・・入室されてくる。
遺影や骨箱をもっての入室の様子も、見ているうちに
慣れてきてしまう不思議な感覚・・・。
自分が滞在した1時間ほどの間に見た
その景色のなかには、笑い声や子どもたちの
元気な声もあり、悲しみはもちろんあるのだろうが、
想像していた世界とは違う、そこに日常の延長を感じた。
最期のお別れをした後、この空間でドリンクや
食事をいただきながら、待つ。
その時間で気持ちの切り替えができるのかもしれない。
故人の思い出話もしながら、悲しみの気持ちが和らぎ
さっきまでの悲しい気持とは少し違う心境になって
いくのかもしれない。
おいしくてあたたかいうどんや、色鮮やかな
冷たいクリームソーダをいただくことで、悲しみを
受け入れ、落ち着きを取り戻せるのかもしれない。
生きていることを実感するのかもしれない。
そんなことを思いながら、知人がおもてなしして
くれたフィナンシェをほうばった。
不思議であるが、普段いただくフィナンシェと違って
なんともいえない味わいがした。
ここで食べたフィナンシェとコーヒー。
もう忘れられない。
同じように、ここでうどんやクリームソーダを
いただいた方は、そのときの味を忘れないのでは。
「毎日ここにいると、死が日常に感じられてしまう。
非日常だった死が日常になってしまうんやわ。
それでいいのかと思いながら、でもそれが現実かな」
飲食業はいろんな場所に存在する。
このような非日常空間にあるお店は、単に人々に
美味しさを提供するだけではなく、
悲しみを癒したり、非日常と日常のスイッチ的な
役割を果たしたり、こういう時しか会えない人との
コミュニケーションの場になったり・・
いろんな深い役割をもっているのだと思った。
街なかで繁盛している飲食店とは違った感動を
与えているお店の存在。
知人がこういった仕事を受け合い 仲間と一緒に
日々奮闘されている姿を誇りに思う。
これから、フィナンシェをいただくたびに、
今回見た光景を思い出すだろう。
うどんやクリームソーダをいただくときにも
思い出すだろう。
超高齢化社会。多死社会の一コマをこのような
カタチで体験させていただいた。
毎日多くの人が旅立たれる。
多くの人の働きにより、送られていく。
そのことを忘れずに。
そして、旅立って行かれるひとり一人の
尊厳を大切に・・・。
実に学びの多い時間をいただいた。
真剣に聞くと伝わる?
学生さんから企業に向けてのプレゼンに同席する機会を得た。
今年後半から進めているある企業連携プロジェクトの一環だ。
学生さんたちがチームで考え、練っている最中の企画を説明いただき
企業さんに交じって聴かせていただきコメントをするという授業。
1チーム10分と決めても、そのとおりにはいかない。
話し始めたら長くなってしまったり、思っていたように話ができず
しばしフリーズという瞬間もあり・・・のなか、
15チームのプレゼンを一気に聴き続けた。
学生さんがせっかく考えてくれた企画であるので、
その企画の良しあしの判断だけではなく、彼ら彼女らが熱心に
考えてくれたことへの敬意を抱きながら、なぜこんなことが
思いつくのだろう、どこからこの発想が生まれたのだろう。
などと、思いを巡らせながら、発表される言葉ひとこと一言を
聞き逃さないように聞いた。
そして資料も見落としがないように気を付けて目を通し、的外れな
コメントにならないように・・・と
聴く側も気を引き締めながら、聴かせてもらった。
聴いているうちに、引き込まれるもの、感心するもの・・・
にも出会った。企画が前ステップよりブラッシュアップされている
こともうれしく思った。
とにかく、出会ったときは、ゼロベースのものが、ちゃんと
企画としてまとまりつつある・・・。学校とは大したものだと
先生方のご指導にも頭が下がる。
若者たちの感性がきらきら光っている。縛りがない、自由な発想を
持ち続けることの大切さを学ぶ機会ともなった。
とにかく15のプレゼンを次々と聴き続けた。
聴きながら、がんばって~!とエールを送っていた。
それが学生さんたちに伝わっていたらうれしい。
言葉にして返すフィードバックももちろん重要であるが、
聴く姿勢自体も、伝え手に伝わるはず・・・。
こんなに熱心に聴いてもらえるならば、もっとがんばろう!
とこちらの応援が届いていれば・・・。
コミュニケーションは聞く姿勢、態度からもにじみ、伝わると
信じている。
このプロジェクトの次のステップも楽しみ。
コミュニケーションを重ねることで、いい作品が生まれる。
来春に向けての楽しみのひとつである。
共有すること、しないこと。
SNSの普及以降だろうか。「シェア」ということばが日常語になり、
今やビジネスの現場でも「共有」という用語が、毎日のように
使用されている。共有という言葉を使わない日はないかもしれない。
ひと昔前までは、こういうときは、どんな言葉を使っていたのか、
もしくは、共有していなかったのか?
以前ならば、「報告します」と言っていたところが
「共有します」に置きかわっているところもある。
言葉が変わると関係や、責任の所在も変わるような気もするが
いかがだろうか。
とにかく、「共有する」は便利な言葉ではある。
とくにビジネスの場合は、情報の共有。
同じ情報を関係者が同時に有している。そのメリットが確かに
多い。
一方、共有された情報の扱いは、実は難しいと思っている。
共有されたら、見ておかねばならないという義務、
あるいは、見ても問題ないという自由さ(どちらでも良い)
もしくは、見ても良いという権利?
共有という言葉は、便利ではあるが、受け取る際に、この
共有された意図を考えなければならない。
ときに、今共有してくれなくてよいことも、共有される。
そう感じることもあるかもしれない。
このときは、なぜそう感じるのかを自分なりに考えてみる
ことが必要だ。
また、そう感じることを自分が発信する際に役立てたいとも
思う。
何を共有するのか、しないのか。
なんでもCCすればよいということはない。
コミュニケーションは、ときにこれはこの人だけに。
という選別も重要だ。
共有することのメリットと、デメリットを改めて考えながら
選んで、必要な共有を行いたい。
意識しないと線引きが難しい今日である。
単なる情報の共有から、共感が生まれ、共創に発展していくことを
目指したい。そこには心の交わりが必要だ。
赤い宝石、いちごいちえ。

長崎の大村で農園を営む卓ちゃんとのつきあいはもう20年近くになる。
当時、農業青年の組織に属していた20代の彼との出会いは、新潟から
始まり全国的な活動に広がった、広報の勉強会。
東京、札幌に続き、長崎での実施。ここから、長崎とのご縁がはじまり
今に至っている。
なので、自分にとって長崎との最初のつながりは、「いちご」なのである。
長崎に行くといえば、帰りに空港で待ち合わせし、物々交換をする。
卓ちゃんはいつも、とれたてのいちごをもってきてくれる。
そのままいちごが入った箱を機内に持ち込むと、客室乗務員の方から
「いちごですか?いいですね~」と必ず声をかけられる。
この赤い宝石は、誰にとっても幸せの平和のシンボル。
今年のバレンタインコンサートでのお土産にも利用させていただき、
次もその予定。
大村の地で家族経営されているいちご農家を親戚のようにずっと
応援しながら、縁が続いている。
クリスマスはいちごの需要期でもある。
京都のケーキ屋さんにきいたら、今週週末あたりから、忙しくなる
という。いちご農家も、このタイミングにあわせて、ケーキ用の
イチゴの需要が高まるとのこと。
やはりこの赤い宝石は、1年の締めにも欠かせない大切な存在。
今回卓ちゃんより受け取ったいちご。大きな一粒を大切にいただきながら、
ほんとうにこんなにきれいな色で、カタチで、そして味わいよく・・と
そのバランスのとれた存在に感激する。
そして、自然の力は、農家さんの力は凄いと改めて感謝の念を抱き、
活力をいただく。
いちごを通じて、長崎との一期一会を重ねてきた時間。
それは平和や愛をたずねる道でもある。
赤い宝石。これからお店のショーケースで多くみつけることだろう。
気持もわくわくする。
寒い日も暑い日も、自然と向き合い地道に仕事をされている
農家のみなさんに心から感謝を込めて。
いちごいちえ。これからも大切にしたい関係だ。
どんな色?どんな匂い?
お世話になっている方にお見舞いのお花を贈る。
手術も無事終わり、退院できたという報せに安心し、
それならばと自宅へ送った。
届いたという報せの電話が入る。
とても喜んでおられる様子。声でわかる。
80歳の誕生日祝いを一緒にしようと思っていたのに、
入院されていたから、それも兼ねてのお花。
「いやー、うれしいわ、ほんとうにありがとう」
「良かったです。本当に元気になられて良かったです」
「ほんとうにいい匂いがしてねえ、癒されてます~」
「へえ、いい匂いなんですね。それは良かった。
どんな色の花が入ってました?」
「ピンクの花がたくさんあって、リボンも2つついていて・・・」
「そうですか。ピンクは◌子さんのイメージですね」
「いやあ、本当にうれしい。ごめんね。本当であれば写真をとって
はい、ってメールとかしたらいいのだろうけど、わたし、そういうの
できないので、ごめんね」
「ううん。いいんです。こうやってきいていたら、しっかり頭に浮かぶので、
ありがとうございます」
そんな会話をして、電話をきる。
相手が喜んでおられることは、本当にうれしく、送って良かったと
思えてくる。
この方は、ネットも一切されず、CDも聴かれず、ひたすらに手書きと電話
そして直接のコミュニケーションのみ。
「読む・書く・話す・聴く」
このコミュニケーションの基本を徹底。長年 客商売をされてきたので、
接客的なコミュニケーションはさすがであり、接客業を長くされていると
きっとボケ防止にもなるのだろうと思わせてくれる方。
この時代になると、とても貴重な存在であるが、
こういう人と変わらず親しくできていることも、しあわせなこと。
この大切にお付き合いを重ねていきたい。
コミュニケーションの原点を想い出させてくれるありがたい存在。
とにかく、早く完治され、また新宿で再会できることを祈っている。
ピンクのブーケ。写真で見るより、聴いて思い浮かべる方が一体感が
あって、違う共有ができたようで、なんだかこちらもほっこりした・・・。
ああ「枯葉よ~♪」
枯葉・・。シャンソンの名曲としてあまりに有名で、個人的
には、イブ・モンタンのあの低く甘い、いかにもパリジャン
的な歌い方が若い頃から大好きで・・・。
国を問わず、出かけたバーやジャズクラブで何度も出会えた
この名曲。その町に合わせたリズムとコードで、旅の疲れや
日々のストレスを癒してくれた。
ニューオーリンズで聴いたのは、さすが本場のジャズナンバー。
今もくっきりプレイヤーたちの演奏姿が浮かぶ。
また、子どもの頃から、レッスンでずっと弾いていたから、
この曲は自分の音楽人生のなかでも、大切なレパートリー。
今は自分のアレンジで、ピアノ&ボーカルで演奏するのが
自分流。
4枚目のアルバムにも入れているが、とにかくいろんな思い
出が混じった1曲である。
枯葉といえば、パリのルーブルからシャンゼリゼ通りに
向かって歩いた時のことを思い出す。20代から40代に
かけて・・・の寒い冬のパリは思い出深い。
クリスマスのイルミネーションのきらめきと、枯葉
はとても対照的に映った。
まさに、シャンソンの枯葉がそのまま絵になったように
街路樹から枯葉が舞い降りてくる、それが道に重なり
積もっていく。
これを見て、とても感動して、そこに行くたびに、
パリ土産として、きれいそうなイチョウの葉を1枚拾って
ノートに挟んで持ち帰り、長年大切にした。
あのとき、あそこで拾ったパリの枯葉だ・・と。
まあ、乙女のような行動をしていた頃があったのだ。
と、枯葉といえばいろんな思い出がある・・。
一方、実家の枯葉。
このところ、急に冷え込み、風が吹き込み、一気に
庭の木から葉っぱたちが落ちてくるようになった。
数日行けない日があり、久しぶりに行ったら、
大量の落ち葉が・・。庭だけでなく、道路や側溝まで・・
地面が葉っぱに埋もれている。
予想はしていたが、なんともいえない気持ち。
これを見たとたん、枯葉は情緒あるイブモンタンの歌う
あの枯葉とは別の存在に思え、誰にもぶつけることが
できない思いになる。
そのあとは、あきらめの境地で修行のようにひたすら、
落ち葉をかき集める。
雨が降った後であると、まさにぬれ落ち葉を何かに例えた
句があったが、拾いづらくて、これまた困ったもんだ。
とにかく、葉っぱをなんとかせねば。
しばらく無心になって、彗をつかって、掃き集める。
落ち葉の始末がこんなに大変なんて、親が生きていた頃は
まったく気にも留めなかったが、こんなことを毎年やって
いたのかと改めて、申し訳なかったような気持にもなる。
そして、葉っぱをあつめて、ごみ袋に入れてそれがいっぱい
になってくると、なんだか達成感が生まれてくる。
もうちょっと頑張ろう!もう少し!もう一袋集めよう。
といつの間にか、一生懸命やっている自分がいる。
自分が頑張るしか、落ち葉がなくならない・・・。
落ち葉拾いは、無心になれる自分との対話の時間。
まるで、座禅を組んでいるような・・・。
そして、空から見られているような・・・。
ああ、枯葉よ~。
おかげさまで、周囲の協力もあり、だいぶ片付いていて、
木に残った葉っぱも、ほぼ落ちて・・。
身も心も、冬支度である。
みんなのふるさと、地方を大切に。
わがふるさとの繁華街は、ますます寂れていっている。
昨年夏にデパートもなくなり、なんとアーケードも
撤去されるという報せにますます残念な気持ち・・・。
郊外には巨大駐車場併設のSCがいくつもあって、活況を
呈しているのに・・・。
自分が昭和に育ったせいもあるかもしれないが、
百貨店はそれなりに、好きである。
国内外、どこに行ってもまずデパート巡りはしてきた。
テナントが多く入っているSCとは違い、コンセプトを
企画性を、ブランドを、ストーリーを感じることができ
「百貨」の楽しみを享受した。
買い物だけでなく、ミュージアム感覚で歩くのも楽しい・・と
そんな経験も長年してきたせいか、デパート巡りは今でも
楽しいし、マーケティング面でも情報の仕入れもできて、
一石二鳥とその点でも気に入っている。
一方、昨今のネット社会の影響は大きいが・・・。
大手のデパートは小売業以外での生き残りをかけて多角化
経営に精力的であるが、地方のデパートは人口減少のマー
ケットのなかで、とにかく地道にがんばっている。
そこには、昭和の対面販売の良さがまだ残っている。
客層は高齢者比率が多いが、若い時からデパートへ行く
ことが非日常で、楽しみにされてきた人たちだ。
元気であれば、ちょっとおしゃれをして買い物に行こう!
という感覚だろう。
そんなお年寄りを今週も地方のデパートで何組も見かけた。
懐しいような、寂しいような、なんともいえない空気と
あたたかみを感じる地方のデパート。
そこはデパートだから、著名ブランドの化粧品売り場も
存在する。世界の売り場で新発売となっている商品
がここでも入手できる。
東京、大阪、京都、名古屋であれば、混雑しており、
待たされる。
でも、地方のデパートなら待たずに、しかも丁寧な接客
を受けられる。
「これはいい!」
「こんなにゆったりさせてもらえるなら、今度から
ここに来るわ。気に入った!」
と、意外な一面を知って、その店のファンになった。
これから地方に出かけたら、その町ならではのお店を
探検し、利用し、応援したい。
なくなっては困るから。
すでにふるさとの商店街は自分にはどうすることも
できないが、まだ存在しているお店ならば、応援
もできる。
名古屋駅にあるデパートも来春で閉店が決まり、
「最後の◌◌展」が催事のキャッチ。
最後の・・と書かれるのは、超限定感があるが、
寂しい。
改めて、悲喜こもごもの年末。
地方を大切にしたい。
ふれあいを大切にしたい。
あの頃のわくわく感を忘れずに・・・。
と、改めて。
誇りに思う人。
ありがたいことに、多くのおめでとうをいただいた123の記念日。
覚えやすい数字のバースデーは、それだけでも幸運だといつも
思い、親にも感謝。
そんなメッセージの中に、吉報の共有メールが舞い込んだ。
十数年前に出会い、広報の勉強会に出ていただき、それ以来
お会いできない時間もあったが、久しぶりに再会できた2年前より
時々メッセージを交換して、お互い応援し続けてきた。
がむしゃらにがんばるその仕事ぶりに、ずっとエールを送ってきた。
出会ったときは、豆腐屋の跡継ぎとして広報活動に注力、地域貢献も
含め、さまざまな取り組みで成果を挙げた。
その後、豆腐屋さんが手掛けるドーナツ、そしてその後はジェラート
店の開発、経営へ。
気が付けば、立派なジェラート職人への道を究めておられた。
11月のディナーショーの誘いには、
「伺いたいですが、大きな挑戦があるので、今回はこっちをがんばります!」
との返信に、変わらぬ挑戦意欲に敬意を抱き、応援していた。
そんなところへ、舞い込んだ吉報。同じ広報勉強仲間からの情報提供。
「すごいです!」
と地元の新聞紙のリンクが貼ってある。
見てみると、大きな挑戦とはこれであった。世界大会で日本人初の優勝
という快挙!やっぱり、あの人らしい。素晴らしい。
いつも、何かやるときは真剣で、ひたむきで、まっしぐら!
今回も変わらず、その姿勢を貫き、走り続けられた結果であろう!
【速報】最も歴史あるイタリアの国際的なジェラート大会で三条市の佐久間康之さんが日本人初の優勝の快挙
うれしくて、誇らしくて。
誕生日に教えていただいた情報、最高のギフト、お宝だ。
心からおめでとう!と伝えたい!
頑張る人がそばにいると、こちらも頑張れる。
これからも、道は違えど、ともにがんばろうね!
ブラボーな仲間、そして心の弟。その存在に関係に感謝を込めて。
またずっと仲間意識をもって教えてくださるメッセンジャーにも
感謝を込めて。
近々、彼がつくるジェラードを食べに行こう!
誇りに思える朝は、とても幸せだ。いい一日になる。