平和を願い・・。本日ミニコンサート開催

本日5月9日は、4か月ぶりの岐阜新聞でのミニコンサート。
3月開催予定分は、コロナ感染拡大防止のため、中止となったため。
そんな中止、延期にも慣れてしまった。だから、予定通りの開催は
有難い限り。こうして継続できることは幸せだ。
入場制限、予約限定ということで、今回もすでに満席の予約をいただき
ありがたい。
この2か月余りの間、あってはならないことが世界で起きてしまった。
改めて平和な朝を迎えられることのありがたさが身に沁みる。

今回は、「世界の平和を願う愛の歌」をテーマに、演奏を
考えている。ロシアのウクライナ侵攻という、この世界的危機の
なか、少しでも平和のためにできること、傷ついた人々にできること
はないかと考える。
音楽は平和の象徴。幸せのメッセージの役割を果たすことができる。

みんなが被害者だ。誰にとってもいいことはない。
とにかく早く平和が訪れるように願い、そのために来場者の皆さんと
心を寄せ合いたい。
ウクライナを思って、そして無意味な戦いを強いられている兵士のことを
思って・・・・。
演奏することで、具体的な解決にはならないのかもしれないが、その想いは
人から人へと伝わり、海を越えることを願って。
また、今回はチャリティのため、CD販売を行う。売り上げをウクライナの
医療支援に寄付したいと思っている。
もちろんコンサートに参加されない方にも、ご協力いただければ、うれしい。
(詳細は改めて本ブログでお伝えさせていただきます。)

まずは、今日という日をしっかり生きる。
世界の平和を心から願って・・・。

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情熱の歌姫に感謝と祈りを。

「愛と平和」をテーマに、次のミニコンサートの企画を考えているときに、
ふと愛の歌といえば、とすぐ思い浮かぶあの人のことを久しぶりに思い出し
最近の情報をネットで探した。今年あたり来日するのかな・・と思ったのだ。

ところが、検索結果で衝撃を受け脱力・・・。
なんと、昨年の春に亡くなっていたことを知った。
ああ、そうなんだ。昨年は自分の親のことで手一杯で、
その情報に気づけなかったのだ。

あの人は、不死身だから、死なないと思っていたのに・・・。
なんとまあ、生まれた年も亡くなった年も母と同じだということも知り、
ダブルにショック・・・。全く違う人生であるが、81歳まで同時代を
生きた同い年であった。母に続いて、旅立っていたのか・・・。

ずっとあの素敵な美貌と声量と歌唱力で、情熱的な愛を世界に与え続けて
行く人だと思っていたのに・・・。
その人の名は、ミルヴァ。おそらく70代以上の方であれば、多くの方が
ご存じだろう。イタリア人の実力派歌手。
親日家でもあり、日本語での大ヒット曲もある。
私は20代の頃から、「アドロ」や、アルゼンチンタンゴのピアソラとの
共演でいつしか大ファンになった。日本公演もよく開催されていたので、
何度か会場にも足を運び、ああ歌というのは、情熱的に表現することが
大切だ。心に響く、伝わる歌とはこういうものだ。
と、とにかく、勉強させてもらった。音域も自分にも合っており、
よく真似をして歌っていた。
そして、いつか会いたかった。話もしてみたかった・・・。

そんなミルヴァに感謝をささげ、彼女の歌よりいくつかを
次のコンサートでも演奏してみることにする。

そして、いつかいつか、彼女が眠るイタリアの(おそらくミラノ)
墓地にも出向きたい。

明日は、世界の平和のために、愛の歌を捧げる。
ミルヴァもこの意図をよく理解して応援してくれることだろう。

グラッツェ。愛と情熱の歌姫、敬愛する憧れのミルヴァへ・・・。

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毎日が終活!のつもりで。

もしもの話。
もし、重大な病気がわかって、余命いくばくも・・・となった場合、
自分自身はどうするだろう?
そして、家族はどうするだろう?
そんなことを考えてみる。誰にもありえる話だ。

もしもの話だから、わからない。
でも、もし、毎日を生ききって、悔いない毎日を過ごしていたら、
きっと残り少ない人生であっても、納得できるのではないか・・。
人生の終わりを宣告されるのは、確かにつらいけど、
宣告されず突然に亡くなってしまう場合も多い。

余命がわかるのと、わからないのとどっちがいいのか
わからないが、
どんな人にも明日のことはわからない。
でも、今日も朝を迎えられたことは確か。
だから、今日1日が最後と思って生きれば良い。

そう、毎日が終活。と思えば良い。

無駄に長く生きたくはないが、生きる以上は、
毎日、今日という一日を存分に生きたい。

そして日々訪れる様々な事象を自然に受け入れたい。
いつか壊れていく、いつか痛んでいく。
そりゃ半世紀以上生きていれば、故障もすれば、
機能不全になっても何もおかしくはない。

むしろ、毎日元気であることが奇跡。
決して当たり前ではなく、
そしてかけがえのない1日、
与えられたギフトなのかもしれない。
と思って今日を生きる。

そして、人生のラストシーンは・・・。
最後はピアノを弾きながら 
突然死・・・なんてのがいい。
が、
そんなうまいこといくわけない。

とにかく、毎日を終活気分!で
わが人生悔いはなし。

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プロモーションの外から見る風景。

母の日への追い込みがピークである。
「明日〇時受付終了!急いでお申込みください」
というネット広告、売り場展開・・・。
連休の終わりとともに訪れる、売り手の止まらぬ次の手。
例年のことであるが、今年もやってきた。
ふるさとへ帰らなかった人も、帰れなかった人も、
もちろん帰った人も・・・であろうか。

一昨年前までは、そのことに何の違和感も感じず、
「あ、カーネーション送らなきゃ」
とそれなりに、毎年工夫して送る手配をしてきた。
父の日も同じだ。まさにこう言ったプロモーション
に反応してきたわけだ。

しかし、昨年からこれらの賑わいを、これまでと
違う感覚で受け止める自分がいる。
母の日も、父の日も、私の中では終わりました。
と言う感じだ。
また、すでにお母さんがいない方には白い
カーネーションを・・とか言われると
「ほっといて~」
と思ってしまう。

とにかく、お祭り気分にはなれない。
静かに、いつもどおり母のことを思うだけ。

ふと、いろんなことを思い出す。
バレンタインもホワイトデーも、
だんだんどうでもよくなってくる。
記念日商戦のひとつと思えば、
さらにどうでもよくなってくる。
町の風景として横目で見ながら、
それに反応する人々を観察する・・・
記念日イベントとは、そんな付き合い方になる。

今、なぜかバレンタインのエピソードをふと思い出す。
随分と前のこと。NYで出会った歌の先生は、
「マイ ファニー バレンタイン」
を教えてくれた際に、
「毎日がバレンタインだね」
と言われていたことを今も思い出す。素敵だ。
そう人を愛するのは、毎日のことだ。
みんな同じ日に告白、プレゼントする必要はないのだ。

と同じように、母を思う、父を想うのは
毎日のこと。

特定の日でなくていい。

だんだん長く生きていると、
プロモーションは無縁だな~。
という気持ちになるのか、
いや、自分はその世界の外にいることを
実感するのか・・・。

とにかく、売るだけの記念日は卒業だ。
連休も、催事も、風景になっていく・・・。
そんなことを楽しめばいいか。とも思う。

さあ、今日から切り替えてスタートという方も
多いだろう。
今日の町は、どんな風景だろう。
楽しみながら、歩き出そう。

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感動と記憶力。

本ブログで何度も書いてきた、映画「ひまわり」のこと。
最初に流れる、あのヘンリー・マンシーニの名曲とともに
視界に広がる、あのひまわり畑を久しぶりに見たくなった。

ウクライナのへルソンという町が、この映画のロケ地である
ことを改めて知り、
20世紀の戦争後の爪痕を残す半世紀前の世界を、そして
今の現地に想いを寄せたいという思いで・・・。
まさに今、観なければならない。と強い情動にかられた

実はこの映画、以前DVDだけでなく、テーマ曲の入ったレコードも
購入し、ずっと保管してある。
であるのに、パッケージをわざわざ開いて観賞することはなく、
お宝状態。いつでも見れると思っていたから。
しかし、保管してあることをすっかり忘れ、
今回ネット配信で観ることに・・・。

数年ぶり?10年ぶり?にその名作を味わう。
学生時代、京都の映画館で観たときのこと、
その後、東京の名画座で観たときのこと、テレビでも何度も観たときのこと・・・。
そのときの自分のこともなぜか覚えている。

そして、不思議なことに、最後に見てから随分と時間が経過しているにも
関わらず、最初の場面から最後まで、その場面も音楽もしっかりくっきりと
頭に入っていて、次はこうなる、こうなる。と全部ストーリーが先に
わかるのだ。覚えるほど見ていたとは驚きだ。
改めて、あの美しく悲しい映像を久しぶりに見ながら、
言葉にならない、感動が静かによみがえる。

今思えば、この映画では、「ひまわり畑」はもちろん重要な要素であるが、
「駅」も同じく物語を支える重要な要素だ。
ソフィアローレンとマストロヤンニの再会、別れはすべて駅である。
しかも再会もうれしい再会ではなく、悲しみの再会・・・。

最後、ミラノの駅で永遠の別れをする二人の姿と、あのテーマソング。
ソフィアローレンの泣き顔、マストロヤンニの悲痛な表情・・・。
これ以上ない哀しみの表現が、この映画のクライマックス。
戦争は愛を引き裂くのだ・・・。この余韻がたまらない。

何十回も見ているのに、今回も初めてみたように、感動し、
映画館で映画を見るとき感動のあまりしばらく席を立てないとき
のように、しばらく呆然とした。
そして、今回はウクライナのことを思った。
半世紀前と、今。同じく戦争が愛を引き裂いている・・・。

久しぶりに見たこの映画。やはり最高傑作だ。
感動すると忘れない。感動は記憶力を高めてくれる。
いっぱい感動しよう。
そうすれば、記憶力も高まり、人生がより豊かになる。

早く戦争が終わり、別れ別れになった人たちが早く元気に会えますように。

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スーパーの地元愛を応援!

大型スーパーは本当にすごい。その購買力でもって世界から品質良く、
価格もありがたい、そんな商品をずらり揃え、お客を迎える。
そんな価格では無理!というものが平気で並んでいる。
利便性も含め、大型スーパーの存在価値は普遍であろうが、
そのおかげで町の商店街は瀕死の状態。

最近、とくに昔の商店街が本当に懐かしく、
できればこういったお店を応援しなければと思っている。
衰退、絶滅の危機は絶対に阻止しなければ・・・。
一方で、全国展開こそしていないが、地域に根差す食品スーパーも
気になる存在。こちらは、コロナ禍であっても関係なく、
健闘されている様子。

よく通った新潟県内。主要な食品スーパーは複数、名を連ね、
各社とも工夫しながら、個性を生かしながら、
争奪戦を展開していたが、それはこの東海地区も同じこと。
おかげさまで100周年というスーパーもある。
実は、地域密着のスーパーは本当に奥行きが深い。

私が一番気になるのは、「地元の商品」の扱いだ。
もしかしたら、「地産地消」なんて言葉が流行る前から、
当たり前のように、地元の商品を積極的に販売していたのだろう。
大手スーパーでは、メディアに出ているような著名な商品が
優先されるが、地域のスーパーでは地元の中小・零細企業の
商品も多く取り扱われている。
例えば、袋菓子。昭和漂う、懐かしのお菓子がずらり並ぶ。
ひとり買い物に来るおばあさんのためか、昔を懐かしみ
子どもにも食べさせる母親のためか、とにかく、懐かしい
商品が多く、思わず滞留時間が長くなる。

昔、スーパーに行くと楽しみがあった。そのわくわくが蘇る。
大手店舗では、品ぞろえと価格で驚かされるが、
地域のスーパーでは、お店と地域の企業とのつながり、
ストーリーに胸が高まるのだ。
こんなところに、こんな会社、こんな商品・・・。
地元を応援しようとがんばるお店は素晴らしい。

連休は普段足を運ばないお店にも、小旅行気分で調査に出向く。
地方のメーカー、地方の店舗。とにかく地元を大切にする人たちを
心から応援しなくては。
名もないメーカーたちが、ずっと作り続けるお菓子こそ、
変わらない味こそ、ホンモノだ。

小売りも地元愛。
地方ではこんなことも改めて学べる。
気が付いたら、見たことのない地元の商品で籠がいっぱいになる。

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音楽と食欲と回転率?

飲食店。いいお店というには、空間、や料理、接客は、もちろんいうまでもなく重要である。
あるチェーンでは、HDCをかかげ(Hospitality,Delicious,Cleanlinessの略)独自のおもてなし
活動を推進しているが、私はこれ以外には、感性への響きに注目している。
とくに音楽だ。お店のなかでどんな音楽が流されているか?はお店に一歩入ったとたん
そっちが気になってしまう。飲食店に限らず、デパートやスーパー、駅・・・。
お店や公共空間すべて音楽が気になる。
話を戻す。
飲食店での音楽。
大好きなのは、クラシック音楽が流れている店。ときにジャズが静かに流れているのもいい。
お店の空間とマッチしていると最高で、京都の老舗喫茶店には店のしつらえとともに、
音楽もきちんとしているそんな店もある。
一方、個人の好みとは別であるが、最近感心したBGM。初めて入ったお店だ。
それは、コロナで好調の「一人焼肉の店」の店内に流れるBGM。
それはなんとパンクである。ずっとビートの効いたパンクの響きが、店内によく馴染んでいる。
ひとり焼肉であるため、お客の会話はあまりなく、スタッフの接客の声や、料理ができた
というチャイムの音など・・・そのなかで、切れ目なくパンクが流れ続けている。
このビート感が、店の隠れた主役のように、わりと主張している。
肉を焼く、ジュージューという音と不思議とマッチしている。
「なんで、パンクなんやろう」。
そう、ビジュアル的にもパンクと焼肉のイメージは見事に合致する。
いけいけー、もっといけー。
なんとも攻撃的な、前のめりな感じ。
ガンガン肉を焼いて、さっさと食べて、満腹になって
さあ、お会計へ~。とそんなメッセージを感じるのだ。

ひとりで焼肉を食べるその空間にパンクミュージックとは!
おひとり様たちをこのBGMがつないでいるとも感じ取れる。(笑)
いやはや、これはお客の食欲アップと、スピーディーなリピートオーダー、そして回転率にも
影響があるとみた。(この分析はおそらく正しいのでは)

もし、演歌がかかっていたら、まったりされてしまうし、肉を焼く手も止まってしまう。
店にとってはゆっくりしてもらっても困る。おひとり様に続々ご来店いただきたいのだ。
これまでジャズが流れていた焼肉店には行ったことがあり、ここはちょっとインテリアも
おしゃれでたっぷり2時間ぐらいお邪魔し、それなりの金額を消費したが、このおひとり様
焼肉では、2時間はとてもいられない。そして、談笑しない分、焼いて食べるだけであるので、
追加注文も進む。客単価も悪くない。

いやはや、いろんな意味で合理的で計算されつくした、この焼肉店、お見事だ。
コロナ感染拡大が始まった頃「今こそ、ひとり焼肉」
と店頭に大きく掲げていたのも印象的だった。

パンクと焼肉。コーヒーとクラシック、洋酒とジャズ。
食べ物と音楽の関係をたどると、店のおもてなしと経営感覚がうかがえる。
そういえば、「さくらさくら」の琴を今だに流していた和食レストランもあったが・・・。

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まさこさんへのメガエール(5月2日分)

5月2日朝、公開したはずの原稿が、消えてなくなってしまっていたため、再度。
消えてしまったので、もう一度書き直す。

とてもエネルギッシュな女性がいる。
新潟で出会った。60歳からUターンで起業され、65歳の今年、5周年を迎える。
5月5日が彼女のお店(カフェレストラン)が開店日だったということで、
「じゃ、555でGOGOGO。ぜひお店で5周年の記念コンサートをしましょう!」
と約束していたのが、今年初めのこと。
「今尾さんの愛の賛歌、最高!」といつも、ディナーショーも催促してくださる方で
私としても、何か一緒にしたいと思っていた。

その後、残念なことに、この5年間、ふるさとでお世話されてきたお母さまが亡くなった
との報せが入り、コンサートはいつでもできるから、5月に限らず、今年中にやれば
いいですよ~。と悲しみの中、そんな話し合いをしていた矢先・・・。

4月前半。1通のメールが入る。
その大切なお店とご自宅が火事になってしまい、全焼されてしまったとのこと。
驚きとショックでしばらく動けなかった。
なんとそんなことがあるのか・・・。
すぐ電話して、声をかけたかったが、その後連絡がしばし途絶え、どうされている
ことだろうとただただ、心配をし、4月が過ぎた。
5月に入り、メールが届いた。
「わたしは復活しました。これから元気に生きていきます。これからも宜しくお願いいたします!」
元気にあふれ、笑顔が浮かんでくる文面に安堵、と同時に電話もかかってきて、
声を久しぶりに聴き、心で抱き合った。
「ご無事でよかった、ほんとうに。」
モノは消えても、思い出はたくさん、宝物は消えない。
これから、ふるさとを離れ、お子さんたちと一緒に生活をされるとのこと。
近々彼女に会いに行くつもり。
そして、やはり元気いっぱいで常に前向きな まさこさんに、メガエールを送りたい。
いつか、二人で楽しいことを必ず。
新しい住まいは、横浜になる。数年前まで、彼女が長年住んでいた第二の故郷である。
UターンのUターン。予期しなかったことであろうが、でも、必ず道は前に開けている。

ピンチやチャンス。まさこさんの強さ、本当に素晴らしい。
見習って、元気に生きるのみ!

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がらくた?お宝?発見。

あたたかくなり、暑くなるまでの間に、再び親が遺したものたちを
整理再開。寒い間、やる気がおきず、半年ほど放置していた。
こういう仕事は、気持ちがのって、一気にやらないと進まない。
ということで、連休の合間に少しでもやろうと、腰を上げる。
亡くなった当時は、なぜか勢いで片付けを進めていたが、
一度休むと、なかなかエンジンがかからなかった。
面倒くさいからだ。でも、結局誰もやってくれないなら、
早くやった方がいい。と言うことになる。

実家に残されている、謎の大きなスーツケースが数個。
何が入っているのか。主人たちが旅に出なくなって
何年も、まさに開かずの間状態。
なぜかずっしりと重いため、一体何が?と気にはなっていた。

コロナをまだ知らない幸せな時代、親たちが元気な頃、
本当に頻繁に旅に出かけていた。
70代まではアジア方面ではあるが、海外へも何度も出かけており、
その後は、国内に出向くことが増えた。
どこにそんなお金が?と不思議なぐらいであったが。

さて、今回初めて開いた、その大きくて重いスーツケース。
想像どおり、海外に旅したときのさまざまなものが保管されていた。
母にとっての「思い出の品々」である。
旅行会社から渡された旅のしおり、保険の控えから各地の観光パンフ、
ホテルの袋、はおり用の衣類などなど・・・。
現地で使った衣類はすぐ洗濯したであろうから、着なかったものは
また今度持って行こうとそのままそこに残されていたのだろう。
よく旅先で寒くなったら、雨が降ってきたらと持参する軽量防水の
上着。まさに旅行会社のガイダンスに従って用意していたんだろうな
とさまざまな様子が目に浮かぶ。

そして、その中から、その現地で調達してきたであろう、お土産品が
隠されていたかのように出てくる。
まさに、「触って触ってなんでしょう」といった、クイズ番組に
出演しているかのようだ。
「ん?硬いな。これ、何?石」
と他の荷物に紛れて、グリーンのパワーストーンなどが出てくる。
絶対に使わないような派手なプリントのテーブルクロスや、動物の
キーホルダー、ボールペン、怪しげな飾り物など・・・。
このスーツケースを開けなければ、出会うことがなかった世界の
個性豊かな小物たち。
きっと誰も着ないし、誰も欲しくないおみやげ物・・。
でも、母は誰かにあげようと思い、現地で購入し、大切に保管
していたのだろう。よく現地に行くと、その現地の雰囲気で
買ってしまうものの、帰宅するとなんか合わないなと後悔する
ことがあるが、そういう類のものである。
と、そんなことをやっている間に時間が経ってしまう・・・。
「今日はここまでにしよう」。

スーツケース数個を開けつつ、今年の連休は親たちが出かけた
旅につきあっているようだと、ひとり笑う。
楽しかったんだろうな。元気なうちにいっぱい出かけることが
できて、本当によかったな~。

どうみても「がらくた」いっぱいのスーツケース。ここには
リアルな親の人生のひとときが詰まっていた。
なかなか、片付けは進まない。
嫌な片付けだけれども、見ながら呆れながら、
親の一生を追いかけ楽しんでいる自分がいる。

どこか寂しいのは否めない。でも、慣れるしかない。

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テンポを変えて、時の間を楽しむ。

急に動きを止めたら、再び動き出すのが大変だ。
もう何十年も前から、休み癖を付けないことにしている。
頭が仕事から離れると 再開が苦しくなるから。

もちろん睡眠時間を少し多くしたり、講座を聴いたり、
映画を観たり、本を読んだり・・・いろんな活動を
して普段よりリラックスして過ごす。
書類の整理や片付けもいい。
とにかく、めいっぱい消費・浪費するだけが休みではない。

再び元気に走り出せるように、スタンバイしながら
適度に緩める。
休日の最終日になって、
明日から会社へ行くのが嫌~というケースもよく聞くが
そういう休み方ができないのは、前世がマグロだったのかなんなのか・・。

でも、この生き方が自分には気持ちいい。
休み過ぎず、緩めて過ごす。
そう、いつもアレグロやビバーチェで歩いているならば
今日あたりは、アンダンテ、とくにアダージョもよし。
ゆっくり、時間(「時の間」)を感じながら・・・。

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