裏返しの写真。

よく家族の写真を仕事場や自宅で飾る人がいる。
とくに遠く離れている場合、会えない場合には、そうするだろう。

親の写真。
両親が元気なころ、身の回りに写真を飾るということはなかった。
実物がいるわけで、また声もすぐ聴けるし、メールも送れるわけで・・。
そんな頃は、写真を持ち歩くことも、飾ることも・・そんな発想すら
なかった。

そして、亡くなってからは、
実家の仏間やリビングなどに、小さめの写真を何枚か飾り、
戻ればその写真を見て、話しかけている。
そこはもともと親がいた場所であるから、自然とそうなった。

一方、自分の自宅には、同じ小さいサイズの写真。
しかし、基本的に裏返しにしてあり、何かあるときに
ひっくり返して、ちょっと見て、また裏返しにしてきた。

別居してきた親の写真が飾ってある・・というこの風景に、
慣れないというか、なんだか写真を直視することができず、
この世にはもういないのだということを認めることができず・・
とそんな心理かもしれないが、とにかく
この1年間。基本的に写真を裏返しにしてきた。
両親がいないということを、信じたくなかったのだろう。
見ると哀しみがわいてくるのを避けたかったのだろう。

母の旅立ちから1年経ち、最近、やっと写真を表向きにしても、
平気な日が増えてきた。
表向きにしても、見ない。直視できないことが多いが
それでも、裏返しでなくても、平気になってきた。

ただ、写真を見て話しかけることは、まだできないでいる。
写真を見ると、会いたくなってしまうものだ。
だから、じっとみつめることはできないが、
いろんなことに、だんだんと慣れていくのだろう。
慣れるということは、その環境に一体化されていくということ。
無理せず、自然体に。
もっとも、写真がなくても、見なくても、心のなかに
棲んでいる、いつもいる。

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GWとウクライナ。

明日から、日本では大型連休がはじまる。
今年こそはと、多くの人が移動をし、しばしのリゾート、解放のときを
思い思いに楽しむ。
ああ、日本はなんと幸せな国かと思う。
(但し、「今のところ」と言う枕詞をつけたくなるが・・・)

少し前までは、さあどこへ旅行しようかと計画し、海外へ出発する人も
多くいた。
そんななかに、今戦禍のなかにあるウクライナに行こうと思っていた人も
おられることだろう。


私がもっとも大好きな映画のひとつ。
「ひまわり」を何十回も観て、未知の東欧世界と戦争の歴史に触れ、
あのドラマチックな物語と作品の完成度に観るたび胸熱くなり、涙も流し・・。
その舞台がウクライナ。
今回の戦争で、その地の名前は一気に世界に知れ渡った。

いつか、キエフと呼ばれる町に行きたいと憧れをもっていた。
モスクワにももちろん興味はあったが、キエフにはノスタルジー漂う
何とも言えないロマンを感じていた。
そう、東欧の京都という名にふさわしい存在とイメージしていた。

それなのに・・・。

最近、テレビで平和だったウクライナの町の旅の番組をやっており、
複雑な気持ちになった。
美しい街は、同じように戻ることはない。
この国の傷は、私たちが生きている間に回復はしないだろう。

改めて思う。
この2か月の信じがたい無残な光景は、全部映画だったら良かったのに

と強く思う。

ああ、ウクライナ。
ヘルソンには今年も ひまわりの花が咲くのだろうか?
戦車が広大な畑を前進しているかと思うと、胸がつぶれそうだ。

あの映画のようなひまわり畑にいつか行けるだろうか。
行けるように。
あのひまわり畑の下には、前の世界大戦で亡くなった戦士たちが
眠っていると聞いたことがある・・・。

だから、一刻も早く戦争を終わらせてほしい。
そんなこともあり、
私自身は、今年の連休は、平和を祈りつつ、
静かに過ごしたい気持ちだ。

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今年のファーストミッション達成。

個性ある仲間たちと一緒につくった 、会社のテーマソング。
お披露目を無事終わらせることができた。
会社設立の5周年行事として、その作品をみんなで演奏した。
全員に希望のイメージや歌詞に入れたい言葉などをヒアリングし、
それを踏まえ、ひとつの曲にして出来上がり、レッスン開始。
3~4回の練習で本番。楽器も名古屋からせっせと運んだあの日が
懐かしい。みんな、それをフル活用してくれた。役に立ったようだ。

その会社で働くご本人だけでなく、会社の関係者や親御さんたち、支援者
の皆様にも参加いただき、みんなの演奏を聴いていただき、
そして、最後は全員で合唱した。楽しい会になった。
ご家族の皆様は、会社でのわが子の姿を見て安心され、喜んでおられた。
いい会社に入って仕事をしているんだと。
ご本人たちも、全力でがんばった!と満足。職場の自分を家族に見て
もらう機会はあまりない。いきいき過ごしているところを親に報告
できて、親孝行ができた。

「春には、こういう日を迎えるようにする。」
半年前に思い立ったイメージは、実現した。
今年のファーストミッション達成。
みんながんばってくれた。緊張したといいつつ、とてもうまくできた。
手話も素晴らしかった。
やればできる!ということもわかってもらえた。
これからはぜひ、仕事でも新しいことに挑戦してほしい。
障がいがある人もない人も。一緒にできることを一緒にやろう。
近日、演奏の様子はWEB上でごらんいただける予定です。
本日は歌詞のみ先行公開します。
今朝もメロディが頭から流れてくる感じだ!

シャイン・マーチ ⒸMasako Imao 2022
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いざ、本番!

今日は、半年以上前から仕込んでいたことの本番だ。
ダイバーシティ&インクルーシブを目指す仲間たちのアニバーサリーイベント。
会社の創立5周年の節目に行う、小さなイベント。
一緒に考え、つくったオリジナルソングをご家族やお世話になってきた施設の皆さん、
会社の方々にお披露目をする。
この企画を思いついてから今日までの道のりを思い出す。
いやー、夢が本当に実現したな。やっぱり、想えば叶う。
ちょっと感慨深いものがある。
ほんとうにできちゃった!やろうと思ったらやれる。やろうと思ったら
応援していただける。やっぱりひらめきと行動は大切だ。

今日のために何度か練習もした。
限られた回数、時間ではあったが、その中で、一生懸命に取り組んだ。
自分ができることは、やった。そして、皆さんも本気で取り組んでくれた。
私は本番に向かうプロセスこそが大切だと思ってきた。
ひとりひとりが、新たなことに挑戦することを応援したいと思ってきた。

皆さんの目が輝き、本番という節目に向かって、成長されていくさまが、とても
うれしいと思った。先日の練習では、手話のご披露に心から感動した。

きっとゆうべは、「明日は本番!」と緊張しながら眠りについた人もいるだろう。
また、今朝、「今日は本番!」と早く目が覚めた人もいるかもしれない。

皆さんにいいお披露目できるように、そのサポートを心を込めて行うつもり。
この仲間のために、いい曲ができて良かった。
小さいながらも、残せる仕事がひとつ増えたことがうれしい。

さあ、本番。すでに、頭のなかで、素敵な拍手が聞こえている。

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平和のなかの多忙に感謝しながら・・・

コロナとともに迎える3年目のGW。
どうやら、今年は昨年と比べ6割増しの
旅行客が見込まれるようだ。
暮らしが平常モードになることは、本当にありがたい。
皆さん、わくわくの日々に向け、今週をスタートされていることだろう。
あと何日、あと何日。
大人も子供もカウントダウン気分かもしれない。

そんな休み前に向け、そんなときに集中して、
いろんな予定が入ってくる。
連休前後とは、そういうもんだと昔から思ってはいたが。
今週も連日、おかげさまのてんこもりもりの予定である。
なかには、自分が企画したイベントもあり、初めて試みるコミュニケーションも
あり、ほどよい緊張感に包まれる。

毎日が本番。
これをひとつづつ、毎日しっかり完成形をイメージしながら
進めていく。
そして、ひとつづつ終わらせて、次に向かう。
今週前半は、毎日新幹線とともに1日が終わり、終わる。
その移動中に、しっかり本番に向けてのイメージを整えよう。
すべての本番。目指すはみんなの笑顔。
それができれば、すべて成功。

平和で自由な朝を迎えられて今日に感謝しながら、
1日を大切に進めていきたい。
忙しいなんて、贅沢なこと。幸せなこと。

早く戦争が終わってほしい。
そうしないと、個人的にはこの連休も楽しくはない・・。


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心遣いの承継。

新潟小千谷より、お届けものを受け取る。
長年親しんできた、なじみの食品。鮭などの加工品でブランド名は「吉雪」。
雪は人々に吉をもたらす、ありがたい存在。という新潟の人々の雪への思いが
込められている。その名づけ親でもある創業者と出会い、十数年、おつきあいを
深め、その関係は、その方がコロナ禍で亡くなる前まで続いた。
その「吉雪」が届いたのである。現社長である娘さんからである。手紙が同封
されている。
「・・・・4月19日の新潟日報の記事を拝見しました。長らくお疲れ様でした。
1200社のなかの1社である、うちも大変お世話になりました。きっと母が
生きていたら、新聞を見てすぐ手紙(メールかもしれませんが)を書き、
そして、吉雪を送っていると思いますので・・・。」
とのメッセージがそこに記されていた。
母が生きていたら、きっとこうするだろう。ということを娘さまが想像して
お母さまの代わりに、送ってくださった。
その想いが、本当に本当に心に沁みた。
二代にわたり、心遣いいただけるとは、なんとも・・・。
そんな感激にひたった夜から、日付が変わり、4月24日。
今日はそのお母さま、吉雪の生みの親である美智子さんが旅立ちから2年だ。
時間は経っても、忘れる日はない。
そして、娘さまがお母さまの想い、思いやり、おもてなしの気持ちを受け継ぎ
仕事をされ、元気にご活躍されていることを思うと、美智子さんもきっと喜んで
おられることだろうと嬉しい気持ちになる。
今日は空を見上げて、美智子さんを思い感謝の祈りを捧げたい。

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コミュニケーション アスリート。

気が付けば、朝の7時半から12時間、ずっと誰かを話しをする、打ち合わせ、
会議をしていた。と、そんな日も週に何度かある。
そんな1日は、とても体力を消耗する。
そう、ずっとしゃべって、聞いて、頭をフル回転し、気も少々遣いながら・・・、

長時間のさまざまな人とのコミュニケーションは、まるでスポーツでもして
いるようだ。
ときに寄り沿いしっかり聴く。ときに演じるかのように表情豊かに。
場を盛り上げるときにはそんな元気放出も必要だ。
また、笑顔をキープし、表情でコミュニケーション。
とにかく、コミュニケーションはエネルギーを消費する活動だ。
体内の細胞が動いている実感がある。

ただ、毎日それをやっていると、鍛えられるが、疲労も蓄積される。
ときに、さまざまな力をチャージしたり、
コミュニケーションレスの日があることも必要だ。

今週、来週はコミュニケーション アスリートの日が続く。
とくに来週は毎日マラソンしながら山登り?

まさに体力と気力と知力の勝負だ。
マイゴールまで軽やかに走るために、スタンバイ。
スポーツするようにコミュニケーションする。
コミュニケーション アスリートという新語。
なかなか、耳ざわりもいい感じかも?

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天職はひとつ?

今週、新聞に掲載された記事の反応は、まだ続いている。
人々が新聞を読まれるタイミングを知るいいきっかけにもなっている。
新聞は、当日読まれるとは限らない。長い時間をかけて読まれる。
保存できるものだからこそ、時間あるときにゆっくり・・という
ことなのかもしれない。

メールをいただく方々からは、いずれも丁寧でありがたい文面を寄せて
いただいている。
これまで私が関わったことでの成長について、細かく書いてくださったり、
近況報告をしながら、過去の学びを思い出してくださったり、
とにかく心から感謝していただいていることが
手に取るように伝わり、メールを受け取りながら、胸が熱くなる。

十年ほどご無沙汰している方からも、記事をみつけたと
感激しながらメッセージをいただいた。
カラーの写真付きの新聞記事は何かと効果的なようだ。

いただいた一通のメール。
お礼の言葉の前後に、広報活動をやっての変化が書かれていた。(一部引用)
・客層が変わりました。(こだわりのお客様が増えました)
・地域の人に知ってもらうことができ、声をかけられるようになりました。
・前は、「まだあったのか」と言われたのが「懐かしいな~」の声に
 変わりました。
・社内の皆さんのモチベーションがあがりました。
・販促活動していないところからのご来店が増えました
・伝えることが苦手だった自分が、人前で話せるようになりました など

きっとご自身の取り組みの歴史をふりかえって、整理されたのだろう。
このようなメッセージに触れ、
本当にこの仕事、やってきてよかった。改めて今、そう思っている。
この広報アドバイザーという仕事は、もしかしたら天職のひとつ
かもしれない。と思うほどに、企業の皆さんが変化されることを
私自身、意気に感じ、歓びをもって取り組むことができた。

天職。
これは一人にひとつしか与えられていないだろうか?
そんなことはない。
できれば、複数の天職でもって、心の観覧車を回し続けたい。
チョット欲張りかもしれないが。
伝えることのお手伝いは、天職のひとつ。
これからも、自分の天職 磨いていこう。
人に感謝される仕事をやり貫く。やり続ける。さあ、今日も。


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みんなと一緒じゃなくていいよ。

私はみんなと一緒に。ということがあまり好きではない幼少期を
過ごしてきた。
みんなと違っていていい、自分だけ違ってもいい。
と、そんな感じだ。

世の中には、年齢に関係なく、
人に合わせることが苦手だったり、嫌だったり
とそんな人もいる。
そのときは、「ちょっと苦手だからできない。」
と耳打ちしてくれたらいい。
「じゃ、こうしようか。」「じゃ、どうしたい?」と聞くことができる。

みんなと一緒だと 力を合わせてできることがあり、
その喜びもひとしおであるが、
一緒がいやならいやで、違う方法をとればいい。

こうじゃないとダメ。
という物差しはもう捨て去りたい。

ダイバーシティ、インクルーシブというならば
何があってもいいじゃない。と言う気持ちになってくる。

それぞれにとって、快適な世界を。

最近、障害をもつ人たちとのふれあいのなかで、
嘘やごまかしのない、素直な心の大切さを
感じている。

我慢せず、自由に、自分らしく生きる。
自分も、そうありたい。
今日も、そうありたい。

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わくどき!掲載され、安堵と感謝。

ウクライナ情勢によって、どうなるやら?
と半月以上、やきもきしていたのが、新聞記事の掲載のこと。
3月半ば 新潟日報の投稿欄に掲載されてから、知り合いの記者から
「読みましたよ。良かったら、今尾さんを取材したいのですが・・・。」
とのメールがあった。経済の担当者だ。
彼が20代の時から知っている。今やベテラン記者。
コロナ禍ということもあり、メールとオンラインでの取材対応となり、
インタビュー風景の写真は、地元で仕込んだ3月後半。
モノクロで掲載となるか、カラーかわからないので、両方用意して送る。
新潟での17年間の仕事についてのふりかえり、新潟県人の広報について
変化してきたこと、中小企業へのアドバイス・・・など、いろいろ話した
けれど、どこをどう切り取り編集してくれるのか・・。

半月も連絡がないと、このまま掲載されずに‥というケースも多いが、
今回はぜひとも掲載になってほしい。新潟で広報の仕事をしてきて
新聞記事で締める。というのはとても自然で、かつ最適な結びとなる。

掲載される前日の夕方以降、急になんども記者から連絡が入りはじめる。
記事になるときは、記者が書いた文章をデスクがチェックし、いろいろ
確認や細かな修正が入る。
ああ、これはいくな~と久しぶりの緊張感。
さまざまな細かい情報の確認だ。間違ったデータは掲載してはいけない。
ネットであればすぐ直せるが、新聞の場合は、刷ったら最後だ。

さて、どきどきワクワクの朝。
7時すぎ、まず一緒に仕事をしてきた公務員の方から
新聞記事を見たと、その記事の写メとともにメッセージが届いた。
メールされた画像で恐る恐る自分の写真を確認する。
まずは写真が気になる。そして内容確認。ああ、ここを書いてくれたんだ。
ああ、だから電話でここを確認したんだ・・。限られた枠で、わかりやすく
まとめられた記事を読んで安堵する。

お久しぶりの方から、いつも応援してくださる方・・・。昨日は夜の21時すぎるまで、
記事を見たとの連絡が続く。
どちらさまも、これで終わりという感じではなく、これからもお願いしたいという
メッセージだ。新聞で会えたのが嬉しいという声もあり、こちらも嬉しくなる。

自分のインタビュー記事。久しぶりだ。
今回、新潟で広報の仕事をして、いい節目となった。
記者も知り合ってから十数年の間、文章力に磨きがかかった感がある。

みんな成長したこの歳月。
改めて、新潟のみなさんに、心から感謝とエールを!

※掲載は4月19日 新潟日報 朝刊 経済面です。

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