長崎でお世話になっている人たちに久しぶりに会う。
この地での時間が、自分にとって日常であったら、人生は
また変わっていたかもしれないと思う。
さまざまな苦難の歴史を乗り越えてきた方たちの子孫である
から、優しさの底に強さがあり、愛があることを感じることが
多く、人としての学びも多い。
長崎や広島のつらい経験があり、戦争は二度としてはならないと
被爆地の皆さんはじめ、世界の人々が70年以上も言い続けても、
それでも世界では戦争が起きているのは、本当に心痛い。
そんななか、私があるシスターに質問をした。
「私なんか、今回の戦争の首謀者がもう死んでしまったらいいのに。
と強く思ってしまいますが、神様を信じる人、聖職にある人は
そうは思われないのですか?」
「そうですね。その人がしていることは信じられないぐらい悪いこと。
それは絶対に良くないです。けれど、その人もひとりの人間。
だから、神様がその人のこともお守りくださるようにと
祈りたいと思います。」
という主旨のことを言われ、驚きと感心。
そうなんだ。コトと人。
日常のなかで、時において、この「コトと人」を混同し、判断
しがちなこともある。
でも、それは正しくない。
シスターのその一言は私にとって、とても深かった。
改めて、物事を判断するときには、そこをしっかり見誤らない
ようにしなければ、根本的な解決にならないこともある。
これは、神に使えるお立場の方だからというだけでなく、
長崎という地で生まれ、育ってこられたという背景もあるの
かもしれない。
どんなときも、決して人を憎まず。
確かにそうだ。
そういうためにも、洪水状態の情報の入手もほどほどに
しておかねば、本質を見誤ることもある。
とにかく静かにこの戦いが早く終わってくれるように、
祈りながら、今日も自分ができることをするのみ。
何があっても、人を憎まず。
語り継ぐ、続ける。長崎の人々への敬意。
ウクライナのことが気になって、なんだか落ち着かない日々を
過ごしているなか、いつも長崎や広島のことが浮かんでいた。
とくに自分にとっては、長崎は原爆以前の歴史から強い思いを寄せて
いたため、今回のことに重ねた人々の祈りや活動が気になっていた。
長崎の原爆資料館に隣接して、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
という建物がある。資料館含め、以前にも見学したことがあったが、
久しぶりの訪問だ。国内外からの千羽鶴が多く飾られている資料館
のロビー通路から、この祈念館への入り口へ続く。
入口でポスターをみつける。どうやら、朗読をやっているようだ。
「聞いてください。私たちが読む被爆体験記」と書いてある。
何か重い扉を開くような、勇気が必要な、そんな空間であるが、
よし、入ってみよう!と思い、中に入る。
原子爆弾の投下により亡くなられたすべての方々への追悼と平和祈念
を行う場所として、2003年に開館。約19万人の死没者の方の名簿
が登載されている。
薄暗く、静かな館内を誰かに導かれるように中へ進んでいく。
被爆者の方々を撮影した写真の企画展示を過ぎ、小さな空間に2~3名
の女性たちがおられた。この方たちが朗読会の主催者であった。
「お時間ありますか?私たち、ここで被爆体験の朗読をしています。
良かったら5分でも10分でもいいですので・・・」と声をかけられた。
もちろんそのつもりで入ってきたので、「はい、聞かせていただきます」。
と、導かれ椅子に座る。そのときは来館者は私のみであった。
まもなくそのなかの一人が、被爆体験記を朗読される。
どうやら、この記念館所蔵の通称「黒本」という被爆体験記集から
体験記を選び、ボランティアの方たちが交代で、毎週末、読み続けておられるようだ。
今回は、遺族の体験記だけでなく、有名な1枚「焼き場に立つ少年」を撮影した
アメリカ人カメラマン ジョーオダネルが遺した写真の解説も朗読された。
その写真、さっき資料館で久しぶりに見て、解説を読んでショックを受け
ていたばかりで、続けてこの作品に触れる偶然に驚いた。
そして、「トランクの中の日本」という本にこの作品やメッセージは
収められていることを知った。
このように情報を見る、聞くことで自分の記憶にしっかりインプット
されていくのだ。
私は彼女たちが読む朗読の内容自体にももちろんであるが、この活動を地道に
続けておられる姿に感銘し、聞いていて涙があふれた。
長崎の人たちは、自分たちのあってはならない無残で苦しい、不条理な経験を
70年以上経った今も、次代に伝え続けようとされている。
被爆者たちがどんどん少なくなり、生き証人がなくなってしまう。
だからこそ、の想いでこのような朗読の活動も存在し、続けられているのだ。
特別な職業の人たち、ではなく、一般の方々がボランティアでこのような
活動を続けておられる。この経験が尊いことだ。
一人ひとりができる活動を続けることで、思いはつながっていく、伝わっていく。
そう信じて皆さん取り組まれている。
なのに、今回の戦争・・・。心が痛い。痛すぎる。
長崎や広島の皆さんの想いは、いかほどであろうかと思うと、たまらない。
でも、このように活動を続けておられるのだ。素晴らしい!頭が下がる。
この出会いに感謝し、取り組みに敬意を表し、私も応援させていただき、
また自分なりにできることをやっていくことを改めて決意する。
たまたま、近年、朗読(劇)に関心を寄せ、その活動にも関わっていること
からも今回の朗読に足が向いたという背景もある。
朗読。生の声で、声だけで伝えるシンプルなメッセージ。
俳優や役者だけでなく、一般の方でも思いがあれば、十分できる、むしろ
想いが伝わる素晴らしい伝達方法である。そのことを改めて体感した。
ネット時代のなかで、超アナログな朗読。今こそ、肉声を届けることが
必要なのだ。生の声で・・・。
こちらのボランティアは、
被爆体験記ボランティア
被爆体験を語り継ぐ 永遠(とわ)の会
という。
https://www.peace-nagasaki.go.jp/towanokai
皆さんの想いが届き、1日も早く戦争が終わるように。
核使用なんて言うバカげたことは絶対に、絶対にないことを
祈る。
厳かな場所であるのに、無理を言って撮影を
させていただいた。
ぜひ、長崎で、ネットでもこの活動を体感いただければと思う。


毎日が記念日として・・・。
5月14日は個人的にちょっとした記念日であった。
20うん年前に、新たな出会いをいただいた日。
だから、毎年その日は、ちょっとだけ、特別な気持ちにもなる。
誕生日もそうだ。
なんだか特別の日だ。
でも、世界中誰にでもある記念日でもある。
毎日が記念日であったら、人生ちょっと忙しいかもしれないが、
毎日がおまつりのような気分になれるのかもしれない。
そういえば、以前NYへ行った際に、美術館の売店で
「バースデーカレンダー」というものをみつけたことを思い出す。
カレンダーのなかに、友人知人の誕生日の名前を入れていく記入式の
カレンダー。この日は誰かさんの誕生日というのを忘れないための
ものだろう。当時、アメリカには面白い習慣があるなと思っていた。
もともと、グリーティングカードを贈ったり、プレゼントを贈る習慣が
ある国だから、誕生日情報は重要。なんだか大変だけど、楽しそうだ。
日本ではあまりその習慣がない。そんなカレンダーに書くほど、
多くの人のバースデーを知らないし、交友関係もそこまで広くなく、
狭い。少ないけれど、深いおつきあいを重んじる傾向があるからかもしれない。
今日が誕生日・・という方には、さりげなく「おめでとう」の
気持ちを伝えたい。
というのはとてもいいことだ。
毎日が誰かの記念日だ。
誰かが誰かに「おめでとう」とか「ありがとう」と言っている。
そんな言葉が溢れる世界に、戦争はないはず・・・。
戦勝記念日とか、そんなものは要らないから、
ひとりひとりの小さな幸福を実感できる世の中でありたい。
「またね。おばちゃん」
実家の近所に住んでいるひとりのおばちゃん。
私が小学生のころから、
「まさこちゃん、まさこちゃん」とよく声をかけて
もらった。
今も会えば、そう言われる。見た目は昔とさほど変わらない。
でも、間違いなく半世紀からのお知り合いであるから、
もう80歳に近いお年頃だろう。
ほんの1分、立ち話をして「またね」と言って別れる。
そのおばちゃん。最近やたらとよく会う。会ってしまう。
ドラッグストアの駐車場を歩いているとき、
ご自宅の近所を歩いているとき、、自宅の前で
立ちすくんで誰かの帰りを待っているような?
なんでそんなに外にいるんだろう?
そして、先日は雨のなか、玄関から外に飛び出してきて
集めたらしき枯葉を抱えて、家の前の側溝の穴に必死に入れる
様子を発見してしまい、驚いた。何してるの?
「おば・・ちゃん・・・」
そのときは、思わず声をかけるのをやめた。
おそらく、認知症が進んでいるのだろう。
もしかしたら、よく近所で会ってしまうのは、
徘徊されているから・・・かもしれない・・・。
「おとうちゃんとおかあちゃん、残念やったね。
まあ、それだけ仲良かったんやね」
と半年前の会話はまともだったが・・・。
「お父さん、死んでしまった。わたしはついてない女や」
へ?おじさん亡くなったのは、ずっとずっと前の話なのに?
時間軸がおかしくなっているようだ。
おばちゃんはいつも待っている。
息子の帰りだろうか。亡くなった旦那さんだろうか?
とにかく、最近よく会うが、とにかく普通に接するようにする。
「おばちゃん、元気?」
「またね。おばちゃん」
いてくださることで、自分の子供のころを思い出し、
両親のことを思い出すこともできる。
老い方は人それぞれだ。
自分の四半世紀後を想像し、やはり今からできることを・・・
と思ってしまう。
「またね、おばちゃん」
生きる世界はそれぞれ でも・・
人間、本当にいろんな生き方があると思う。
人の数だけ、人生がある。
自分の生き方と人の生き方が同じというわけではない。
それぞれ違っていいし、違うからいいし。そんななか
共感したり、応援したりして、お互いがそれぞれの
世界、ステージで生きていけたらいい。
家族のために働く人、自己実現のために働く人、
世の中の役に立ちたいと思って生きる人、
お金を稼ぐことが一番の目的の人・・・
それぞれの世界、ステージがある。
自分はどの世界で、どんなステージで人生を描きたいのか。
がとても重要だと思う。
私は、出来る限り、より広い視野でまさにグローカル
に生きていきたい。また、いろんな挑戦もしたい。
生きている限り、前を向いて、上を向いていきたい。
少しは、社会の役に立ちたい。
小さな世界で自分を閉じ込めるのではなく、
大きな世界で、自分を羽ばたかせたい。
そして、同時に関わる人達のそれぞれの世界・ステージも
理解しながら、共生できる工夫をしたい。
世界は違っても、利己ではなく、利他の心で。
仕事は人生の作品づくり。
もうすぐ会社を辞めていく人がいるとする。
定年という場合も、いろんな都合ということもある。
どんな場合でも、そのゴールの日までに、いかにいい足跡を
残すかが、今後の人生に影響すると思っている。
やめるから、やめた後は知らない。
という辞め方は、正直、おすすめできない。
集団のなかで働く以上、やめるのは、どんな場合も自分の都合、
自分の事情であるから、
周囲に迷惑をできる限りかけないよう、負の遺産だけを残さないよう。
できれば、いい仕事をして、一区切りとしたいもの。
そうすれば、周りも喜んで送り出してくれる。
一定の時間、その組織で働いた(組織でなく自営業であっても)証しとして
いい仕事を遺していきたい。
いい商品を、いい人材を、業績を・・・いろんな残し方があるが、
ありがとう。と言われる最後にしたい・・・。
仕事は人生の作品づくり。まさにそのとおりだと思う。
だから自分次第でどんな作品にでもなる。
自分でつくる。ここがポイントだ。
何も残らない仕事・・では、人生もったいない。
仕事は、時間を消費する(浪費する)だけの活動ではない。
ステキな作品にしよう!
そう思えば、いろいろ知恵も工夫も沸いてくるはず!
と、他人事ではなく、自分事で私も取り組みたい。
生涯知性、感性豊かに生き抜く。
数年前、大学の社会人講座で知り合った人。
たまたまいつも座る席が前後ろ。
他の受講生とは、なぜか話さない、ちょっと離島的な存在。
そんな二人が、講義後に自然と挨拶を交わすようになって、
現役学生のように、学内のカフェで話すようになり、
互いの素性を知り、数年間、ずっと交流を続けている。
今思えば、この方との出会いも、23年の東京暮らしで得た
貴重なギフトのひとつだったかもしれない。
お年の頃は、もうすぐ70代にさしかかる頃だが、
いつも届くメールは、スペイン語。
この数年間、そのスタイルは変わらず。
最初同じ講座を受けていたのに、私はすぐやめたが、
その人はその後もずっと勉強を続けている。
その語学力を活かして、スペインの著名な巡礼地にも
ひとりで出かけたぐらい、冒険心と向学心の塊。
今はコロナで海外は行けないが、和歌山、長崎と
歴史ある国内各地を探訪しながら、次の渡航準備をしている。
この方は、もともとは原子力の専門家。
広島に生まれ、ご家族が被ばくされたことで、この道を
選び、定年まで勤めた方だ。そして今も勉強を続けている。
いくつになっても、向学心をもって、知的探求を続ける。
平和のために、選ばれた道だとのこと。
このように、ずっと志高く、知的好奇心をもち、勉強を続ける
人生の先輩が、おかげさまで周囲には多くいてくださる。
こんな、前向きな、知性、感性豊かな人とはぜひ交流し続けたい。
常に前を向いて、生きる人は魅力的だ。
おかげさまでいろんな専門家に囲まれて、しかも権力や
欲と関係なく、本当に知的で・・・。
最後まで、人生を豊かに生きるための努力を惜しまないことが、
毎日を楽しく過ごす秘訣かもしれない。
いつもスペイン語のメールを自動翻訳しながら、日本語で
返信するという奇妙なやりとり、これからも楽しみたい。
惜しまれる人、永遠に。
メディアに登場する大学教授は多くおられるが、そのなかでも
アメリカ政治の国際政治学者、慶応大学教授の中山俊宏さんの
ことは、とくに前のアメリカの大統領選挙の時あたりからずっと
興味関心を持ち、その言動を注目していた。
その鋭く深い分析にいつも感心し、勉強させてもらっていた。
こんなに若くて素敵な大学教授なら、学生さんも励みになるなと
も思い、私も学生気分で気が付けば、中山さんが報道番組に
出られると、録画してチェックしながら、心躍ったものだ。
直接の面識はなかった。
その中山さんの訃報が昨日、ニュースで伝わり、衝撃を受けた。
まだ55歳。くも膜下出血によるとのこと・・・。
まだ先日、ロシアのウクライナ侵攻のことで、アメリカの対応
について話をされていたばかり。
また今週にでも、どこかの番組でお目にかかれるのでは・・と
思っていたぐらいだったのに・・・。
面識がないのに、こんなに悲しく思うことは、そんなに記憶が
ない。それは、自分の中で身近な死を経験したせいかもしれないが、
応援している人の突然の死というのは、本当に身に沁みるものだ。
もう元気な姿が見られない。もうすべてが過去になってしまう。
まだまだご活躍していただきたかった。
昨晩の報道番組では、中山教授がよく出演されていたこともあり、
キャスターが番組の始めに訃報について歌えながら、
残念でならない気持ちを語っておられたことも印象的だった。
面識がない私でさえ、こんなに悲しいのだから、一緒にお仕事
してきた人であれば、そして大学の皆さん、そしてご家族・・・。
お会いしたことがないけれど、
いっぱい教えていただき、学ばせていただき・・・
遠くからではあるが、感謝と哀悼の意を伝えたい。
急すぎる。早過ぎる。
やっぱり、人生はわからない。
惜しまれる死。惜しまれる人。
中山俊宏さん。若者にも勇気を与え、大人にも明るい知性を
伝え続けた、。素晴らしい学者さんであった。
心からご冥福を祈る。
そして中山さんが伝えたメッセージは、それを受けた側が
きちんと生かしていかねばならない。
今一度、改めて、学び直したい。
自分ができる、ウクライナ支援について


本日5月9日開催の岐阜新聞でのコンサートで
「世界の平和を願う愛のうた」をテーマに、演奏をしました。その中で、ウクライナ
への想いを寄せた即興曲などもお披露目しましたが、
今回は、自分ができる活動として、チャリティについてもご案内しました。
コンサートにおいでになった方も、それ以外の方にも、ぜひよろしければご協力を
お願いしたいと思います。
ご協力いただける方のご一報を心よりお待ちしています。
平和を願い・・。本日ミニコンサート開催
本日5月9日は、4か月ぶりの岐阜新聞でのミニコンサート。
3月開催予定分は、コロナ感染拡大防止のため、中止となったため。
そんな中止、延期にも慣れてしまった。だから、予定通りの開催は
有難い限り。こうして継続できることは幸せだ。
入場制限、予約限定ということで、今回もすでに満席の予約をいただき
ありがたい。
この2か月余りの間、あってはならないことが世界で起きてしまった。
改めて平和な朝を迎えられることのありがたさが身に沁みる。
今回は、「世界の平和を願う愛の歌」をテーマに、演奏を
考えている。ロシアのウクライナ侵攻という、この世界的危機の
なか、少しでも平和のためにできること、傷ついた人々にできること
はないかと考える。
音楽は平和の象徴。幸せのメッセージの役割を果たすことができる。
みんなが被害者だ。誰にとってもいいことはない。
とにかく早く平和が訪れるように願い、そのために来場者の皆さんと
心を寄せ合いたい。
ウクライナを思って、そして無意味な戦いを強いられている兵士のことを
思って・・・・。
演奏することで、具体的な解決にはならないのかもしれないが、その想いは
人から人へと伝わり、海を越えることを願って。
また、今回はチャリティのため、CD販売を行う。売り上げをウクライナの
医療支援に寄付したいと思っている。
もちろんコンサートに参加されない方にも、ご協力いただければ、うれしい。
(詳細は改めて本ブログでお伝えさせていただきます。)
まずは、今日という日をしっかり生きる。
世界の平和を心から願って・・・。