お世話になった作家の野村正樹さんは、生前毎日1時間以上は
近所を散歩されていた。それが日課であった。
自営業はとくに自分で日課を決めて動くことが重要だ。
会社や他人が何かを決めてくれるわけではないから。
散歩は、一見、健康のためのエクササイズでもあるが、
構想を練ったり、思索をするのにも大変有効な時間になる。
ずっとデスクに向かっているだけでは、執筆が進まないことも
あるはず。
またパソコンで終日検索して情報を見ているだけでは、
煮詰まってくることもある。
身体を動かし、さまざまな世界、日々の変化に触れながら、
頭の中にある情報を整理したり、新たなヒントを得たり、
気分転換になったり・・・。
あえて「創造的散歩」と呼んでみるが、ぼーっと歩くだけで
なく、考えながら歩くことは、一石二鳥以上の効果がある。
私も出張のときは、移動のために歩くが、その必要がない
日も、1~2時間は歩く時間をとるようにする。
用事をつくりながら、そこに向かうまで最近では音楽を聴き
ながらあれこれ考える。
音楽のことだけでなく、昨日の会議の振り返りであったり、
今抱えている課題について・・であったり、とにかく五体を
動かしながら、頭も心もフル回転させ、ときに深呼吸して立
ち止まる。
そうすると、いいアイデアが浮かんできたり、解決策がみつ
かったりもする。
もっとも、メールをチェックしながら、歩みを止めて、返信
してからまた歩き始めるときもあるが、なるべく歩を止めず
自分の世界のまま歩き進める。
スマホを持たずに歩く方が良いが、一方歩数の確認には
必要であったり、途中でメモをとったり、浮かんだ曲を
すぐ録音するには、スマホは散歩のお供である。
ある会社員の方も、昼ご飯を食べずに、散歩に行くのが日課
とのこと、とてもいい習慣だ。
会社の中でランチをとる、外に出て食事をする、散歩をする。
自分にあった解放の時間。午後の仕事のためにもいい時間。
想像のための散歩。
心身が、健康で生き続けるための基本でもある。
てくてく歩きは、最上の自由時間。
リストもベートーベンも、みんな歩きながら、
考えていた。
とても励みになる。
一万歩のクリエイティブタイム。
とりあえず いってみますわ。
ポルトガルを語るときに欠かせない、「サウダージ」
という、聞き慣れない言葉。
意味は「郷愁」「思慕」「切なさ」など、生きる時間を
重ねてきた人にこそわかる、人生の悲哀を現している。
ポルトガルは500年以上前に繁栄した国で、多くの世
界遺産がその栄華を今に伝え続けているが、この過去
の栄光への思いが、この「サウダージ」と重なるのか
もしれない。
郷愁の国、ポルトガル。
ファドを聴くたびに、まさにサウダージそのものだと
感じた。なんともいえない深みある哀愁に満ちた声。
若い歌手の言葉より、齢を重ねた熟年の歌が心にしみ
いる。
スペインのフラメンコのような激しさ、強さではなく
静かに奥底から心に沁み込んでくる。
大陸の最西端であることも、ポルトガルの過去の栄華
に関係している。ザビエルたちが出航した海岸に立った
時、希望に満ちていた時代が想像できた。
美しき世界遺産たちが現役だった時代、
と、私なりにも大変思いが募るポルトガル。
来月、その国に移住する弟(分)。30年前からのつきあい。
壮行を兼ねて、久しぶりに会い、これまで共有した時間を
ふりかえり、無事の出発を願い、乾杯をする。
暫く会えないだろうから、と思い、
ポルトガルにわざわざ行く移住人に託したもの。
旅の道連れ、おともの品である。
長崎とザビエルと信長が自分のなかではポルトガル
につながるため、それに関するモノたちを用意した。
リスボンや長崎や信長への思いが詰まったマイCDと
歌詞集、オリジナルカレンダー。長崎の職人が作った鼈甲の
十字架、京都の金平糖。
そう、金平糖はコンフェイトー。もともとはポルトガルの
お菓子であり、信長も好んでいたもの。
十字架はザビエルが日本に伝えたものであるが、それを
持参することが歴史のお返しになるかも。と勝手に
用意した。
もう会えないかもしれないから。
そんな思いからも、これらの「道連れ」の小物たちにも
思いが籠る。
長崎にゆかりある旅人が、長崎で生涯を閉じたルイス・
フロイスのふるさとリスボンに住まうとは。
「とりあえず いってきますわ。」
500年前サビエルたちがポルトガルからこちらに向かうとき、
「とりあえず いってきますわ」ではなかった。
いのちがけ。結果、ザビエルは戻ることはなかった。
現代は戻ろうと思えばいつでも戻れるし、いかようにもなる。
それが500年前とは違う。
とはいえ、万人が同じ選択と行動をとることはできない。
自由を希求する人が苦労してつかんだ、大きなチャンス。
きっと現地で新たな道がまたみつかるだろう。
心からの応援と、無事の旅を祈る。
別れてからの帰路、
サウダージな気持ちに包まれた。
毎日が人間観察研究所。
おかげさまで、毎日毎日、いろんな世界で生きている方に
接する機会をいただいている。
仕事でプライベートでご一緒する人から、
移動中にみかける人、店で出会う人・・・。
その人その人を観察しながら、この人はなんで、こういう
表情になるのだろう、なんでこういった言葉遣いなんだろう。
この着こなしはどうしてだろう・・・。
見られている人からすれば、ほっておいてくれ。という
話になるが、もちろん自分も見られている前提で、
見える世界は見えてしまうから仕方ない。
たとえば、昨日1日をふりかえっても、仕事だけでも、
対面オンライン含め十人以上の方と時間を共有した。
ふりかえり、心に残っている人は、まず一生懸命に
取組んでいる人。特に前向きに進もうと考え、行動に
移す人。お互い、笑顔を交わした人。
そういう人との仕事はこちらもやりがいがある。
また、心を開いてくれる人との時間は嘘がなく
気持がいい。幸せをいただいた気持になれる。
なかには、何を考えているのだろうと思う人も
いるが、それはこちらの観察眼がまだ弱いのかも
しれない。
表情や言葉に出ない人は、見えづらいから仕方ない。
見えた方がお互い幸せかなと思うが、
それは、余計なおせっかいかもしれない。
と、まあ、日々いろんな出会いをいただく。
いいこともそうでないこと、
いいときもそうでないときも。
それでも、いい方が断然に多い。
好きな人が回りにいっぱいいてくれる。
だから、いいじゃない。
人間界に生きる全員と会うことはないこの一生。
一緒に生活をする、仕事をする仲とはかなりのご縁。
そこまでいかなくても、たとえ、道ですれ違うだけでも
電車で居合わせるだけでも、束の間の出会いでも
何か学びや発見もあるかもしれない。
そういう意味では京都に押し寄せているインバウンド客も
観察してしまう昨今。
人っていったい何なんだ?
多種多様、さまざまな人間が同じ地球に生きている。
多様性なんて言わなくても、最初から多様なのだ。
みんな違っていいから、ただ、平和でいたい。
ということだけは
共通であってほしい。
そんな思いで、毎日が人間観察研究所。
人間って何なんだろう?
そういった興味で世間を見ながら生きると、
また違う愉しみも沸いてくる。
さあ、今日も新たな出会いに期待して!
大きくしなる。しなやかに生きる。
最近、真の意味で強く生きたいと願い、そうあるには?と考えること
がある。
しなやかに生きる。という言葉がとても好きだ、音も心地よく、
圧を感じないが、凛とした強さ、内側からわきあがる力も感じる
言葉だ。
「しなやか」と「しなる(しなう)」の語源は共通している。
弾力があって,力を受けたとき折れずにしなやかに曲がる状態。
たわむ。しなる。
どんな外圧にも、いったん曲がるけれども、折れることはない。
また元に戻る力も備えている。
植物でいえば、竹がそんな存在だろう。
まっすぐに天を仰ぐ竹も、風が吹けばよく曲がる、
人の手によって曲げることもできる。
でも、折れずにしっかり存在する。
竹を割ったような性格という表現も別にあるが、
竹とはしなやかさを例える貴重な存在でもある。
(と書きながら、嵯峨の竹林を思い浮かべる。)
そう、竹のように生きる。
どんな力にも一見、柔軟に対応しながら、でも、
ブレることなく自分らしく生きる。生きたい。
よくしなる人でありたい。
これにはトレーニングも必要だ。
いろんな力に耐える力を身に着けること。
より多くの障害に、障壁にぶつかることも結果、役立つ。
自分らしく生きたいと願えば願うほど、我を通すのではなく、
よくしなる方が結果、うまくいくのかもしれない。
折れない生き方がいい。
どこまで強くなれるか。
毎日が問われている気がする。
切り替えと折り合い。
日々生きていると、本当にいろんなことに遭遇する。
自分の思っていたとおりにならないことも、
多くある。また事態は刻一刻と変化していく。
このままでいい。ということは、ない。
また、世の中は、自分だけで動いているのではなく、
さまざまな力が作用しあって、強い力の方に寄せられて
いく。そのなかでどう存在感を示すか。
なかなか抗いながら、自分らしく進み続ける
のは難しい。
権力者はその点、その権力の行使で善悪関係なく、
意のままに動く。その結果も反動も覚悟の上であるが。
自分と価値観の違う人との共生。
このことに慣れていかねばならない。
心底共感できてなくても、ある一定の理解とゆるしの
気持をもって、向き合っていかねばならない。
価値観の同じ人とだけ生きていくのは、難しいから。
違和感を抱きながらも生きるなかで、その中で出会える
「共感の光」があるはず。それを求めながら、折り合いをつけながら、
生きていくのが良さそうだ。
妥協した生き方は正直好きではないので、
自分がすべきことには妥協せず、ただ向き合う相手
によっては、寛容の心を持ちながら、折り合いをつけ
うまくやる。
うまくやれば、きっと、うまくいく。
ただ、それは無期限ではなく、期限を決めて折り合いをつける。
そうすれば、窮屈な思いもせず、
自分らしく生きていけるはず。
時代が動いている現在、また自分の世代の役割からしても、
若き世代に光が当たるように、折り合いをつけていく
ことも、自分が遺すべき仕事と思えてくる。
そして、時には言いづらいことも言う。
あとで、「ああ、そういう意味だったのか」と
理解されることもあるだろう。
切り替える力。
それには自身のチャネルを多く持つことが必要だ。
切り替えと折り合い。
言い換えれば、対応力といえるだろう。
これから、価値観が違う世代が主役になる時代。
その人たちを応援する仕事のやり方も
これから意識していかねば。
と、若い人達を見て、自分の若い時のことを
思い出したりする。
いずれにせよ、自分らしく、オンリーワンな
生き方をまっとうするための、プロセスで
しかない。
最終ゴールは自分らしい人生を終えるため、
時に切り替え、ときに折り合い。
である。
名前なんかどっちでも。
約1年半ぶりに会った西国の妹。もともと岡山出身であるが、
最初に出会ったのは京都。ふるさとから出て社会に出たばか
りの若き頃。
最初の出会いは20年ほど前だというから、思えば長いつき
あい。
彼女の仕事に合わせ、北は札幌へと足を運び、彼女も私の
コンサートに合わせ、岐阜へ、山口へと、相互駆け付け隊。
そして、気が付けば東京でも再会し、二人の出会いの町、
京都では何度も会った。
時々会うことで、お互いの変化、成長も確認しながら、
安心もした。
探求心旺盛でいつもきらきらしていて、どこかスピリチュ
アルな一面を持ち、他のビジネス界であう人とは違う力を
もっていると感じていた。
人の心と体と魂を健やかにする仕事。
日本国内、そして海外も含め、一通り修行の旅を終え、
実家に戻って7~8年。ちょうど、自分が東京を離れた頃と
重なる。
親御さんの旅立ちが、今の生き方につながっているという
点は自分とも共通している。
ずっと一人で自由奔放に生きていくように見えていた彼女。
久しぶりに会ったら、ふるさとの地で、新たな道を選び
歩み始めたようだ。
「名前なんか、どっちでもよくなって。
名前が変わったらどうなるんかなとちょっとそれも試して
みたいと思って」
ということらしい。
確かに、田舎の地元で暮らすと、名前のしがらみは確か
にある。
違う名前になっていれば、昔と違う、地元と関係ない
知らない人になることができる。
そう、名前はときに足かせ、ときに隠れ蓑になるのだ。
一度、違う名前を名乗ってみるものいいかなと思って。
そんな軽いタッチで、しなやかにふわっと、人生を
選択していく。
その生き方自体が、彼女らしい。
彼女の起業時に少しだけ関わらせていただき、その
スタートを見守りながら、1年経った。
しっかり地に足をつけながら、彼女らしく生きている
さま、そして、都会でふんばっていた時代があっての
現在であると、その横顔を見ながら、人の縁の不思議
を思う。
名前など、どっちでも。
それもひとつである。
選べればいい。選べばいい。
波動の話、東西医学の話、自然を愛でる姿勢。
彼女の価値観を支えている
世界の一部に触れ、改めて共感するところもあり、
さらなる成長、発展を応援したいと思った。
自然と生きる、自然に生きる。
そして美しく。
目を閉じれば、
いつもかわいらしい笑顔が浮かぶ。
出航の祝福
何度か書いたが、布施明の60周年コンサートのテーマ、VOYAGE。
出航。イメージは船出である。
さあ、世界に向かって出発するぞ!
自然に、フランシスコザビエルたちが、ポルトガルの港から出発する
時のイメージが浮かぶ。
今は船ではなく、航空機での出航。
乗れば半日もしないうちに、北半球であれば、目的地に到着する。
海外渡航も容易となった。
しかし、それが片道切符となれば、別である。
来月そのポルトガルに向け、片道切符で旅立つ仲間と会う。
おそらく その後、いつ会えるかわからなくなるかもしれない。
人は、いつでも会えると思うと、会わないまま時間を過ごすが
もう会えないかもしれないと思うと、今すぐに!会っておかねば
と思えてくる。
彼が20代の頃から知っている。
あれから約30年。経営者として国内での仕事を納め、次は
第二の人生。未知の世界に自ら向かう。
とても共感し、またうらやましくもある選択。
人生のなかでやりたいことはいろいろあれど、
タイミングもあれば、環境もあれば、諸事情があって
実現が叶う。
それらをクリアし、まもなく旅立つ彼を、心から祝福し、
マイノリティになる生き方を自ら求めた勇気に敬意を表し、
その船の出航の無事を祈りたい。
さあ、私の船は、どこへいつ出航する?
諦めず、最後まで夢を描き続けようと、改めて思う。
火祭りは永遠のレクイエム。
4月第二土曜は、地元の手力神社で行われる火祭り。すでに300年以上の歴史があり、岐阜県の無形民俗文化財にも認定されている、伝統行事。
子どものころから、この祭りには親しんできた。
京都や東京でのきらびやか、粋な感じとは全く違う。鼓膜が破れそうな爆竹の音、
ガンガン馴らされる銅鑼の音のなか、飾り神輿が担がれ、宮入り。
火祭りということで、花火を多用することが特徴である。花火詰めも地域の担当者が
担う。何か月も準備に時間をかけ、この祭りを仕込む。
それを楽しみに県内外から多くの観客が押し寄せる。
半端なく大きな銅鑼の音、爆竹の音で、みこしが近づいてきたことを知る。
ちょっと中国的なダイナミックな祭り。長崎の精霊流しより、派手である。
神輿を担ぐ人が減ったとか、不景気で寄付が集まらないとか、
花火など原材料費の高騰などいろいろあるけれども、
その祭りに命をかけて取り組む地域の皆さんがいる。
父もこの祭りになると、大きく見えた。実際、酒も入って気が大きくなって、
その日ばかりは偉そうになり、翌日母に怒られていた。
それも含め、祭りはハレの日。
コロナ禍ではこの祭りも中止。
親には最後にこの祭りを見せてあげることができなかった。
この様子を見たら、もっと寿命が延びたかもしれない。
同級生たちや先輩たちが、がんばってこういった行事を支え、地域を守っている。
もしも、自分が男に生まれていたら、こういうこともしていたのだろうか?
地元に残ってがんばっている男性たちに感謝とエールを送る。
銅鑼の音に爆竹がはじけ、すごい煙とニオイ・・・。
ふと、父がはりきっていた頃を想い出したら、たまらない気持になり、
祭りを最後まで見ることなく、この喧噪と賑わいと後にした。
祭りに酔う男衆の姿を見て、ハレの日の解放感を感じる。
「まつり、好きやねん」
この祭りの役員をされている70代後半の方に、昨年聞いた言葉。
好きだから、やめられん。
どうか、この祭りは後世にも受け継がれるように。
爆竹と銅鑼の音、花火のなかに、父が生きて証しをここでも
思い出し続ける、涙とともに。
「怒り」から感謝へ。
先日書いた、芥川賞を受賞された作家さんの表彰式後の
ミニスピーチの映像を見て、大変印象的な言葉があった。
細かな正確な表現はともかくとして、記憶に残ったのは
このような内容。
さまざまな身体の支障がありながらも、執筆を続け、
作品ができた時に出版社に持ち込んだとき、相手にされ
なかった。そういう時代が続いた。
そのときに、相手にされないということについて怒りの
感情を覚えた。
でも、その怒りがあったから、書き続けた。
そして、この度の受賞となった。今はそれがあったから
・・の今日だからその方たちにも感謝したい。
この言葉を聞いて、深く共感した。
私はこんな立派な賞を受賞していないし、これからもする
ことはないと思うが、「怒りが力になる」という部分につ
いて、心から共感するのだ。
世界を揺るがす、著名な事業家もそのような言葉を遺して
いたことも思い出す。
怒りというのは、パワーの発電源になることがある。
怒りのぶつけ方を間違うと、他者を傷つけてしまったり、
平和が崩壊することもあるので、絶対に間違えてはいけ
ないが、
その怒りが自らの挑戦につながり、その結果、よい結果
が出るならば良いことだ。もちろんその過程はとてつも
なく苦しい。
なにくそ!負けるもんんか。見返してやる!
ぐらいの気持ちだろう。
若い時から、何かあると「なにくそ精神」でがんばろうと
思って生きてきた。
差別的なことや、理不尽なことに出会うと、そんな気持ち
が湧いてきた。
私の怒りは、障がいをもった作家さんの経験に比べれば
大したものではない、
今のところ身体が自由に動く自分には、できることが
いろいろある。
いろいろあるから、力が分散することもあるが、それは
それとして、怒りを力に変える生き方は共感できる。
困難を乗り越え、自分がしたいこと、すべきことを
いのちかけてやっている人には心から感謝したい。
怒りは「奴の心」と書く。
それを自分の方に引き寄せる。
すると、パワーが湧くということだろうかと勝手に
解釈する。
その結果、その相手にも感謝できるように。
それが成長といえるかもしれない。
自分も見習いたい。
どこまで、いつまでオーバー?
おもてなしの町、京都。
コロナ後、この1~2年、コロナ前以上にインバウンド客が
続々入洛。
京都駅では、修学旅行の生徒・学生の団体ではなく、
大きなスーツケースを押しながら連なる海外からの観光客の
群れ。
新幹線を降り立つときも、乗るときも、次回の移動は早朝と
夜遅くが良いと毎回心に決める。
新幹線の中も、混雑、混雑・・・。自由席は通路まで人が
はみ出ていてゆっくり食事なんかできない。
観光バスが何台も、ホテルの駐車場でお泊り。
インバウンド団体客の多いホテルロビーはいつも騒然。
街中の道は、撮影したい海外の人であふれ、桜スポットは
とくに。
錦市場の買い物も、ままならぬ。早く歩いてよ。と思わず
思う。足も遠のく、あの店のおかみさんお元気かなと気に
なるが・・・。
お店の方も複雑な心境では?
京都も変わったもんだ、と。
「先週の週末は、めっちゃ多かったですね。もう来てほし
くないですね」
「前の京都が良かった。バスも乗れんといってはりますね」
と、京都に住む仲間との会話。
本当にオーバーツーリズムの京都。
世界の観光都市のなかでも異常なKYOTO。
確かに税収や、観光産業は潤うかもしれないが、
住民にとっては課題がありすぎる。
京都に住みたいという夢はだんだん遠ざかり、
ま、行けばいいか。という気持ちになっていく。
昔住んでいた頃の京都。
コロナのときの京都。
季節外れの京都。
懐かしい風景はそんなときの京都だ。
世界経済が混乱することで、観光にも
影響は出てくるかもしれないが、
誰にとっても心地よい状態をつくり
維持できないだろうか。
まちづくりは内外とのバランス、均衡も
大切だ。
京都にはそれだけ魅力があるのだから、
という現実であるが、
パリとも違う、NYとも違う、雑然な
感じを受け取りながら、
棲みやすい町から離れていくことは
残念ではある。
それでも、世界一、大好きな町なのだけれど。

