広報するのがむつかしい業界だからこそ・・

農家、酒屋、繊維、アート、建築、土木、IT、仕業、製菓、酒屋、食品加工、
健康診断、出版、キッチンウェア、外食、気象予報、除雪車、義歯、人工乳房、
教育、園芸用品、建具、印刷・・・。これまでいくつの仕事に出会ってきただろう。
数えきれない。思いだしても思いだしても、まだ出てくる。
自らの仕事をしっかり伝え、知ってもらうことの大切さをずっと伝えてきた。
概ね、どの業界にもその必要性は理解され、出会った多くの企業、人々が自らの商品や
サービスの情報発信に努め、成果を出されている。

ある勉強会でのこと。
参加されたみなさんに、自社の商品やサービスについての整理をしていただく。
何が一番伝えたいことか、今、伝えたいもっともホットな話題は?
短い実習時間。すぐ紙に向かって書き出す、書きながら考える人・・・・。
そんななかに、ペンも動かさず、ずっと考え続けている人がいる。
何か詰まっておられる様子。
ちょっと気になり、その人の席に近づき、「いいネタみつかりましたか?」を声をかけると、
「広報が、むつかしい業界なんです。うちは・・・」
その人が少し書かれたシートを見ると、「安置所の・・・」と書いてある。あ、葬祭業の方。
この業界の方は、確かに初めてだ。
「なるほど、今日の新聞に他社が珍しい斎場を創ったと記事になったとありましたよね」と
こちらも記憶をたどる。
そう、この業界の広報はむつかしい。が、今の時代は、それも必要なこと。
その方はまだ40歳代前後に見受けられる。若い方がこの業界でがんばっておられるのだと、
こみあげるものがある。
「もっと伝えていかないといけないんですよね、」
「えらいですね。大切な仕事をされているんですね。頭が下がります」
「いえ、家業じゃなかったら、継いでないですよ。」
と。後継ぎとしての気持ちも少し知り、さらに尊敬の念をもつ。

葬祭業。さまざまな需要が高まる時代となった。
あちらこちらでよおくできた宣伝も気になる一方、
こうして地道に自らの事業を地域に知ってもらおうとする青年の姿。、

勉強会後、彼と名刺交換。
今どきの似顔絵入りの親しみのわく名刺。
地域密着には実にさまざまなお仕事がある。ここで、こうして人々の人生の最後をお手伝いされる、その仕事を担う若者。
この出会いに、また新たな使命を感じた。

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黒子力をもっともっと!

13日からスタートした「MOSごと美術館」について、ご案内メールを一斉にお送りしたところ、ご丁寧に一人ひとりから、ありがたい言葉をいただく。「素敵な企画ですね」「愛ですね」「ランチに早速行ってみます」「早々にハンバーガー片手にアート楽しんできます」独り言、つぶやきではなく、私に向かって言葉を発していただいていることに、純粋な喜びを感じる。また今回のコラボ相手であるコトコトさんのFBにもさっそく、シェアしていただいている方も続々・・。
いつでも、わかる人にわかってもらうことがうれしい。今回のこの企画は、初日からNHKや民放のニュースで報じられた。

企画とは黒子の仕事である。目に見えない。でも、企画がなければ何も始まらない。誰かが発案し、動かねば実現しない。
だから、私は黒子の仕事が気に入っているし、やりがいを感じる。
どんなステージでも、ドラマでも、黒子がいるから、役者が映える、

これからも「素敵」な企画をこつこつと。次なる素敵な化学反応を目指していこう。

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健康第一主義

ああ、何たること。アメリカ大統領選もあと2か月・・。この大詰めのなか、クリントンの体調不良・・の報道。普通のビジネスマンは60~65歳でリタイアなのに、68歳でこの大仕事に挑む。
頭脳明晰であることはもちろん必須であるが、どんな人間も健康でなければ、その才能を発揮できない。そういえば、マリオさんも何年か前に、健康を理由に退陣・・というのも記憶に新しい(それが今や復帰・・)
誰でもちょっとした病気をする。だからその程度であれば、と思うが、この大きな闘いのさなか、ちょっとでもマイナスに響く情報は命取りにもなる。
実際のところ、彼女の容態がどうなのかはわからないが、これによりもしかしたら・・の選択の可能性。今や、ヒラリーさんの健康状態は世界が注目するところだ。
それと同じように、私は今、小池知事の奔走ぶりを頼もしく思う反面、健康を心配する。
長くがんばっていただきたいから、倒れないように、どうか健康管理だけはお願いしたいところ。
こんな小さな自分だって、健康でなければ仕事はできない。
何はなくとも、健康第一で。健康であれば笑顔も生まれる。健康であればいい知恵もわく。
とにかく、ヒラリーが病気に負けず、最後まで戦い抜けることを願っている。

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明日9月13日よりこんな芸術の秋が始まります。

明日9月13日から11月14日まで、新潟県内のモスバーガー全店の店内で、障がい者アート展「モスごと美術館」が開催されます。
新潟市で障がい者の描いた作品を町中に展示する活動を行っている「町ごと美術館コトコト」さんの
思いに共感、賛同し、モスバーガーへの提案、実施となりました。
新潟発全国、世界へ。
今、パラリンピックをやっているからというタイミングでの発案ではなかったのですが、いろんな世界でいろんな才能を出し切ってがんばっている人たちに出会い、自分がもっとできることを考えるにも良い機会と考えます。
ぜひ新潟県内の皆さま、県内のモスバーガーへお出かけください。
本事業のパートナー コトコトさんのサイトはこちらです。
町ごと美術館 コトコトサイト
コトコトさん、モスフードサービス本部の皆さま、モス新潟支部の各オーナーさまに心から感謝です。
芸術の秋がはじまりました。スポーツは勝負を競うもの、アートは心の満足を味わうもの・・と
思います。ひとりひとり違っていい。すばらしい才能に敬意を表します。

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15年経って、進歩?後退?

9月11日を迎え、過ごした。あの、NYの同時多発事件から15年。
もうそんなに経ったのか?という感覚。
どんな衝撃的、悲惨な事故・事件であっても、第三者にとってみれば、時間の経過とともに
その時抱いた感情も記憶も、風化していく。
しかし、その影響を受けた人にとっては、忘れることはないだろう。
とくに巻き込まれて亡くなってしまった方たちの遺族にとっては・・・。
毎年その日にグランドゼロへ行かれる人もおられるようだが、その気持ちはよくわかる。
私自身は、ニアミスで助かったおかげで、
この15年の間に、日々生きていることへの感謝、奇跡をより強く思うようになった。

さて、この15年で世の中は良くなったのか?
私の意見は、NOである。
21世紀の宗教戦争は911を機に拡大、いつの間にかさらに過激になり、
全世界に恐怖をもたらすことになり、テロという言葉は一般に使われるようになった。
決して進化していない。
後退であり、退廃である。
グラン・ルー開設を思いついた大観覧車が回る、憧れのパリの街も、
今や足を運びたくない恐怖の町になってしまった。
他のEU各国も同様だ。欧米社会だけでなく、アジアでも恐怖の種は育っている。

何かの事件を教訓に、世の中をよくしたい。と考えるのがふつうであると思いたいが
それ出来事の解釈自体が異なれば、そうならない。
世の中は、そういった意味で進化していない。
そんなことを思いながら ニアミスの同志に年に一度のメールを送る。

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思いは、動けば叶う。

障がい者の社会参加。いつも思っているが、みんなそれぞれ違う個性・特徴を
持っているという視点のもとに、互いを認め合い、自然に助け合って生きて
いけたらいい。
最近は信じがたい差別的犯罪が発生して、本当に悲しく、怒りがこみあげてくる。

そんな昨今の状況とまったく逆の、ちょっといい話が身の回りで動き始めている。
昨年、知り合いが始めた新しいソーシャルビジネス。
障がい者の描いた絵画を町の中、人が集まる場所に展示し、
多くの人たちに見てほしい。そして彼らのすばらしい
才能を知ってほしい。もっと社会に彼らの作品を溶け込ませたい。
それは単に飾るだけではなく、飾った分、描いた障がい者アーチストにお金が入るように
したい・・本当の意味の社会参加だ。そんな仕組みの活動をはじめると聞いた。
心から賛同し、早速、昨年秋の新潟市のディナーショーでその作品を試しにいくつか
展示した。そしてお客様に大変喜んでいただけた。

その結果をもとに、さらにこの活動を町中に広げるお手伝いができないかなと・・
と思っていた。
そして、年代を越え、親子や家族が訪れるハンバーガーチェーンの店舗で
これらの絵を展示でき、それをきっかけにお店もが活気づいたら・・・と思い立った。
このダメもとの提案は、なぜかすんなりと受け入れられ、なんと実現の方向に向かう。

半年以上、ずっと思い続けていた小さな夢が、来週から本格的に稼働する。
その名は「モスごと美術館」。
障がい者の作品が新潟県内のモスバーガー全店舗で2か月にわたり展示されるという試みだ。
いろんな関係者の、思いやりあふれる優しさに支えられ、実現する日本初もしかしたら世界初の
取り組み。
お店の絵を見て会話が弾み、障がい者の方がお店に行って自分が書いた絵を見てくれる・・・
それによりお店のスタッフの意識や行動も変わる・・。
ポケモンで集客数を稼ぐ方法もあるが、これからのお店はどんなに大きなチェーンであっても
一店舗一店舗が、いかに地域に寄り添えるか、が大切な課題だ。

たまたま最初に切り出したのは、会食の席であったが、切り出してよかった。
自分が温めていた思いがカタチになるのは、本当にうれしいこと~。

実は私はこの活動を新潟をきっかけに、もっと広げたいと思い始めている。
思ったら動く、そうすれば夢は必ず叶う。

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一緒にやればいいのに・・と思う。

パラリンピックがはじまった。
その時期に合わせてか、障がい者をテーマとした話題が多い。
メディアが挙って取り上げようとしている。
その時期に関係なく、
障がい者と一体となり、普通に生きている人からすれば
どんな感じだろうか。
今だけじゃなく、ずっと意識する。
今だけ取り上げることで特別視するのではなく、
ずっと見守る、ずっと助け合う、ずっと尊敬しあうことが
大切なことだ。

確かにハンディを持ちながら、自らの限界に挑戦している
人々の姿は、健康な体をもつアスリートの努力以上に
感動する。よくできるな、凄い!と思い、何もできない
自分が思わず恥ずかしくなったりもする。
でも、自分もいつそんな傷害をもつかもしれないので
他人事ではなく、
自分はどんな事態になってもがんばれるか!と
自らを問うのに、パラリンピック観戦はいい勉強の機会だ。
傷害あっても、なくても人間は同じなんだと
つくづく思えてくる・・。

パラリンピック・・。これ、オリンピックとして
一緒にやればいいのではないだろうか。
と、実は、ずっと思っている。
同じ会場でやる、同じ競技もあるならば、
同じ括りのなかで、やれば一般の人に障がい者の
皆さんが奮闘する姿も見てもらう機会になるし
勇気をもらえるのではないだろうか?
みんなあわせて、オリンピックでいいのでは?

なぜ、開会式を何度もやるのかな。
なぜ、そもそも分けるのかな?
そこからして、差別的ではないのかな?
と思いながら、
パラリンピックをオリンピックと違う次元で
特別なこととして見ている、関係者の見識が気になる。

さらに、ロシアの選手はパラリンピックに
参加できず、自国で自国の選手だけの大会に
参加している。
どこかやりきれない。真面目に取り組む選手には
罪はない・・。
これも考えさせられる光景だ。

言葉ではない、見せかけではない、
普通の共生が実現できる社会を目指したい。

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地球も、時代も廻る、回る。

中島みゆきがヤマハのポプコンで衝撃デビュー。「時代」という曲は
当時小学6年か中学1年だった私には、まずはそのメロディと歌詞の
わかりやすさが印象的で、気張らず、堂々とギターを抱えて歌う
あの姿にあこがれた。いつか、そのうち私もポプコンに出るぞ!と
思いながら、同じヤマハの音楽教室に通っていた。
そんな「時代」が今、とても懐かしい。
あれから約40年。その後、一世を風靡した「つま恋」も、遂に
営業を終了すると聞き、ひとつの「時代」の終焉を思ったり・・。

子供のころは、歌詞の意味もわからず歌っていたが、年を重ねる
ほどに、中島みゆきだって若かったのに、そんな年齢で
達観したような大人の歌詞がよくかけたものだ~、凄い才能だと
今になって、改めて感心する。

そう、最近、やけに「時代はめぐる、時代は回る」ということを
感じることが多いのだ。
自分の存在は、ある小さな時代の中の、ほんの小さな小さな存在でしかなく
その時代でじたばた生きる。
歓喜し、苦悩しようが、時間が経てば時代は移る。
そしていつか「そんなことがあったね~、あったらしい」
と後になって思い出したり、思い出されたりするだけのこと。

時代。
最近は、あの時代はよかったね。あの時代はどうだったのかな?
あの時代があったから、今がある・・。
なんて、もっぱら回顧主義的になることも多いが、
今の時代も日々移ろい、そして変化していく。

未来に生きる人から見たら
「ああいう時代もあったそうだ~」
とロボットに話しかけている・・
なんてことになるのだろう。

苦しいことがあったら、「時代」を口ずさむことにする。
言いも悪いも、
地球とともに、時代も廻っているんだから・・。

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ふるさとライブ、受付開始!

2017_IMAOLIVE_A4
ふるさとへの感謝を込めて。この秋も開催いたします。
他会場での企画は、決定し次第、準備ご案内いたします。

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究極のお手本は、やはり・・・。

かのマザーテレサが、このたびバチカンで聖人として、認定されたとのこと。
聖人とは、キリスト教の歴史のなかでも、限られた人だけに与えられる最高の称号であり、
世のため人のために尽くしただけでなく、奇跡を起こしたかどうかもその条件に
含まれるらしい。不治の病を治した経験もあり、そのおかげで今も元気に生きている
人が生き証人としてこのたび、バチカンを訪問していたのも印象的だ。
かのフランシスコ・ザビエルもこの聖人に列し、また長崎の西坂で火あぶりにて殉教した
26人の信徒たちも後年、聖人として認められた。
人のために自らの人生を捧げた人、純粋に信仰の道を生き抜いた人への尊敬の印なのであろう。

奇跡についてはよくわからないが、その前に、マザーテレサの遺した言葉にはその行動にそのまま
直結している、深く心揺さぶられるものが多い。

今、目の前に、1枚の栞がある。

たいせつなことは、
どれだけ
たくさんのことを
したかではなく、
どれだけ
心をこめたかです。

・・・・・・・・・
まさしく そのとおり。
たくさんのこと、たくさんのお金という「数量」に
人の関心は向きがちであるが、
内容が大切なのだ。質と換言してもいいだろう。

ひとつひとつ、丁寧に心をこめて。

マザーテレサの言葉は本当に骨身に染みる・・。
素直に従える人、その存在こそが、私にとっての聖人なのかも
しれない。

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