複合かつ効率的な大人時間。

リタイアした方とお会いする時間は、夜でなく、午後からというケースも
多くなってきた。
お茶を飲みながらお話しする、お酒を飲みながら会食する。
話をしっかりしたい場合は、これがいい。
しかし、ある程度、親しくなり、お互いの近況もわかっていれば
改まった話にかける時間も必要なく、一緒に楽しむ時間が持てたらよい
という発想にもなる。

ある紳士2名と同じ週にそれぞれ個別に会う約束をしていた。
ところが、その紳士同志は知り合いで、それぞれが私と会うことに
なっていたことを知ると、
「そんな同じ週に二度もお金や時間使って別々に会わなくても、一緒に
会えばマーサもいいんじゃない?」
との提案から、なぜか三人一緒に会うということに。
なるほど、一緒に会えば効率的ということか。
「どこかで軽く食事してから、久しぶりにカラオケでもいかが?」
と、次は内容の提案。
「そうですね。カラオケ歌いたいならば、そこで食事しながらという
のも良いかも。最近、そういう店も増えていますし。」
効率を求めるならば、こっちもそういった提案をする。
「なるほど!ではそうしましょう。」
いつの間にか効率的な再会を提案された方が幹事となり、
その方は熱心に調べ、食事が良さそうなカラオケ店を
予約された。
なんと、コース料理?しかも、主食は麺かごはんかを前日までに
決めないといけない?さらにネットクーポンをつかえば
その店の名物サプライズギフトもあるという。

三人はその店の近くで集合し、早速そこに向かう。
改めて、こういったカラオケ店に新鮮感を抱く。
通された部屋はアジアンテイストだ。
無機質なカラオケルームとは違う。
なんでも、そこでは会議などもできるそうで、
さまざまな需要があると知り、納得。

出てきた食事は豪華かつ、味も悪くない。
これまでのカラオケ店のできあいの食事とは
まったく違うのだ。

従来のカラオケ店は営業不振で大変と聞く。
サービスの複合化を積極的に進める当店は
人気があるようだ。

ということで、バリバリビジネスマンOBとの
再会は、やっぱり効率的かつ複合的とどこか
ビジネス的にもヒントになる部分があり、
しかも
その幹事は、この機会をフルにエンジョイされ
ていたように見えた。この場に来る前に
どこかで練習してきたのではないか?と
思えるほどの歌いっぷり。
しっかり元をとられたことだろう。

接待や懇親のスタイルが変わってきている。
何が売りであるか。そこが明確でないと
また時代の変化を先取りした独自性を
打ち出していかないと、駆逐されてしまう
可能性もある。

効率と複合。ボイストレーニングしながら
勉強させていただいた。

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「愛の元気人」9月分、本日オンエアです。

hidanouonuma
ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」9月分は、本日24日18時~19時オンエアです。
今回のゲストは、新潟県のモスバーガー全店舗で展開中の「モスごと美術館」にて障がい者アート作品を出展中の「まちごと美術館COTOCOTO」の代表の肥田野正明さん、そして珍しいそばパスタをこのたび商品化された、魚沼冷蔵の金子芳博さんと小島綾子さんです。(トークは小島さん)
ぬくもりあふれるトークをお楽しみください。
FM KENTO

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背筋を伸ばしてくれる、紅いバラ。

また今年もお届けいただいた、バラのアレンジメント。
昨年はライブ会場へ、今年は自宅へ。
もう何年いただいているのだろうか。
毎年のグラン・ルー開設のアニバーサリーにと・・。
今年はバラの花は18本。それに紫のカスミソウや大きなユリも織り交ぜられ、
私には豪華すぎるお花たち。

人生に節目はいろいろあれど、
創業記念日もひとつの節目。

「・・・・誕生日と同じ、無事に過ぎた一年を寿ぎ、思いを振り返り、これ
からの一年のあるべき姿を思うのが記念日ですね。」

そのとおりだ。
実際、おかげさまで18周年と発した、意識した傍から、これからの自分を模索し、
動き始めようとしている自分がいる。

だらだら、ただ毎日を続けるのではなく、節目をもって生きることは大切なこと。
こうやって毎年バラの花をいただき、しかも毎年1本増えて・・。
ケーキに飾る蝋燭以上に、心に残る応援のアニバーサリーギフトだ。

大きく開いたバラたちを愛でながら、自らの進む道を思う。
応援してもらっているんだよ。
知らないうちに、わが背筋がすっと伸びる。

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何度やっても、まだまだ、もっともっと。

10年以上続いている講座がある。毎回使用する資料を更新する。その時々に合う旬な話題を盛り込んだり、こうした方がもっと聴きやすいかなと思いながら・・。
毎回の受講生の反応や感想を見ながら、その次に活かすようにする。
毎回受講生が変わり、またその受講生同志も初めての出会いであり、
その交流や化学反応を見ながら、もっとプログラムをこうした方がいいと思うところを
少しづつ変えていく。
もちろん根底にある伝えたいことは変わらないが、世の中の変化に合わせ、
細部を毎回変えていく。もう手元に10年前の資料はないが、かなり違う形になってきているはずだ。
どんなに考え、用意しても、万全ではない。
そのときの相手により、反応が違うからだ。いい時もあれ?と思うときもある。
だから、随時、表現も見直す。
今回は定員を超える応募があったため、多めの人数で引き受けた。
そのため、ちょっと時間的に収めようとする分、自分も言い足りない部分があった感じがする。
そして、時間オーバーになってしまい、
別れ際にきちんとそれぞれの受講者とあいさつができていなかったのも気になる。
最初のお出迎えと、帰り際のご挨拶。表情の確認が大切なのだ。

即刻、次回に向けてのフォローメールを用意する。
言い足りなかったことを、少しだけ補足しておく。まずは迅速なるフォロー活動だ。

参加型の勉強会はいつもいろんなことが起きて、どきどきハラハラするが、
どっちも真剣勝負だからシナリオどおりにいかないこともある。だからこその感動ももちろん多い。

何度やっても完璧はない。まだまだ、まだまだ。
そして、もっともっとと思う。先生という仕事は、実は自分が一番勉強させていただいている
とやればやるほど、思えてくる。
お役に立てるように、来てよかったと思われるように。
この追求と改善、工夫は永遠に・・。

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生活に張り合いを!いつまでも。

1年の後半はライブツアーのシーズン。と何年もそのように過ごしてきた。
が、今年は手をいたわり、どうするか・・かなり悩む。
今回は、少しスローテンポ、少し抑え気味に・・。
でも、どうしても岐阜だけはやらねばならない。
親の仕事をつくるため・・でもある。
もう何年も続いてきた岐阜でのライブ。
ささやかなミニイベントではあるが、母のそれに向けてのがんばりと、それを
なんやかんや言いながら見守る父の姿は一年のなかで、一番輝いているように
見える。
何人集める、あの人に声かけたか?この人は?この人のアッシー君はどうなる?
などなど、おそらくチラシができてから、1か月ほどは、このライブの集客が
毎日の生活のメインイベントのはずだ。

ある友人が手の不調と、親の老いについて話す私にこんな助言をくれる。
「昌子さん、とにかく岐阜では年に2回でも4回でも何回でもいいから、お父さんお母さんの
仕事を作るためにも、ふるさとライブやり続けてね。
けんかしても、なんでもいいから、親の元気の秘訣はそれだからね」
彼はわざわざ東京から岐阜までライブに来てくれたことがあり、あの田舎のライブの雰囲気と
親の張り切りの様子も知っている。
その言葉におされ、今年も開催。

母と父には、ライブはうれしい仕事。
「みんな、楽しみにしているよ。って言っとるよ」
毎日このようなメールが。

ありがたいこと。親が動けるうちは、これはやり続けなければならない。
彼らの日々の張り合いのため、生きがいのため。

私の子供の頃の、親たちの夢を、形は変わったけれども、
かなえ続けることが私のミッションだ。

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みんな最高。メダルの数じゃない。

パラリンピックが終わった。以前よりも露出されるようになった気がする。
これが自然ならばいいが、どうだろう。
毎回、地震速報かと思い、びくっとしてしまうようなメダル速報・・・は、正直そこまでは
どうか。過剰な露出戦略は、東京オリンピックを意識しているのかなとも思う。
露出しようがしまいが、目立とうが目立たなかろうが、がんばっている人はみんな
偉いと思う。

だから、金メダルが今回なかったことに対しても、決して悲観してほしくない。
今やオリンピックはお金と政治の力が大きい。
お金をかけた国は、それなりの結果が出る。またそうでなくても、
私からすれば、メダル関係なしに、自分の可能性に挑戦しているアスリートの
皆さんは、生きる意味を教えてくれる、すばらしい、尊敬に値する人たちだ。

スポーツの評価は相対的にしか図れないのかもしれないが、
そのことに向かって、努力しているその姿こそ、見る人に感動を与え。
また共生の意味を教えてくれるのだ。
絶対的な感動を与えていることに、どうか自信と誇りをもち、
これからも元気にがんばっていただきたい。

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長寿を考える

敬老の日だったからとは関係なく、、最近、気になっていた「長寿の壺」。
何のことかというと、この夏、有田でみつけた高級骨壺の商品名だ。
はじめて訪ねた有田焼の町には、有名な窯元もふくめ、数々の店が
軒を連ねる。ああ、全国の売り場で見かける有田焼はここで生まれているのか
という感動が沸く。
有田焼は、食器だけではなくランプの傘だったり、インテリア、エクステリアにも
広く応用されており、樹脂やガラスではなく。この有田焼で生活する!という
のもなかなかしゃれたものだと感心・・。

ある店に入ったら、長寿の壺の商品見本とパンフレットをみつける。
何十万円もする、骨壺を生前に用意しておきましょう。というサービスだ。
生前葬とかやっている人もおられるが、この骨壺を事前に好きな有田焼の、しかも
オーダーメイトの壺・・を用意しておきたいというニーズはおそらくあるのだろう。
「なぜ、長寿の壺なんだろうね?」相方と会話する。
「亡くなってもこの壺の中で生きたいという意味かな」
「こういう準備をしておく人に限って、長生きできますよ。ということかも」
実感のないままの会話だ。
いずれにしても、高齢化社会、いろんなニッチビジネスがあるものだ。

壺・・。台湾人のアーチストであったANNEがデザインしたキレイな壺を
保管してある。彼女は2年前にもう亡くなったが、生前前、その壺ができたと
見せてくれた時、「きれいな壺やね。私、死んだらここにお骨入れようかな」
といったら、彼女は笑って「そんなことまで考えてくれて、ありがとう」
と言っていたことを思い出した。

死んだらわからない。生きている間の約束でもあり、もしかしたら、たわごとかも
しれないが、いずれも今生きている・・・ことを一番大切に。
それしか、ない。あるのはそれだけだ。

敬老の日・・・。老人がどんどん増えて、それでも長生きを求めて・・・地球は
どうなるのかな。と思いながら、それでも両親の健康長寿は願っている、という
自己矛盾に満ちた・・1日であった。

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わからないからこそ、化学反応を楽しむ。

最近、あるコンサルタントの方から、ひとつの講座を一緒にやろうという
提案をいただいた。
主催者がいて、あるテーマのもとに一部がAさん、二部がBさんが講師
という企画はよくあるが、それではなく一緒にひとつの講座を作り上げる
というものだ。

ある組織に長年それぞれかかわっているけれど、お互いを知らない、ろくに
会話もしたことがない関係である二人が、いきなり同じ時間を共有して
これまでにない講座をやってみようという試みだ。
その人がどんな講座をどんな風にされるのか実際に見たことがないし、
相手も私の講座は見たことがない。
お互いの活動をチラシやメルマガで断片的にする程度だ。
名前を知っている時間だけは、やけに長い・・という不思議な関係。
知らないもの同志であるが、何か感性的に共通点がありそうだ。うまく
いきそうだ。というまさに直観からのオファー。

事務局はいるが、事務局もどうなる??と未知の世界。

それぞれができることを生かして、それぞれの持ち味を生かして。
目指すは受講者のコミュニケーション力アップ。ということのみ。

いやはや、どうなるかわからないけれど
漫才のようになってしまうのかわからないけれど

これまでにない何かが生まれそうだとそれにのってみることに
する。

化学反応は結果がわかっていたら、面白くない。
どうなるのか?湯気が出るのか、爆発するのか、色が匂いが変わるのか?
楽しみながら、やってみよう。

これまでにないこと、たまには刺激的!
知らないこと、やったことのないことを仕掛けることこそ、
まさしく
コミュニケ―ション・クリエイターの醍醐味だ。

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何を接点とするか。

人と人のつながり。
何十億という人間がこの地球にいる中で、出会い、
また、つきあい続けることができる人はほんのわずか。

しかも長くつきあえるには、それなりのわけがある。
結婚というのは、「結婚したから」長く住むということが前提なのであろうが
そういった法の下での契約ではなく、自由意志でつきあう場合には、やはり
引き合う何かがないと、続くことは難しい。
(もちろん結婚しても、一生、添い遂げるのはそれなりの磁力が必要であり、その根底には
愛が必要だと思う)

さて、パートナー以外での人と人のつながり。同じ会社だから、
仕事でお世話になっているからという理由がなく、
気持ちだけでつながれるには、何か共通点がある方がうまくいく。
最近思うのは、言葉だけでのおつきあいは、いずれ途切れる。
また一方的に接近したり、離れたりしていく関係も途切れる。
常に両者が同じ感覚、距離感でいることが必要なようだ。

最近、久しぶりに会う仲間がいた。彼女は法律にかかわる仕事をしており、
私とはまた違う世界で
がんばっている。その彼女とは年に一度ほどの逢瀬になるが、いつでも150%の本音で会話
できるのが楽しくて仕方ない。
女のなかの男的な一面、そうありたいと思っているところも共感できるが、その彼女が面白いことを言う。

「嫌いなものが一緒というのが、うれしいですね。」
笑える。確かに好きなものが一緒、好きなコトが一緒。という仲良しは多くいるだろう。
しかし、好きなこと、モノはそれぞれ違うが、これは許せん!これはおかしい!と思うところが
同じということは、信条かつ生き方に結びつくという点でとても大切である。
もちろん、嫌いなことが共通しているだけでなく、尊敬している人も共通していた。
それはマザーテレサ。
お互い、自分ができることをこつこつやって、世の中の役に立ちたいですね。
・・・気づけば、向かう方向が同じだ。だから、いい。
会う回数は少なくていい。いつも相手を思いやり、尊重し、たまに「いつも会っているように」
話し合いたい。
素敵な妹さんがいっぱい。幸せな毎日だ。

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おかげさまで18周年。小さいながらも自ら光を発する存在に

本日9月17日でグラン・ルーは開設18周年を迎えることができました。
35歳で脱サラしてから、女一匹、小動物のごとくちょこちょこ、ドタバタ
しながら、止まることなくここまで歩むことができたこと、その間、
多くの出会いをいただいたことに、改めて感謝申し上げます。

あと2年で20周年。55歳になるまでには、どんな変化が起きることか?
もはや進化なのか退化なのかわからないような現象も目に付く、
昨今のヒト社会ではありますが、
自分がこうして今、ここに生きているという現実を胸に、一日一生のつもりで、
大切に生きていきたいと考えます。

出会いをいただき、お世話になった方へ心から感謝、そしてそのことに
応える報恩の生き方をしたいと思います。

大きいものだけに価値があるのではなく、
小さくともキラキラ自ら光り、他にもいい影響を与える
存在になりたい。
目指すは、マザーテレサです。(永遠の目標です)

また1年、どうぞよろしくお願いいたします。

小さな心の観覧車、グラン・ルーはまだまだ、回り続けます。

※本日 わが公式サイト、シーズンメッセージも更新しています。
(トップページからおすすみください)
グラン・ルー公式サイト

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