日頃メールなどで頻繁にやりとりをしている人とは、このコロナ自粛期間も
行き来をしていた。とくに仕事関係は普段どおりに・・・。
一方、かなりご無沙汰していたり、いろんなわけあって長らく会えなかったり、
メルアドもわからず、アナログのみの交流であったりする人たち・・・のことが
ここのところ、大変気になって、コロナ大丈夫だろうか?どうされているだろう?と次々と顔が浮かんできた。この自粛期間中に、悲しい別れもあったせいか、相手がご年配であったり、健康状態が気になる方のことは余計に気になってくる。連絡とらなくちゃ、いや、電話も唐突だ・・・・・と思い続ける。
もしも何かあっても、連絡が入るとは限らない・・・そんな関係も増えてきている。定年して時間が経てば、だんだんそういうことにもなってくる・・・。
と、そんな風に毎日、いろんな方のことが気になって、すっきりしない。
このままではいかん!と、突然、レターセットを引っ張り出してきて、封筒に宛名を書き、それぞれに「コロナお見舞い申し上げます」と始まるお手紙を書き、そこにちょっとしたおまけを入れて、ひとつひとつ封緘する。気が付けば20通以上になっていた。やり始めたら、止まらず、結構な作業。
そして、その束を郵便局に持ち込む。
それぞれ重さもサイズも異なるややこしい封書を係の人が計量、清算してそして投函。
さて、さて届くのが楽しみだ。郵便はやはり届ける楽しみがある。
気になっている人にメッセージを出せたことで、ずいぶんと心もすっきりした。
お元気だといい。また会えるといい。
気になったら即行動。また気になる人が出てきた・・・この作業はしばらく続きそうだ。
気になるあの人へ、コロナ見舞いを。
いのちと経済は並列ではない
5月25日発行のニューヨークタイムスでは、今回の新型コロナウイルスで感染し、亡くなった市民の一部、1000人分の名簿を一面にて掲載した。
以下はスマホから見たWEB版のスクリーンショット。すでに10万人以上が亡くなり、世界一の感染国となっているにも関わらず、経済活動を再開させている州があったり、中にはマスクをするもしないも、自分の自由だなどと主張し、社会問題になっている困った大国アメリカ・・・。
自分や家族や友人が感染したら、と思えば、考えや行動は変わるだろうに。
この名前とその人を紹介するメッセージを見ると、いかに今回のコロナが恐ろしいかを感じることができ、ミュージシャンとかその人がどんな人であったかを知るとより一層胸が痛む。
どんな人であっても、感染する可能性があるのだ。油断をしてはいけない。
大切な人を失うことがあるかもしれないのだ。まだ何も終息していない。
日本ではこのたび、全国で長かった緊急事態宣言が解除となったが、ここで気を抜いてはいけない。そして、いのちと経済は、決して並列ではない。
まずは、いのち・・。そして暮らしを支える活動、経済。
これからも、うまく塩梅をはかりながら、何が一番大切かを忘れない選択をしていかねばならない。
もし、この新聞にNYの知り合いの名前が・・・と思ったら、怖くて精読できない。なぜか、911の後のときのことを思い出す。
今回は、また違う危機であるが、社会が変わる節目である点では共通している。

目元でしっかり伝えよう。
マスクが今しばらく必要となる。
暑くなるこれからのことを思うと、本当に苦痛である。
とくに日焼け。マスクをしている部分とそうでない部分。
まだらにならないか、夏のマスク、口元に汗もができないか、蒸れないか?
それ以上に熱中症にならないか・・・。
これまでにない不安が生まれるマスクライフ。
しかし、とりあえず社会で生きる上で、今しばらくそれありきで
過ごすしかない。
ウイルスから身を守る。お互いを守る。
このマスクをすることで、日々のコミュニケーションにも注意、工夫が
必要だ。
もともと、日本人は西欧人と比べて、目元で合図、判断できる傾向があるよう
だが、今後、とくにビジネスなどの場合、それをもっと意識、強化する必要がある。たとえば、WEB会議や株主総会などモニターに映った自分を相手に見てもらう場合など、マスクをした自分の見られ方を予めチェックしておきたい。
まず、顔の半分が見えない状態。見えている部分でどう伝えるか?目元はもちろん、額や髪も大切な要素になる。
マスクをして、どんな風に自分が見えているかを予め点検しておく必要がある。
もちろん、見た目だけではない。
マスクとしたときの話の仕方も研究しておきたい。
マスクがあっても、しっかりできる限り明瞭に伝わるように。
発声練習や録音してきいてみるなど、いろいろ工夫が必要だ。
マスクコミュニケーション。
五感で、点検。
これをきっかけに、より表情豊かになれたらいい。
利他の心を改めて。
メディアが伝えることも、どこまでがどうなのか?まったく本当のことが
見えづらい世の中になっているが、そんななかで利己の人が目立って、世の中は一体どうなってしまったのかと不安を感じることが多い。自分主義、、、それが当たり前になっているような。目立つことばかりが、優先され、コトの本質を問うことが軽んじられているような・・・。
自分のことしか考えない。自分ファースト。自国ファースト。
でも、最近、そんなことばかり声高にいい、やっている人はそのうち地獄におちるんだ~。と思うようになってきた。
また、利己の人は本当によくない顔になるんだな~。薄汚れた顔だ。
いかんいかん。
自分はといえば、どうせ大したことのない、己であるので、そこにこだわる理由がない。
それよりも、周囲が喜んでくれることの方がもっとうれしい。
利己の人は、その喜びがわからないのだから、かわいそうであるし、うすっぺらでかえって、貧しい感じがする。
とにかく、この時代だからこそ、利他の心を。
それが結局、幸せへの道ではないかな。と思えてならない。
壁をつくる人、壊す人、越える人。
コミュニケーションにアクリルや、ビニールシート。
これも、なかなかつらいけれど、透明なので、まだ相手が見えるからいい。
相手の心が見えないコミュニケーションは、本当に難しい。
世のなかには、
どうしても、壁をつくってしまい、自分を見えなくする人もいる。
たとえば、ある言葉に反応して、その瞬間に人が関わってくることをシャットアウトして、自分の殻にこもってしまう、相手を受け入れない・・・。
壁をつくるとは、受け入れないということ。自分だけの世界に籠るという状態。
そして、
残念ながら、何を見てもけなしたり、文句を言ったり、・・・でだんだん人が寄ってこなくなり、最後は孤独になる。本当は寂しいかもしれないのに、つまらない意地が孤独を募らせてしまう・・・。
一方、いろんなことがあっても、自分のなかに入ってくる人、自分から相手の方に飛び込んでくる人。壁を壊す人だ。
この破壊は、一見、建設的である。
でも、気をつけないと攻撃的になってしまうこともあるかもしれないため、
壊すという発想は要注意だ。
この創る人と、壊す人の会話はなかなかかみ合わない。
つながっていたい人との壁はない方が良い。とくに家族の場合。
孤独な相手の心に入る時は、壁を壊すのではなく、壁を越えるという姿勢
でなければ・・・。壁を越えることで、いい関係が生まれる。この越え方には工夫が必要だ。
最近、さらにがんこになっていく親との会話は、まさにこの壁との闘いでもある。
なかなか、心が折れそうになるが、コミュニケーションの修行をさせてもらっていると思って、めげずにトライする。
透明シート越しはいつまで?
道を歩いてるとき、マスクをしながら歌う。発声をする。近くに誰もいないときは、マスクを外して声を出すこともたまにはする。屋内での発声練習はなかなかむつかしい。
最近は一人カラオケなどというサービスも始まったそうであるが、開放的な空間で歌えるのが自然。
最近、いつ、ライブがコンサートができるのだろうかと思案する。オンラインではなく、ライブ・・・。目の前にお客様がいて、目が合って、心のふれあいを感じるまさにライブ・・・。
一方、お店のレジ、やイベント会場の入り口等、人が向かい合う各所に設けられた透明ビニールシートやアクリルのパーテーション。
当たり前になりつつあるこの存在が、最近とても気になっている。
もし、ライブハウスや演奏会場がそんなに広くない場合、今後は、もしかしたら透明シートを客席との間に貼って、アクリルの仕切りを置いて行われるような?そんな事態が来てしまうのだろうか?
透明で顔も見え、演奏も聴こえる・・・。
でも、その間に1枚のシートが・・・。
そんな絵を想像すると、とても悲しくなって、たまらなくなる。どこか痛々しいのだ。
いろんなことに、いつしか慣れていくのだろう。
きっといい方法がみつかるだろう。
と、本番の心配をする前に、今こそしっかり練習したり、創作せよ!
ともう一つの自分が言う。
透明だけれど、1枚ある。この存在は気になる。
でも、透明シートが発明されていてよかった。これがないと、何も見えないのだ。
などなど、ビニールシート1枚だけでも、考えること多し。
このコロナは、コミュニケーションにも多くの課題を投げかけてくれている。
DICでいこう。
DICとは。印刷会社にいたから、インクのブランド名かと思われてしまうかも・・・かも?いや、そうではない。
今日伝えたいDICとは、最近、こだわりたいコミュニケーションのこと。
まずは、direct communication。直接届けるコミュニケーション。
伝言ゲームのようなことをやっていると、やっているうちに、意味が変わっていったり思いが違う方向へいってしまう。関節的にというのは、出来る限り避けたい。言いたいときは、直接言う。遠い相手であっても、直接届ける方法を考え実行する。どこか見えないところで言ったところで、解決にはならない。
直接言う。勇気もいるが、これが一番。誰かを介す場合は工夫が必要だ。
そして、Dialogue Communication 。対話である。
言いたい事だけを発信したり、言いっぱなしでなく、言葉をちゃんとキャッチボールして考えを互いに高めていく。相手が見えていることがコミュニケーションの前提だ。
対話は人間が生きていく上で不可欠だ。
これが最近、どうだろうか?何様目線かわからない、言いたい放題。対話にならない一方通行の言葉が飛び交っている。断片的に一見、通じ合っているかのような?誤解の連鎖。こんな現実も気になる。
とにかく、人間の関係づくりで大切なのは、対話だ。もっとも今は、直接対話の手法にも制約があるが、手法や制約を越えて心の対話を心がけたい。
ということで、
DIC。自分のことも相手のことも大切にしながら、真に悔いのない、良好な関係づくりを目指していこう。
人生の結びのひと言を。
いつ、何かおきるかわからない毎日を送っている。
もしも、のとき、自分は誰に何を言うべき、伝えるべきかについて、最近考える。予期できぬ別れが、ある日突然訪れることもあるかもしれないため、お世話になってきたすべての人に伝えることは難しい。
せめて、目の前の人たちには、感謝を。
それだけである。
「ありがとう」この言葉を、笑顔で言えたらいい。
「ごめん」で終わるよりも、「ありがとう」がいい。
どこで締めくくりになるかわからないため、どんなときも、会える人に
感謝の気持ちを示しておきたい。
どこで幕引きになってもいいように、忘れないうちに、伝えたいこと、思いは
ちゃんと届けておこう。
最後の一言で、人生の結びは決まる。そう考えると、なかなか難しい。
モノやお金を遺す以上に、言葉は大切に考えなければ。
受け取る言葉は生涯、消えない。宝にも傷にもなる。
感謝を込めて、いい締めくくりを。ステキな結びを。
プラスマインドをキープ。
この新型ウイルスがどこで生まれたのか?どうすれば未然にこのパンデミックを防ぐことができたのか。について、考えることは自分にとっては意味がない。
起きたことが、現実が全てであるし、自分にとってはこのことがプラスに見えることも少なくない。
いのちと経済のバランスを考えたり、当たり前と思ってきたこれまでの日々がもうないことに気づいたり、経済至上主義では幸せになれないことを思ったり、実は多くのものがもう要らないのかもと思ったり、人間は実は万能では無いけれど、環境に適合しようとする力があることを知ったり、いざという時が来るとリーダーと言われてきた人たちの本当の力が見えたり、、、、。これまで疑問に思えてきたことの答えが見えるきっかけになっている。
不安に思う人もいるかもしれないけれど、そう思うだけでは寂しい。どうせならこの変わる世界を楽しもうと思う。
何が大切なのかがよくわかる。
コロナに勝つとか負けるとかでなく、それありきで生きる力を身につける。
after、withといろんな言葉がつき始めているが、今はPlus。コロナがもたらした現実をプラス発想でとらえ、進みたい。
この気持ちを持ち続けることが、これから生き抜く力になると信じたい。
プラス発想、プラス志向。そのためには、今日も1日楽しめるよう、心をぐっと開いておきたい。コロナに負けるな、ではなく、結局は自分にマケルナ。
今日もプラスでいこう。
いつか終わる!だから・・
コロナの終息は難しい、完全なる収束はない。むしろ共生しながら、新しい生き方を模索する・・そのなかで、今抱えている問題、課題もいつか乗り越える日が来る。
コロナ以外でも、生きていると、つらいことや、しんどいことが日々おきてくる。何もない、順調満帆な人生はないと思う。
そのしんどさも、同じ状態でずっと続くことはない。
人間が生きている以上、日々すべてが変化していく。老いも含め、環境も含め、何ひとつ昨日と同じということはない。
そして、日々できることをしながら、毎日をしっかり生きていることで、
その苦しみの日々も終わることがある。
どんなことも、いつか終わる。
今は、そんなことを信じている。
だから、少々の苦労はやむを得ない。いつか終わるので、それまでがんばろう。
と、コロナとの付き合い方もそれ以外も・・・。
その終わりは、いのちの終わりということもあるかもしれないが、それも含めて
いつかすべて終わる、そしてまた次の何かがはじまるのだ。
まさに人生は観覧車のように・・・。できる限り、しんどくなく、楽しいことを
みつけながら、いこう。
必ず終わる。だから悔いないように。
最近、つらいとき、しんどいときは、このことを唱えるようにする。