お宝磨きで、自分も輝く。

40年近く置き去りになった、ピアノたち。
弾き主が、ほとんど鍵盤に触れることがないまま、彼ら彼女らも年をとった。
ピアノは、女性か男性か?考えたこともなかったが、今、改めて実家に
保管されているピアノに、人格を感じる。
私が幼き日に鍵盤を弾きまくった、その軌跡がそのまま残っている。
改めてみると、鍵盤に年輪を感じる。

ピアノに年齢があるのかどうかわからないが、私と一緒に過ごしてきたから
同世代ということにしよう。

そして、実家を離れて調律も優先されず、少々誇りもかぶって、かわいそうな状態になっているのを知り、これではいけないと反省、行動に出る。

そして約20余年ぶりに、調律を依頼。

こんなに放ってこられたから、元通りになるのだろうか・・。
自分が今までピアノを捨てて、好き放題生きてきたことを少し悔い、
ピアノに「ごめんね」と詫びた。

調律師にざっとピアノの調子を見てもらう。
「長年、調律していないのと調整ができていないので、それをすれば、なんとか
なりますよ。壊れているとか、故障とかではないです。いいピアノですから」
「今も価値があるピアノです」
この言葉に、命拾いをしたような気持ちになった。

今、この宝磨きをがんばろうと思う。そしてこの楽器でしっかり練習を再開しようと思う。新しい展開が生まれそうだ。

宝を磨き、自分を磨くとしよう。
私にとって、ピアノはもしかしたら、自分の鏡なのかもしれない。

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お願いだから、もう、やんでください。

九州はじめ、各地で猛烈な雨が降り続いている。
こんなに何日も降り続き。土砂崩れも起きやすい環境になっている。
あるバス会社。コロナで利用客を失い、やっとその対応も万全に整い、さあ、がんばるぞ!と社員と意気込んだ矢先に、バスが浸水。テレビに映った、涙をこらえる社長さんの顔が忘れられない。やっとの思いを砕かれ、どんなお気持ちか・・・。
ある住民の方は、涙を浮かべて「もう、雨はいいです。もう、やんでください」
と言われていたのも忘れられない。悪夢だとおっしゃっていた方もおられ、心が痛む。

この2020年、どこまで苦難、試練が続くのだろうと思ってしまう。
迷惑にならないようにと、九州の知人に少しづつ連絡をとる。今のところ、大丈夫との声であるが、とにかく降り続けて不安である様子は伝わってくる。今後の影響が心配だ。

夜中に川が氾濫とは、たまらない。警戒といっても、すぐ避難できる人はいいけれど・・。自分の親がそこにいたら・・と思うとたまらない気持ちになる。
現地の皆さまの不安を、思うと、早く雨がやみ、水がひいてくれることを、祈るばかりだ。

今、窓の外は強めの雨音だ。
雨は恵の友であるが、もう今はたくさんだ。

この2~3日、毎日電車で橋を渡るたびに、眼下に見える木曽川の下流もどんどん水かさを増している。
この上流に入る人たちは、どうされているだろうか。一部の支流では氾濫警戒も出ている・・。
賑やかで地元の夏の風物を代表する、岐阜の郡上踊り。
コロナで中止どころか、今はこの雨被害が大変心配だ。

今はとにかく、雨が降り止むことを、心より祈るばかり。

どっちにせよ、人はあまりに無力だ。
当たり前に過ごしている日々の想定を越えると、ただただ右往左往、うろたえる。しっかり現実を見て、今、自分がしなければならないことを冷静に。

被災地のみなさまの不安なこの未明、ただただ、ご無事であるようにと祈るのみだ。雨の夜は、とくにこの大雨の夜中は、長い。
現地のみなさんが、無事に朝を迎えることができるように・・・。
決して他人事ではない。

被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。

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コロナ禍のコンサートスタンバイ

ずっと定期的に行っている岐阜新聞社でロビーコンサート。
コロナの影響で4か月、中止されており、このたびやっと再開。
その再開初日に、どうやって密を回避し、開催するのかを知り
たく会場に足を運ぶ。

これまでは定員数はとくに示さず、多数の来場者があって賑わうもよし。

であったが、今回からは限定20名。
広いロビーに、お客様がゆったり座って、まさにプレミアムな空間。

今回はクラリネットとピアノのデュオ演奏。
MCはしないとのアナウンスがあり、最初の挨拶があっただけで
あとはプログラムに記載された曲の演奏のみが続く。

久しぶりにロビーに音楽が響くことへの安堵さを感じながら、
来週自分が行うときのことをあれこれ想像する。
MCなしでは、ちょっと自分のコンサートはもたないかも?
歌も歌うが、マスクしては歌えないが大丈夫か?
MCするとしたら、どれぐらいの距離から話せばよいか?

とにかく密にならないで、お客様を感動させるには?
いろんなことが頭をよぎった。

とにかく演奏できる喜びが大きい。

久しぶりのコンサート再開で新聞社のオーナーもご挨拶。

これからは続けていきます!の宣言に会場も沸く。

さあ、来週どんな風にしようか?

マスクでMCはつらいから、アクリル板で何か考えるか?

新しい時代、社会での自分のライブの在り方。よく考えるとしよう。

とにかく、生のコミュニケーション、ハーモニーを五感で感じることが

できることは、至福のひととき。

お客様に喜んでいただき、ともに今の共有を喜び合えるように。

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写経、写メならぬ、写ブログ

まだ写経はしたことがない。きっと気持ちが落ち着くのだろうと思うが、お経の意味がわかっていないと、その効果もどうだろうか?座禅をするのと同じ心持で取り組めば良いのだろう。とにかく、写経はありがたい精神の修行時間という印象。
写メールは写真をメールすること。これは日常茶飯事のこと。

さて、ブログを写し書きする。
ちょっといい言葉であれば、メモすることもあるが、このたび、ある方が、本ブログのある日の文章を全部、カリグラフィーペンや毛筆ペンで書きう写されたとのこと。
緊張したけれど、とてもいい気持ちでした。

とのメッセージに、たかがブログ、たかが私のようなものの駄文をそのように生かしてくださる方がおられるとは。
驚きとともに、感銘を受ける。

人に書き写したい。と思っていただけるということは、とてもありがたい。

言葉は生き物であり、言葉は宝になることもできる。逆もあるが。

発信することの重みを、もち続けることが大切と改めて思う。

世のなかに言葉はたくさんあれど、自分にとっていい言葉をみつけ、書きとめることで自分のものにする。自分の手で写すということは、より深く刻み込まれることになる。

コピーする、コピペするのではなく、手で書くということが意味がある。

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シスター・チームワーク。

親に感謝するとすれば、動機はともあれ、幼少時代に音楽を学ばせてもらったこと。インターバルがあったにせよ、ピアノが弾けるということは、何者にも代えがたいギフトだ。ありがたい。

そして、もうひとつ感謝したいのは、妹の存在だ。
子ども時代、そして家を離れたころ、彼女が嫁いだ頃・・・一緒に住んだ日々からもう40年ほど時間が経過し、それぞれの人生を歩んできたし、ほどよい距離を保ち、生きてきた。
今から思えば、こんな姉できっとやりづらかっただろうと思うことも多いが、
子育ても終わり、しっかり一人前の人生を過ごしてきた妹がいてくれたおかげで私はこんなにマイペースでオンリーワンとか言いながら、自由に生きさせてもらった。

そんな妹との協力体制が最近、強化されている。
両親の介護、終活にともなうさまざまなことを、しっかり連携をとって行っている。
思えば、東京暮らしのときの何倍も、毎日のように連絡をとり、助け合って親のことに向かっている。

zこの妹で本当に良かったと思う。彼女が妹でいてくれることで、どんなに助け
られているだろう。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」彼女が生まれてから、半世紀以上、ずっとお姉ちゃんと呼んで、慕ってくれる。ときには意味不明で、怖い姉でもあったりするのだと反省することもあるが、
私にとっては、妹がいてくれることで、今の生活ができている。
お互い、自分の暮らしを維持しながら、親のことも行う。
尊重と助け合いができること、そういう相手がいるということが本当にありがたい。
親のことが片付くまで、このチームワークは続く。
お互いの人生をハッピーに結びためにも。

絆。認め合い、信頼して、助け合う。感謝しながらだと、苦労も乗り越えられる。兄弟愛は経験することができないが、姉妹力はなかなか柔軟で、良いと思う。合言葉は、「いつか終わる、イツカサイゴ」。

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いのちがなければ、何もなし。

アメリカでのコロナ感染が続いている。
その中で、もともとこの国に長年くすぶっていた人種差別問題もより深刻化し、国の分断が加速している。
人がいがみあったり、憎しみ合ったりして、その先に幸せはないというのに。
コロナをしっかり終息させ、一丸となって社会を復興させる力、プロセスこそが
国力を生かすために最も重要であるのに。
動き出せば、まずは経済が動けば、社会はそれでいいのだ。と本当に浅はかな
考え方が嘆かわしい。
経済とは、人が生きて、暮らして、働くからこそ、回る活動だ。
命があやぶまれるなか、健全な経済活動はない。
一部の人間が潤っても、地球規模で考えていかないと意味がないのに。
何があっても、いのちあってこそ。

いのちとは、人権とイコールだ。

人を大切にしないで、国は豊かにならない。

拝金主義、日本はこういうやり方を絶対まねてはいけない。

と、思えてならない日々が続く。

いのちがなければ、経済も国も、何もないのだ。

もっといのちを、大切にしたい。しなければ。

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自由の有難み、しみじみ。

香港の人々の抵抗が、心痛い。
表現の自由を奪われることの怖さ。
なんという恐ろしいことをするのだろう。国って、権力って何だろう。
同じことしか考えてはいけない・・・なんて、この時代に果たしてそんなことは
必要なのだろうか?
自由を失う恐怖感。
権力から自由を奪われる。
歴史の間違ったサイクルだ。何とか、逆風が吹き、革命でも起きてほしいと
思ってしまう。

一方、行動の自由を失った老人たち。たとえばわが両親。
だんだん自分で動けなくなり、生活が一変した。
そこにはいら立ちや、怒りや、悲しみがある。
行動の自由は、元気の証拠だ。
今から思えば、車の運転免許を変換したあたりから、父にとっての自由は
奪われた・・、そして心身の老化から歩くのもままならず、ひとりで
どこかに行くということも今となれば難しくなってしまった。
不自由な身である。

いずれも自分だったら、と考える。
表現の自由を奪われるも、行動の自由をなくすのも、耐えられない。
今のマスク着用ひとつとっても、不自由ではある。早く解放されたい。

いい環境で、いつまでも元気に生きられるよう善行を重ねること。
ちょっと神頼みっぽいが、最近はそんな心境でいる。
自由に生きられることを改めて感謝し、それが続くようにと心から願う。


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コミュニケーションの履歴はお宝。

ある親しき方より、この一年半にわたる私とのメッセージの往来を見返し、有意義な月日だったと、感銘したとのメッセージをいただいた。そういえば、おそらく100通以上の往来があった。ビジネス、社会情勢、人生・・・さまざまな内容について気が付いたら、送っていた。気になれば応援の言葉を送り合ってきた。

とくに何も決めず、よいしょもなく、強制もなく、お互いに自然に応援し、刺激し合い、敬意を表し続けての時間。きっと何があってもこの方はわかってくれている、見守ってくれているという、そこはかとない信頼感。ずっと顔を合わせなくても、人は大切な人のことを忘れることなく、ずっとその存在を見守ることができるのだ。そんなことも学んだ。

人とのやりとり。ともすれば、言いっ放しになることもあるかもしれない。
自分の言いたいことだけ、言いたい放題。が多い時代。
実は聞いてもらえるありがたさに対して、もっと謙虚にならなければならない。

生きる以上、多くの人とのコミュニケーションはずっと続く。コミュニケーションをとりたい人、やめたい人、いろいろあれど、関わりなしには生きられない。そして、発した言葉は消しゴムでは消せない。慎重である必要もある。
でも、縮こまったり、警戒しているだけでは、いい関係は育まれない。
いろんな人とやりとりを続けながら、そのあるべき姿を学んでいくこと。
この姿勢と実践が大切だ。

冒頭に書いた方のような、お互いじっと長く関係を続けられる人との交流は
一生ものだ。大切にしなければならない。
時々、突然、思い出したときの往信でも構わない。根底で相互信頼があるから。

そして、
ときに人とのやりとりの歴史を見返すことは大変意味がある。

ときに大切な人との会話の履歴を見てみよう。どんな言葉を交換して、ここまできたかが見えてくるだろう。

コミュニケーションは途切れず繋がり続けること。人を大切にすること。

自分を大切にしてもらう前に、まず自分が人を大切に思うこと。
このことから、本当に通じる人との長い関係が始まるのだと思う。
前に進むだけでなく、これまで来た道をたどり、見直す。
死ぬまで、コミュニケーション。この道は長いのだから・・・。
どんな言葉を伝え、いただいてきたか。大切にしたい。

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香港、涙の風。

大好きだった、香港島と九龍島を結ぶスターフェリー。乗っている10分ほどの間、さわやかな風が頬に触れた。そして、フェリーを降りると湿気たっぷりの香港特有の空気が身を包んだ。あ、香港だ。いつもそんな感覚がした。

1997年7月1日。イギリスから中国に返還された香港。あのときのセレモニーのことを、今も印象深く覚えている。
チャールズ皇太子が、香港に来て、その儀式を執り行われた様子を報道で知り、
ああ、香港が中国になってしまうのか・・ととても悲しい、寂しいなんともいえない気持ちになってみていた。
アジアなのに、ヨーロッパの風が吹き、自由で、みんな英語で会話して、活発にいきいきと生きている・・。そう、香港人は活発な印象であった。
台湾とも共通点があるが、やはりイギリス領土であったため、どこかあか抜けている、憧れもあった。返還後も数年は足を運んでいた。まだまだ自由な空気は変わらなかった・・・。
しかし、こんなことになってしまった。
一国二制度は形骸化。
あの自由な、民主的な教育も受けてきたHONGKONGの人たちは、これから
どうなってしまうのだろうか。
テレサテンが生きていたら、どう思うだろう。

今後、香港の人たちはどうするのだろう?

このままで生きていけるだろうか?
おそらく多くは台湾へ、カナダへ、イギリスへ 移住するだろう。

自由を奪われるなんて、どんなことだ。
他人事と思ってはいけない。

私の中の大好きな香港。ずっと忘れてはいけない。
香港の町を包むあの湿気。
きっと23年前と比べ、人の涙でより濡れていないか。
べたっと重苦しい感じがないか・・・。

自由の似合う、香港。悲しい7月1日。
そこに住む人に、若者に寄り添い、彼らの人生が
うまくいくように応援したい。

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ピアノと向かい、違う時計を回す。

実家を整理し、こちらでも仕事や活動ができるようにと動き始めている。
毎日は難しいが、週に何度か、こちらも活用する。
とくに、40年近く別居していたピアノたちとのひ久しぶりの再会は、
大変うれしい。
部屋を整理しながら、長らく弾かれていなかった鍵盤を押したとき
懐かしい響きに心が震えた。鍵盤は練習を続けていた頃と同じく、黄ばんでいる。
子どもの頃から、毎日数時間以上、向かい合っていたあの時代。
努力していたなあ。何があってもピアノの前に座ると自分の世界があった。
親に怒られても、ピアノを弾いていれば、すべては収まったなあ・・。
そんな自分を思い出し、あの一心不乱のときと比べ、
今の自分はどうだろうかと・・・と反省もする。

この長き別居から、今、新たな新生活を考える。

ピアノを死ぬまで弾き続ける。

もっと活動の場をつくる、広げる。

人々に感動を伝えることをもっと増やす。

そんなことを思いながら、ベートーベンやショパンを記憶のままに
辿る。かなり怪しい暗譜。
しかし、暗譜しているといつでも弾ける。

コロナ後の展開。
経済優先で走り回っていた時計と違う時計が動き出す。

私にとってピアノとの対面は、違う時計が動くこと。

より内面に、より深く、より心豊かであれ。
久しぶりのピアノはそんなメッセージを投げかけてくれる。


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