支配から援助、そして投資 の歴史。アフリカへの不安

そんなに外に外に積極的に向かって、対外的に目立つことばかIりしてくれなくてもいいよ。
国民のことをもっと現実的なことを優先すべきと、どうしても思ってしまう、パフォーマンス型の
その傾向がより濃厚になりつつあると感じる、わが国の政治外交。
今度はアフリカに積極的に乗り出している。

BRICSもブラジルでのオリンピックで一区切りか見切り?かわからないが、次の大陸はアフリカだそうだ。
経済の発展、成長を求めれば、当然外へ外へと活動範囲を広げることになる。経済成長の新たな種は新たなステージにしかない。と思うのは自然の欲求であろう。
しかし、日本のトップといわれている人がアフリカ大陸に対して興味をもち、パフォーマンス外交している目的のひとつは、対中国政策??アフリカに先に進出し、莫大な投資を図り、存在感を増し続けている隣国への、対抗心、けん制ではないか。と見える。
世界への存在感をこの大陸でも誇示したいのだろう。

今、まだ足を運んだことのないアフリカ。ここには人類のさまざまな「被」的な歴史がある。
未開の地として長きの歴史をもつというが、エジプト文明は世界史に残る最古の文明。人類がヒトとして生きる、暮らすことについて社会的な営みを行っていたいわば、先進的な一面ももつ大陸。
そして大陸全体では自然と人間が共生していた。原住民たちは自由に自然にその土地のルールで生きていた。
ところが、大航海時代以降、ヨーロッパから、そして近年はアジアからさまざまな横やりが入り、未開地が「文明開化」されていく。
アフリカ人の奴隷売買は15世紀にはじまるという。今もヨーロッパには奴隷貿易の爪痕が残る町もある。
17世紀以降はアメリカ大陸に大量の黒人奴隷が移動をさせられ・・それが現在のアメリカ合衆国のベース・・。西側では19世紀後半から、20世紀初頭第一次世界大戦まで、ヨーロッパ各国がアフリカを分割、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーたちの植民地になり・・・。
戦後、アフリカ各国の独立も始まるが、内紛、隣国との闘い、またこれまで「被」としての生き方をやむなくさせられ、独立後も人口増大、疫病と貧困・・・。(人口増大はよくもあしくも、両面ある)

アフリカは自然が豊かで、未開拓で・・チャンスが無限大。
昔も今も、欲深い他所者が、純粋で無垢な現地人に金の力で乱入する。

植民・保護から、そして、今は投資の時代だ。

アフリカも遂に、世界経済に大きく巻き込まれていく。
情報化社会が、ますます世界を画一にし、いいものを壊し、自然破壊を加速させる。
人間の見た目の豊かさを求める、つまらない欲求のために。

植民という言葉も、投資という言葉も、まったく別物ではない。

豊かさとは何か。を改めて問いたい。
ヨーロッパの歴史を、欧米化されたアジア諸国が結局はカタチを変えて、追随しているだけのこと。

投資とは、結局自分のため。だから植民と同義である。

アフリカはアフリカ独自のすばらしい文化がある。
よそ者との接触でいい化学反応となり、
彼ら独自の魅力がより見直される機会になることを心から願う。

それにしても、人間は時代を経ても結局は同じ欲望をもち、生き続ける。
いつまで、それが続くかは、とても不安。

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愛の元気人 8月分 本日オンエアです。

愛の元気人8月分の放送は、本日27日18時~19時です。
今回の「にいがた元気人」コーナーのゲストは、
株式会社開成 須貝卓也さん (写真左)
株式会社コムプラスビズ 宮澤正行さんです。(写真右)
どうぞ、お楽しみください。

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FM KENTO

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駅でばったり、ナンパ?されるも幸せ気分。

東京駅や新宿駅で知り合いに会う・・・というのはなかなか確立的には難しい。
しかし、新潟駅あたりであると、人もほどよく利用しており、また地元の主要駅といえばそこに
なるため、知り合いに会う可能性は、実は高い。
今回の出張でも、駅ビルから改札に向かうまでの5分の間で2~3人の知り合いに偶然会う。
「あらま~。こんにちは。」「今日も新潟でしたか。今来られたんですか?」「いやー、これから帰るところで~」と、笑顔であいさつ。
2人ほど会って、今日はよく合う日だな~と思って歩いていたら、向かいから、見たことがある男性が歩いてくるのをみつける。先日、企業相談会でお会いしたビジネスマンの方だ。間違いない。
そしてすれ違いざまに「こんにちは!」と声をかけると、
その男性、びっくり立ち止まる。
「え?え?え~。なんで、びっくりした~」
「いやー、こんなところでお会いするとは・・」と
そこで別れるつもりが、その方、なんと私と一緒に歩き始めて
「いやー、びっくりです。こんなところでお会いできるなんて。
今、そこのカフェで●●さんと会ってまして・・。
で、今日はどちらへ?それにしてもハードですね~。
疲れないんですか?大変なお仕事ですね~。
いやー、うれしい。これからどっか行きましょうか?」
と言われ、私の行く方向についてくる。
いやー、先日、面談しているときはこんな感じじゃない人だったと思うが・・。
場所が変わると人は変わるのかもしれないと、今度はこっちがびっくり。
「いやー、これから人に会って、東京へ戻るんですわ。
また今度、お会いしましょう」と手を差し出し、握手する。
いつも二度三度会って交流した方とは握手をして別れることにしている。

「いやー、うれしいなあ」そんな言葉をいただき、
お互い姿が見えなくなるまで、何ども振り返り、
手を振った。

わずか1分か2分のこと。
駅でばったり会っただけのことなのに、会えたことがうれしいなんて言って
もらえると、こちらまで幸せになる。
それにしても、「これからどっか行きましょうか」と突然言われても・・。
よく考えたら、ソフトなナンパにも思えなくもないが、
真面目な人故のギャップが、なんだかほほえましくて、
一人思い出し笑いながら次へ向かった。
偶然、ばったりの瞬間で1日が幸せになれるなら、本当に幸せ、もうけもん!だ。

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伸びる組織には、一体感と人格がある。

ある会議に参加する。あるフランチャイズの特定エリアの、本部と加盟店オーナーとの定例会議だ。
そのエリアでは、会議を積極的に開催しているとのこと。
忙しい合間をぬって定期的に、集い、情報交換をしながら目標を確認する。酒を酌み交わしての交流も積極的だ。
仲間意識とほどよい競争意識をもちながら、
最終的には「ともにがんばろう!」とお互いを激励し、支え合っている。
そのことを会議といった限られた時間の中から、十分感じ取ることができるのが不思議な
ぐらい、とてもいい雰囲気だ。

会議に参加する人たちひとりひとりの姿勢が、とてもいい。
後ろ向きな人がいないのはもちろん、どうしたらみんなでうまくできるか、やれるかについて
全員が前向きだ。

地域でともに頑張る仲間として、心を開き、助け合っている。
チーム、組織・・すべてひとりひとりの集合体だ。心ひとつでその集合体は有機的なものに
なる。大勢いてもつながっていなければ、バラバラの集団、個の集まりでしかない。

一緒に、ともに・・と全員が前向きでベクトルが同じであれば、確認をするごとに、
その集団は強くなる。
この会議で参加されるオーナーたちの交流ぶりを見て、ここの人たちは一体感があり、
まさに「ひとつの有機体」(人格をもった組織)になっていることを感じる。
だから、いい結果も出るのだろう。
バラバラではなく、一体感。これは各自が発するオーラから生まれる。

組織は個の集合体。活力ある組織になるか、カタチだけの組織になるかは・・そこを
構成する個の意識にかかっている。

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何に貢献できたといえるか?

伝統を越えた新時代のフラメンコギタリストの生涯をドキュメンタリー風につづった映画がある。
その映画に出会うまで、その奏者のことは恥ずかしいが、存在すら知らなかった。
スペインアンダルシア地方出身の情熱的なギター弾き。
家族も皆、その仕事をし、フラメンコギターが血肉であり、純粋にその世界だけを知り育ったような少年。
天才ともいえる感性と技術をもつ。
そのギタリストは、パコ デ ルシラ という名前。のち、才能が認められアメリカにわたり活躍する。
ジャズに学び、アドリブで弦を弾くことを覚え、かつてのフラメンコの常識を覆す。
後期はヒュージョンのような6人バンドを結成し、世界を巡る。アフリカで知った打楽器を取り入れているのも特徴。
しかし後期には、フラメンコの要素も生かした独特のソウルギターの世界を完成させる。が、毎日勉強、勉強。
フラメンコ特有の力あるタッチとアドリブの自由さとギターにできる限界への挑戦と・・。
誰も聴いたことがない、コンチネンタルな音色・・。
2年前、66歳で亡くなった。映画ラスト、彼の生前のインタビュー。
人生を振り返り、フラメンコギター弾きの家庭に生まれ、
ギターに一生を捧げること、このことに「貢献できた」ことを誇りに思う・・との弁に静かな感動を覚える。

自分の人生、何に貢献できたのだろう。
わたしは、これに貢献できた・・と人生の後半にちゃんと言えるかな。
貢献できるという意味は深い。まだまだそこまで言っていない。
66歳まであと14年。社会貢献、人間貢献、音楽貢献?がんばらねば。
どんな小さなことでもいいから、自分で貢献できたと胸を張って言える人生・・、
あのギタリストの技術はまねできないが、人生との向かい方は十分学べるはず。

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言葉には品格、五感(耳障り)も考慮。

オリンピックの開催期間中に感じたのは、テレビの企画表現力の低下だ。とくに海外のニュースをBSで確認できず、2週間もの間、必要な情報がとれない不便さを感じていた。が、これは4年に一度のイベントなので仕方ない。では・・・と、やむを得ず、民放のニュース番組を見るが、プロとはいいがたき女子アナたち、また評論家のような人たちの意味のないトーク。いずれにしても時間つぶしのような番組が増えているのが、もったいない・・と結局はテレビのスィッチを消す日が続く。

オリンピックもいよいよおしまい。閉会式前日、やっとNHKの夕方のニュースを見る。
すると、ある傷害事件の報道。その事件は、本当に被害者の方たちが気の毒で、どうして心ないことをする人間が世の中にいるのかと腹立たしくなるもの・・。
と同時に気になったのがアナウンサーの発する言葉の耳障りだ。
傷害事件で傷づけられたのは、若き女性たちで、彼女たちの臀部であったようであるが、アナウンサーたちは何度も何度もそれを「尻」と原稿を読み続けていた。
若い女性アナウンサー、男性アナウンサーがこの言葉を放送で読む感覚とは?「臀部」といえば
いいではないか?
このニュースは何度も何度も時間帯を変えて、翌朝も報道された。
そのたびに、その言葉が発せられるたびに違和感を感じた。
「この言葉、おかしいんじゃないですか?」「こう読んだ方がいいのでは?」
という局内提案もないのか?誰もおかしいと思わないのか?

そのあと、NHKに電話をし、ちゃんとした日本語、誰が聞いても品があると思う言葉をつかうのがNHKだと思うが?すぐ直された方がいいと思う・・・と電話口に出た人に伝えた。

家人からは「暇なの?」と嘲笑されるが、そうではなく、言葉には敏感になってしまう。
メディアが言葉を大切にしないでどうするんだ。と思っているから。
テレビの影響は、低下したといってもNHKである。

言葉は文字を読む以上に、耳に入るときのインパクトが大きいはずだ。

美しい言葉。適切な言葉。専門家として品格ある表現を・・。
報道を専業とする人たちには、もっともっとこだわってほしい点だ。

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あの銀座、あのシャンゼリゼ・・。

銀座4丁目の交差点といえば、銀座の看板であり、待ち合わせにはよく利用した。
その前の銀座通りは、日本が世界に誇るメインストリート。つい写真をとりたくなるような、美しい街並みであり、シャンゼリゼ通りに匹敵する・・・なんて言われていた時代があった・・。
地方からでも、都内に住んでいても「銀座」は一種のあこがれの町。
新宿に行くのとは違い、ちょっとおしゃれでもして出かけたくなる・・・。週末の歩行者天国は大通りを歩きながら街並みを楽しむ・・・そんなハレの町・・。
が、今は昔。
この銀座はアジア系の観光客でひしめき、爆買いのメインプレイス。その歩行者天国には上海の大通りを歩いているかのような大きな中国語の会話が聞かれ、自撮りをする人たちで混雑。
西銀座の大型バス乗降所には、ずらりスマホにらみ、はてどこへ行こうか?と調べまくっているらしき、観光客の群れ・・。デパートもカフェも、もちろん高級ブランドショップ、免税店・・が外国人ばかり・・・。

「もう、銀座は行くところじゃなくなってしまったね。」さっさと用事を済ませて帰ってきた。

昔、歩いているだけでワクワクした・・そんな感じがもうしない。

町はいろんな要素で構成される。住む人、お店、やってくる人。どんな人が来るか、その目的によっても町の空気が変わる。そう、空気はとても大切なこと。
残念ながら、
経済効果を優先することで失うことは多くある。

銀座という町のステイタス、ブランド価値の変化・・。
渋谷、新宿、そして銀座・・・。誇り高き、日本らしい町ではなく、カオスと消費欲の町・・。
TOKYOは
これからどっちへ進むのか。
昔の銀座へのあこがれをもっていた時代を、改めて懐かしみ、惜しむ。
たくさん来ることがいいこととは限らない。
いい加減に、数で勝負することから卒業したい。

パリのシャンゼリゼはもはや昔のそれではない。と同時に銀座も同じ。
古き良き時代のシャンゼリゼと、銀座通りが懐かしい。
「お~。シャンゼリゼ―。お~GINZA」あの、シャンソンはもう聞こえない。

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見舞いに行って、激励されてくる。

妹のような存在が何人かいてくれて、ありがたい人生。いつも慕ってくれたり、応援してくれたり、
そしてどこかほっておけない、本音で語り合えるありがたい妹たち。
その一人が入院していることがわかった。手術もされ、もう間もなく退院という段階でそれを知る。
自分では、すすんでお見舞いにはいかない。自分が入院などしたら・・・と思うから。弱っているところは絶対見せたくないと思ってしまうから・・・。
もちろん、相手が望めば行く。
今回も「どっちがいい?」とたずね、「待ってます!」と返事をもらったので
それならばと彼女が喜びそうな楽しく、喜びそうなお見舞いセットを仕込んで、持参する。

彼女は、病室から出て、私が来るのを待ち構えていた。入院というのは退屈なんだろうと思うと、
意外な言葉・・。
「マーサさん、東京の病院ってすごいです~。キレイだし、何でもあるし、先生もすごいし~」
彼女の病室の窓からは、東京の夜景もキレイに見えそうだ。
思いのほか、元気そうで、安心もする。とともに、子供時代から病気で苦労されてきている人だけにその半生を思い、よくがんばってきたなと思い、尊敬の念も生まれる。
そして、久しぶりに会ったのが病室というのがなんともいえず・・いろんな会話の中で笑いあり、涙あり・・気が付けば1時間が経過、看護士さんが巡回され、おいとまする。

彼女は、今回の病気の発見と手術で、人生はいつ何が起きるかわからないことを再認識したという。
私も最近そう思うことが多い。とくに今年はそんな年のような感じがずっとしている。
「手が痛いから、これからどうしようかと考えている」というと、彼女が最近試している、音声入力のアプリを見せ、やり方を示してくれたりする。
「マーサさんは、今はペースダウンした方がいいという時期ですよ。いつも走って走ってきたから・・。それに比べて私はいつもスローすぎるから、もっと積極的に動かねばと思いますが」
「マーサさんの歌やピアノも、私が描く絵もひとりでも好き!と思ってくれる人がいたら、またがんばれますね。私はマーサさんの歌、大好きですよ」「もし、今少しピアノを休んでも、好きだからまたやらずにはいられないはずです。止まると見えてくることがありますよね」などなど、現在の自分の心境をよく察し、あたたかい言葉をかけてくれて、涙があふれた。
お見舞いに行ったのに、こちらが励まされて帰ってきた。なんとも姉としては、情けないような・・。

でも、そんな気持ちにさせてくれるのも、心族のような存在だからだろう。
大事な妹だから、早く良くなってほしい。転移とか何もなく、どうぞ元気に長く生きてほしい。

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ボケの金メダリスト。

オリンピックがまもなく閉会となる、それにふさわしい?話題を。

つい2日ほど前のこと。夜、オリンピックのどの種目だったか
忘れたが、家人がネットでその試合を見ながら、過ごしていた。
私は、ずっとテレビのモニターに向かっている相方に、話しかける。

「ところでさ、浅田真央っていつ出るんかな?」
「・・・・。それ、冬季オリンピックじゃないの?」
「・・・・・・あ、そうか。
「そうだよね~。
私ずっとオリンピックはフィギアスケートで終わるんだと思っていたわ」
・・・・・・・・
そのあと、二人で大爆笑。
ああ、聞いた相手が家人でよかった・・。
翌日もまた思い出し、笑いあった。

と、時に自分でも思わず信じられない、ボケ女のときがある。
これは、天然であろう。

でも、きっと日本中に、そんなボケたことを思っていた人は
何名かはいるだろう。いないかな?

東京オリンピックでも、真央ちゃんたちは関係ないんだ~。
今でも、それも信じられないでいるが。

あと1日で熱き戦いが終わる。

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悔し涙は、必ず「大きな糧」になる!

レスリングの金メダルラッシュのあと、主将である吉田選手のまさかの・・・。
彼女の試合後、表彰式、インタビューの様子を見て、涙が止まらなかった。
自分が金をとらなくてどうする。ここぞ、見せ場、ここぞ!という意気込みは人一倍あったはず。
感動続きのレスリング女子の最後を締めくくるのは、吉田選手の金メダル!と誰しも思い描いていただけに・・。
彼女の涙、あのくちゃくちゃな顔、あんなにメダルの色が変わるだけで、表彰台に立つ人の表情がこんなにも変わるのかということを初めて感じるほどに泣きじゃくっていた。
そしてメダリストの写真撮影のときも、金・銅をとった選手はにこやかであるが、彼女は泣いていた。
うれし涙と、くやし涙はやっぱり違う。
人生は、うれし涙も、くやし涙もある。涙が出るのは極限状態、そして泣くだけ泣いたら、次に
進める。
そして、彼女はしばらくしたら、今回の結果を客観的に冷静に分析し、次に生かすだろう。新たな選択をするだろう。
金メダルだけを考えて生きてきた、鍛えてきた・・。そんな人生だからこその涙だろう。
日本中が、世界からも彼女の功績は認めている。
メダルの色より大切なことがある。
悔し涙を見せてくれているそのこと自体が、私たちに感動を与えている。
あんなにがんばったんだもの。

あんなに悔し涙が出るほど、生きているだろうか?やることやっているだろうか?
ふと我に返る。
人のことで泣いている場合じゃない。泣ける人生に、直ちに着手!せよ!と自分に喝を入れる。

それにしても、ふるさとの応援団たちが「泣かんでいいよ、がんばったから。はよー帰っておいで」
と言われていたその言葉も涙を誘う・・。

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