最後まで心穏やかに生きたい。

年を取るとやけに短気になったり、涙もろくなったりするというのは
本当のようだ。
父親と電話でも、会っていても、すぐ喧嘩になりそうになる。
子供の頃からそんな傾向は続いていたが、近年は気を付けないと
火が付きやすい。

たわいもないことが原因であるが、
ちょっと言うとすぐにムキになって、大声になる。
電話で、うまく会話が通じず、言葉を失い電話を切る。その後も気になり
「素直で優しい会話がいいよね。楽しくいきましょう」
とメールすると、
「了解」と返ってくるので、一安心。
と、このくりかえし・・・。父が孤独にならないようにと
いろいろ考え、働きかけることが、いいことかどうかわからないが
そんな日々・・。
そんななか、ドキュメンタリー番組で90歳の現役俳優の生きざまを
放送作家である娘(おそらく同世代)が記録し続けた番組を見た。
俳優という仕事を高齢になって続ける父は、病を抱えながら、
仕事第一で生き続ける。しかし、台本が覚えられない、体力的に
難しい・・・という現実に直面、自分と闘いながら、家族に
支えられながら生きていく・・・。
カメラの前では、プロの俳優である父が、家庭内では違う。
心配する家族が、あれこれ口を挟まれると喚いたり、怒鳴ったりする。
とくに車の運転について注意されると、大変だ。
自分だけが責められている、自分にはもうその力がない、生きていても
仕方ない・・・と、大声で叫ぶ。
この番組を見ていて、父のことをずっと考えていた。
同級生たちが、病に伏し、別れを告げ、多くない友達が
ひとりふたり減っていく父・・。
寂しさが、短気につながる・・。

喧嘩できるうちは、まだいい。
喧嘩できるうちに、もっとコミュニケーションしなくちゃね。
できれば、父が笑顔で楽しいと思える時間を
つくっていきたいね。

放送作家の娘さんは、俳優の父をモデルにその人生を
撮影し、人々に伝えるという作品をのこした。
私は違う方法で、家族がおだやかに暮らせる、残りの
人生を楽しく生きられるようにと思い、できることを
し続けていこうと思う。
そして、私自身も、心穏やかに楽しく生きていきたい。
と激しい日々の時間の合間に、そう思う。

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ジャンヌダルクを思う時代。

国連でどうだこうだ・・と言っている。
申し訳ないが、列国の代表者が何を言おうが、原稿どおりであり
心揺さぶられるものや結論はない。
それよりも、それに反応する国の様子が気になる。
油に火を注ぎ合っている感じだ。
余計なことをしている。

それよりも気になるのが、
その議論のさなか、
その隣国で大地震で、子供も含めた多くの人々が
助けを求めているという現実。地震の多い国だから、本当に大変だ。
ふたつの報道を同時に見ていると、これは別世界なのかと思えてくる。
同じ世界での話なのだろうか。

ミサイル対策ももちろん必要であろうが、今まさに困っている人たちの救済。
すぐ、助けにいこうとならないのか?
もちろん、メキシコ以外にも難民や内紛で苦境に立たされている人たちも
数多くいる。

今どきの政治家とはいったい何の意味があるのだろうと思う昨今。
口先だけでなく。保身ではなく、真の意味で人を救うことを最優先できる
人はいないのか。騒ぎを大きくしているだけのように思えてならない。

ある人と今の社会についての思うところを意見交換する。
冗談半分で
「そのうち、共謀罪でつかまるかも」
といい、
「関係ない。おかしいもんはおかしい、正しきことは正しいと言わなきゃ」
「ジャンヌダルクにならんといかんですね」
と、半分笑いながら言い合う。

実は、私の尊敬する女性は
ジャンヌダルクと、マザーテレサ。
命を懸けて、自分のためではなく、正義のため、人々のために
生き抜いた人だ。

今、どうにかしないとと思えてくる。
もちろん、この時代に合う方法が必要だ。

まずは、世界をちゃんと見る目を養うこと。
おかしきこと、グレーなるものは、疑ってかかること。

今、どうにかしないと。
自然は変えられないが、人は???

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バックミラーから「お久しぶりです」

再会というのは、いろんな場所で、いろんな場合に起きうるものだ。
先日は、あの人混みの東京駅で、何年かご無沙汰していた知人をみつけた。
人混みをかき分け、近づいて声をかけたら、その人もたいそう驚かれ、
その場で少し立ち話に花が咲いた。
かと思ったら、今度は、たまたま乗ったタクシー。
私が乗った瞬間から、その人はわかっていたようで、
行先を告げるのが先か後か忘れたが、
「お、お久しぶりです」
と運転手さんから声をかけられる。
バックミラーに移った顔を見て、すぐにわからなかった。
何年か合わないうちに体格が変わられたようで、また帽子もかぶっておられたので
すぐにわからなかった。
「どこかでお会いしていますか?」
と聞き返すと
「ええ、以前・・・・でお世話になったAです。」
「ああ、あのAさんですか。いやー、わからんかった。今、タクシーのお仕事なんですね」
そこから目的地に着くまでずっと話し続けた。
近況もおききし、転職の背景なども話してくださった。
実は最近お会いしていないので、どうされているか・・と気になっていた一人
だったのだ。
まさか、タクシーの中でお会いするとは。
彼は車をおりるとき、タクシー会社の名刺に自分の携帯電話を書いて
渡してくれた。
「いやー、今日はお会いできてよかったです。またどこかでぜひ」
握手をして車を降りた。
再会の機会は、どこにあるかわからない。
ある日突然、懐かしい人に遭遇する。その瞬間に心があたたまる。
再会、今日もどこかで?誰かと??。
予期しないことが起きるのが、面白い。

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災害対策より優先事項?

先週連休中のこと。
この大型台風はどうなるのか?夜も眠れず、夜を過ごしていた。
テレビの速報を気にかけながら不安な気持ちで過ごしていた。
そして気になる夜中のニュースに、台風情報より選挙のことがトップに取り上げられ
た・・・。
私は瞬時に怒りがこみ上げた。
このタイミングに何で?
まずは台風でしょう。まずはその対策でしょう。
それと別世界のことのように、選挙の話題。

やっぱりこの世界の人たちは、自分たちのことしか考えていない
ということを改めて思った。
どこかしら、正々堂々としていない、卑怯なタイミングであり、
なぜそれをしなければならないか・・。
安定って何か?
勝つって何か?
そんなことに議論を尽くしている人たちよりも、
台風のなか、24時間体制で交通機関を動かしたり、復旧活動に
全力を注いでいる方のことを思う。
大混雑の改札でお客に詰め寄られ、丁寧に対応する鉄道職員、
車内で意味不明な言いがかりをされながらも、親切に対応する
車掌さん・・・被災現場で必死に住民を救い出すために汗を流して
いる人たち・・・。こんな状況で、正直、選挙なんかどうでもいいのでは?

求めているのは、政治家たちであり、国民にとっての優先事項ではない
はずだ。
いつも、自分たちの名誉、居場所、就活に夢中。と見えてしまう。
なぜこの時期、このタイミング、なぜ?
なんでも現時点で、一番大切なことについて、よく考えて行動
しなければ・・。
いろんなことに流されないようにしなければ。
どさくさ紛れに、何かをしようとする人にはならないように。

何が優先?
そこを見失わないように、日々生きていきたい。

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心美しき人と語りたい。


9月17日の長崎そとめコンサートの前日、会場に下見と打ち合わせを兼ねて、現地に向かった。
ここにある写真は、
コンサート当日のお客様の食事風景と、今回お世話になったシスターのお話しの様子のものであるが、
このシスターとの出会いが、今回のコンサートへの決断になった。
俗世間で迷いながら生きている私のような人間には、まっすぐに清らかに生きておられる方の生きざまが一番の
教材だ。
前日、コンサートの打ち合わせをしながら、シスターがご自身で作ったジャムや紅茶を「ド・ロさまのお恵みです。私が
つくったものですが・・」と言いながら、素朴なパンと一緒におもてなしてくださる。パンもこちらのお仲間の手作り
のものだ。
シスターは五島の出身だそうだ。中学を出られ、すぐその道に入られたという。
五島と、この外海は、隠れキリシタンの行き来ということで、大変関係が深い。
「シスターはえらいですよね。人生をこの道に託されて・・私なんか、足元にも及ばない生き方です」
と言うと
「そんなことはないですよ。最初にこの道を選んだのは確かに自分ですが、そのあとはすべて神様が仕事を
与えてくださるのです。もちろん迷いや悩むことがあっても、神さまが見ていてくださる、一生懸命やれば
喜んでくださると思ってやるだけですよ、仕事は与えられるものですから」
と笑顔でおっしゃる。
いろんな修行をされ、勉強され、信仰の道を歩んでこられたのだ。
仕事は与えられる。そうか。一見、自分が選んでいるけれど、実はもっと広い視野で、俯瞰して
自らの存在を問うてみれば、決められている、授けられていることを自分が選んだと
思っているだけなのかもしれない。

信仰あり、なしを別として、
一生懸命、純粋に生きている人は美しいと思う。
時々、違う世界で生きる人と会い、話すのが好きだ。

素朴に元気にまっすぐに・・。今回もおだやかでありながら、背筋が伸びる至福のときを
いただいた。

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タイフーン コンサートの余韻。

新潟から、ご夫婦で雪の長崎へ、岐阜へ、そして東京は下北沢へ・・・。
私のライブにどこまでも追いかけてくださる、ありがたすぎるお客様。
この奥様、いや女主人は、本当に気風が良い。いつも前向きだ。

そして、今回は運営する福祉施設のみなさんを連れて、長崎旅行を
企画、バス一台で長崎の辺境の地のコンサートにも来てくださった。
しかも、大雪という珍しい経験に次ぐ、台風のなかの長崎コンサート。

運営する施設のみなさんがバスに乗って、風雨にさらされながら、
会場まで濡れながら、元気にやってきてくださった。
晴天の美しいサンセットロードを見てほしかったが、予期せぬ
台風は想像以上の感動を与えてくれた。
ド・ロ神父がもたらしてくださった由緒あるオルガンの音色や
お客様と一緒に歌った歌の数々・・。
会場である、旧出津救助院を運営されるシスターたちのあたたかい
おもてなし・・。どれもこれも、心に残る人生の一コマになり、
またグラン・ルーの新たな節目にふさわしい時間となった。
台風のなか、移動は本当に大変であったが、その分、思い出は
強く心に残るだろう。
ご一行様が、無事帰宅されたとの報を知り、無事コンサートが
終わったと安堵する。
オルガンの優しい音色が、今も心に残る。
いい時間を紡ぎだせたこと、本当に幸せだ。
本コンサートは「長崎タイフーン・コンサート」として
一生の思い出、わが宝物となった。
明治時代の女性の育成教育施設であった旧救助院という
貴重な場所で、皆様のあたたかい協力により、無事開催できた
ことを、改めて感謝したい。
ド・ロさま 皆さま 本当にありがとうございました。

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台風アニバーサリー

台風に追いかけられているのか、たまたま行くところで遭遇するのか。
長崎外海でのドロさまオルガンコンサートはお客様に強風の中おいでいただき、無事終わった。
ああこれで、台風も収まってくれるかと思ったら、飛行機欠航、JR九州も運転見合せ。
迷ったが泊まらず帰ろう!と勇み、高速バスで長崎から博多へ、そして期待の新幹線。
こちらも台風の影響で運転見合せから、運転再開、でもまた見合せ、、、。と実は
本ブログも車内で書くことに、、。
コンサートだけでも十分有意義な記念日だったのに台風で新幹線泊になるとは・・。
台風などで新幹線がひとたび運転見合わせになると、電車が数珠つなぎ、各駅ごとに
到発着する電車がいるだけでなく、その間にいくつも、いくつも連なっているのだ。
この光景を上から見たら、新幹線がたくさん止まっているという状況は壮観かもしれない。
が、こういうときこそ、日本の定時運行の技術のすばらしさを痛感するのだ。
世界中探しても、こんな数分感覚で事故もなくスムーズにあの高速の電車が運行されている
国はない。でも、台風には勝てないのだ。安全に運行するためには必要なこと。

自然の脅威を知り、なんでも予定どおりにはいかないということを学ぶ1日。
改めてJRやバス会社の対応、運転士さんや車掌さんの働きぶりに関心する。
電車が動かないのは、働いている人たちのせいではないのに、いちゃもんを
つける人、無茶を言う人を実際に見ながら、車掌さんの仕事も大変だと改めて思った。

貴重な経験ができたタイフーンアニバーサリー。
無事なら生きていればいい。
駅に新幹線が着いたのは深夜の1時半。すでにホームには仮眠用の
列車も用意されており、夜中なのに売店も空いており、ここもびっくり。

台風のおかげで、濃厚なアニバーサリーを過ごすことができた。
自然には叶わない。その中で人は一生懸命生きる。

無事に帰宅でき、安堵する。さあ、20周年に向かってまた前に進もう。

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おかげさまで19周年!次の節目に向かって。

1998年9月17日のグラン・ルー開設から、はや19年目という朝を迎えることができました。
一度切りの人生、悔いをしないための選択は、そのふりかえりを必要としないぐらい、
迷いがない19年であったと思います。
ただ、謙虚に感謝に満ちた日々であれば、それだけでよい。
そして今日が最後の日、であってもよし、と思えるように、今すべきことする。
今、思えばこのことが自分の行動の源にいつもあるのかもしれません。
そして、だれかが毎日「ありがとう」と、思ってくれたら、それだけで十分
であることも、この歳月のなかで学ばせていただきました。
きたる20年に向け、次なるステージを模索しながら、自己研鑽を続けていきたい
と考えます。
これまで支え、応援してくださった皆様に、心より深く感謝申し上げます。
ありがとうございます。
そして、これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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台風直前の静けさと海の美しさと・・。


この三連休は、日本列島が大型台風に振り回されている。
私自身もそうだ。グラン・ルー19周年を飾るはずの、長崎そとめでの、オルガンコンサートは、
まさに台風接近と同時刻・・。
その予報が心配で、前日に会場の念のための下見と、打ち合わせに現地に出向く。
長崎駅からバスで1時間以上かかるこのさいはての地。江戸時代は、潜伏キリシタンが多く移り住み、
さらにここから五島へ流れた人も
いた・・・という村であり、遠藤周作もこの地が大好きだった。
この地のことを詠んだ、「沈黙」の冒頭に出てくる言葉が記念碑にもなっている。
台風を待つこの週末。外海は見た目には優しく、静かでいつもどおりの私の好きな「そとめ」であった。が、強風で実は飛ばされそうに
なった。強風は障害物がないと、見えないから、余計に怖い。
さてさて、本日17日は本番だ。台風がそれてくれるように、予定どおりおいでいただけるお客様に感謝の歌を、オルガンの音色をお届けできるように・・。
飛ばされそうにしながら、なぜ、自分はここでコンサートをするのかを自問・・。
いい記念日にしよう。おかげさまで、19周年。心の観覧車はどんな天候でも回り続けます。

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まさに、神頼み。

ああ、なんということだ。
もう、雪はまさか降るまい。
前回の長崎でのコンサートは、まさかの大雪での実施となった。
一生忘れられない、ホワイト・ナガサキ。

そして、今回は、グラン・ルー19周年の記念日に、
遠藤周作の「沈黙」の舞台、潜伏キリシタンの里、長崎のそとめ(外海)にて
ド・ロ神父寄贈のオルガンにて、コンサートを企画。

さあ、新潟の仕事を終えて、いざ九州へ・・・。
と気持ちを切り替え、出発だと思ったら、なんと台風情報。
まさに、本番当日、コンサートの時間がまさに
台風到来・・・上陸・・・との予報。
「また・・・」。今回はこれか・・。

お客様からは
「飛行機が飛びますかね」との問い合わせも・・・確かに心配になる。
このお客様は雪のコンサートにもおいでいただいた方だ・・。

「神頼みですね」
とメール。
私もそう思っていた。
沈黙の土地に向かい、神様~お願いします~。と
手を合わせたくなる。

いろんな思いを抱きながら、それでもぎりぎりまで開催を信じ
予定どおり、西方へ向かう。
ミサイルに、台風に・・。
本当に、いろんなことがおきまくる世の中だ・・。

まあ、なるようになる。
とにかく、開催したい、とにかく 予定どおり、
あのオルガンの音色をお客様にお届けしたい。

ああ、神様、たすけて・・と、思い浮かぶのはなぜか
こんなときに、左卜全の歌・・。悲壮感を吹き飛ばし
なんとか、なんとか笑って乗り越えたい長崎クライシス。

台風がそれることを、予報がはずれることを
祈る朝だ。

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