美輪明宏さんに似てる?

今週の出会いをふりかえり、思い出をなぞってみる。
いただいた言葉で印象的だったもののひとつは、これ。
「美輪明宏さんにそっくりやわ」
岐阜新聞のコンサートに、ここんところ
毎回おいでいただいているお客さま。
「いやー、楽しかったわ。ありがとう!」と
いつも帰り際に満面の笑みで声をかけてくださる。
直接感想をいただけることは、大変ありがたく、
励みになる。

その方はそういえば、最前列に座っておられる。
なかなか一番前は座りづらいと思うが、その方は
遠慮なく最前列で、私の演奏やトークを顔を見て
聴かれている。

「顔は別として、目をつむって歌やトーク、とくに
突っ込み方が、美輪明宏さんかと思うぐらい、似てるわ」
と言われ、びっくり。
「似てますか~」
「うん、顔が別ね。でもほんとうに似てる」
「美輪明宏さん、お好きですか」
「うん。大好き。いやー、ほんとうに美輪さんみたい」
「次回も楽しみにしていますね」

とてもうれしそうにお帰りになった。
へえ。
確かに「愛の讃歌」を唄うときは、美輪明宏を思い出した
と言われたことは何度かあったが、そうか・・・。

実は三輪さんは子どもの頃、大好きだった。
今のようなファッションではなく、男性的な装いで
活動されてきた時、カッコよく、美しい人だと
その不思議な魅力を子どもながらに理解していた。
大人になってからは、新宿のデパートのブティックで
洋服を選んでおられる様子を見て、そういえば
同じ洋服の愛好家として共感ももっていた。
それにしても、その存在感あふれるパフォーマンスが
似ているとは、光栄すぎるお言葉。

三輪さんが長崎生まれということは、長崎に関心を
抱くようになってから知り、さらに親近感を抱いて
そして尊敬している。
今もお元気に活躍されているのがうれしい。
多様性が認められない時代から、強く信念をもって
生きてこられた方の表現や、メッセージに少しでも
近づけるならば、うれしい。

お客様はいろんなことを想像される。
それぞれの人生でのさまざまな経験が音楽によって
浮かび上がることがある。
「〇〇に似ている」と、いろいろ言っていただけて
光栄。
そして、いつか「マーサさんに似ている、
今尾さんにそっくり」
と言われるように?はならないだろうが、
私は私として、出会った人の記憶に残る存在で
いられたら、しあわせだ。

三輪さんか・・・・。すごいな。
お客さんが自分が知らない自分を教えてくださる。

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たとえば1日5分の善行。

デスクワークもひとまず一区切り。連休前、出張前の
準備もあって外に出る。
駅に向かっていると、ある人に声をかけられる。
実は、どこにいてもよく道を聞かれる方である。
(外国にいても、そういうことがあるので不思議
であるが)
「あのー、すみません。〇〇商店街はこっちですか?」
と指をさされている方角と、その目的地はかなり違う。
「ああ、そこはそっちではなく、反対のあっち側です」
「そうなんですね。」
ちょっと口頭では説明しづらく、ちょうど自分もどちらか
といえば、その目的地を経由して駅に進んでも行ける
ため、
「ちょっと説明しづらいので、よろしかったらそこまで
一緒に行きましょうか?」
「へ?そんな・・・。申し訳ないです」
「ちょうど、散歩しなくちゃと思っていたんので
いいタイミングでした。」
と言いつつ、二人で一緒に商店街目指して歩き始めた。

途中、私自身のことを不安に思われてもいけないので
ちゃんと道を説明しながら、その人が帰りも困らないよう
帰りはこっちに向かっていけば駅ということを何度も
言いながら、一緒にあるいて数分。
そのうちに少し打ち解け、その方が熊本出身で、今は愛知県内
で、登山のお店に行かれたいのだということはわかり、
熊本の地震のことなど話題にすると、初対面ではない感じ
になった。
そうこうしているうちに、商店街に着いた。

「はい、着きました。目的のお店はこちらへまっすぐ
行かれるとありますよ。帰りはこっち、ずっといくと
駅ですから。どうぞお気をつけて」
「どうも、ご親切にありがとうございました。
助かりました」
お互いにお辞儀をして、そして手を振り、笑顔で別れた。

別に一緒に歩く必要はなかったかもしれないが、
説明しづらかったのと、中途半端な説明でまた道に
迷われたら・・・と思ったから、これで良かった。

不思議なことに、この数分の道案内で、私の疲れも癒された。
なんだか、知らない人にもお役に立てる瞬間があるのだと
思うと、うれしく、自分が幸せな気持ちになった。
そのあと、駅に向かう道のり、身軽なステップになり、
歌いながら歩いた。

毎日、喜怒哀楽。さまざまな感情が押し寄せるが、
1日3分でも5分でいいから、誰かに喜んでもらえる
ことをすると、豊かな心、しあわせな気持ちになれる
かもしれない。

1日1回。小さな善行を重ねる。
すると、「ありがとう」の声をいただけることもある。
その一言で、自分自身が十分幸せになり、元気が湧き、
生きる力も満ちてくる。

さあ、今日はどんな出会い?
昨日の方は無事に商店街で用を済ませ、
駅まで帰れたかな。

その昔、パリの地下鉄でスリにやられたとき、助けて
くださった方のことが頭をよぎる。
世の中には、親切な人がいる。
お元気だろうか?なんだか会いたくなってきた。

善行。
幸せのキーワードだと思う。

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その人の価値。


誰しもが、いつしか人生を終える。
ある日突然ということもあるし、だんだんに衰退してフェイド
アウトしていくことも・・・。
その終わり方もさまざま。
人は亡くなってから、改めてその人がいかに周囲に愛されていたか
尊敬されていたか、慕われていたかがわかる。

もちろん生きているうちから、ある程度、それを感じることが
できるが、亡くなることで、その人の「価値」が鮮明になる。
(皮肉にも、亡くなった本人にはわからないけれど。)

人は生きて何を残すのか。
このたびのフランシスコ教皇の帰天については、世界中がその
死を悼み、その存在の大きさに感謝している。
弱き人を助け、恵まれない人に寄り添い、言葉をかけ、手をさしのべ、
平和を心から願い、祈り、勇気あるメッセージを発する。
そういう役割だといってしまえば、そうかもしれないが、
やはりフランシスコ教皇だからの、存在感があった。
人生の価値。
財産をいくら遺したか。ということで人生を計る人もいるかも
しれないが、その人の価値はやはり、愛ではないか。と思う。

周囲の人に良き影響を与えられること。
いてくれるから、見守ってくれるからがんばれる。
心の支えになることができる。
とてもとても及ばないけれど、いつもいい笑顔だな~と
好感をもちながら、その活動をみつめ、お父ちゃんがんばれ!
という感じで応援していた。(大変不謹慎ながら)

亡くなって、こんなに世界中の人々に惜しまれるとは
凄い力を持つ人であったのだと感動する。

まず愛し、愛される。
そこには戦いはなく、あるのは笑顔と勇気のみ。

フランシスコ教皇を見送る人が、世界からローマに集まって
きているという。
現地に向かうことはできないが、ここんところ、ずっと
その死を悼みつつ、その存在の大きさと、人の価値と
そして愛について考えている。
少しでも近づきたいと思う人が増えれば、世界はきっと
もっともっとよくなる。

宗教での表現は異なっていても、利他の精神をもって
いる方でもあったのだと思う。

偉人の死は多くの学びを授けてくれるものだ。

さて、自分は少しでも価値ある人になれるか?

長崎の出津教会に咲いていたマーガレットをここに・・・。

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ブエノスアイレス~バチカンに感謝と愛を

信仰、宗教を越えて、多くの人々から愛され、親しまれ、
尊敬されてきたフランシスコ教皇。
その訃報に接し、世界中が悲しみに包まれた。
私自身も、信徒ではないくせに、大きな心の柱のひとつを
なくしたような気持ちになった。
最後まで世界平和を祈り続け、今行われている戦争や、
さまざまな対立に対し、抗議のメッセージを伝え続けてきた。
私個人としては、フランシスコザビエルに捧げる曲をつくっ
た際に、名前の由来は違えど、大好きなブエノスアイレス出身
のフランシスコ教皇にもぜひ聴いていただけたらと妄想して、
ブエノスアイレス、国内の知人の助けを経て歌詞を翻訳、
さらにバチカン大使館に問い合わせし、教皇宛てのオリジナル
ジャケットに入ったCDを送ったことがあった。
今から思えば、もっと違う方法もあったかと思いつつ、当時は
そんな無謀な行動も。ゆるされる寛容さを感じるお方であった。

また、父と同い年であった点も親しみをもっていた理由のひとつ。
高齢でこの重責を担う仕事を続ける困難は想像できたが、神様が
ついておられるからと奇跡もおこるかもとも願っていたが。

長崎におられるシスターに哀悼メッセージを送った。
「パパ様は天国で、神様にありがとう。と言われておられると
思います。」
といただいた返信に、永遠なる存在を感じた。

もう10年近く行けていないブエノスアイレス。訪問時に撮影
した写真。
7月6日通りにそびえる白い塔の夜の様子。当時はグリーンに
ライティングされていたが、悲しみに包まれる今はどうなって
いるだろう。
そして。その名のとおり、きれいな空気~青い空、白い雲が美しい
ブエノスアイレスの町。
今の空は、涙色か。
フランシスコ教皇はここで生まれ、育ち、そしてバチカンで生涯
を閉じられた。

会ったこともない私がこんなに悲しいのはなぜだろうか。

改めて、世界平和を祈りたい。ブエノスアイレス生まれの
教皇様に心からの敬意と感謝を込めて・・・。

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平和と愛、ふるさとへの思いを伝える。

昨日4月21日は、今年初の岐阜新聞ロビーコンサート出演と
なった。
前回は昨年11月であったから5か月ぶり。お客様は覚えていて
くれるだろうか。
間があくと、いつも不安になるが、蓋を開けてみると、席は
ほとんど埋まっていて
安堵した。
久しぶりであるのと、今回は「平和と愛を願い、ふるさとを
想う」がテーマで
あるため、とくに平和と愛を表現した新曲を用意したかった。
そこで浮かんできたのは、平和への思いを音楽で,どう自分な
らば表現できるかということ。

人が人の命を奪い合うという狂気の世界に対して、終わらない
戦争への怒りと、多くの方が命を落とし続けていることへの悲
しみ、とくに愛する人を失った方の立場になるとその悲しみ
は・・・・。

これらのやりきれない感情と、現状に負けないという自らとの
闘いなどを表現したかった。
浮かんできたのは、行進曲。泣きながら、怒りながら、行進し
ていく人々の様子。
ロシアの兵士の母親たちの勇気や、被団協の方の訴えや、被爆者
の多くの証言・・・私が知るわずかな情報、見聞から、怒りと
悲しみを現す行進曲を描いた。
葬送行進曲のようなものではなく、とにかく前へ前へと進んで
いく様。

タイトルは「涙のマーシュ」。マーシュとはドイツ語で行進曲。
ベートーベンのピアノソナタ8番の悲愴と絡めて、どうしようも
ない悲しみを乗り越えていこうとする思いを表現したかった。

今回のコンサートで初披露。反省点だらけではあるが、どこかで
披露しないとはじまらない。
そういう意味では、いい初演となった。
みなさま、熱心に聴いていただき、とてもあたたかい拍手をいた
だいた。

怒りと悲しみをどう表現するか。
最近、このテーマに意識が向いている。
そう、世界のいろんなことに、怒りと悲しみの感情が湧きまくって
いるから。

音楽は武器にも対抗できる、協力な平和の発信ツールである。


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コロナの影響、今なお。

両親が贔屓にしていた飲食店が今週で閉店となる。
と聞いて、1年以上ご無沙汰していたが、久しぶりに
足を運ぶ。
営業最後の週末ということで、多くの来店。
予約も何件も入り、活気を呈していた。
その様子だけ見たら、コロナ前の週末のようだ。

「コロナでお客さんが減った。団体の利用がなくなった。」
と女将がずっと嘆いておられた。
コロナのときは、営業ができず、本当に不安な時期を
家族で頑張って乗り越えた。

その後、コロナがひと段落してからは、お客の外食に関する
意識や慣習も変わり、何かあれば集まって食事をするという
機会が減少、店にとっては難しい状況が続いた。

そんなことでの今回の判断。
飲食店を約60年営んできた女将としては、苦渋も苦渋の
判断。
「長いことありがとうございました。」
親たちが大好きな店であったため、そのお礼を伝え、
感謝を込めて、ブーケを贈る。

コロナは落ち着いたように見えるけれど、今なお、
影響を受け続ける店はある。

久しぶりにその店で、定食をいただき、妹と両親たち
との時間を懐かしく偲んだ。
この店で過ごす父が、本当に幸せそうだったことが
思い出される。

開店するより、閉店する方が大変。
仕事がすべてであった女将のことも気になるが、
まずは無事に最終日まで乗り切っていただきたい。
すべては時代とともに。

「長いこと ありがとうございました。」
スタッフの方からも声をかけていただき、
働く人のことを思うと、心が痛む。

お客はずっとあると思っていて、
いつか行けば良いと思っているが、
店はずっとお客を待っていて・・・
そして、終わるとなると、急いでやってくる。
何とも言えない現象が今回も・・・。

女将、お店の皆さんの今後も応援していきたい。

楽しかった美味しかった食事は
一生の思い出に残るはず!







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一万歩のクリエイティブタイム。

お世話になった作家の野村正樹さんは、生前毎日1時間以上は
近所を散歩されていた。それが日課であった。
自営業はとくに自分で日課を決めて動くことが重要だ。
会社や他人が何かを決めてくれるわけではないから。

散歩は、一見、健康のためのエクササイズでもあるが、
構想を練ったり、思索をするのにも大変有効な時間になる。
ずっとデスクに向かっているだけでは、執筆が進まないことも
あるはず。
またパソコンで終日検索して情報を見ているだけでは、
煮詰まってくることもある。

身体を動かし、さまざまな世界、日々の変化に触れながら、
頭の中にある情報を整理したり、新たなヒントを得たり、
気分転換になったり・・・。
あえて「創造的散歩」と呼んでみるが、ぼーっと歩くだけで
なく、考えながら歩くことは、一石二鳥以上の効果がある。

私も出張のときは、移動のために歩くが、その必要がない
日も、1~2時間は歩く時間をとるようにする。
用事をつくりながら、そこに向かうまで最近では音楽を聴き
ながらあれこれ考える。
音楽のことだけでなく、昨日の会議の振り返りであったり、
今抱えている課題について・・であったり、とにかく五体を
動かしながら、頭も心もフル回転させ、ときに深呼吸して立
ち止まる。
そうすると、いいアイデアが浮かんできたり、解決策がみつ
かったりもする。
もっとも、メールをチェックしながら、歩みを止めて、返信
してからまた歩き始めるときもあるが、なるべく歩を止めず
自分の世界のまま歩き進める。
スマホを持たずに歩く方が良いが、一方歩数の確認には
必要であったり、途中でメモをとったり、浮かんだ曲を
すぐ録音するには、スマホは散歩のお供である。

ある会社員の方も、昼ご飯を食べずに、散歩に行くのが日課
とのこと、とてもいい習慣だ。
会社の中でランチをとる、外に出て食事をする、散歩をする。
自分にあった解放の時間。午後の仕事のためにもいい時間。

想像のための散歩。
心身が、健康で生き続けるための基本でもある。

てくてく歩きは、最上の自由時間。

リストもベートーベンも、みんな歩きながら、
考えていた。
とても励みになる。

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とりあえず いってみますわ。

ポルトガルを語るときに欠かせない、「サウダージ」
という、聞き慣れない言葉。
意味は「郷愁」「思慕」「切なさ」など、生きる時間を
重ねてきた人にこそわかる、人生の悲哀を現している。

ポルトガルは500年以上前に繁栄した国で、多くの世
界遺産がその栄華を今に伝え続けているが、この過去
の栄光への思いが、この「サウダージ」と重なるのか
もしれない。

郷愁の国、ポルトガル。
ファドを聴くたびに、まさにサウダージそのものだと
感じた。なんともいえない深みある哀愁に満ちた声。
若い歌手の言葉より、齢を重ねた熟年の歌が心にしみ
いる。
スペインのフラメンコのような激しさ、強さではなく
静かに奥底から心に沁み込んでくる。

大陸の最西端であることも、ポルトガルの過去の栄華
に関係している。ザビエルたちが出航した海岸に立った
時、希望に満ちていた時代が想像できた。

美しき世界遺産たちが現役だった時代、
と、私なりにも大変思いが募るポルトガル。

来月、その国に移住する弟(分)。30年前からのつきあい。
壮行を兼ねて、久しぶりに会い、これまで共有した時間を
ふりかえり、無事の出発を願い、乾杯をする。

暫く会えないだろうから、と思い、
ポルトガルにわざわざ行く移住人に託したもの。
旅の道連れ、おともの品である。
長崎とザビエルと信長が自分のなかではポルトガル
につながるため、それに関するモノたちを用意した。

リスボンや長崎や信長への思いが詰まったマイCDと
歌詞集、オリジナルカレンダー。長崎の職人が作った鼈甲の
十字架、京都の金平糖。
そう、金平糖はコンフェイトー。もともとはポルトガルの
お菓子であり、信長も好んでいたもの。

十字架はザビエルが日本に伝えたものであるが、それを
持参することが歴史のお返しになるかも。と勝手に
用意した。

もう会えないかもしれないから。
そんな思いからも、これらの「道連れ」の小物たちにも
思いが籠る。
長崎にゆかりある旅人が、長崎で生涯を閉じたルイス・
フロイスのふるさとリスボンに住まうとは。

「とりあえず いってきますわ。」

500年前サビエルたちがポルトガルからこちらに向かうとき、
「とりあえず いってきますわ」ではなかった。
いのちがけ。結果、ザビエルは戻ることはなかった。

現代は戻ろうと思えばいつでも戻れるし、いかようにもなる。
それが500年前とは違う。

とはいえ、万人が同じ選択と行動をとることはできない。
自由を希求する人が苦労してつかんだ、大きなチャンス。
きっと現地で新たな道がまたみつかるだろう。
心からの応援と、無事の旅を祈る。

別れてからの帰路、
サウダージな気持ちに包まれた。

 

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毎日が人間観察研究所。

おかげさまで、毎日毎日、いろんな世界で生きている方に
接する機会をいただいている。
仕事でプライベートでご一緒する人から、
移動中にみかける人、店で出会う人・・・。
その人その人を観察しながら、この人はなんで、こういう
表情になるのだろう、なんでこういった言葉遣いなんだろう。
この着こなしはどうしてだろう・・・。
見られている人からすれば、ほっておいてくれ。という
話になるが、もちろん自分も見られている前提で、
見える世界は見えてしまうから仕方ない。

たとえば、昨日1日をふりかえっても、仕事だけでも、
対面オンライン含め十人以上の方と時間を共有した。
ふりかえり、心に残っている人は、まず一生懸命に
取組んでいる人。特に前向きに進もうと考え、行動に
移す人。お互い、笑顔を交わした人。
そういう人との仕事はこちらもやりがいがある。
また、心を開いてくれる人との時間は嘘がなく
気持がいい。幸せをいただいた気持になれる。

なかには、何を考えているのだろうと思う人も
いるが、それはこちらの観察眼がまだ弱いのかも
しれない。
表情や言葉に出ない人は、見えづらいから仕方ない。
見えた方がお互い幸せかなと思うが、
それは、余計なおせっかいかもしれない。

と、まあ、日々いろんな出会いをいただく。
いいこともそうでないこと、
いいときもそうでないときも。
それでも、いい方が断然に多い。
好きな人が回りにいっぱいいてくれる。
だから、いいじゃない。

人間界に生きる全員と会うことはないこの一生。
一緒に生活をする、仕事をする仲とはかなりのご縁。
そこまでいかなくても、たとえ、道ですれ違うだけでも
電車で居合わせるだけでも、束の間の出会いでも
何か学びや発見もあるかもしれない。
そういう意味では京都に押し寄せているインバウンド客も
観察してしまう昨今。

人っていったい何なんだ?
多種多様、さまざまな人間が同じ地球に生きている。
多様性なんて言わなくても、最初から多様なのだ。
みんな違っていいから、ただ、平和でいたい。
ということだけは
共通であってほしい。

そんな思いで、毎日が人間観察研究所。
人間って何なんだろう?

そういった興味で世間を見ながら生きると、
また違う愉しみも沸いてくる。

さあ、今日も新たな出会いに期待して!




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大きくしなる。しなやかに生きる。

最近、真の意味で強く生きたいと願い、そうあるには?と考えること
がある。
しなやかに生きる。という言葉がとても好きだ、音も心地よく、
圧を感じないが、凛とした強さ、内側からわきあがる力も感じる
言葉だ。

「しなやか」と「しなる(しなう)」の語源は共通している。
弾力があって,力を受けたとき折れずにしなやかに曲がる状態。
たわむ。しなる。
どんな外圧にも、いったん曲がるけれども、折れることはない。
また元に戻る力も備えている。

植物でいえば、竹がそんな存在だろう。
まっすぐに天を仰ぐ竹も、風が吹けばよく曲がる、
人の手によって曲げることもできる。
でも、折れずにしっかり存在する。

竹を割ったような性格という表現も別にあるが、
竹とはしなやかさを例える貴重な存在でもある。
(と書きながら、嵯峨の竹林を思い浮かべる。)

そう、竹のように生きる。
どんな力にも一見、柔軟に対応しながら、でも、
ブレることなく自分らしく生きる。生きたい。

よくしなる人でありたい。
これにはトレーニングも必要だ。
いろんな力に耐える力を身に着けること。
より多くの障害に、障壁にぶつかることも結果、役立つ。

自分らしく生きたいと願えば願うほど、我を通すのではなく、
よくしなる方が結果、うまくいくのかもしれない。
折れない生き方がいい。

どこまで強くなれるか。
毎日が問われている気がする。

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