大阪の社長さんたちが、受刑者たちの出所後の就職のお世話をされ、自ら彼らを採用をされ、職場で更生の手助けをするプロジェクトのことを知った。その筆頭メンバーには、少し存じ上げているお好み焼き屋の社長さんもやっぱり入っておられた。なにわのド根性でもって、前科者を社会復帰させるということらしく、その活動には頭が下がる。過去はどうでもいい、大切なのは未来だ。その気があるかどうかだ。経営者たちは一生懸命、受刑者たちの社会復帰について考え、積極的に取り組まれている。刑務所での会社説明会なるものもやっておられるようで、驚いた。そのなかで、もっとも感動したこと。ある建設会社の専務~おそらく30代後半か~もそのプロジェクトに参加され、出所してきた若者を積極的に採用し、面倒を見ておられる。就職してもちょっと何かあると辛抱できずに逃げ出すその人たちのことを、若い経営者は諦めることなく、彼らに寄り添って、社会人としてちゃんと自立していけるようにと雇用されている。すぐ逃げ出したり、やめたりという人も多い中、雇う方は大変だ。仕事のスキル以前の問題である。社会人としてのイロハも教えていかねばならない。
なぜ、リスクを冒してまでそういった人を雇い、更生しようとするのか。それにはわけがあった。その専務さんの妹さんが過去に、留学中に交際相手に殺害されたのだという。もう、こういった犯罪で被害に遭う人がひとりでも少なくなるように、自分ができることをやろうと決めたのだという。妹の遺志である世の中の役に立つ仕事がしたい~という思いの下、今の取り組みを亡くなった妹と一緒に仕事をしているような気持ちで、取り組んでいるのだという。もし、雇用した彼らのことをきちんと更生させられずに、もしも再犯ということが起きたら・・・きっと自分は自分を責めると思う。だからそうならないように、彼らをしっかり更生させたい。そうすることで妹がうかばれる・・。と言う強い意志をもった兄である専務の言葉を聞き、胸が熱くなった。
その経営者は、むきだしで前科をもった若者と語り合う。「なんで、そんな悪いことしたんや?」愛情不足で育ち、いじめられたことが原因であったことを語りだすその若者に、経営者は黙って話を聞き、人として対話を続ける。「な、一緒にがんばろうや。もう、悪いことしんといてくれ」と静かに語る専務のことばが、若者にどう響いたか。
そう、自分の人生、最後に自分を責めることがひとつもないように、やるべきことをしなければならない。最後、自分を責めなくてはいけない人生は不幸だ。よくやった、やりきった、それ以上やりようがなかった、これでいいんだ。と自分で胸を張れるように生きることが大切だ。いつか、その建設会社の専務さんに会ってみたい。お好み焼きの社長にも!なにわの社長さんたちは、なかなか人情たっぷり、面倒見がいい。自分に誇りをもてる人生。ああ、私ももっとしなければ。
自分を責めることがない人生づくりを
「愛の元気人」8月分、本日オンエアです!


本日8月29日18時より、ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」オンエアです。
今回のゲストコーナー「にいがた元気人」には、新潟男子のおもてなしで全国の女子との縁を結ぶ婚活活動に取り組む、まじコン.comの近藤希以子さん、元小学校教員でその経験を生かし、現役の教師のサポート活動を行う、スマイルうぃんずの小川久美子さん・渡辺順子さんです。新潟でそれぞれの分野で奮闘する皆さんの元気トークをぜひお楽しみください。
パソコンからも、スマホからもお聴きいただけます。(専用アプリをダウンロードください)
親孝行も平等に
この1年と3か月、毎朝6時に母親へメールを送り続け、体調を確認しながら、元気に生きる!エールを交換してきた。意味不明の変換ミスが多い返信でも、一生懸命返そうとしているのが、ほほえましく、安堵もする。
それは、彼女が1年前に胃がんになったことがきっかけであった。病気に負けないで強く生きてほしいというつもりでの、遠隔地に住む娘からの勝手な働きかけであった。あくまでも、病気がきっかけであり、何もなかったらこんなことはしていなかっただろう。
一方、この間、少しづつ気になってきたこと・・。父親との対話だ。
両親とは昔からコミュニケーションがむつかしかった。対話にならない、すぐけんかになった。それが嫌ということもあり、18歳のとき家を出たという一面もある。
しかし、父と今いろいろうまくコミュニケーションしなければならない。しかし、どうしても母親に比べると、必要な用事があったときだけになってしまう。電話をするとやっぱりけんか腰になってしまう・・。何かあったら先に連絡して!このことを何百回いってもそのようにならない。と、行動を変えてくれない父に対して、いらいらする自分がいた。
しかし、よく考えたら、相手が変わらないならば、自分から変わればいいのではないか?
自分からコミュニケーションできない人ならば、こちらかからすればいいじゃないか。母親には毎朝メールしているのに、父には用事があるとき、しかもいい話ではないときばかりの連絡だ。あ、これでは父は変わらない。それ以上に、不公平な親コミュニケーションをしているような気がしてきた。
ということで、これから毎朝父に電話しようと決めた。6時に母にメール、7時までに父に電話。さあ、またひとつ毎日の仕事が増えた。
でも、そういうことが大切だ。あと何十年もできないことだ、やればいい。できるじゃないか。
「お父さんは、自分から電話くれないので、これから私が毎朝電話するわ」と言ったら、父は黙っていた。
そしてその翌朝、6時半父から珍しくメールがきた。「おはよー。何もとくに問題ありません」・・・・父が少し変わった?
それはそれとして、父という存在はもしかしたら、とても寂しい存在かもしれない。と思い直した。私が知りうる父の人生を振り返ると、もっとしてあげることができるのではと思えてきた。両方いて親である。両方いてくれたから今日の自分があるのである。またまた忙しくなるが、自分が行動を変えることで親子のコミュニケーションもよりよくなれば・・。ま、喧嘩できているうちが幸せであるが。
いずれ、別れの日がくるだろう。その日まで後悔することがないように、気づいたことは改善し、行動し続けたい。
人身事故のない国に
いやー、たまらない。ここんところ、電車の人身事故に間接的ではあるが、巻き込まれ、とても迷惑している。
出張先から帰ると電車が止まっている。(最近は便利で、メールサービスで先にわかるのはちょっと便利ではあるが)
荷物も多いので、超混雑のほかの電車に乗る気力も体力もなく、やむなくタクシー。余計な出費だ。
さらに、今回の出張。通勤時間の出発であったためこれも良くなかったが、出かける1時間前に人身事故との知らせ。
まさか・・。でも本数が減っているだけで動いてはいるようだ。ということで駅まで行く。本数が減ったせいで、来る電車には
すし詰め状態に人が乗っている。うわ~荷物持って乗れないな。と言っている場合でなく、混んでいる電車の中、なんとか体をねじ込んでバックも人様の迷惑にならないよう抱えるようにして乗る。呼吸困難になりそうだ。この混雑がいやで脱サラしたようなものなのに。でも、なんとか大手町まで行ってくれ~。この異常に混雑した電車は事故後でもあるためドアの開閉も慎重、ゆっくり出発し、のろのろと動く。ああ、このままうまく行くか・・・新幹線間に合うか・・。早く出たつもりでも、ちょっとピンチな感じだ。竹橋でいよいよ地下鉄は止まった。ああ、だめだ。私は電車を降り、荷物をかついで階段から地上に出てタクシーを探したが、大勢の人が同じ状況であり、また雨の通勤時間で車はない。仕方ない。雨のなか、ガラガラと荷物を引っ張って東京駅まで歩く。予約をとっていた新幹線には間に合わない。ああ、どうしよう、切符は?どうしようか。考えながら、今日はセミナーなので絶対に遅れることはできない、またこんな状態で人前で話す、落ち着け落ち着け・・・いろんな自己問答をしながら、汗と雨でぬれたまま東京駅へたどりつく。乗るはずだった新幹線はもうすでに出発しており、切符は無効になり、それでも駅で交渉して、自由席で次の電車に乗ることができた。
くたくたになり 電車になだれ込んだ。誰に向けたらいいかわからない怒りと、なんとか間に合うことがわかった安堵でしばらくぼーっとする。
(もっともその乗った新幹線でまた何かあればわからないが、そのときはまあ、そんなに同時にそんなことも続かないと勝手に信じている)
新潟に無事着き、予定どおりセミナーを行うことができ、今日の話題ということで、そんな体験もネタにもした。
人身事故に慣れっこになっているのが怖い今日。
「またか~」そのたびに、いろんな声がネット上で拡散するのも、不思議な感覚だ。
ホームから落ちてしまう事故なのか、自分で飛び込むのか知らないが、どっちにしてもやめてほしい。
まったく関係ない人たちが、多大な迷惑をこうむる。
テロも、それも 社会に迷惑をかけるというという点では同じだ。
先日ある人と食事をしているときに、ぽろっと言ったことばが忘れられない。
「生きていたらいいんですよ。どんなことがあっても生きていたら。一番許せないのは、自殺する奴です。それだけは許せない。まわりにどれだけ迷惑をかけるか、残されたものがどんなに大変か・・・」その方には何か最近あったのかこしれないが、本当にそうだと
思った。死にたかったら、誰にも迷惑をかけない場所でそっとやってほしい。
人身事故という言葉に、人々がある意味ショックを受けなくなり、日常の一コマ~電車の故障と同じように 受けとめつつある社会が
おかしい。
私にとっては、安保とか、オリンピックよりも、今こういう現実がある社会を救う、問題を根本からなくす方が優先すべき課題ではないかと思う。一度、政治家のみなさん、この満員電車に乗ってみなはれ。
と話が飛んだが、人が多すぎる東京、ちょっと考えなければならない。
次回からは、もっと早く移動しなければ・・・。これでも十分早め早めに移動しているのだが・・。
人身事故、なくなる世の中。もう、東京のような都会では無理なのか?これ、何かおかしくないか?
そう簡単には・・。
知り合いの画家。50代早めに脱サラされ、専業アーチストとしての道を歩まれてもう
20年近い。細々とではあるが、切れない関係だ。
世界を旅しながら、あるいは幻想的な想像の世界でも描かれる。不思議なパワーがご本人の中に潜んでいるような
感じがする。サラリーマン時代は、幻想的な小説も書かれていたという稀有な存在。いつの間にか、内外で素晴らしいキャリアを
積まれており、本当に某企業の○○部長だった人だろうかと不思議な方、。
私が創った「フランチェスカの夢」を聴いてくださって「これを聴いたら、ハピエル城を思い出しました。いつかそこで
コンサートができたらいいですね。」とのコメント。ハピエルとはザビエルのことで、そこはザビエルの生家である。
夏にお会いしましょうと言う約束から時間が経ち、結局会えないまま夏が行きそうだ。
実は2か月前に奥様が亡くなられたという。そろそろ落ち着くかと思ったのに、そうではないものですね~。という
メールの行間から伝わるものがある。しばらく間をおこう。
すると、1枚のハガキ。美術界の名誉ある賞を受賞された絵がそこに印刷されている。
「愛の元気人ライブツアーが終わったら、声かけてくださいね。素晴らしい経験をお祈りしています。昔、弾いてくれたタンゴのピアノ素晴らしかった、今も焼き付いていますよ」とメッセージ。この画家さんにとって、この夏はどんな思いの季節であっただろうか。
ふと考えてしまった。そう簡単には、人は忘れられず、切り替えもできないということもあるだろう。そう簡単にはいかない。それも人生。奥様が空からずっと見守ってくれますように。アーチストだからきっと悲しみとともに、そして悲しみを乗り越え、何かを表現されながら、その感情をアウフヘーベンしていかれるのではないか・・・。お元気に生きていただきたい。
イズム、ありますか?
最初に会ったときは、とても緊張したけれど、交流するにつれ、いい人だな。ちゃんと仕事されているな。と尊敬と好感度が高まっているコンサルタントがいる。私にとっては自分の仕事の世界とは違う領域について助けてくれる恩人でもある。まさか、この世界の方と出会うことになろうとは思わなかったが、未知の世界の難問を解くには助っ人が必要だ。いつも専門知識を授けてくれるのはもちろんであるが、その話し方、話しぶり。とてもわかりやすく、難しいことをわかりやすく話せるのは、本当の専門家だと思い、ますます共感を覚える。何回かお会いしているうちに、その人の生き方を学んだり、生きざまに少し触れるようなときもある。
久しぶりに仕事の話のあと、会食をしながら、自分の最近の小さな挑戦の話をしたら、その方は自らのサラリーマン時代のことを語り、当時のトップのイズムと根幹が同じだといい、共感を示してくれた。そのトップのイズムとは「自ら機会をつくり、その機会で自らを変化させよ」と創業者の言葉であった。その言葉はその会社のイズムとして、出身者たちには今も教えとして刻み込まれているのだ。そうか、私はその会社出身でもなんでもないけれど、無意識にそんな風にしてきているのかもしれない。
いずれにせよ、イズムがその人の死後も当時の社員たちの胸の中にずっと残り、生きる座標軸になっている・・・イズム、それがある会社とは、やっぱりすごい。イズムか、久しぶりに会話で、そんな単語が飛び交い、四半世紀ほど若返った気もした。そう、どんどん自分から挑戦しよう!そのことが自分のためになる。イズムとは普遍であること。・・マーサイズムというと、なんだか大それた感じになるので、そう表現するのは100年早いな。うん。
サードCD「1,2,3で愛のうた」本日より先行予約開始です
グラン・ルー開設17周年記念のサードアルバム「あなたに捧げる1,2,3で愛のうた」を9月17日にリリースいたします。それに先立ち、本日8月25日より先行予約を開始いたします。
視聴もいただけるサイトもご用意しました。ぜひご覧いただき、来る秋のおともにお楽しみいただければ幸いです。詳しくは、下記のサイトをごらんください。
「すまんかったね」と言わせない
広島の土石流での事故から1年。4年半前の東日本大震災もそうであるが、そこで亡くなられた方のご家族の気持ちは、時間が経っても癒えることが難しいと思う。
その広島での話であるが、何年か前に、都会暮らしから実家へ帰り、親の面倒をみなければということで近くに家を建てた40代後半の男性。親のすすめで選んだ土地。そこで土石とともに流され、亡くなったという。生き残ったご両親はずっと忘れることができず、その流された場所に花壇を作り、毎日その花を手入れするということで、そこに来てお参りされているとのこと。毎日息子に会いに行くという気持ちでの行動だそうだ。事故から1年。キレイな花が咲き始めている。その花に手を合わせて拝む両親。お母さんが「〇〇くん、すまんかったね。」と詫びておられる。お父さんが「息子にあの土地をすすめたのは私たちなんで、そんなこと言わなきゃ、死ぬこともなかったのに・・」と話されている・・そんな姿が胸につまった。
このご両親は、一生、この花壇の花を手入れするという供養をしながら、息子に申し訳ないという気持ちを持ちながら生きていかれるのだろうか・・。
親に「すまんかった」と思われるのは、子どもとしては、この上なくつらい。
出来る限り、いろんな意味でそうならないように。最後、笑顔で「ありがとね」と
別れができるようにしておかねばならない。
いろんな人災、天災が人々の幸せを奪う。そのことも覚悟しながら、日々のさまざまな行動にも細心の注意を払って生きることが大切だ。
「すまんかった」ではなく、「ありがとう」で結ぶ人生、目指していこう。
時間は経過しても、改めて、被災された皆さんのご冥福をお祈りし、遺族の方にお見舞いを申し上げたい。
「のど自慢」という家族の一大行事
この週末、土曜の夜中か「夜分、ごめんね。明日、出演決まったので、カネひとつ見てやってね~」と妹からのメール。出演とは、NHKの「のど自慢」。出演するのは妹ではなく、私の唯一の姪っ子である。どうやら学生時代最後の思い出ということで、友達と申し込んでおり、予選まで行けると聞いていたが、テレビ出演できるかどうかは前日に行うその予選で決まるとか。おそらく妹にしてみれば、自分の娘がテレビに出るというのは一大行事だろう。さらに、なぜか実家(岐阜)の両親もテレビではなく、その会場!に応援に行くという。出られるかどうかわからなくても、あらかじめ予定を空けていたのだろう。私の母はとてもはりきって、恒例の6時メールに「今日は、のど自慢の会場に行ってくるわ。冥途の土産がまた増えた」と書いてくる。そう、のど自慢。さすがにあの番組に出ようと思ったことはないが、私は3歳のときに最初の某食品メーカー主催ののど自慢大会に出たことがあったらしい。大村昆さんが司会だったようだ。そして長島温泉でのそういった大会にも小学1年ごろ出ている写真を見た記憶がある。小さなステージでも、出たら出たで、両親は近所の人たちに必ず自慢げに話していた。そう、「のど自慢ではなく、「のど自慢に出た自慢」
になっていた。それが、今回のNHK生放送の「のど自慢」であれば、その自慢はさらに拡大する。ほほえましくていい。そう、なぜ「のど自慢」は庶民のハレの場であり、家族が急に、楽しく巻き込まれる一大行事なのかもしれない。
姪っ子がテレビに映ったとき、なぜか涙があふれた。これが両親の冥途の土産のひとつになるのかな?ということ、またわが妹の子供がもう成人となり、立派に育ち・・・。だから、この番組は長寿番組なのだろう。さあ、今日から、両親の孫の
「のど自慢に出たのを観に行った自慢」がさく裂するだろう。ま、いいことだ。
疲れも吹き飛ぶ、タクシードラマ。
タクシーには、出張先でよく、都内ではごく稀に利用するが、ドライバーと自分だけという密室、しかも意図せず、どちらも相手を選んだわけでもない出会いというと
大げさであるが、タクシードライバーとお客の出会いとは、食事に好みの店に行くというのとは全く違う選択だ。偶然の偶然が重なる出会いだ。そこが面白く、また時には危険を感じ、それでもこれまで出かけた諸外国のタクシーと比べて、日本のタクシーはなんと治安が良く、安心して乗ることができるのか、さらには人のいいドライバーに出会うと、なんだかうれしい移動になったりもする。
東西線が人身事故で止まったと、出張先から戻る新幹線の車内で気づく。(メールサービスはこういうとき便利だ)重い荷物をもっての混雑した地下鉄の駅での待機はたまらん!ということで、東京駅の慣れない乗り場から、タクシーに乗る。
行先を告げてから、だいたい私が先に声をかける。「まだまだ暑いですね~」と気候に関することを言う。その反応により、そのドライバーのコミュニケーション力がわかる。対応が気持ちいい方の場合、なぜかいろいろ話を仕向ける。その投げかけに対して心地いいボールを返してくれるとますます質問してみようという気になる。
偶然出会ったドライバー、しかもこの密室。いい感じで明るく過ごせたらいい。
今回乗った車の運転手さん、なかなか丁寧で控えめで、優しそうだ。「ところで、運転手さん、どちらの生まれですか?」と聞いたら「私、新潟なんですよ」お!東京のタクシードライバーで新潟出身とは初の出会いだ。「そうですか~。私、上越から帰ってきたんですよ」「へ?そうですか~。実は私も昨日まで実家に行って帰ってきたばかりなんですよ」「あ、そうですか。実家ってどちらですか・・」という具合に
そのキャッチボールのやりとりは急にスピードも速くなり、運転手さんが嬉しそうに返してくれるのが面白くなってきた。「冬は雪かきしないといけないので2週間に一度は帰るようにしているんですよ」「おふくろつくったトマト、素人なんですけど、売っている野菜と変わらないぐらい、うまいんですよ~」どんどん相手のことが見えてくる。降りるころになって「新潟でディナーショーとかライブとかラジオとかもやっているんですよ」「へ?ど、どこでですか?」どんどん興味をもってくださる。
最後には「10月に新宿でライブしますので」と言うと、「あ、そうですか。私音楽好きなんで・・」ととりあえず、名刺を渡しておくと、「あとでホームページ拝見します」・・。乗った20分前は全く知らない人だった。もし、その車に乗らなければずっと知らない人。不思議なことに会話の中で共通点がみつかり、それが増えていくごとに距離が近くなり・・。
タクシーに乗るとは、移動だけでなく、コミュニケーションのドラマも楽しめる。
さて、またその魚沼出身のドライバーさんに、会えるだろうか?
地下鉄が止まったことで、不思議な新たな出会い。
タクシー・コミュニケーションはやっぱり、面白い。
そういえば社内に花をいつも飾って、時間に合わせてBGMを変えている新潟の個人タクシーのあの方は、お元気かしら?と書いていて懐かしくなってきた。
