お客様の声に励まされ、幸せを感じる。

サードアルバム「あなたに捧げる1,2,3で愛のうた」。発売後、お客様の手に届き、感想をいただきはじめる。最初のお客様の声が届くまでがまず、ドキドキだ。もしかしてこの曲も演奏も・・全部、誰もいいと言わないのでは?あまりにダメで何も言ってくれないのでは?と、とにかく、まあ最低、最悪のことも考えたりもするのだ。自分ではこれでいい、これだ!と思い作りあげたものではあるけれど、商品として外に出るまでは本当に不安なものだ。すると1本目のメール。「ワルツっていいですね。リズミカルだけでなくノスタルジーで・・・」「今回も泣ける曲がいっぱい。瞼が大変です」「幸せな時間をありがとう」にはじまり、曲ごとに感じたことをそのまま書いてくださる方もあり・・。装丁も好評だ。そして自分が一番よくできたかな!と内心思っている曲のことを、「もしかしたらマーサさんはこの曲が一番気に入っているかもと思いました」と言われると、わかる人にはわかるのかな。いやいや、全部好きだけど・・と心の中で思わず微笑む。「ピアノだけのワルツもいいですね。」「いろんな町の様子がうかんできました~」そして極め付けは「いい音楽をありがとうございました~」とお客様にお礼を言われること。いやー、「ありがとうございます」はこちらのセリフなんですが・・と本当にうれしい。そうそう、車中で聴いてくださった方はしっかり聴きたいから安全運転されたそうで。前は運転しながら聴くと事故起こしそうになるので、家で聴きます。との声もあったけれど、ワルツだと運転には支障ないのかな?などなど、これら、お客様の声をいただいて俄然元気が出てくる。

お客さまの声。これがすべてだ。また意欲が湧いてくる。

もっといいのを創ろう!もっとがんばろう!お客様に支えられ、がんばれる。1,2,3が伝わり始めていることで、なんだか幸せ気分になってきた。

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今こそ、一番大切なのは、「人として・・」

十分にコミュニケーションがとれていないために生じる誤解、摩擦。それをまずなんとかしてから前に進めばよいのに、何か急いで既成事実を作ろうとしている人たち。大切なことであれば、しっかり話し合って、わかった!という納得、共感をもってコトを進めればもっとよくなるのに、なぜこのような見方によっては一方的に見えるコミュニケーションしかとらない、とれないのだろう。
企業広報の立場では、良質のマスコミとのいい関係をお伝えしているが、良質なメディアとは何か?ということも最近よく考えなければならず、いろんな利権のために何かが動いている・・・と想像しているのは私だけではないだろう。
コミュニケーションとは何か。人が人として社会に生きていくための、まさに「人の間」を結ぶ活動だ。これなくして、自分の存在は理解されることはない。一見理解したふりをするのは、自分にとっていいことがあるから。自分にも利があるからだ。
「利」とは利益、利巧、利己・・・これは経済面では大切な要素であるが、政治はそれを超えるもっともっと大きなスケールでの視座・活動でなければならない。人として一番大切なこと。そのことがわからないで生きているとすれば、ほんとうに気の毒だ。
日本が民主主義の国というなれば、人としてあるべき行動をとる。ことが大切だ。
誤解をされているならば、誤解をとくように努力する姿勢こそが人の心を動かすのだ。
力では人は動かない。心で動くのだ。
人として、人として、人として・・。何度も唱えながら、自分のことも振りかえる。
政治家とは、職業ではなく、生き方であり、生き様であり、人生そのものなのだろう。
口だけでなく、人のに立つ仕事を。人として!
と、なぜか最近の日本の様子を見て、こんなことについ、力が入ってしまうのは
決して良いことではないのだけれど。。

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おかげさまで17周年。多くのご支援に心から感謝申し上げます。

9月17日はわがグラン・ルーの創立記念日です、おかげさまで本日で17周年を迎えることができました。
34歳からの新たな出航は、沈没することもなく、今日までなんとか動き続けています。
心の観覧車を創るというコンセプトをつらぬき、なんとかかんとかおかげさまで・・・のわが人生です。
さまざまなご支援、ご指導、ご協力に心より感謝申し上げます。
本日よりわがサードアルバム「あなたに捧げる1,2,3で愛のうた」も予定どおりリリースいたします。
また10月よりリリース記念の愛の元気人ライブツアーもスタートします。
生きる限り、心の観覧車を回し続けたい、そして自分自身も回り続けたいと思います。
引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。
(公式サイトのシーズンメッセージも更新していますマーサ公式サイト)

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誰かの心に響いている「五感のハーモニー」

今年になっていろんなプチ挑戦を試みているが、音楽家としてBGM担当という仕事も
いつのまにか始まった。ある企画会社の社長さんのフレッシュな発案で、地元の写真家が
撮影した大自然の素晴らしい映像を編集、DVDとして商品化する、そこに私のオリジナル曲をB
GMにということになり、気が付けば第一弾が完成していた。(企画会社には大変な取り組みであり
ご苦労も多かったであろうとお察しする)
そして、第一弾のDVD写真集の発刊のことが先日の地元紙に掲載された。写真はそのときの記事だ。
お会いしたことのない写真家の方(記事内)の作品と私の音楽が、第三者のひらめきから融合、
一体の作品となるとはなんと興味深いことか。その写真家が大自然を撮影されているとき、
当然私の音楽も私のことも知る由もなく、景色だけをみつめておられた時の「八海山」と編集
された作品に込められた「八海山」とはまったく異なるものかもしれない。
そして、私も自分が作ったメロディがまさかこのような雄大な視覚的世界の醸成に役立つ日が
来るとは思っていなかったし、大自然に自分のピアノが合うとはある種の発見でもある。
いつか、この写真家の方にもお会いしたいなと思っていたら、間をとりもってくださった
企画会社の方から、寄せられた感想を転送された・・・その中の一部を引用させていただく。
・・・「今拝見させて頂きました。 外は36度、蝉も賑やかですが八海山の画面が広がると
同時に居間は別世界…引き込まれるように美しいピアノの音色と雄大な神々しい自然に我
を忘れ魅入ってしまいました。 四季の移り変わりも大変素晴らしく、殆ど家で過ごして
いる私には何よりの癒しです。 ピアノの音色にゆっくりパーンしアップから引き目に、
自然に変わる画面に只々引き込まれ力強い自然、優しい自然、美しい自然に心休まるひと時
でした」・・・
お会いしたことのないアーチストとのコラボが、お会いしたことのない方の心に響いていることを
確認できることで、かかわるすべての人たちと一緒に生きている喜びを実感し、五感のハーモニーを感じる。
ご縁をいただいた皆様に心から感謝。ああ、八海山に行きたくなった。
八海山-酒井さん記事

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面倒くさいを越える。

毎朝することがどんどん増えていて、どんどん早起き?にならざるを得ない。そういえば、もう何十年も目ざまし時計なしで生きている。
毎朝6時に母へのメールは連続16か月目に突入、変換ミスだらけの返事に母親から「メール面倒くさいな~」という声が聞こえてきそうだ。続いて父との個別コミュニケーションも必要に迫られ、父にも毎日6時半に電話と決めたが、結局はまずはメール。返信がない場合電話をするという、二段階に分けて毎日交信している。
たとえば6時にメールし、7時まで返事がないと電話をする。すると「今、メールうっとるがや~」と集中力をそがれたことへの文句?らしき言葉が返ってくる。あ、元気で無事という証拠だ。緊急事態などがあればメールより電話をしてくるはずだ。メールがかえってくるのは平和の証拠、安全の確認か。
この小さな習慣、面倒くさいと思えば確かにそうであるが、これも続けることで親子の関係も変わるはずだ 残り少ない親子時間、離れているからの親子時間がもてると思えばそれなりの価値と安堵感もある。
世の中には一見、面倒くさい。と思うことが多いが、それから目を離さず、進んでかかわっていく。「面倒くさい」を越えると、いいこともある。
そう、面倒くさいこそから、先にやるといい。
そんなわけで、わが朝はどんどん短くなる。

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自然には感情がない、でも、人間には・・。

4年半前の東日本大震災で地元が被災された知り合いは、何年か経ったときに地元の穏やかな海を見て「自然には感情がないですから」と語った。その一言はずっと脳裏から離れない。そして先週の関東地方の大雨。まさに非常事態。甚大な被害が出て、収獲間近の農家さんのこと、家族が行方不明の方、家屋が浸水してしまった方々のことを思うと、本当に心が痛い。なぜ、この日に、ここで。地震もそうだ。
昔、天災は忘れたころにやってくる。と言われていたが、今は忘れる間もない頻度でいろんな形で人間を襲う。
自然には感情がない。人間にはどうすることもできない脅威。
一方、人間は感情がある。そう信じたい。だから、本当は武力でもって・・・ではなく、対話でもって、交流でもって収めることができるはず。その才能がある人がリーダーになるべきだ。対話する相手も人間なのだから、感情がある。
予測もできない自然の暴力に接しながら、自然界も人間界も感情ないところへ進んでいるのだろうかとふと思ってしまった。
とにかく、被災地の皆様の1日も早い復旧を心からお祈りしている。

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55歳に次の照準を合わせる

まもなく、創業してから17年を迎える。そんなに大したこともしてきていないのに、よく続いたな~。弱音を吐くこともなく、誰かに大きな損害を与えたり、迷惑をかけることなくここまでの時間を進んでこられたことは、本当にありがたいと毎日思う。周囲のご理解、応援、ご指導、見守り・・・愛があっての今日だ。がむしゃらにずっと進んできた時間を少し折り返し、数字ではなく、知名度ではなく、自分にとって真の価値、やりがいと幸せ、そして存在意義を考えると、この先をきちんと見据える必要があると、最近思い始めている。
35歳で独立したからには、次は?と思案する。組織で働く人には、退職という節目があるが、こちら死ぬまで現役で走り続けるという生き方だ。
であれば、パワーみなぎるうちに(のつもり?)次の準備をしていくのがよさそうだ。
ということで、情報収集を進める。そのポイントは政府が政治的に言う「地方」ではなく、私にとっての次のステージ探しである。東京という町のいい面、どうかなと思う面、それを経験しながら往ったり来たりの生活で見えてきたものもある。
日本は素晴らしい国であるから、まだまだ力を発揮する場所がみつかるのでは?という予感を抱きながら、多くの出会いをもっとみつけよう。という意欲。生きている限り、挑戦しなければもったいない。そう思うと、55歳に向けて弾みがつく。だらだら生きるのだけは、生きるだけ無駄だ。目的意識をもち、いきたい町、やりたいことを明確にし、なりたい自分を醸成していこう。やっぱり、秋は自分が超積極的になれる季節だ。

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もし、自分が難民になったら・・

シリアという国はなんと悲劇的なのか。ここは世界史においては、人類発展の祖ともなる舞台のひとつ、大文明をつくった場所ではないか。そこが今やおぞましい紛争地域になり、人々は国外へ命からがら抜け出している。外に出るのに、巨額なお金を払って、人生の挑戦に賭けるのである。自分の受け入れ先がない状況で自国を脱出する、というのはどんな覚悟なのだろう。移民は自分の意志で未知の世界に向かう人たちだ。命を追われるのと、夢を追うというほど、違いすぎる。
ユーロ各国がドイツにならって受け入れを進めているが、受け入れられた人たちはとりあえず危険のない場所で一時しのぎができるという安心感を得ただろう。しかし、そのあとは、まったくゼロからのスタート。新天地で生活を続ける、きちんとした生き方をするとなると、順応するだけでも大変だ。お金の問題、言葉の問題、宗教や習慣の違いの問題・・・。それを乗り越えてでも、たくましく生きようとする人たちのことをニュースで知ると、ああ自分は平和すぎると思う。難民になったつもりで生きようとすれば、いろんなことの見方が変わるだろう。
安全なところに住めているということ、とりあえず衣食住満ち足りているということ。自由であるということ。なんという贅沢なんだろう。
見方を変えると、日本では違う意味の難民が増えているのかもしれない。情報難民、コミュニケーション難民、社会性難民・・・。豊かすぎて自分は何をしたいかわからず漂流するという人・・・。どっちがいいか・・。もちろん今の日本での暮らしはありがたい。感謝して、ちゃんとすべきことをしよう。戦争がひとたび来れば・・・そんなものは弾き飛ぶ。そしてもし、国内であってはいけないことが起きれば、自分たちが難民になることも十分ある。緊張感をもって生きる必要がある。

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オーロラ インパクトと哀悼。

9月11日はあのNY同時多発テロが起きた日。あれから14年。その後10年間毎年会い続けてきた、仲間たち。あの日同じ飛行機にたまたま乗ったというだけで、そしてあのテロがなければ、このような関係はなかった。まさかの到着地はアラスカ。一緒にフェアバンクス空港に降り立ち、そこで足止め。不便な待機時間のこの3日間、連夜オーロラに出会うという不思議な時間を共有した仲間。もう10年経ったから、毎年会わなくていいね。といったん解散。でもやっぱりこの日が来ると思い出し、連絡がとれる人にだけメールをするのである。運の強かった仲間たちは、今も元気でいるだろうか?と。そして国内外を飛び回る仲間(この強運な仲間をフェアバンカーズと名付けた)からメール返信が来る。
私のなかでは、この記念日は大きく人生を変えるきっかけにもなっていると思う。あの事件で人生に対して、または運命について考えるようになった。幸いにして何も無くしたものはなく、得ることが多い911だった。
14年経ち、この日に改めて振り返る。あのオーロラは現実のものだったのだろうか?現実だったのだ。飛行機が飛ばない空に、毎夜、飛行機の代わりに空に現れた不思議な存在。何か人生の陰影を表す象徴だったのかなと、今さら思ったりもする。
異国の空で出会ったオーロラ。そうなかなか経験できない貴重な時間と衝撃は永遠だ。
時間が経ってもテロはなくならず。NYでは遺族たちやその仲間たちはさまざまな思いであの界隈に集まり、祈りをささげている。
大雨も、地震も、台風も、テロも・・。生身の人間に予告なく向かってくる脅威。人間はちっぽけな存在だ。奢る必要がない。と思うこのメモリアルデイ。改めて、無事に生きられていることに感謝するほかない。

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うれしくて仕方ない、絶妙のハーモニー。

お客様が聴いていいな~と思っていただける演奏になるよう工夫することは当然必要だ。演奏自体も、プログラムも演出も。MCというつなぎのコミュニケーションが楽しみという方もおられる。やっぱりライブとはコミュニケーションの総合力が必要なのだと思う。
そんななか、いろいろ練習、準備に背中をおされ始めるこの頃。今回ゲストとして演奏をお願いする尺八の鯨岡さんと練習を行う。回数はあまり多くできないが、長年組んでいるせいか、ぱっと合わせられたり、息がなんとなくわかったり、一から全部言わなくてもわかったり、いろいろ伝わっている感じが心地よい。初めてやろうと思った曲。これは尺八に合うし、今回のテーマにも合うはずだ。意外性もあるかな・・・。和洋楽器のハーモニーも楽しめるよう副旋律もささっと作り、それで合わせてみる。初めて合わせる、そして自分自身も初めて挑戦する曲なのに、しっくり収まる感じ。いいね~。どんなに練習前にバタバタして1日を過ごしてきても、夜20時からスタートという夜分の練習でも、仕事なのに今日1日の部活動みたいな感じもして若返る感じもする。
なんだかいい感じに仕上がっていくと、本当にうれしくて仕方ない。ひとつのイベントを企画し、形にしていくには、ステージ以外のことの心配も多すぎてなんだか自分で自分を潰しそうになることもあるが、いやいや、やっぱりこのハーモニーを創れることがこの上なく幸せだから、だから音楽家という仕事はいいのだと思う。だから続くのだと思う。
練習の帰り道、録音したばかりの曲を車で聴かせてくれた。というか、本人が好きでいつも車の中で(きっと他でもだろうと思うが)流している。「好きなんです。」と自分が創る曲のことを自然に言う。そこもわかる気がする。私もいつも歩きながら自作の曲を歌って歩いている。好きなんです。自分の曲のことを「いい!」と誰よりも一番思っている。ある意味当たり前ではあるが。
自分が創る音の世界、それがあることの幸せ。どうやら、お金をいくら稼ぐということが最重要ではない世界の純粋さ。
もちろん、現実に生きていかねばならないので、そこはちゃんと苦しみも伴いながら。
とにもかくにも、もうツアーライブが10月からはじまり、それに加わる新たなステージも。
絶妙のハーモニー、いい音、いいメッセージを、わざわざ聴きに来てくださる方に心をこめて伝えたい。

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