お店も、学びも「楽しく」。その秘訣はライブ感?!

ビジネスマン向けの勉強会のアンケートに、「楽しく学べました」、「楽しかったです!」ということを書かれることが時々ある。仕事中に勉強に来ているのに お金も払って、時間を割いているのに、楽しくていいのか!と言われそうだが、それでいい、それがいいと思っている。ちなみに、私がお金を払って行った勉強会で、そのようなことをアンケートに書いた記憶はあまりないが・・。
楽しいっていいじゃないか。真面目なことを覚える、身に付けるには、まず「楽しい」が大切だ。子供の勉強も同じだ。楽しいと、必ず身に付く。
大人だって同じだ。だから、いつも笑いを大切に、刺激的な構成を考え、また相手に合わせたアドリブな返答を大切にする。わくわく感の追求はとことんライブ感にこだわるということだ。
勉強会だけではない。お店もそうだ。ネットショップには多数かつ、お値打ち情報含め、確かに魅力も多々あるが、そこでの買い物は本当の意味で愉しいだろうか?(もちろん、昨今、それが楽しいという人もいるにはいるだろうが・・)
売り場という特定された空間に「人間同士が出会う」というこのドラマはリアルな店舗でしか生まれない。「売り場」はマーケット。マーケティングの場であり、そのモノを通じての人と人の出会いの場、決して、モノの売買だけをする場ではない。そこは「売り場」ではなく「買い場」だという考え方もあるが、それも含め、売り場とは意識次第でステージにもなり、そして「一期一会」の場にもなるはずだ。

と、今週からスタートするライブツアーの準備をしながら、そう思う。
相手が楽しくなる!というのは、予定調和的な段取りどおりの行動をとる時ではなく、不意をつかれた、出会いがしらのようなサプライズの瞬間であり、人間くさい味が出たときだ。
それは、講師や店主・スタッフだけががんばってもできることではなく、相手があってその空気から生まれることだ。
そう実際のショーも、ライブもそうだ。観客によりステージは変わる。

いつも「相手」があってのこと。そしてその場の空気を大切にしながら盛り上げるライブ感。
ますます意識して取り組んでいきたい。
楽しさは幸せとイコール。どうせやるなら、楽しい仕事。もっともっと極めよう。簡単なことではないけれど・・。

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「その人」を思い浮かべていただく、幸せ。

モノというのは、その背景が見えるかどうかでまったく違う価値のものになる。
今、日本での消費形態の5%弱が、ネットによる購買だそうだが、マスコミ、ネットを介した情報を頼りに「便利」な買い方をすると、モそのものを買うということになり、それは安いとか、いつでも買えるとかの満足になる。
一方、最近商店街や、昔からあるお店、さらには農家との直接のご縁を大切にしたいという気持ちが高まり、ネットではない買い方、いただき方も増える生活をしていると、安く買った、すぐに手に入ったという喜びとは違う、心の豊かさを感じることが多い。
たとえば、新潟の農家から今年最後の枝豆がドーンと届く。そして土から掘ったばかりのさつまいもも同梱されている。箱の大きさの予想を超えた重さ。ぎっしり、ずっしり、どっさりだ。
続いて、長崎から生の栗が届く。これもずっしりだ。
注文したものだけでなく、突然の贈り物、おくりもの。売っているものはもちろん対価を払い。非売品には相当するこちら側が用意できる名品を返送し、感謝の意を伝える。
だから、時にはお金で買うだけでなく、物々交換ということもある。それも良い。昔はそうだったのだ。
いずれにしても、モノには人がいて、創る人、売る人、届ける人の思いがくっついていることを大切にしたい。
短時間に早くたくさん売ろうとすれば、ネットや量販店での売り方もいいが、ファンを創りたかったら、顔が見えるコミュニケーションがやっぱりいい。おいしさも倍増だ。
枝豆をゆでながら、その農家のご夫妻とその息子(この人が知り合いだ)のことを思い浮かべながら、ああこの人はこういう環境で育って・・・などなどいろいろ思い浮かべると、枝豆からその家族のことが見えてきて、理屈なしにありがたく、愛おしく思えてくるのだ。
モノの後ろには必ず人がいる。しかもその歴史を観れば、無数のドラマがある。
その人のことを思い、感じながら、食べたり、使ったりしながら、生活は豊かなものになっていくのだな~と思う。
(当投稿は、ネット環境の事情で、アップの時間が遅れましたこと、お詫び申し上げます)

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反応が一番の手ごたえ、やりがいになる。

CDの感想をいただく。毎日聴いてくださっている方もおられるとのこと。もうだいぶ覚えたという方、おうちで夫婦で夕食時に聴いていただき「さながらレストランにいるようでした」とおっしゃる方、6番目の曲泣きました。という方、あの曲が好き、あれがいい・・・と人それぞれ好きなものが違う。何度も繰り返し聴くことができ、また好きな曲だけを聴くだけでなく、いろいろ聴きながら、アルバム全体を楽しんでもらえる。やっぱり「アルバム」という存在はそれなりの良さがある。
1か月前までは、いや1週間前までは、これが本当に喜んでもらえるのかなと心配であった。自分にとっては大切な分身のような作品であるが、第三者から見てどうか?が作品である以上、もっといえば商品である以上、そこが大切だ。
声をいただくことで、気づきもあり、安堵もあり、反省もあるが、でも一曲という作品を通じて、だれかと自分がつながっていられること、何かメッセージをお届けできていることにこの上ない幸せも感じる。
どんな仕事でもそうだろう。反応があるということ・・・これが一番だ。誰も自分の仕事に目を向けてくれなければ、やる気も起きないだおる。レスポンスをいただくには行動を起こすことが大切だ。どうせやるならば、反応をいただけるような仕事をしなければならない。
毎日、その声を求め、ついがんばる。それが成長にもつながればいい。多くの声をいただき、本当にうれしい。何もないほどさびしいものはない。その間を葛藤して生きる芸人の人はいっぱいいるだろう。最近、表現する仕事をする人たちのご苦労がわかりかけてきている・・。
もっとがんばろう。もっと感動を。その喜ぶお顔を思い浮かべなら、ネクストステージに意欲が高まる。

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いくつになっても「がんばれ!」の一言で

毎朝両親とのメールが習慣になってきた。毎日なぜかお互いに励まし合うようになってきているような感じだ。

いろいろやることがあって、なかなか思ったように結果がすぐ出ないこともある。

でも進まなければならない。

そんなとき、なぜか自分に言い聞かせるように、気合を入れて「今日もがんばりましょう!」という一言を書く。すると

「お互いがんばりましょう。昌子さん、がんばれ!」と母親からのエール。

そうだな、老いた母にそんなに多くこれからがんばれ!と言ってもらえる回数は多くないかもしれない。と思うと、何か背中が軽くなるというか、やるしかない、できるだろう、やれる、必ずやるぞ!という気持ちに変化してくるから不思議だ。

「がんばる」・・・ときにはがんばりたくない、がんばらなくていいときもあるが、

今はがんばりどきなんだ!自分を信じていきなさい!と言ってくれているのがとても

ありがたい。励ます、ということはとても大切なことだ。親に言われると、がんばるしかないと湧いてくる、不思議なパワーは何なのか?

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毎日が敬老の日、学びと感謝の日

欽ちゃんはすごいもんだと改めて思う。70歳を過ぎてから大学へ通っておられる。仏教を勉強されているそうだ。忘れることを恐れず、どんどん知識を注入することで頭を活性化するそうだ。すばらしい。また毎日、会う人がいるということが幸せだそうだ。大学に行けば若い学生たちにいっぱい会える。そして交流するのがお互いに刺激的らしい。

瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さんの長崎での対談番組を見て、お二人とも生きた道は違えどそれぞれに精一杯、わが道と才能を信じて生きてこられた様が、一言一言に表現されており、そのことに感動。またその言葉の意味の重さだけではなく、その発し方に心が震え、ジョークを交え、さらりと深い話をされるその表現にも感心し。つい手を止め、見入り、聞き入ってしまった。

人に感動を与える生き方とは目先の結果を気にするのではなく、人生という大河に向かって思い切って身を投じるような挑戦的な生き方なのだろう。どこか根幹から揺さぶられるような熱いもの、強いものがある。表層的で自己的な生き方からは重い言葉は出てこないし、は人を救うこともできない。このお二人の言葉に救われる人は多いはずだ。真剣に自分らしく生きているその姿から学ぶことは多い。

もし年を取ったら、いや、毎日とっているし、とっていく。どうせ生きるならばもっともっと精一杯生きなきゃ、人生がもったいない。

そう、もう少ししたらまた大学にも行きたいし、もっと違うステージで表現してみたいし・・まだまだやるべきことがある。そして他人はどうでもいい、自分の価値観こそが大切だ。

とっても生意気だけれど、欽ちゃんにも寂聴さんにも、美輪さんにもそれぞれ共感してしまう自分がいる。

とにかく素晴らしき先人たちにもっと出会いたい。そして自分も後輩たちにいい影響を与えることができる人間になりたい。

毎日が敬老の日であり、感謝の学びの日だ。先人の生きざまを大切にし、自らが生きる道しるべにしていきたい。

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おもてなし力は気張らず、自然体のエンタメ力。

今週オンエアのラジオ収録時、ゲストさんとの対話で、新潟の古町の居酒屋の女将さんの言葉で印象に残るものがあった。「とくにおもてなし、おもてなしって特別のことではなく自然にお客様に喜んでもらえるようにしたいと思っています」。そう、「おもてなし」とは特別なサービスでも技術でもない。相手を喜ばせたいと思い、そうなるように行動する仕事の姿勢、相手への関わり方の問題だ。

今週、出かけた軍艦島の見学のツアー。なんでも現地では4社がこのビジネスをやっているそうだ。天候や見学地の安全面から4社で時間を分け合って共存しながら、しかも商売ではライバル。同じところを見学に案内するにも、どうも人気不人気もあるようだ。

今回私が参加したのは、どうやら一番人気のところだったようであるが、それはそれは慣れた、巧みのガイドさんの話。人の心をうまくとらえる話ができる。

そして飽きることのないプログラム。船での移動も2~30分ほどのことであるが、船内でありとあらゆる軍艦島に関する映像資料を見せながら、このツアーへの関心が高まるようドラマチックなタイムスケジュールに仕立ててあるのだ。

現地に着いての説明も一流だ。その炭鉱の建物の現在の様子を見ながら、同時にスタッフたちが当時の現場写真パネルを見せてくれる。紙芝居のように昔の暮らしぶりを見せ、そして廃墟に立ってその現場で話を聴く。理解も深まる。

いいモノを見せてもらった・・・帰りの船内ではカステラアイスなる、ユニークなご当地スィーツを販売。3人に一人は買ってしまう。

とにかく来たお客たちが、必ず喜んで帰るようにかなり緻密に企画しているのだ。

同行するスタッフも1船につき数名と少なくないが、わずか2時間半のツアーでもしっかりお客とコミュニケーションがとれ、いい関係でツアーを終わる。そして最後にはスタンプを押したカードをくれる。おそらく同じ人が2つ目のはんこをもらうために来ることは少ないであろうが、口コミをするのだろう。「良かったよ」と言って、そのポイントカードを友達にあげれば友達も来るのが楽しみになる。

とまあ、細かいことばかりではあったが、きめこまやかな当たり前の対応の積み重ねにその会社の名のとおり「コンシェルジュ」という存在感をしっかり感じることができた。

おもてなしとは、気が利くこと、相手が喜ぶことをいいタイミングでやってくれることに通じる。長崎は実はおもてなし力がかなりある!自然体でいるのが、親しみがもてて尚良いのだ。

ツアーが終わったとき、スタッフにいた中国人留学生に話しかけた。「日本語素晴らしかった。い経験されているね。がんばってね!」瀋陽から来ているらしい彼女、一言声をかけることで、とても喜び「はい!がんばります~~」と笑顔で答えてくれる。

この会社、きっと一人勝ちでは?これからも謙虚にがんばってほしい!そして私も見習いたいと思った。

新潟の女将さんたちも、長崎のツアーのスタッフもみなさん、普通で気持ちいい。

 

 

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ザビエルが呼んだ土地は日本一の絶景

平戸

日本にこんな場所があるとは知らなかった。長崎は平戸。佐世保から平戸に入り、さらに先に進むと生月町という島がある。赤い平戸大橋の次に、今度は水色の生月大橋という美しい橋を渡ったところにある、「島の館」なる生月島の博物館。その前から撮った景色がこれだ。まさに天からのギフトのような晴天のもとに、美しい海と山が一望。これまで出会ったことのない静かで、明るく、心安らぐ景色だ。

この島ではフランシスコザビエルが平戸にきて布教活動をはじめた時期からずっと途絶えることなく信仰が受け継がれている、「かくれキリシタン」の里として知られている。ということを最近知った。そして今回この地とご縁ができ、この11月にザビエルに捧げる曲「フランチェスコの夢」を演奏させていただく機会を得た。

世界遺産の受け入れ、さらにこの町の文化(捕鯨とかくれキリシタン)を発信し続けてきたこの博物館開館20周年イベントという貴重な機会に参加できるとのこと。記念シンポジウムの前のオープニングコンサートとは、もったいない。

なんでもポルトガルからもスピーカーも来られるまたとない機会に、ポルトガルで生まれたあの曲をこの島で演奏できるとは。まさにこの景色にぴったりだ。以前、ザビエルらがかつて出航したリスボンで見た重々しい曇天の海空とは違う、この景色は、何か新しい船出を歓迎しているようなそんな気もする。

生涯忘れることのない。美しい秋の景色。平戸の生月島。名前も素敵な歴史の島だ。400年のタイムトリップが自然にできそうなこの島で、新たな出会いが生まれる。とても刺激的な秋本番。

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「そこを去る」瞬間に想いを馳せる

軍艦島

やっと訪問できた島。「軍艦島」の名はその形からある新聞記者がたとえたそうであるが、実際は「端島」という。明治の時代から炭鉱の島として日本の近代産業を支え、昭和30年代はその繁栄のピーク、そして時代は石炭から石油の時代に向かい、1974年にこの島もその役割を終えた。1月に閉山を決め、3か月後にはそこで働いていた人も、住んでいた人もすべてそこを去った。この島を訪れる前日、偶然知り合いの紹介で出向いた出来立ての(なんと、開館2日目であった)「軍艦島デジタルミュージアム」でナビゲーターをつとめていた男性に出会い、衝撃的な話をたままた聞いた。この方は、なんとこの軍艦島出身者であった。父親が島で唯一の映画館(こんな小さな島に映画館があったこと自体に驚くが)を運営されていた。しかし当時の島民は高給でテレビの普及が本州よりもすすみ、どこの家庭にもテレビが導入、そして映画館は廃業。その父は映画館長から炭坑夫になったそうだ。その人が島を離れたのは12~13歳のころだったという。その話が深く胸に刻まれたまま、翌日ここを尋ねることができたのはなんとも不思議な感じだった。ずっとその元映画館長の息子さんの少年時代を思い浮かべながら廃墟と化した島を歩いた。そして船が島を出るときにだんだん島が遠くなっていく様を見て、胸がつまった。島民の人たちは、この島を出る最後のとき、どんな気持ちだっただろう。

繁栄の暮らし、小さな島での絆・・・日本の高度成長に貢献したこの島・・。見学者という立場なのに、島を背中にしたとき、泣きそうになった。産業遺産になってよかった。いずれ風化してしまうかもしれないが、それでも繁栄ということについて、日本の産業の歴史について学ぼうとする人が増えるきっかけになることはとてもいい。

きれいな秋空のもと、廃墟となった端島の輝いていた日をくっきりと胸に刻んだ。島を背中にしながら、思わずボイスレコーダーで浮かぶ音を録音した。島を去る・・なぜかやっぱりAマイナーのワルツになった。

 

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色は大切!

長崎にも仲間が少しづつでは増えつつある。1月開催が決まったコンサートの

チラシを知り合った方たちへお届け、報告・ご案内をする。

ある飲食店の料理長。何度か通うになって親しくなった。長崎に行けば必ず寄るというぐらい贔屓になり、先方もメニューにないサービスをしてくれたりと、とてもうれしい。

今回も4か月ぶりに訪店する。合間をぬって少し話す。コンサートの案内をする。

「本当にやるんだ。へ~。月曜か。なら行けるかもしれんな」

「そういえば、いつも紫着てるなー。」といわれる。へえ、そうかな。

「はい、私のテーマカラーなんです」「そうか、そうなんや」。

毎日多数のお客に接するこの商売ではお客さんをどう見て、識別しているのか。

その場合、色で見るというのもあるのかもしれない。

見られたいイメージで見ていてもらってよかった。と思いながら、何をもって印象を残すか。

形も大切であるが、色もやっぱり大切だ。

長崎のその料理長には「紫のザビエルおんな」と映っていたかも?

会うごとに、たずねるごとに、知り合いが増えていく長崎。港町らしい風が人間関係にもここちよく吹いてくる。

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家族は基本「スパイシー」。

前の投稿には、うれしい声の話を書いたが、今度は逆の話。家族など自分に近くなればなるほど、違った反応をされる。これがまたショックでもあり、しかし身内だからの声でもあり、そのとおりと冷静にもなる。

田舎の母は、ドーンと納品されるCDの山を見て心配になったようだ。「売るというのは大変なことだな~。売れるといいけど」と、それが第一声。内容よりも、在庫がつい気になってしまうようだ。「それが仕事だから」「そりゃそうだけど~。」と答える。その立場になってみると、その労苦もわかるということだろう

一方、相方からは、またまた辛口。「もっと歌を勉強しなさい」と言われる。素人に言われる悔しさもあるが、これはもっとやれ!と背中を押してくれているのだろう。まだまだだ。そう、本当にそのとおりなのだ。

近い存在であればあるほど、基本的にいつも辛口だ。

ソルトというよりも、かんずりとか、いや、激辛のハラペーニョか?

ま、ありがたくどんな味もおいしくいただき、消化していこう。

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