生きている限り、本当に人間は生身で、たえず変化しながら、時計を先に進めるようにだけ生きるようになっているため、ふと過去を振り返ると「ああ、こうしておけばよかった」と思うことが多くなる。
それもひとつの生き方かもしれないが、私の場合はあとで戻らぬ時間のことを後悔することだけは避けたい。と最近思うようになった。
若いときはあんまりそう考えてこなかったのかもしれないが、最近はできる限り、ひとつひとつ解決してから前へ行かないとどうも気持ちがよくない。
だから、ひとつでも「ああしておけばよかった」と後から思うことをなくすように生きていきたいのだ。
たとえば、人とちょっとコミュニケーションがうまくいかなかった。そんなときは、どんな理由があろうとも、自分だけに非があるのでなくても、でも自分にも少しでも非があったならば、先に謝ったり、自分の気持ちをきちんと伝えておく。伝えないまま、うやむやで別れてしまうのは良くないことだ。
または自分ではやってみたい。と思うのにやらないまま、人生を終わることもしたくない。やりたいことをする。というのが悔いのない生き方だ。
実は悔いのない生き方は疲れるし、パワーもたくさん必要だ。でもその分、達成感も大きく、気持ちがいい。
そう、悔いのない生き方とは、結果的にスッキリする生き方だ。
毎日小さなことも大きなことも、「悔いないように」と注意していれば、だんだんその悔いの数も減ってくるような。
今書いていて気付いた「悔い」って心に毎だ。毎日意識しながら、自分でいい人生を創っていこう。
今回の東京ライブもおかげさまで、悔いなくできたと思う。
「悔いのない」ってどういうことか。
紙鍵盤の時代
東京ライブの前日、近所のスタジオの小部屋に籠り、指ならしと声出しをする。地下という閉塞感もあるのかもしれないが、アップライトピアノに映る自分の指を見て、ふと「紙鍵盤の時代」が頭によぎり、手が止まる。
浪人後、親と喧嘩して音楽を一切捨てて、京都に移り住み、音楽と関係ない生活が始まったあの頃。意地でも自立せねば、昼間フルタイムで働き、夜大学へ通った。結果的にとてもよかった。おとといノーベル賞を受賞された先生が感じられたのと、同じだ。1日働いてからそれでも大学で学ぶ。真剣勝負の人たちに囲まれての大学時代・・。と、その話はおいといて・・・音楽を捨てた学生生活の始まりに、四条河原町の十字屋という楽器屋で、「紙の鍵盤」をみつけ購入した。88鍵盤ついているものだ。いくらしたのだろう?そんなに高いモノじゃなかった。みつけてすぐにそれを買い、ワンルームの住まいの机に広げ、時折、指の練習をしていた。音は出ない紙鍵盤。それを弾きながら、私はピアノを弾けなくなんかなりたくない、弾けるぞ、今でも弾けるんだから。という気持ちで、音の出ない紙の鍵盤の上を指を走らせた。そしてその鬱憤をはらすかのように、大学の大講堂にグランドピアノがあるのをみつけ、誰もいないときに、やたら豪快に弾きまくって、隣で授業中だったのか、先生に「今は授業中だから、ピアノ弾くのをやめてください。」と注意されたこと・・・。そんなこと、30年以上忘れていたのに、明日が東京ライブというときに小さな小部屋で紙鍵盤のことをふと思い出した。結局、ピアノは捨てたくなかったんだ。
紙鍵盤は、懐かしく。でも切ない。親も私も突っ張っていた。
鍵盤はやっぱり音が出るのがいい。と、東京ライブに向け、お客様の顔を思い浮かべながら、深呼吸。
紙でなく、生のピアノに向かえる幸せを噛み締め、今日の本番、さあ、心を込めて。
愛の元気人ライブ2015第一弾 ぎふ のレポートアップしました
さる10月1日に開催されました表記イベントのレポートを公式サイトでアップいたしました。
愛の元気人ライブツアー イン ぎふ
また、ここで紹介された長崎旅行の案内チラシは以下のとおりです。

引き続き10月8日新宿ライブ、いよいよ開催です。(引き続き好評受付中です)愛の元気人ライブツアー 申し込み
偉い人って?を考えさせてくれる人
ノーベル賞の発表の季節になってきた。このノーベル賞って、いつまでも継続できるのだろうか?と毎月不思議に思いながら、世界の反応を見るのが面白い。連日、日本人受賞が決まり、日本ってやっぱりすごいなと思う一方、こんな素晴らしい先生が日本におられたのか、と、初めて知った人も多いのでではないか。
私もそうであった。有名人っぽくない人が受賞されると、きちんと見る人が見て、きちんと選ばれているなと納得する。
大村博士は、「私は偉くない!」と大変謙虚な先生で、そのわずかなインタビューでもお聞きするにつれ、心から共感するところが多くうれしくなる。
なんでも、夜間高校の教師をしていたときに、仕事をしながら勉強に来る生徒を見て刺激を受け、「自分はいったい何か」とショックを受けたところから研究の道が始まったという。そこに気づかれ、それを機に、自ら研究の道を進まれたこと、世の中の役に立つことが大命題だったらしい。そして長年の研究結果から、多くの人々の命を救った。地道に研究を続けられてきた成果だろう。
受賞されたから偉いのではなく、ずっと一筋にひたむきに努力されてきたことが世の中の役に立った。その志、意志と、プロセスと、そして成果が一体になっての評価なのだろう。だから受賞に値するということなのだろう。
狙ってもらえるものではないのがこの賞のいいところか。
とにかく正しい道を進む人が評価される世界は見ていて気持ちいい。名誉のため、利己主義で頂点に立とうとする人の世界は目をそむけたくなる。偉い人って、偉ぶらない人だ。おめでとうございます!日本の誇りだ。
今のうちの記念撮影。

岐阜ライブでは、子供の頃からずっとお世話になっている近所の写真屋さんに撮影係もお願いしている。そのお店も今や娘さんがお父様の後継者として二世代でがんばっておられる。最近では娘さんがシャッターを押す機会が増えている。
演奏風景や会場の様子などだけでなく、今回はお客様がお帰りになった後、両親と一緒の写真をお願いしてみた。そのなかの1枚がこれだ。
改めてこの写真を見ると、なんともいえない。あまり見ていると泣きそうになってしまう。よくこの52年間、私が生まれてから途切れることなく生き続けてくれているものだとつくづく思う。
世の中には親子の写真なんていっぱいある。でも改めて親子で撮るという機会は、実は少ないのではと思う。とくに大人になってからは、そういう機会も少ないだろう。写真館で撮るほど洒落た家族ではないが、これがわが家らしいポートレイトなのかもしれない。
どちらにも似ている自分がいる。人とは不思議だと思う。
いつか分かれてしまうのだけれど、その日がずーっと後に来るように、できれば来ないようにと思うとまた泣けてくる。
写真は音楽同様、人の心を豊かにさせてくれる。そして現実を見せてくれる分、悲しさもある・・・。
芸術は人生を何倍も豊かにする!は本当だ。
岐阜のライブでは、長崎の資料も配布しながら、ザビエルプロジェクトのことを語り、その曲も演奏した。また「ワルツ」という括りでいろんなメロディーをお届けした。聴いているだけで本当にどこかに旅をしているような気がしてくる。タイムトリップも、地球の旅も、そして宇宙の旅も自在だ。思えば叶うのが芸術の世界。とくに音楽は時間を刻む芸術であり、それを聴くことで、人々の心に具体的なイメージが生まれる、町であったり、人であったり、色であったり・・・。人の想像力を膨らませてくれるのが芸術の創造性だ。
私はお金はないけれど、思えばいつでも、どこでも心の旅に出る。飛行機にも船にも乗らなくても そのつもりになることができる。
おそらくこれまで出かけた場所、見たもの、会った人、食べたもの、感じたこと・・・映画も本も絵画も写真もすべて創造の素材として
インプットされているのだろう。思い浮かべることができるのは幸せなこと。
今は体が自在に動く。だから行けるときにどんどんその素材をもっともっと詰め込んでいく。
いつか体が動かなくなったら、心や頭に入っている素材をもとにイメージしながら、別の楽しみ方をする。
そのとき、自分がつくった曲はその支えになってくれることと信じている。
芸術は人生を何倍にも豊かにしてくれる存在だ。今年ワルツを100曲書くなかで思ったことは「すべてはイメージから生まれる」ということ。イメージできる豊かさがあれば、人は死ぬまで成長を続けることができる。そうだと勝手に信じて、鼻歌歌いながら歩いていこう。
父の軌跡を讃える生き方を
人間が母から生まれた以上、母の存在を大切にするのは当たり前だ。一方、父親とはなんとも孤独な存在かもしれない。一生懸命働いて、家計を支えてきたのに、家庭のために人生を奉げてきたのに・・・報われている父親ってどれぐらいいるのだろうか?とくに職人気質だと言葉がうまくないため、言葉でのコミュニケーションが下手で意図しない喧嘩になってしまうこともしばしば。家族内でも孤立してしまう・・。特に女ばかりの家族だと余計にと父親の存在感は薄らぐ。少なくとも自分の父はそんな人だ。一生懸命モノづくりをして、雇われ職人として長年同じところにつとめ、限られた世界の中で生きてきた。育った時代ということもある。父がもっと裕福な家庭に育ち、親も成人するまで生きていてくれたら、きっと違う人生になっていただろう。そしてそうなっていたら私の親じゃなかった可能性もある。
しかし、現実は私の父親であり、唯一、かけがえのない父だ。
父は今月70代最後の誕生日を迎える。会社員としての仕事を終えたあと、20年近く、手探りで新しい事業を進めてきた。
時代が代わり、また高齢になり、ひとりでは難しい場面もあり、ここ数年一緒に取り組んできている。いつも喧嘩、言い争いの連続で過ごしてきた。恨んだり、怒ったり、そんなこともしばしばの時間を過ごしてきた。でも、喧嘩のあとは何もなかったように一緒に喫茶店に行ったりもする。そんなこともいつかは懐かしくなる日が来るのだろう。
喧嘩できるのはパワーがある証拠。そのことに感謝しなければならない。喧嘩したらスタンプ押すぐらいの洒落もいいかもしれない。
ともかく、自分と正反対の考え方、そして不器用な父の生き方を見て、このまま人生終わってもらってはいけないと思う今日この頃。せめて、自分が父の生きてきた軌跡を讃える生き方をしなければと強く思うようになった。
なぜならば、それをできるのは子供である自分しかいないから。
どんなに憎まれ口をきいても、父の人生は私にとって偉大なのだ。そのことをきちんと示していかねばならない。
父親という存在。
もっともっと大切に。ありがたい。生活の糧を稼ぐって大変なんだ。と、大人になってよくわかってきたのだから
もっともっといい思いをしてもらいたい。と心で思うが口に出るのは・・。
笑いあり、涙あり。をもっと目指す
仕事の現場で「敷居が高い」なんていわれている組織も時々あったりして、見方を変えればそうでもないけれど、その敷地内?組織内に入ってしまえば、同じ一人の人間の集まりで、いい人も多いのだけど、どうしても組織の手前、立場上、役割上、こむつかしそうな顔をしていないといけないこともあるようで、打ち解けるには時間がかかったり、そこにいくまでにいつの間にか疎遠になったりする。
長い時間かけて親密になるというのも良いが、本番仕事の場合は瞬時に親しい関係になるのが良い。敷居は取っ払わなければならない。講義でも公演でもコンサートでもなんでもいいが、しっかり伝えるために、いち早く相手の心をリラックスした状態に持っていくことが大切だ。だからどんな場面でも最初が肝心。また短い時間で相手の心に入るには、「掴み」が大切だ。
自分の場合もいつもそこを心がける。まさにここでも「AIDMA」の実行である。
びっくりさせて、笑わせて・・・。にこにこ顔で拍手をいただき、そこから本題。という感じ。そして途中、涙もあり、脳トレもありながらだんだん高揚・・・そして情熱・・・そして最後は締めの聴かせる曲・・。という構成だ。
お客様から「笑いあり、涙ありのコンサートでした」と何人もからいわれると、意図したとおりにいってよかったと安堵する。
ステージを創る、そこで演じる。どんな表現であろうとも、心のストーリーづくりを忘れずに。
聞こえないけど、また来たよ。
今年度のライブツアーがはじまった。毎年お会いする方も初めての方も、お久しぶりの方も・・・。
今回はふるさとからスタートだ。自分の拠点を順番どおりにめぐっているようなところもある。
成長や変化を見守ってくださるすべての人に感謝だ。
初めてお会いしたのが50年前という方、少なくとも40年前から存じ上げている方もおられる。
子供だった私はどんなふうに成長してきたのだろう。人から見たらどう見えるのだろうか。
そんなことを思いながら、語り、演奏する。
「毎年楽しみにしているよ」「生きててよかったわ」の言葉が一番うれしい。
耳が不自由な親戚のおじさん、今年もきてくださった。「よく聞こえないけど、見てるだけでわかるでいいわ」この言葉は、本当に心にしみる。きっと心の中に聞こえるハーモニーがあるのだと今回も思った。
いくつになろうとも、どんな状況になろうとも足を運んでくださるこ%
やり続けることの困難と奇跡。
ライブを続けるのも、実は毎回ちょっと勇気が要る。どんな状況にも負けないという覚悟が必要だ。仲間の言葉を借りると、ライブはやると決めた以上博打のようなものだから・・というが、その意味がよくわかる。
何年も続けるということは、いろんな変化に対応してきている、せざるを得ない状況でやってきているということでもある。
常連さんだった方が亡くなったり、ご病気になられたり、ご家族が大変になったり・・・そんなことがあって、それでもお元気においでいただける方、楽しみに来てくださる方がいらっしゃることを心からありがたいと思う。
時が流れるということはいろんなことが変わっていくということ。一時の評判、トレンドで終わってしまっては意味がない。
周囲が変わっていくと同時に自分自身も変化しているのだろう。そこも認めつつ、その波にのっていかねばならない。
改めて、ライブツアーがスタートする本日。再びお会いできるお客様に感謝、そして初めておいでいただけるお客様にも感謝。
続けられるのは自分の努力だけではない。皆さんが元気にいてくださるからだ。意志をもって時間を割いてくださったからだ。応援してくださる方が元気でいてくれるからだ。
そのことだけを覚えていたらいい。続けることのしんどさ。これはやった人がわかる。でも、しんどいのに、なぜ続けるのか?そこには悦びがあるから。やらなかったら絶対に感じ取ることができない感動にも出会うことがあるからだろう。
待っていてくださる方たちの笑顔を抱きしめながら、感謝して、心を込めて表現させていただこう。
決めた以上、きちんとお返しをすること。ああ、これから1月までいろんな出会い・感動があることだろう。
困難を幸せに変えるのは、自分次第だ。困難と奇跡は表裏一体だ。
ということで、今年もライブツアーがいよいよはじまる。まずは、ふるさとステージから。