生涯現役が当たり前の生き方の手本

ブエノスアイレスの空港から市内へは、安全安心第一でいきたいため、送迎の車をあらかじめ手配する。今回空港に現れたドライバー。以前にもたぶんお世話になっている顔だ。年配の人なので、覚えている。オールバックの白髪が記憶に新しい。
彼は重いスーツケースを車に積んでくれたあと、運転席に座るとき、とても足か腰が痛そうで、座る動作がしんどそうであった。じいさん、大丈夫かな?運転、大丈夫かな?正直、心配になった。ま、しっかりした会社にお願いしているから大丈夫だろうとは思いつつ、発車。ゆっくりの運転だ。車中、お互い母国語でない英語でのコミュニケーションになるため、またそのドライバーはそんなにおしゃべりな方ではないため、静かな車内。ともすると、彼が居眠り運転していないかと心配になり、いろいろ質問などしながら、とにかく起きていることを確認しながら乗っている・・落ち着かない。
早くホテルに着かないかな~。帰りはもっと若い人にとお願いした方が良いかな~。という思いも頭をよぎる。しかし、そのドライバー、運転は確かなのだ。とても安定しているのだ。
心配することはない、この人大丈夫だ。目的地に近づき、徐々に安心、そして無事到着する。そして帰国の日。復路のドライバー、まさかと思ったが、往路と同じ運転手であった。
彼の運転を知っているため、もう不安はない。そして3日前に乗ったばかりなのでお互いに打ち解けている。車中でいろいろ聞いた。年齢は74歳とのこと。日本であれば個人タクシーならば、そういった年代の方もおられるだろう。そのドライバー、名前はロベルタ。タンゴも習っていたそうだ、奥様は今もタンゴを踊るとか。若いころはサッカーもやっていた。アルゼンチーナは皆そうだ。サッカーが大好きだ。ボールひとつでみんなで遊び、走った。楽しそうな、熱狂の様子が浮かぶ。
若いなあ~。そして彼らは肉をよく食べる。
定年とか、年金といった制度が怪しいアルゼンチンの社会。老人も普通に現役で働いている社会。運転を若者に代わってほしいなんて、大変失礼な発想であったとロベルタと話していてつくづく思った。そう、若者より経験があっていい仕事ぶりだ。

一生仕事をし、現役で仕事をする。そんな人生が健康的でいい。
私自身も、生涯現役でいく予定であるから、このブエノス社会はとても参考になる。
いい年を重ねている人が多いこの国。

空港に着いた。ロベルタと笑顔で握手をし、また今度。どうぞ気を付けてね。とお互いに言い合い、彼の車を見送った。

豊かさとは、贅沢をすることではなく、自分の足で、アタマで自立することができることだ。

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「まだ」と「もう」の攻防

一緒に仕事をしている20代の女性と移動中に話をする。なんでも近々出張で初の海外体験をするとのこと。「これまで行ったことないんです。これまでも特に行くことはないな~と思っていたのですが。。」と、戸惑いながらも楽しみにしているようでもある。
「私も初めて海外にいったのは25歳のときの出張でしたよ。その1回から人生変わりましたよ~」と答えながら、自分の25歳の頃を懐かしむ。
そう、まさに25歳の5月であった。初めての出張は印刷業界でのNY市場視察。この頃はこういった視察をグループでという時代だ。
NYに慣れることがなく、酒と米がある日本にすぐ帰りたい~、と最後までのたまっていたおじさんたちもいたが、私にとってはこれが文明開化のはじまりとなった。
あれから27年。海外に何度足を運び、さまざまなことを経験、吸収させていただいてきたことか。
そんなことを思いながら、久しぶりにブエノスアイレス行きの往復路、ヒューストンで飛行機を乗り継ぐ。ふと、「27年前が初渡航だったのか~」と空港のトイレの鏡を見ながらしみじみ思い、25歳の自分に戻る。
もう27年か、まだ27年か。気が付けばいつでも、「まだ」と「もう」が攻防する日々の暮らし。「もう」・・といってしまうと、もう幕引きが近いような感じがし、「まだ」といえば、これから未来がある感じがする。
できれば、これからも「まだ」が「もう」に負けぬように、日々若い気持ちで向かっていきたい。25歳のときと、今の自分の違いはこの間に多少の経験を積んだということだけ。まだ生きている、まだ生きる、まだやれる。これらの気持ちは25歳の時以上に強くなっていると思う。

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ON TIMEは奇跡

日本の交通機関の定時運行は世界にも稀といえるほど。最近でこそ悲しいかな、人身事故が増え、時折それが中断され、急ぐ人々、定時運行が当たり前と思っている人にとってはイライラする事態。人身事故の増加の件は別途考えねばならない深刻な社会問題であるが、それを別にすれば、日本のON TIMEへの取り組みは素晴らしいと、外国に行くといつも思う。イタリアやフランスでの列車遅延は当たり前のようで、本当に来るのかといつも不安に思う。まだ事前情報が入りやすいネット社会になり、対処できることもあるができないことも多い。
今回も南米行の飛行機が往復とも遅れた。今、思えばそれでも幸運の遅れだったといわねばならない。
最初に乗る飛行機が遅れると、次の乗り継ぎ便に影響が出て大変困るが、
今回は往復とも乗り継ぎ便自体が遅れるという事態。
南米に行くときはある程度覚悟をしている。なんせ最初に行ったときに帰りの便が飛ばずに1泊強制的に延泊となったことがあるため。
今回はいずれも、目的地への到着が遅れるということだけであったので、まだいい。
と、気も長くなる。
ではあるが帰りの乗り継ぎ便。予定であれば4時間ほどの待ち時間。それが乗り継ぎ地に着いたとたんさらに3時間待たされることが判明。7時間空港で待つのはなかなかの試練ではある。
ふと考えた。この3時間遅れた分の人生の時間はどうなるのかな?と。
3時間、人生も延長できる?いや、それはない。だからこの3時間を有意義に過ごす、あるいは残りで帳尻を合わせるしかないのだ。

と、待ち時間が急にできることで、いろんなことを考えるものだ。
おかげさまで、空港のラウンジで多くの旅客を見、いろんな国籍、民族の人たちの様子を観察しながら、ON TIMEというのは気象条件、そして関係者すべての善意・善行・健康がなければ実現しないことなのだと、改めて定時運行のありがたみを痛感。

今はネット社会で、今、乗り継ぐはずの飛行機がどうなっているのか。遅れた飛行機はどこを飛んでいるのかも瞬時にわかる時代。その便利さはありがたいが、
飛ぶこと自体に こんなに簡単に移動できる現実に感謝をしたい。

ON TIMEは有り難いこと。当たり前ではない。

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俳優だけが眠る墓地での祈り

ブエノスアイレスの墓地といえば、レコレータと答える人がいるかもしれない。ここはかのエビータら国を代表する人たちが眠る高級墓地。それ以外にはチャカリータという地区に大きな墓地があり、そこには名家といわれる家族のお墓、天国の高級住宅街のごとく、立派な墓が立ち並んでいるかと思えば、墓地内の道路を一本入ると、生前活躍したアーチストから一般の人までがここに眠っている。
1年半前に訪ねて探したけれど、亡くなって半年ほどであったためかまだ公開もされていないということで、手を合わせることもできず、悔いを残して帰った、アルゼンチンを代表するタンゴ歌手ヴィルへニア・ルーへのお墓。もう2年経過しているので、今度こそは公開されていることを願い、思い切って再び訪ねることに。前回車に乗せてくれて親身になって墓探しを手伝ってくれたドライバーの連絡先のメモがあったので、今回もお世話になることに。
ミゲルという元銀行マンの、このドライバーは本当に親切で同じ国に住んでいていたら、きっと友達のような存在になるだろうと思うほどの、いい人だ。
彼は今度こそ、私が尊敬するルーへの墓参りができるようにと、前日ネットでその墓地内の住所を調べておいてくれた。そして向かう。墓地敷地内に入るまでは楽しくしゃべっていたが、墓地に入るとさすがに無言になった。「ここですよ」その建物は、アクターたちだけの専用の集合墓地。写真がそれだ。俳優たちの墓と記されている。確か、前回もここまで来て、門前払いになったのを思い出した。
共同墓地といっても、一般の人は入れない家族専用のお墓である。ミゲルはその建物に私を促し、そこに一緒に入った。そして、管理人のおじさんになんとか墓参りをさせてやってほしいと頼んでくれる。前回は軽く断られた。今回はあらかじめ花も持ち、2回目なのでミゲルもそこをなんとか、日本から来ているピアニストですし・・・とかなんとかいって、管理人を口説いてくれた。すると、かたく厳しい表情だった管理人が「ついてきてください」といって、ルーへが眠る地下の墓地へ案内してくれた。なんとそのフロアには、アルゼンチンで活躍した俳優たちが大勢眠っていた。本当のマンションのようにそれぞれ白いドアがずらり並び、そのドアの中に生前人々を楽しませた俳優たちが眠っているのだ。それぞれに名前が書いてある。私にわかるのは、ヴィルへニア・ルーへの名前と、若い女優時代の写真のみ。そう、彼女は女優であり歌手であった。
そこに花器があり、管理人が私からバラの花束を受け取り、きれいにそこに活けてくれた。
87歳まで生きたルーへ。最後にステージで見たのは3年半前ぐらいだったか。とても美しく、安定感のある歌唱力で、こんな人になりたいと心から思うシンガーだった。
特別に入れていただいたお墓の中で、同行してくれたミゲルと、私は一緒にそれぞれお祈りした。ルーへ、ありがとう。渋谷の文化村で初めてみた映画で彼女を知った。彼女やバンドネオン、ピアニスト・・アルゼンチンタンゴの黄金期を創った人たち。こんな世界が本当にあるのかと、そののち、ブエノスアイレスに足を運ぶきっかけとなった人。家族しか入れない墓地に入れてもらって、ルーへはびっくりしたかもしれないが、私は何度も何度もお礼を言った。
ある日。ブエノスアイレスに滞在中、雷の夜。その日は店に出る日だと聞き彼女の歌を聴こうと店に出かけたが、彼女はその日、その悪天候のため店に来られなかった・・それが最期であった。墓まいりをしながら、そんなことも思い出した。

どんな人生でしたか?私のような遠い存在にまで影響を与えてくれて、本当にありがとうございました。私のお手本の一人だ。これでひとつ、自分への約束が果たせた。

墓地を出てから、ミゲルに「次はピアソラのお墓に連れていってもらいますかね」と話し、送り届けてもらい別れた。

ルーへ

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ブラボーなシニアミュージシャンへの尊敬、敬愛。

san telmoそのタンゴ歌手とピアニストは、70代~80歳前後だ。
以前、一度演奏を聴き、その生命力、衰えることのない、若者に負けない表現力に心底惚れた。

この町で出会う、素敵な男性にはそんな世代の人が多い。その人たちが放つオーラがすごいのだ。

彼らの素晴らしい歌唱力をもう一度注入したく、夜はちょっと危険でもあるサンテルモ地区にあるカフェのタンゴショーに向かう。とてもじゃないが、夜の一人歩きは怖いため、送迎サービスのお世話になる。

そのカフェバーでは毎晩ショーをやっている。
正直、大掛かりなショー施設もあるが、私にはステージが小さくても、そこで繰り広げられるショーに愛着を覚える。ダンサーやミュージシャンたちに息遣いや、汗までが見える、まさにライブ感あふれるステージが好きだ。
そのステージで今回もバイタリティあふれる歌、ピアノを聴きながら、タンゴに懸ける人生を思い、表現者としての素晴らしい仕事に感動した。

彼らはいくつになっても、観客を魅了し続けている。
年老いているからの感動を与えている。
若者と一緒に、演奏している。若いダンサーに華を添える素晴らしい演奏だ。
老いも若きも一緒に演奏しているその世界は、なかなか見られない光景。
文化の世代交代もされつつ、年長者が尊敬され、尊重されている素晴らしい世界。

タンゴの歴史の流れに沿ったプログラムで観客を楽しませる。
最期はラ・クンパルシータで締めくくり、最高潮のうちにショーは終わる。

シニアの歌手は歌いながら、茶目っ気のある表情で観客を魅了した。
ピアニストは彼以外の若きミュージシャンを最後までリードし、演奏をまとめた。
ここでも、「アディオス・ノニーノ」が演奏されたが、ピアノパートのむつかしいところもさすがだ。技巧よりも精神が勝っている感じ。年季が入っているのだ。

ステージが終わると、さっきまで力強く演奏していたその歌手、ピアニストは
普通のおじいさんに戻っていた。
歌手のおじさんは、さっそく着替えて 毛糸の帽子をかぶってチャオといいながら
すぐ帰っていった。

そう、彼らにとってはこのステージは毎夜のおつとめ。それを何十年も続けてきたのだろう。

本当のプロフェッショナルがいる街。
先日来日した、ウルグアイの元大統領にもちょっと似たおじさまたちが、
この町でアルゼンチンタンゴという文化を、生涯現役で、守り続けている。
その背中を見ている若者たち。彼らも誇りをもって。受け継いでいくことだろう。

ブラボーなじいさま。かっこよすぎる。

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老舗カフェを育てた翁との対面~ブエノスアイレスカフェ体験談②

TORTONI maneger

話は、先の原稿に続く。気の優しい、でも少し注意を要するギタリスト兼店のスタッフのミゲルと何やかんやと話し続けていたところ、店のドアが開き、ひとりの紳士が入ってきた。すると、店全体の空気が変わった。紳士は80歳前後に見える。それ以上かもしれない。往年のタンゴ最盛時を生きてきた著名なミュージシャンたちと同時代を生きてきたような風格。冬が近づいているため、その紳士はすでに厚手のコートを着ている。それまで私と話していたミゲルの表情も変わった。そう、このカフェのボスが来たという感じだ。
ひとりの老人が入ってきただけで、従業員の態度が変わったのを感じた。ミゲルや給仕スタッフたちが、その紳士に私のことを話に行く。
その紳士との初対面。
実はその人は、このカフェに何度かきているときに、見かけたことがあった。常客か店の人かとは思って見ていた。どうやら、その紳士は店の運営面の責任者とのこと。

ミゲルはその責任者に丁寧に、敬意をもって近寄り、そして、この店の曲を作り、そのCDを持ってきたそうですよ~と、私のことを話をしてくれた。
マネージャーは笑顔で私に握手を求めた。アップで見たその紳士は凄みと温かさが同居しているように見えた。そして、ミゲルいわく世界で2番目に古いといわれる、この店に人生を捧げてきた、その老舗カフェの文化がそのまま染み入った人生を過ごしてきたような、そんな安定感のあるで表情でもあった。

そして、そのマネージャーは、スタッフに店が発行している広報誌に、このことを掲載するように指示していた。私はミゲルの通訳を聴きながら 驚いた。へ?記事にする?どうやって?。そんな恐れ多い話は、話半分に聞いておく。(実際にその広報誌も渡されたが)
それはそれとして、とにかくそのマネージャーに会え、彼とハグできたことが、最上の喜びとなった。「その曲はタンゴか?」アルゼンチンの人は、必ずそう言う。
彼らにとっての音楽は、イコール tango。
ミゲルに渡した1枚のCDと別に、持っていたもう一枚をこの紳士に心を込めて進呈した。

そのマネージャーが店内奥にいなくなるまで、空気は彼への尊敬の気持ちがあふれ、若いスタッフたちも心から敬意を表しながら、接していたのが印象的であった。

わが愛するカフェの歴史を創ってきたその本人に思いがけず会え、思いを伝えることができたのは本当にうれしい限り。

次回は、VALSASではなく、本格的なTANGOも創るとするか。

ミゲルから「会えてよかったね。週末にはショーのオーナーにも渡しておくから」と、硬い約束をし、「また来るね」と言い。店を出た。
店に入る前と、出る瞬間。わずか1時間ほどの滞在であったが、さっきと違う自分がいた。明日が勝手にいつもの楽譜屋に向かう。

またあの紳士に会えますように。どうか元気でいてください。
気持ちを受け取ってくれて・・・ほんとうにうれしかった。グラシアス。
カフェトルトーニ・・・わがメロディを口ずさみ、そのままいつも寄る楽譜屋に向かった。

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「目的は何なの?」ブエノスアイレス老舗カフェ体験談①

アルゼンチンタンゴはスペインからブエノスアイレスに向かった移民たちの間で約100年前から発展を遂げてきた独自の文化である。五感全体に染み入る美しさと技巧も含めた芸術的な価値が極めて高い無形文化財だと個人的には思っている。NYでのリトルイタリーもそうであるが、はるばる海をわたり異国での人生を再出発した人々にとって、見知らぬ街で生きていくことはどんなに割り切りが必要だったのだろうか。港町が好きなのは、その割り切りとそこから生まれる演歌的な表現に出会うことができるからかもしれない。人生の悲哀の間につかの間の喜びを認めるような・・。

昨年完成したサードアルバムにはそのタイトル「あなたに捧げる1,2,3で愛のうた」にあるように、愛のワルツをいくつか織り込んだ。そこにはアルゼンチンでタンゴとともに根づいているVALSAS(WALTZ)も入れた。哀愁に満ちたノスタルジーなメロディが特徴だ。とくにブエノスアイレスの老舗カフェカフェトルトーニの店内をイメージにつくった曲。これを、どうしてもこの店に直接届けたいと思っていた。
今回のブエノスアイレス訪問ではその念願が叶うか?
事前にメールを入れたものの、予想どおり無反応。であれば直接届けよう。

その日、少し緊張してそのカフェに向かう。
入口に英語が話せそうなスタッフを見つけ、話しかける。
日本からやってきた、この店が好きで何回も来ている。そしてこの店をイメージして曲を作った。そのCDを渡したく、やってきたので責任者に会えないか?
という内容だ。
もちろん、すぐお店のオーナーやマネージャーにすぐ会えるとは思っていなかった。
そのスタッフは興味深く、いろいろ聞いてくれる。この街の古いカフェは、いわゆるカフェ営業とタンゴショー運営との両者を担っているが、責任者はそれぞれ違うようだ。
そのスタッフらしき男性~ミゲル~は、私が手渡したCDを受け取りながら、タンゴショーの責任者は週末だけやってくるから、そのとき渡すことになると説明してくれる。
もちろんアポなしで今日会えるとは思っていないし、それだけでも十分だ。
その店の曲を作ってきたというだけで、給仕人のおにいちゃんたちも興味深く私の方に近づいてくる。そしてCDを聴いてみたいと言ってくれる。
ミゲルは、私に聞く。「CDをショーのオーナーに渡す目的は?」。
そう、CDを売りたいのか、ここで出演したいのか?ということのようだ。
はるばる1日以上かけてやってきた以上は、それなりの意思や目的はもっているのだろうということだ。
私はまさか、ここでCDを売ってほしいとか、この店で演奏したいとは思っていなかっただけに驚いた。この店が好きで曲を作ってCDにしたので聴いてほしい。こんな日本人ファンもいるよということを知ってほしいだけのささやかな願いであったが、さすが移民の街だと感心。

もちろんチャンスがあれば、そりゃ弾いてみたいし、歌ってみたい。でもさすがに・・・。
そうか~、そんなこともありなのか。ミゲルは夢を見せてくれた。

まずは、週末に店にやってくるそのオーナーに渡してくれて、月曜にはその反応を私にメールをくれるとの約束。

スペイン語表記になっていないCD,また、MAHSAと、MASAKO IMAOの違いなどなかなか説明がむつかしい部分もあったが、元ギタリストでもあるらしいミゲルはナイスガイのようだ。一生懸命に私の思いを聴いてくれる。
そして、打ち解けたあたりで、
「結婚しているのか?」と聴いてくるところも、さすがラテン系だ。

このカフェはタンゴ誕生より前に存在する、創業約160年の店だ。ミゲルいわく世界で二番目に歴史があるカフェだそう。その当時と現在が混在しているところが何ともいえない魅力だ。

そんなこんなの老舗カフェへの飛び込み訪問。そこに大物が現れた。
(続きは次へ)

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ピアソラの故郷で父を思う

久しぶりのブエノスアイレスでの一番の目的は、タンゲーラ巡りとタンゴ音楽の研究だ。
ああ、これはこういったアレンジ、これはこんなリズム。たとえば、日本でおなじみのラ・クンパルシータにせよ、ルベルタンゴにせよ、タンゲーラごとに、ステージごとに演奏者ごとに違う
アレンジで、ダンサーたちの舞があるやなしやで、まったく雰囲気も違う。すべて違う!常に五感がびんびんしてくる、そんな世界だ、

私はいつもピアノと、まだ実行に移せていないバンドネオンの音色にひたすら耳を傾ける。
昨年、一昨年のライブで演奏したワルツメドレーの原曲の一曲が思いがけず登場すると、たまらなく興奮して、やっぱりいい選曲であったと自己満足のひとときを味わう。
そして、近年演奏が可能になってきたピアソラのもっとも有名な難曲のひとつ、「アディオス・ノニーノ」を今回も聴くことができ、メインのパートをつとめる若手のバンドネオン奏者の音色に心から酔いしれ、ピアソラが父親の死を悲しんで創ったというこの曲に、わが父を思った。
父はおかげさまで元気だ。でも、いつかこの曲のように。。。ピアソラが思ったようにそんなことを思う日が来るのかなと思うと、涙があふれ、ピアソラの「ノニーノ」(お父さんの愛称だったらしい)が、いつの間にか頭の中で「私のお父ちゃん」すり替わり、涙が止まらなくなった。

音楽とは、人生のいろんな思いをそこに込め、表現できる。そして思う人が、さらには自分が亡くなっても弾き、歌い、聴き継がれる。
アディオスか・・。まだまだお別れの日が来ないように。
それにしても、ピアソラは親孝行なアーチストだ。
初めて知った大学時代から30年。今さらに光り輝く存在だ。
きっと天国でその、ノニーノとともに、故郷で毎夜、演奏されている自曲を楽しみながら聴いているだろう。

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「書く」と「読む」「聴く」の関係

書いた文章を朗読する。すると、違った世界が広がる。
3年前にリリースした、わがセカンドアルバム「ノスタルジック ルージュ」に挿入した「まどれーぬ」では、初めて自作の詩を歌うのではなく朗読してみたが、これはなかなか好評をいただいた。
言葉を読者が(お客さま)が読むときは、その人なりに自由な世界が広がる。テンポも自由だ。
しかし、ひとたび朗読となると、その声のその読み方の、そのテンポの具体的な世界ができるので、一味違った世界になるのだ。
書いたものを読んで楽しんでもらう。あるいは声に出して読み、耳で楽しんでもらう。
言葉には両方の楽しみ方の提案があるのだと思うと、本当に面白いと思う。

ところで、高齢化社会になり、文字を読むのがだんだんつらくなる場合には、耳で聞くのが心地よいそうだ。だから今、ご年配の方々にラジオも人気だとか。
言葉の力だけでどこまで人を感動させることができるのか?
自分にとってはまだまだ道半ばであるが、そこに固執するのではなく、これからの社会に、時代に心地よく伝わる方法を生みだせたら
いいなと思う。
書くこと、話すこと。これは発信力の基本である。はじめに言葉ありき。それを念頭におきながら、さらに工夫をしながら、オンリーワンの発信について考えていきたいと思う。

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空気に触れる。は学びの第一歩

放送作家の先生の講義を受ける。モノ書きをしているプロが発する様々な言葉や、表情や考え方・・。わずか90分でもいろいろ学ぶことがある。
発する言葉の背景にありそうな意図などを思い描きながら、聞いているのも勉強になる。
初めての世界のことを学びたかったら、まずはそういった世界で生きている人に会うだけでも違うという。会う、見る(眺める)、聞くだけでも十分勉強になる。
人間は環境で変化していく動物だから、その世界の空気に触れることは意味があるそうだ。
確かにそうだ。スキル、ノウハウといった具体的な能力を身につける前に、まずはモノ書きをしている人にはどんな人が多いのか、どんな感じでしゃべるのか、どんな風に世の中を見るのか・・などを知るだけでもずいぶんと刺激になる。
「空気に触れる」。この経験は、実際に出向かないとできないことだ。ネット社会では、空気までは直接つかめない。
空気に触れた、その次は?その先生いわくは、次は「真似る」ことからはじめるのそうだ。
作家という世界は、感覚的な職人の世界のようだ。
ところで、この講座の良さは、パワーポイントなどを使った授業ではないことだ。書いているごとく、話している人の話をじっと聞くと想像力が高まる。とかくビジネス社会では便利なツールを使うことが当たり前になっているが、今回、まさにそうではない世界に巡り合い、その空気に触れ、そのことにまず感動している。

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