「物語を生きる」と書いた、何十年ぶりかの短冊。

女性スタッフだけで自費出版の事業を担っている会社でスピーチを・・・と招かれた七夕。
スタッフのみなさんに、いい刺激になる話をということであったので、
あえてアドリブでやろうと決めて向かう。パソコンも使わず、レジュメも
シナリオもなし。
たまには、そのとき沸いてくる自分の言葉だけで伝える機会もありだ。

ホワイトボードに書いたタイトルは「こんな人がいましたとさ~。」ちょっと物語風に。
自分のこれまでの人生、仕事観、さまざまな体験について語ることで、
結局人生とは・・・ということを考えてもらえたらと思い、話しはじめた。
気が付けば1時間。最後はオリジナル曲をアカペラで歌う。
そして全員が感想を述べてくれる。

女性スタッフひとりひとりが、きちんと反応してくださったことが
何よりうれしく、また勉強会前と後では間違いなく会社の空気が
変わったことも感じられ、きてよかったと安堵する。

この会社は、社員に外部の人からの刺激を受ける勉強の機会を
「ようこそわが社へ」というタイトルで企画、継続している。
そして、ゲストスピーカーのためのウェルカムボードも
会社の玄関に設置される。今回は紫と赤の素敵なボードが私を迎えてくれた。
(写真はボードをデザイン担当されたスタッフと)
そして、七夕ということで大きな笹が玄関にお目見え。
社員さんたちが願いを書いた短冊がいろいろ吊るされている。
そして、私にもということで、書かせていただいたのが
「物語を生きる。」という言葉。
短冊を書いたのは何十年ぶりか。
今回のスピーチの内容の余韻と、
自費出版業への繁栄の思いも込めながら・・。
短冊を書くだけで幸せになった気がする。
これからも、気分は「毎日たなばた!」でいくとしようか。

とっても素晴らしい七夕になった。ありがたい出会いに感謝。
そこの社員さんが書いてくれたブログはこちら。
ミューズコーポレーションスタッフブログ

これからも、きらきらと輝き続け、抱きしめたくなる本づくりを続けてほしい。

welcomeボード短冊「物語を生きる」

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一緒に考える瞬間、協働作業が楽しくて

中小企業のみなさんがご利用になる、個別の広報相談会。その相談の対象も内容も実に多様で、毎回新鮮だ。
展示会に出るが、そこで展示するときのキャッチコピーを、社員全員で考えたけれど・・・といって、
みんなで汗をかいて出し合った案を持参されたり、今度は海外の展示会に出るが、
万国共通で伝わるコピーを相談したい・・・などなど。
こちらとしては、即答しなければならないのが基本。
そのいただいた素材から、パン!といい案を出さねばならないという,
この緊張感もたまらない。
「そうですね。これだったら・・・・・・・・・・っていう感じだとどうですかね?」
「なーるほど、それはいい。これだったら伝わりますよね」
なんて、おいでいただいた企業さんの顔が明るくなったり、笑顔になると、こちらもうれしくなる。

一緒に考えることができる仕事。
自分の力で、企業さんの仕事に何らかの味付け、トッピング、あるいかお化粧、あるいは・・・
いろいろあるが、とにかく協働作業が楽しい。
どんな相談にも対応できるように、日ごろから自分を磨き、育てることも大切な仕事だ。

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「目には目を、歯には歯を」じゃないですよね!

その一言で、その言葉を発する人の性格や物事の考え方、価値観が見えて、共感を抱いたり、ときには違和感を抱いてしまったりすることがある。
一言って、とても大切だ。

仕事でも、それ以外の場面でも、根底に愛があるかどうか・・相手を思いやる気持ちがあるかどうかはとても大切で、そのことも発する言葉から読み取ることができる。

通う美容院のスタイリストで、まじめにお客様を思って仕事をしている人がいて、彼女のことは最初の出会いから、この人は!!と思っていた。それから何年ものおつきあいになるが、
今回お会いしたときのここと。何気ない日常会話の中で、世の中のうまくいかない交渉、人間関係について話していたときに、彼女がぽろり「目には目を、歯には歯をじゃないですよね。」と発したその一言がとても気持ちよかった。

どんなに苦しくても、つらくても、その相手に同じようにしてはいけない。
どんなに苦しくても、つらくても、同じようにやり返すのではなく、違う方法で、うまくコミュニケーションをとるように、
自分はそうしよう!という意味だ。

なんと謙虚で、控えめで。でも、秘めたる力強さも感じる。

人は困っているとき、何気ない一言で、元気になったり、気づきをもらったりすることがある。
いただく言葉に耳を傾け、その言葉に感謝することで、パワーがみなぎることもある。

私も人を元気にする言葉。心がけたい。

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命を越えてつながっている。

思いやられる夏が始まった。早速、寝苦しい夜、エアコンと扇風機を付けて眠った。
夢は毎日は見ないが、週末は見ることがある。今回は約半年前に、交通事故で亡くなった方が出てきた。なんだかにこにこ笑いながら、人生だ、マーケティングだとなんだかいいながら、私に迫ってくる感じだ。「あれ?もう亡くなったのに、なんでいるんですか?」のような言葉を私はその人に返しているが、彼女は積極的に私に接近して、人生だ、マーケティングだ・・と、彼女とは関係ないマーケティング組織の機関紙(もう今は読んでいないが、私にとってはマーケティングのルーツになった大切な資料)を差して、これだとかなんだとか言っている。
そして目が覚め、それから彼女の元気な笑顔とそのサジェスチョンの意味が気になって、眠れなくなってしまい、結局は睡眠不足で朝を迎える。

なんで、夢に出てきてあんなことを言っていたんだろう。あの夢は一体、何を意味するのだろう?
最近は、ついつい、なんでもネットで検索する癖があるが、どんな言葉でも検索すると、答えが必ず出てくることに驚く・・(内容の質は別として)。そして、今回も夢占いとか、心理学のページにリンクした。
その亡くなった方とは、私が思っていた人ということで、親しい人だ。
親しい故人が夢に出てくる場合、その人が夢で手招きをすると、よくないこともある?そうであるが、今回はそうではなかった。
彼女がきっと今の私を応援してくれての夢登場だったのだろう。

そういえば、先週、上越妙高のホームで風に吹かれていたとき、彼女のことを思い出し、そのあと彼女が仕事していた店にも顔を出した。週末は、その人の息子さんたちを思い出し、長男からお米を買おうか、次男が店長しているレストランに食事にいこうか・・などと考えていたことは事実だ。
だから、きっと空の彼女がそれに気づき、喜んできてくれたのだ。と、考えることにした。
しかし、人間の意識世界とは、不思議だ。これは命も科学も超越しているように思える。

近、また違う人が、私とは何代前や、前世でつながっていたかもしれない・・だから、今も縁があるんですよ。と話してくれたが、それも含め、夏にふさわしい話題とも受け止めることができるが、それにしても、人間界はとっても不思議だ。
とにかく、彼女が安らかに眠られていることだけを、ただただ祈る。
人って、命を越えて、関係性のなかで生きている存在なのだ。きっと。

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人生という1冊の栞。

前の原稿で書いた、久しぶりに観た演劇の話の続き。
その演劇のタイトルは、「エピローグに栞を」。
作家がそのタイトルを付けた理由、意味は未確認であるが、私にとって余韻の残るタイトルだ。

エピローグとは、プロローグに対してのことば。最終、巻末といった意味。
人生でいうならば、終末~終活と最近呼ばれたりしている。

一方、栞とはブックマーカー。
本の途中に挟んだり、差し入れて、次読むところを示すものだ。

人生の終末に栞を挟む。とは意味深い。

そのことばから、人生は1冊の本であると連想する。
みんな意識していないけれど、それぞれそれなりの
素晴らしい物語を持っていると思う。

そして、その人生の一コマに栞を挟むということは、ちょっと前に進むのを小休止するような意味
かもしれない。

最近、ちょうど自分史という表現について、いろいろ検討模索していたところ。
だから、よけいに心に響いた。

財産がどうだ、相続がどうだという終活ではなく、自分の人生を悔いなく表現しておく、まとめておく・・・そんな活動の方が大事だと実は思っている。

今回の劇のタイトルから、自分の次なる課題がまたみつかった。

いずれにせよ、人生は春夏秋冬、そして一冊の本。とすれば、今、自分は何章?を生きている?
とたまには、自分の1冊の今に、栞を挟んでみるのも良い。

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演劇というリアルなバーチャルアート

あるご縁で知り合った作家が企画・脚本担当した作品を、都内の古民家で上演されるとの報せをきき、久しぶりに「演劇」という表現に興味が沸き、観劇した。
タイトルは「エピローグに栞を」という作品。

古民家の居間が、ステージそのもの。縁側も窓も、庭もすべて劇に出てくるステージとして使われている。
立派な劇場で大道具をその劇のために作る劇よりも、古民家をそのまま利用し、そこに住む家族の物語という点で、大変新鮮だ。
舞台も客席もなく、また演者と観客の距離は、まさに小さなライブハウスでの演奏に似た、密接な距離感。狭くて、暑くて、快適な空間とは言えないが、舞台である居間が目の前にあることで、隣の家の不思議な出来事を見ているような、なんともいえないプチ非日常感がある。

田舎にひとり住む父親が病気と知り、15年ぶりに帰ってくる娘と孫・・。死に向かう父親に遺言書を一緒に書こうと迫る娘・・・。とはじまるストーリーであるが、演劇とは映画以上に、テレビドラマ以上にリアルに観客に訴えかけるインパクトがある。

私は父親役の俳優が発する言葉、動作や娘と父の喧嘩の様子・・・などを見ながら、自分のことと共通している点が多く(さすがに遺言書のことは違うが)、知らず知らず故郷のことばかりが思い出されず、またいつお別れが来るかわからない親たちのことを思い、涙があふれっぱなしになった。

演劇をはじめ、演奏、マジック、トークショー・・。ライブな発信は、観客に生の感動を与える。
映画も素晴らしいが、そのダイナミックスさの対局にある演劇。
これは演者と観客がともに作る空間。緊張、息使いも含め、生きた感動を享受できる協創の時間。
本来、芸術とはそういうものであると、学生時代に読んだコリング・ウッドの著作を思い出す。

ライブ活動をしているからこそ、わかる苦労もあり、また共感もあるが、
演劇というのは、ある人生をリアルに、立体的に切り取るアート。
久しぶりに観て、心が震えた。

また、演劇とアコースティックギター1本の演奏のBGMという演出も大変効果的で
見聞きしながら、いろんな発想がわいてきた。

改めて、書いて伝える、それを人が演じて伝える。
脚本家は作詞作曲家と同じだ。
想像と創造の発信は素晴らしい!と再確認できる貴重な体験であった。

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見える、見えない折り返し。

あっという間に今年後半が始まった。
なぜ、歳を重ねると、その分だけ、時間が過ぎていくのを早く感じるのか。
時計は変わらず同じ間隔で時を刻むはずなのに、私のなかでは今年は、まだ3月でもいいぐらいなのに・・。
今年の前半もあっけなく終わった。

さあ、今年の後半。このままいくと、坂をころげるように、前半よりもっと早く時が経つのだろう。
まるで、時が自分をおいかけているような・・・。
だからこそ、流されないように、後半を進んでいるのだという確認をしながら、ひとつひとつを大切に生きなければ。

気が付けば、もう来年の話をしている自分がいる。
55歳の自分を想像しながら進んでいる自分がいる。
毎日が早く感じられるのは、明日のことではなく、もっと先のことを思いながら生きているせいもあるのかもしれない。
とにかく、今年はもう折り返し地点をすぎた。これから山がある、谷もあるだろう。でも、笑っても泣いても時は戻らないのだから、悔いないように生きていきたい。

人生の折り返し、1年の折り返し、毎日の折り返し。
実は折り返してはいない、先に進んでいるだけだ・・。
折り返しとはゴールがわかっていての半分だ。
人生そのものはゴールがわかっていないから、折り返しといっても、あくまでも仮定。
見えないゴールに向かって、見えない折り返しを想像し、毎日走り続けるのだ。
ちょっと不安でもあるが、みな一緒。だから、今日も怖れず前に進もう。

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風に吹かれて、人思う駅のホーム

北陸新幹線が開通し、東京と上越地区は便利になった。今は上越妙高駅、新幹線開通前は直江津駅にお世話になってきた。
開通前、開通後いずれも駅によく迎えに来ていただいたり、送っていただいたり・・・待合時間を利用して、ちょっと相談に
のってほしいとか、遠方でも私のライブに駆けつけていただいたり・・・とにかく、熱心だったMUさん。

彼女が昨年秋に、上越妙高駅駅まで私を送り、ロータリーでいいのに、わざわざ車を止めて、改札まで来て、送ってくれた。
私が改札に入り、ホームに行く姿が見えなくなるまで、手を振り、見送ってくれた。
その姿は今も鮮明。
彼女はその約3か月後。今年の1月、高速道路で事故死。
あれから、まもなく半年になるが、今も信じられない。

今、この原稿をその上越妙高駅のホームで書いている。
待ち合わせ時間を利用してのことであるが、この駅に来ると、ここにいると、彼女がいるような気にもなるのだ。

なぜか梅雨の時期でも、妙高の山があるせいか、風が通って、大変気持ち良い。
上越の初夏ってこんなだったかと思うほど。
残念ながら、停車する電車の本数が少ないため、駅のホームはとても静かだ。
そのベンチに座り、ひとり半年前の上越でのライブのこと、その後のこと。
いろんなことを思い出しながら、風に吹かれ、これからわが人生は、どっちにいくのかなと
思ったりする。

この駅におりるたび、MUさんのことをこれからも、思いだすだろう。
彼女が、風になって、雪になってやってくるのだろうか。

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最高にかっこいい!と思えたラストステージ

とある株主総会に参加した。応援している会社だ。今回は、18回の議長をつとめてこられた総会の最終回。そう、総会の議長はその会社の社長がつとめるが、この総会後、社長を交代、卒業されることになっていた。
私が初めてお会いしたのは、社長になられて間もない頃だったと思う。
それから公私ともにいろいろ、おつきあいをいただき、まさに心族として、勉強もさせていただき、また刺激もいただいた。
その議長の最後の総会だ。
例年どおりに議事進行。この会社ならではの、恒例行事かと思うような、ファンの集いのような和やかないい質疑応答の時間。
まったくいつもどおりだ。
しかし、採決が近づくにつれて、なぜか涙が一筋流れた。
もうこの光景を見ることはないのだな。なんとも、株主とのやりとりがうまいというか、コミュニケーション力あふれる絶妙なやりとり。
例年通りの株主からの質問というよりは、要望が出され、それに対し、議長が各役員に回答をふる。足りないところは議長が補足する。
このやりとり自体に、この会社のそういうやり方に株主はきっと共感をもっているはずだ。時折会場からこぼれる笑いにそれを察する。

実は、総会当日の前夜(深夜)に、
「明日の予習は一区切りできました。明日は元気に誠実に最後の議長をつとめます!」
とメールをいただいていた。最後の議長、どんな思いで朝を迎えられたのだろう。
とにかく、がんばって!がんばって!とエールを送りながら、
議長の横に座っている、次を担う新社長の様子も見守っていた。

そして、無事総会が終わったあと、議長であった社長は、今日で社長交代をされるという挨拶をされた。
一瞬、会場の空気が止まった、そして会場から「嫌だ!」との一声が出て、それに同調する拍手・・。
もちろんこれからも会長としてこの会社を支える㫖、そして新社長率いるこの会社をよろしくお願いします・・。
と挨拶され、大喝采のまま、緞帳が下りた。

自分に与えられた仕事、使命をしっかり果たし、締めくくる。自然にそれをこなす。もちろん見えないところでの努力は半端ではない。

今回、最高にかっこいいと思った。
そして、その背中を見て、新社長も次の人たちも続いてがんばってほしいと、心から思った。
引き継ぎ、受け継ぐ。両方のトップに心から感謝とエールのブーケを贈る。

株主から大喝采され、応援され 卒業できるなんて、本当に素晴らしい、そして名誉なこと。

私は共感する、尊敬する会社や人を心から応援し、協力する。それが自分の務めであり、生き方だ。
改めてこの会社と出会ったことを幸せに思い、社長との最初の出会いを感謝する。

愚直な人は、最高にかっこいい。
これからも、この会社を愛し続ける。

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ラベンダーとともに穏やかに。

ラベンダー
昨年初めのこと。ある知り合いのお父様が病気で亡くなった・・。そのことをその方の上司から後日聞く。病気であることがわかってから、短い闘病生活だったと聞き、普段朗らかで明るい人だから、顔で笑って心で泣いてはいないかと余計に心配になり、それまで直接二人で会う機会はなかったが、思い切って声をかけ、
そして会い、話をして、ほんの気持ちと思ってお渡ししたラベンダーの鉢。
この色、存在感そして香りも含めて、気に入っている花だ。

彼女は、それまでお父様の話をしながら泣いていたが、その花を見て笑みを浮かべ、「父も天国で喜びます!」と言い、喜んでもらってくれた。かえってからお母さんも大変お喜びと聞いて、ああよかったと安堵する。
それから、1年以上経つ。彼女は元気を取り戻し、仕事もがんばっている様子。
そして時折、ラベンダーが育っていると写真を見せてくれる。

そしてこのたびも、先週のラジオをお母さんと一緒に聴きました。というメールとともに以下のメッセージと、写真を送ってくれた。
・・・・・・・・・・・・・・
昨年いただいたラベンダーは、今年元気に花を咲かせました。
花を見るたび、いつも応援してもらっていることを感じ、
とても力になっています。
母はこのラベンダーをどうやって大きくするか・・いろいろ考えています。
・・・・・・・・・・・・・・
たったひとつのラベンダーの鉢。ただそれだけなのに、
ずっと一緒に過ごしてもらい、お父さんのことを思い出し、お母さんと元気にがんばっておられる。

ラベンダーとともに。
私の気持ちもいつのまにかそこにいるような・・。

癒され、心満たされ、元気になーれ。そんな気持ちのラベンダー。
ずっと咲き続けてほしい。
そして、天国のお父さま がんばる家族を見守ってくださるように・・・。

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