地球の裏から届く、自分発のハガキ。

 6月2日BSASにて。と書いた1枚の絵ハガキ。写真はブエノスアイレスの老舗カフェ。
わがサードアルバムにも挿入した曲のタイトルでもある、「カフェトルトー二」。
その店の写真が入った絵葉書をみつけ、うれしくてホテルの売店で買い、
そのまま書いて、出発するときに出したもの。
自分の帰国よりも遅い到着になることはわかっているが、本当に届くのか、
いつ届くのか?にわくわくする。
1枚のはがきに、東京で待ってるよ。無事届きますようにと願をかけ、投函する。

以前、北海道の幸福駅という駅にて、外国人観光客がそこで絵葉書を買い、
自分宛に送ると幸せになれるとか・・そんなことを信じ、その場で書いていた
台湾の仲間のことをふと思い出す。

旅先から、自分宛に出すはがきというのは、未来の自分に向けているようで
ちょっと面白い。
昔はよく海外から家族や親しい人にエアメールを出していたのに、
パソコン持参で仕事がどこでもできる環境になり、
電子メールがいつでも出せるようになってから、
エアメールを書く習慣はいつしかほとんどなくなった。

それでも、自分宛のはがきとなれば、話は別だ。
私本体?と違うルートで、海を渡り、空を飛んできたこの1枚。
着いたのは、7月15日・・。約50日かかったことになる。
しかも切手はDHLの切手のようであるから、航空便のはず。
であれば、一体どこで止まっていたのか?
想像するに世界の郵便事情で、その国の個性も見えてきて面白い。
無事ついて、うれしくなる。
よく着いたね。
旅先での自分の気持ちを、文章を読みながら、自分で自分に書いていることを
面白く感じつつ、へんな感じも楽しみつつ。

エアメール。これは永遠の夢であり、冒険。

便利でない時代の、エアメールがどんなにうれしかったか。
そして今もやっぱりうれしい。
一番よく見えるところに飾り、
また次の旅に向かって、新たな夢を思い描くことにしよう。

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素手で自力で勝負できる人に。

いろんな組織、コネクション、いろんな機械、道具・・。
世の中には自分を生かしてくれるもの、コトがいろいろある。
いずれも自分ではない、他者である。
人は自然に、他者に助けられ、支えられ、生きてきた。生きてこられた。
周囲のおかげは、忘れてはいけない。
一方、
その周囲、他者の存在が当たり前になると、自分の本当の力が
見えないときもある。
だから、ときには単独で、ときには素手で勝負する機会をもちたいもの。

小さな例であるが、
人前で話をするとき、勉強会をするとき、演奏をするとき。
パソコンやマイク、立派な音響機器・・・。
演出や装飾ももちろん大切であるが、テーマや相手によっては、何も使わず
素手で、自分から湧き出る力だけで表現してみるのも良い。
先日10名ほどの勉強会では、
予めレジュメも用意せず、アドリブで、パソコンも使わず、ただ1台の
ホワイトボードだけおいてもらって、話をした。
そして1時間話し続けた。
皆さん、一生懸命耳を傾けてくれ、何を話したかもよく理解してくれていた。
それがわかる感想を全員からいただいた。
そして、講演の最後に、アカペラで歌った。
すると、ある人が鳥肌が立ったといった。

そう、生の力はそこだ。
人が人に向かい合うとき、エネルギーが伝わる。
アタマだけでなく、心や、さらには皮膚にまで染みることもある。

素手で伝える力を身に付ける。
意識していないが、多くの人と本気でぶつかって生きてくると、
他者に依存しない生き方をみつけることができるのかも
しれない。

五体満足であるだけで、道具をすでに持っているのだ。
まずは、
自分というツール、メディアをよく活用しよう。

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心を染める、世界でひとつの紫ギフト。

「あっちゃん」と呼ぶ女性がいる。新潟で自費出版の会社を経営されている。女性だけのスタッフというなかなか先取り、でも自然体。そして創業から15年も経つ実力派の会社だ。
先日その会社にお邪魔し、その女性スタッフのみなさんに講演をさせていただいた。
そのときの感動は、先日のブログでも少し触れているが、その後、改めてお礼状や、社員の方の寄せ書き!そして、お菓子などなど・・・が入った郵便物が届いた。

出張から戻り、その小包みを開け、皆さんの感想やメッセージを読みながら、ああよかったよかったとその時のことを思い出し・・。そしてその小包みの中にみつけた小さな透明袋。
何が入っているんだろう?なんとまあ、手につけるサポーターだ。しかも色はほのかに、マイカラーの紫色に染まっている。

私が腱鞘炎だということを知る、あっちゃんが調達し、なんと、いかにもサポーターそのままだとおしゃれに見えないと思ったのか、そのサポーターを自分で染めてくれたのだ。
「いかにもサポーターだと野暮ったいので、筆で染めてみましたが、色むらとか出てうまくいきませんでした。夜寝るときにでもしてください・・・」という悔しそうなメッセージ付き。

サポーターを染める人は聞いたことがない。
また、紫色のサポーターも見たことがない。

サポーターはちょっと小さくて、手首にくるりと負けなかった。
こちらもちょっと悔しい。

でも、その自分のためにいろいろ考え、やってくださるその気持ちがうれしくて、
何度も何度も、エイや!と思って、試み、なんだかうれしくて笑えてきた。
やさしさが手首を染め、痛みも消える。・・・そんな感じでもある。

「ちょっと小さかったけれど、心のサポーターとしてお守りにしますね」
とお礼。

あっちゃんは、本当にやさしい人だ。
前から知っているし、わかっているし、だから講演も喜んでさせていただいたが、
やっぱり、心根から優しい人であることが改めて、わかった。それが心に染みた。

彼女は抱きしめたくなる本づくりという営みをしているが、
私はこの紫サポーターを抱きしめる。
ほほえましく、そして泣けてくる。
色むらが出てしまったときに「あちゃ~」とか焦ったかなと勝手に想像しながら。

仕事も家庭も忙しいなか、本当にありがたいこと。

いろんなサポーターをいただき、元気にがんばろうと思う。
世界にひとつの贈り物。やっぱりうれしいものだ。

それにしても、紫のサポーターは、ちょっと恥ずかしいけれど、なかなか!クールだ。

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50代なんてぴよぴよ。70代の挑戦に脱帽。

鳥越俊太郎さんがなんと都知事選に出られるとのこと。ガンを克服され、病後も何度かメディアに出られ、お元気な様子は知っていたが、「そうですか、そう来ましたか」という感じだ。
ジャーナリストとして、世直ししたいという思いからの人生最後の大勝負なのだろう。
76歳か。
昔なら、もう引退していていい年齢。しかし、今は違う。70代でいきいき頑張っておられる方は周りにも多い。
マジシャンの方、タイシルク製品を扱うネットショップを運営されている方、米製品を新たなアイデアで販売していこうとされている方、地元の歴史を伝え歩く専門家、作家・・・・・と、すぐに思い浮かぶ。
健康さえあれば、その気があれば、行動できる。夢をかなえることができる・・。
その証人がたくさんおられる。
私たちが子供だった頃よりも、マイナス20歳の感覚でとらえてもおかしくないのかもしれない。
とすると、50代前半なんて、まだまだ半人前。ぴよぴよ。まだまだ挑戦しなければならないお年頃なのである。
挑戦を止めない人は若々しい。病気を乗り越え、まっすぐに生きている人は充実した人生を生きられる。
経験不足だとかいろいろ言われるが、やれないことではないだろう。
とにかく、若い者もがんばらねばならない!
まだまだ若輩者の強みを生かして、さらなる冒険人生に臨みたい。

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誰もがいつまでも、口ずさむ唄を。

あの永六輔さんが亡くなった。
子供の頃から、マルチなクリエイターとして、その存在は知っていたが、今、改めて
その存在の大きさに気づく。
テレビの成長を支えてきたお一人でもあるらしいが、最近のテレビは、
つくってはいるが「仕込んでいないんだよね」と、厳しい見方もされていたようだ。
仕事に厳しく、人にやさしい人だったとの記述もあり、
そんな素晴らしい方だったんだと今、改めて知る。

作詞家としての活躍も目覚ましかった。とくに「遠くへ行きたい」や、「上を向いて歩こう」
などは今も心に深く刻み込まれている。
口ずさむと、しんみりしたり、じんわり元気がわいたり・・。
センチメンタルな気持ちから、生きるものへのエールまで・・。
人にやさしかったというのは、こういった作品からも読み取れる。

命絶えても、作品は残る。
この歌はとくに昭和を生きた人にとっては、生涯忘れられない、
みんなのレパートリーだ。

誰にでも、いつまでも歌い継がれる歌。
そんな作品を残せたら、命は永遠になる。

永六輔さんにお会いしたことはなかったけれど、今からでも遅くない
残された言葉を教材に、仕事に厳しく、人にやさしい・・・そんな
生き方を見習いたい。

心からご冥福をお祈りします。

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「生きざま」「戦いざま」を大切に生きる。

最近、数字の結果とか相対的な結果よりも、夢や目標に向かいがんばって
生きるその過程・プロセスが大切だと思うようになってきている。
もちろん夢や目標に向かうので、結果がついてくることが一番であるが、
それに向かう真剣さ、様子こそが人生において重要だと、いろんな方を見ていてそう思う。
私自身の生き様や背中も、誰かにいい影響をもたらすこと、元気を与えることができるように、
もっとがんばらねばと思うが、これは人のため以上に、自分の人生のためだ。

さて、選挙が続く。いろいろ見方もあるし、それはそれとして。
とある女性候補の意気込みに、実は共感をしている。但し、その人がすべて〇かということとは
別の話である。あくまでもその意気込みについて・・である。

「どうぞ、私の『闘いざま』を見てください」とのこと。
巨大かつ強靭な組織に対抗し、個人で立ち向かうのはちょっとやそっとの決意ではないだろう。
男社会で長年、しかもそれが一番改革しづらい政治の世界で戦い続けてきたからこその、
今回の決断かもしれない。
報道もかなり操作されているし、また新たな敵も出てきたし、
おそらく不利な戦いになることは想像できるが、
それもわかってそこに挑む。そこは大したものだと、同じ女性として尊敬もする。
ま、ここまで来たら後へは引けないということかもしれない。
いずれにしても、かなりの度胸がないとできない選択をされたのは間違いない。
組織力がない自分は、「コトバで思いを伝える」そのやり方で戦うとインタビューで答えていた。
敵から見れば鼻で笑いたくなることかもしれない。時間もないなか、どこまでやりきれるのか。
まさにその闘いざまに注視したい。おそらくそれが彼女の政治家生命をかけた挑戦なのだろう。

生きざま、戦いざま・・・。
とにかく瞬間瞬間が勝負。人生はその連続の積み重ねだ。
自分の信念のもと、まっすぐに進むのみだ。

そして、自分のためでなく、人のため、社会のために尽くせる人を
きちんと見極めなければならない。それとその「さま」が合致していることが大切だと
思う。

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好きな仕事をする人を見ると、楽しく学べる。

長崎のことを学びたいと思い、都内・各地で行われるいろんな
講座やイベントに顔を出すようになった。
昨年は教会群の世界遺産登録を目指し、早稲田大学でもオープンカレッジ
のなかで、当テーマに関する講義がシリーズで開催され、興味深く
受講した。
そこで出会った、元高校教師のH先生は、長崎の歴史の達人!である。
今は長崎学のアドバイザーとして、シンポジウムから映画の時代考証から・・
長崎の歴史文化にかかわる様々な場面に、裏方として登場されている。
ちなみに、まもなく上映される、「沈黙」(アメリカの著名な監督・撮影は
台湾でされているようだ)の時代考証も担当されているようだ。

長崎、平戸とキリスト教文化をザビエルへの思慕を抱きながら学び、
次の関心は、離島である。
この夏は五島も訪問し、この島の歴史を探りたいと思っている。

今回、この春オープンした、日本橋の長崎館にて、この先生の講座が
行われた。
「対馬・壱岐・五島」についてのお話しをいただいた。

韓国とほど近い、これらの島。とくに対馬はそうだ。
古くから、隣国との交流がさかんであり、お互いに影響を及ぼしていた
話はとても新鮮で、東京で、東日本から見る、日本の印象とはずいぶんと
違う。
やっぱり、長崎はロマンにあふれている。

と、感じることができるのは、その先生の情熱的な話しぶりである。
長崎が大好きで、歴史バカで・・。そのことが、先生の言葉、話しぶり、
資料写真から見て取れる。

この方は長崎を愛しておられるな~。そして、歴史が本当にお好きなのだ。
好きな歴史にかかわる仕事を定年までつとめあげ、今も長崎の歴史広報マン
として、尚健在。
見ていて頼もしく、楽しくて仕方ない。

いやいや仕事をしている人。好きで喜んでやっている人。
仕事をする姿もいろいろあるが、好きで一生懸命やっている人が
発するオーラはとてもいい。

謙虚でユーモアもあり・・。
見習いたいお手本がまた増えた・・。

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100曲達成!小さな山を越え、次へ。

4月1日からはじめた新たなマイプロジェクト。毎日96小節の曲を1曲づつ、
100曲まで作ること。それが昨日7月10日に終了した。

出張に行こうが、どんな天気であろうが、何を考えていようがとにかく毎日アタマをしばし、
そっちの世界に連れ出す旅だ。
昨年は、ワルツを100曲創ると決めたが、これは毎日ではなかった。
1年のうちにと決めて元旦からかかって、5月半ばに終了した。
(そのあとCD制作、ライブツアーへと、1.2.3プロジェクトが進行した)

100曲のワルツを作ってみて思ったのは、
習慣の間隔が決まっている方が、楽に続けられるということ。
1年で100曲というのは、間隔的に不規則であり、ちょっと不安定な感じもあった。
やるときもあれば、やらないときもある、でも目標はある。
というのはなかなか難しい。

できるときにやる、というのではなく、毎日とか毎週月曜とか、
もっといえば毎朝とか、なるべく具体的にやるべき時間や枠を
自分で細かく策定した方が行動がしやすい。
これはやってみてわかったことだ。

100曲を毎日。
ある人物のことを思い浮かべ、
その人やまわりで起きたことを自分なりに想像して、それをメロディにしていく。
メロディーとコードさえ書いておけば、あとは歌曲にでも、ジャズにでも、
交響曲にでも仕上げることができる。
あっという間の3か月余り。

この人物と出会える妄想の時間は面白い。
だからこのプロジェクトは終わらない。
次はこの100曲をチェックしながら、厳選、磨き上げ、
そして発信するプロジェクトへと
すすめていく。

今回の100曲のテーマ・モデル・妄想の相手は「NOBUNAGA」。
そして、100曲目は「最期のTANGO」。

人生は登山の連続のように思う。自分が創る山ならば、上りも下りもしんどくない。
まずは、この小さな山を無事越えた自分を褒める。(笑)
自分を褒めることができるなんて、幸せだ。

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ひとりで大きくなったんじゃない。だから・・

今の自分はどうやってこうなったのか?
生まれた「血」も、育った「地」も、その後に出会ってきた、もう数えきれず、覚えきれない数多のの人たち。
その中には、学校の先生もピアノの先生も、習字の先生も・・・実にいろんな方に、いろんなことを教わって、知識やスキルを教えていただき、育った。もちろんもっとやればよかったとかいろいろあるけれど、すべては後の祭り。それよりも、今この自分でいられることは、そういった多くの先生たちのおかげ、上司のおかげである。もちろん親のおかげだ。

ちょっと忙しくなったり、ちやほやされると、なんだか勘違いして、自分ひとりで大きくなったような、自分を過大評価するような・・・そんなことはないだろうか?
絶対にいけない。
少しでもお世話になった方には、敬意と感謝を表し続けなければ・・・。

自分が人に何かをお伝えする立場になって、自分の若き時代の姿勢を反省もする。

ひとりで大きくなったんじゃない。いろんな先生のおかげだ。生涯、忘れず感謝し、できれば恩返しをしなければ。
人生折り返しを過ぎると、当たり前のことが気になってくるものだ。
悔いを残さぬよう、失礼のないように、最期を終えねばならないと思えてくるのだ。
先生方も老いてこられた、今のうちに、きちんとしておこう。
いっぱい教えていただきました。導いていただきました。
今からでも遅くない。そろそろ感謝の旅に出かけるとしよう。

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自分たちの代で終わる。だから・・

佐渡の玲子さんの話は、以前ここで書いたことがある。
ケーキやの女将さんで、以前、全国各地の物産展を飛び回り、
ご主人が作ったお菓子を一生懸命販売してきた。
ある出会いから、その後池袋に、日本橋にと、
そこにいるといわれたら、応援にかけつけたものだ。

しかし、その元気印の玲子さんが病に倒れ、
生死をさまよい、もう玲子さんのあの接客は、元気なお顔は
見ることができないのかなと心配していた・・・あれから3年。
玲子さんから、
「完治した!もう来なくていいと、医者に言われました!」
とのファックス。
そして今回の約1年ぶりの佐渡行きに、玲子さんは笑顔で迎えてくれた。
彼女は私が佐渡へいくたびに、会いにきて近況を話し、
こちらの話も熱心に聞き、メモをとる。
病気は彼女を変えた。
がむしゃらに外へ外へと向かっていたのが、病気で動けない日々が
あり、変わった。
店がきれいになった。掃除をするようになったとのこと。
前は忙しかったから、後回し。
今は外に出るのではなく、店でお客様を迎え、
地元で商売することになった。

「あと10年ぐらいですかね。動けるとしても・・」
夫婦で店をやり続け、そしていつか終わるのだという。
今からできることを、やりたいとのこと。
自分もうれしく、周囲もうれしく、30余年営業をしてきたこの店が
ここ佐渡でがんばってきた歴史を残せるようなことができたらいい。

がんばりすぎず、毎日こつこつと、楽しくできること。
儲けすぎないでいいから、続けること。

この店のファンは全国にいる。
そう長年物産展に出て、売るだけでなくお客さんとの
関係をつくってきたから。それが、がむしゃらに働いた時代の成果だ。

その方たちに、1枚1枚毎日ハガキを書くだけでも、大仕事だ。
お客様の顔を思い浮かべ、手紙を書く。ご本人にももらう人にもうれしい。
佐渡から感謝を込めて・・。
こういう道もあるのだな・・。玲子さんは
「気にかけてもらって、本当にありがとうございます。」
といい、別れ際に何度も何度も握手した。
この代で終わる。だから、悔いを残さないように。
自分にも言い聞かせ、佐渡を出る。

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