心の洗濯機という存在。

ある方と久しぶりにお会いし、一緒に食事をしながら
いろんな会話をした。
そして、あとでお礼のメールを交換。
すると
「あなたと話せて、心の洗濯ができましたよ。いろいろ迷っていたもので・・・」
とのお言葉。
私より一回り半ぐらい、年上の方なのに、迷われたり、悩まれたり・・そうか~。

誰かにとって、自分がそこにいることで、一緒にわずかな時間を過ごすだけで
その人のお役に立っていればうれしいことだ。
心が洗われるとは、いかにももったいない表現であるが、とてもうれしい気持ちになった。
そう、人間は長く生きていると、いろんな経験をすると、そりゃ体も痛むが、
心も傷ついたり、弱くなったり、自分らしくなくなったりもする。
そんななか、会話をすることで、心がきれいになるなら、それ以上の幸せはない。
そうか
心の洗濯屋。
こんな仕事があってもいい。
世間ではカウンセラーとか、そういったお仕事が近いのかもしれないが、
洗濯屋というこの響きが良い。
それも、全自動ではなく、ごしごしと洗濯板で洗うような感じがいい。

柔軟剤や漂白剤は要らない。まずは、じゃぶじゃぶと素の自分に戻れたら
いい。

この仕事は、需要がありそうだ・・。

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黒子に徹する人生の粋。

久しぶりに約10年前、仕事でお世話になった方と会食をする。
夏の後半は、暑中見舞いを書くように、懐かしい人にお会いし、
日頃のご無礼を詫びたくなったり、久しぶりにあれこれと話を
してみたくなるから不思議だ。
それは冷たいビールが美味しい季節だからかもしれないが。
さて、その紳士Iさんと、久しぶりのカンパイ。
ずっとある会社のナンバー2として、三代目社長を支えてこられている。
このIさんを見ながら、経営者というのは優れた参謀がいるかいないかで
輝き方が違うものだと、思っていた。
よき参謀は、トップの意向を十分理解しながら、周囲を固め、うまく立ち回る。
経営者も信頼して、現場を任せておられた。

さて、そのIさんに、なぜ参謀の人生を選ばれたのか?
と初めてきいてみる。
すると、若き頃に読んだ本のなかで、黒子として生きるという
ことに興味をもち、自分はこれでいこう!と決めたとのこと。
それから40年以上、その道一筋でトップを支え、会社を元気
づけ、あるときは切り込み隊長として部下を従え、現場を仕切って
こられた。

その黒子人生も、そろそろ終盤のようだ。
長年の単身赴任も終わり、夫婦で暮らすのは久しぶり、
いろいろしたいこともあるとのことで何より。
卒業の意思は自身の誕生日に明らかにされるそう、
きっとトップも部下も驚かれ、そして感謝されることだろう。
そんなIさんの仕事ざまがとても素敵だと思った。

会社とは、経営者は取りざたされるが、参謀はあまり表に
出ない。しかし、この存在があって、そのおかげで
社長は社長の仕事ができるのだ。

黒子は大切だ。
黒子はかっこいい。
Iさんと久しぶりにお会いして、改めてそう思った。

「卒業される前に、またカンパイしましょう。」
黒子の次は、何子になられるか、とても楽しみだ。

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旅立つとき、挨拶を欠かさずに。

この夏、これまでの東京暮らしで、言い残したことがあると
思う人に、手紙を書いた。
もう会うことがない可能性がある人には、とくにきちんとしておきたいと。
これまでの非礼、ご無礼を詫び、そしていろいろお世話になってきた
ことについて感謝の意を述べる。
その人が好きであろうものや、以前贈ろうと思って送れていなかったものも
同封する。
人生はいろんな出会いがあるが、出会うときは調子がよくても
だんだん疎遠になり、気がかりなまま終わっていく関係もある。
これでは死んでも死にきれない。
気になるならば、ちゃんとお礼を伝えておくこと。
気持ちよく旅立てば、またいつでも気持ちよく会うことができる。
そう、別れるためではなく、
またどこかで、いつか出会うために、旅立つ前にはきちんと挨拶をして
おくことが大切なのだ。

気がかりを残さないように。
すっきり前に進もう。
まだまだお礼を言えていない人がいる。
まだまだ、まだまだ・・。
これからも合間をみつけ、ご挨拶レターを続けようと思っている。
早速、お返事をいただき、安堵する。

せっかくのご縁を消さないために、大切に結んでおくことが
大切だ。

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夏の田んぼに学ぶこと


この季節は農家さんにとっては厳しいと本当に頭が下がるが、
田園風景を眺めることは大好きだ。
電車から、飛行機から、車から、車窓から見る青々とした田んぼほど、
夏バテをも解消してくれる、癒しになるお宝はないと
思うほど。これは新潟に通うようになって実感するようになった。

この田んぼを見ながら、育つ稲たちを見ながら学ぶことがある。

まずは、
秋になれば
実るほどに頭をたれる稲穂になっていくということ。

人間もそうでなければならない。
もちろん生きるとは、単に時間だけを費やすのではなく
成長していかねばならないが、
そこから生まれる成果や結果を勘違いしてはならない。
周囲のおかげで実ることができている。
おかげさまの人生だ。
そんなことを、田んぼを見ていると教えられる。

また、暑い時ほど、厳しいときほど
涼しい、なんでもない表情であるスマートさ。

夏の日照りの暑さのなか、けなげに育つ稲穂を見ていて
人もそうありたいと、我もそうありたいと思うのだ。

そして、美味しいお米になる。
人に喜ばれる存在になれよ。

と、夏の田んぼはそんなことを言い、秋に向かって
私たちに夢を与え続けてくれている。

こんなことを書きながら、ふと
ベートーベンのシンフォニー6番を
口ずさむ。

田園・・・ところで、ベートーベンがみたのは
どんな田園だったのだろう?

いずれにしても、田んぼは私のありがたい師だ。

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誇り高き「士業」という仕事。

あるきっかけで、バス会社の社長さんとやりとりがあった。
そのなかで、大変勉強になり、気づかされたことがあった。
「バスの運転業について、私は『運転手』ではなく、『運転士』と呼んでいます。
消防士とか、弁護士とか人を助ける、救う仕事をする仕事は『士業』です。
これは世の中になくてはならない仕事です。
安全にかつ、おもてなしの心をもって仕事をする。これはこの仕事の使命です。
社員には元気にその仕事をまっとうしてもらうことが大事。
だから、私は何よりも従業員を第一に考えます・・・・」。
という言葉は、この業界への認識と理解が浅かった自分にとってはある意味衝撃的であったし、
ブラックであるとか問題視された近年のバス業界の状況も踏まえての対策、見解でもあろうと
勝手に推察した。。
そして、この社長さんの思いは、さらに従業員の家族に向けられる。
社員が元気に楽しく仕事できるには、家族のサポートが第一。だから家族にきちんと
自らの思いをしっかり伝えたいと行動される。
確かに、健康管理をちゃんとすることも大切であるし、朝、喧嘩でもして仕事に
出られて、そのことが原因で事故になることもある・・。そんなことがあってはならない。
だから、家族のサポートは大切なんだと・・。なるほど。

企業の広報には社内広報が欠かせず、社内報も重要な広報ツールであるが
この会社は従業員の自宅にそれを送り、従業員および家族あての社長からの
レターを同封している。

バスも電車もこれからますます公共交通の要として重視される時代。
あってあたりまえ、安全であたりまえ・・の背景にはさまざまなハード&ソフトの
努力があるのだ・・。
いい会社とは、社員や家族に仕事への誇りを気持ちよくもたせることができる
会社である。

いろんな世界をもっと知ろう。自分がいかに偏狭な世界でしか生きて
きていないかがわかる。

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好きなものには、人がいる、わけがある。

毎日いただくもの、好きなものばかりに包まれていたら、幸せだ。

この写真の野菜たちは、この夏休み中に京都から届いた。
新潟で知り合ったが、京都出身、お互いにそこにゆかりがあることで、親しくなり、
このたびはお父様と一緒に朝収穫された色とりどりの野菜をいただき、感激しながら、
そのひとつひとつを眺めながら、味を噛みしめながら、父と息子の農園での様子を
想像する。どんな会話をし、どんな風に採って、選んで、箱詰めして・・だったのかなと。
宅配の方が汗をかきかき持ってきてくれたクール便。
どんなものでも、あの人がこの人がこういう思いで作ってくれた、入手してくれた、送ってくれた。
と思うと、うれしくてたまらない。
遠くにいても、たまにしか合わなくても自分のことを気にかけてくれていると思うと、その気持ちが
一番のご馳走だ。
そして、自分が好きなコーヒーや、チョコやクッキーや、お茶やパスタや・・・とにかく
自分が継続して使うものは、自分が出かけていった町や国や、村や島や・・・。その香りを
嗅ぐと、パッケージを見るとその街や島や店の人を思い出す・・・というものが好きだ。
そう、好きなものには、ストーリーがある。
有名人がつくっているからとか、メディアに出ていたからおいしいとか、そんなことではなく
自分の人生の一コマに関わっているモノ、それを通じて、より心を豊かにしてくれるもの、
心の旅に連れていってくれるもの・・・、人の愛を教えてくれるものが、好きだ。
好きなものに包まれて暮らす。生きる。
高級だとか、有名だとか、そんなことは一切関係ない。

幸せとは、ほんとうにこんなものだ。それ自体に出会うことが簡単ではない。
だからこそ、これらとの出会いは、ほんとうに貴重である。

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この日、この時期だけでなく継続してすべきこと。

8月15日は終戦記念日。
お隣の国は、戦勝記念日ということになる。
この忘れてはならない日のことを、平成世代の若者の中では
知らない人も多いらしく、困ったことだとも思う。
戦争を体験した人たちの高齢化が進み、これからますます
記憶は薄らいでいく傾向にある。

一方、この時期。とくに8月になると、広島、長崎の悲しみの日
からこの終戦記念日にかけて、戦争や原爆に関する報道がやたら
多くなる。
本当にこんな悲劇があったのだ。という記録がまだまだ出てくるし、
生き証人たちの言葉ほど、説得力があるものはなく、
釘付けになりながら、平和のありがたみをひしひしと感じる。

平和に関する教育と報道。
この2つはこれからとても重要だと考える。
長崎では小学校から平和教育を授業に取り組んでいる
事例もあるそうだが、被災地だからだけではなく
全国で世界でやるべきだ。
終戦記念日を知らない人がこれ以上増えるということは
平和や戦争について、無関心な人が育つということ。
無関心は一番よくない。

そして報道。
この時期にだけ、貴重な報道を流すのではなく、
定番のコンテンツとして、通年で取り上げるべき。
ネットでももっと可能だ。
もちろんプロバガンダ的なものではなく、
冷静に、客観的に平和を見つめ直す、戦争の悲惨さを
きちんと伝え続ける行動ができるのは、すべきなのは
メディアという存在であり、それが彼らの大切な役割
だと思う。

日本が大きく変わった日。
戦後という大きな歴史的節目が始まった日。
この日がなかったら、
いや、真珠湾攻撃がなかったら・・
今の日本、今の私たちの暮らし、人生は
大きく変わっていた。

おかしな物体が日本の上空を飛ばないように。

平和であることを、家族とともに噛みしめ、
平和の原点を忘れず、感謝を忘れず、
笑顔で生きたい。

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行楽しない夏も良し。

思えば東京の連休は普段より静かで好きだった。
最近は、その時期も多くの内外からの観光客で人の出入りが激しく
すっかり様相が変わった感じ。
人が出ていく、電車のすいた・・あのほんのつかの間の静けさが、ゆとりで
深呼吸をしたものだ。
この夏は、東京ではなく名古屋を中心に過ごす。
しかも行楽はしない。静かに普段通りの生活をしながら出張の仕込みや
雑事を普段どおりに過ごす。
テレビでは渋滞だ、どこそこは大賑わいだと、恒例行事のように報じているが
じっとしている限りは、穏やかで普段通りの時間も、なぜかゆったり流れていく。

母に朝メールをすると、
まだ6時台だというのに、自転車で隣町の親戚のお墓へ向かっているという。
ああ、そんな夏の朝もあるのだ。
暑くならないうちに、お墓参り・・。
彼女にとっては特別なことではなく、普段通りの生活だ。

なんだか今年の夏は静かに過ごしてみたい。
実は、そんなことがとても心地よく、贅沢だということを
改めて気づく。
決まった休みの時間に大移動をしなければならない人たち、
とくに世のお父さんたちは、
この休みこそ、お疲れの時間ではないかと毎年思う。
あと1日、2日自分だけの休みもとれたらいいのに・・と
他人事ながら・・。

それに比べるとラクチンな行楽なしの休日。
仕事もはかどり、充実感もあり・・・
そして1日過ごした後は、
美味しい野菜に、ちょっと好きなシュワシュワ系のお酒が
あれば最高の締めとなる。

夏は静かに。
もちろん冷房のある今日だからこそ、言える贅沢である。

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たまには、「声、聞かせて」、、。がいい。

遠方になれば、生活のリズムが違えば、伝えたいときに伝えたければメールがいい。
意識すればきちんとした文章にもなり、後にも残せるので、便利であるが、それでも
ふと声を聞きたい、話したいということもある。
親しければ親しいほど、そうかもしれない。
この夏は、時間見つけてご無沙汰の方には、便りを書くことに。一気に書かず、毎日少しづつ。
あんまり久しぶりだと手紙が一番。
そして、気心しれた人にはときに電話も良い。
メールでやりとりして、いつも応援してくれている友人から「たまには声聞かせて」
の言葉をいただき、即コール。
用はもうメールで終わったのに、やっぱり肉声で笑ったり一緒に考える時間が、
新鮮に思える。
一番のコミュニケーションは、対話。
顔を見て話すのが一番だけれど、電話もいいもんだ。
サザエさんのように、盆休みぐらい懐かしい長電話も悪くない。

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70年代が懐しい名曲たちと、、。

たまたま、イルカの曲のことを前に投稿したが、
最近、姿形?を見ることはなかった。
そんななか、このお盆の特別企画なのか、イルカの45周年
記念コンサートをNHKで放映しており、
見る気はなかったのに、あの「なごり雪」が流れてきてから
釘付けになり、2時間全部視聴してしまった。
あのイルカ、おそらく60代のはず・・。それなのに、
あの頃とほとんど変わらない風貌だ。
そして、あの時代、日本中を魅了したフォーム界の重鎮たちが
友情出演にも驚く。伊勢正三や南こうせつ、松山千春、小田和正、
小椋佳・・・と巨匠たちが総出演。
驚いたのは、伊勢正三と南こうせつ。
イルカ同様、まったく変わらない。
とくにこうせつは、声も見た目も、「夢一夜」時代そのまま。
とにかくその健在ぶりに感動しながら、
懐かしの名曲を聴き、いちいち、涙を流した。
とくに、久しぶりに耳にした
「雨の物語」「海岸通り」、そして「22歳の別れ」
もうかれこれ30年以上前のヒット曲たち。
その頃は・・・と、いろんなことが浮かび、純粋にこれらの
曲に感動していた若かりし日の自分をも、懐かしく思う。

感動する気持ちというのは、経年劣化がないんだな。
いいものは、ずっといい。
いいものはずっと残る。

唄というものは、目には見えないが人の心に入ることができる。

やっぱり音楽はいいし、
その作り手、表現者の人柄は大変大切であるとも、再認識した。

素朴であれ、純粋であれ。
まっすぐ生きよ。

人生の先輩たちががんばっておられるのに、
自分はもっとがんばらなくちゃ。

と、その夜に友人から偶然メールが届く。
「がんばるとは、努力を継続すること、結果はなりゆきに
任せる、というこんな感じで、しばらくわが人生の駒を
臨機応変にすすめてまいります」

よっし!私も自分の駒を・・。
それにしても、心にしみる70年代。よき時代。
ここから、生きる新たなエナジーを得た。

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