いつもいつも前向きに挑戦し続けている知人がいる。
本当にいろんな事件がその身におきても、いつもいつも前向きに
立ち向かっておられ、本当に逞しい。心から尊敬する。
旦那さんが倒れて、半身不随になったときも、とにかく励まし
最善策をみつけ、夫婦で一緒に乗り越えて、今はお元気に旅行する
までになられ、今後は旦那さんがリハビリできる環境を自分が
つくるといって、勉強されている。障がい者の雇用促進、賃金アップ
にも一生懸命取り組まれている。そのおかげで成果も出てきている。
しんどいことを「よし!」「よし!」と切り開いてこられている。
とにかく、どんな苦難にも負けず、その苦労を楽しむというか
凄い強い生き方が身に備わっているのだ。
久しぶりに会って、いろいろ近況についてお互いに語り合う。
別れたあとメールが来る。
「お互い、いろいろ大変ですが、何かを変えていかないと
運勢も開けないですね。動いていれば、いいことがありますね。
がんばりましょう!」
と、うれしいメッセージ。その言葉の後ろに、その人の満面の
笑みが見えてくる。
そうそう、ずっと同じじゃダメ。変わろうとするから、成長や
発見があるのだ。
彼女の人生もそうだ。
前向きの人といると、こっちも伝染してくる。
そう、大変なことこそ、挑戦する価値があるのだ。
前向きな人として、私も誰かもいいインフルエンサーになれたら
いい。そうなれるように。
大変だけど、何かを変えないと・・
自己主張は、事故のもと。
ミサイルを飛ばす大変危険な近隣国に対し、メディアの前で制裁だ、圧力だと
主張しているリーダーたちがいる。
このままいけば、戦争しかないではないか。と、とても心配になる。
平和国家を目指すならば、もっと違うアプローチはないだろうか。
声高に制裁、圧力と言っている映像をもちろん本人も見ているだろうし、
予想もしており、そんなことには動じないし・・・。逆効果でしかないと
思えてならない。
一方、わが国の西の大国のリーダーは制裁や圧力は効果がないと、
他の国と違う見解を示しており、これはある意味、冷静で正しいとも
感じる。(しかし、こちらも怖い存在であり、何を企んでいるかは
別であるが・・)
とにかく、主張することが正しい行動と思っている人たちについて
嫌悪感、違和感を感じる。
自分自分の主張が、摩擦を強くしているように感じる。
対話は本当にむつかしいのか?その努力は?
何か手法をひとつ誤ることで、被害を受けるのは、
一般の人たちだ。
ミサイルを飛ばす国にも国民がいる。そこで生きている。
そのことも心が痛む。
いろんな意味で、真のリーダー不在の世界になっている
現在を憂う。
権力を欲しい、名声を求める人たちの一方的な
言葉ではなく、
もっともっと違う視座から、
世界を穏やかにしていく道を求めたい。
自己主張の連呼は、恐ろしい事故を被害をもたらす。
よい関係づくり。自分が生きる小さな世界からでも
そのことを心がけたい。
モノから透けて見える人、時間。
毎日の生活では、いろんなモノを使い時間を費やしている。
そのモノたちを使うとき、
それを選ぶ理由を大切にし、そのモノの背景も大切に
したいと思っている。
朝起きて、いただく一杯のコーヒーから、それを入れるカップから・・・
これはあの方からいただいたありがたい豆、これはあの町へ
行ったときに入手したもの・・・。
使うもの全てが自分にとっていい思い出、イメージになっている
ものだけを選び使うことで、小さなことではあるが、1日が、
ひとときが幸せになるのだと思っている。
反面、信頼できない人、思い出すだけでも不快な人に
関わるモノは決別したい。
変な奴と思われるかもしれないが、不快この上ない診察を
し、顔も見ないで処方箋をほいほいと書き・・・という
医者が出した薬は、飲みたくない、塗りたくもない。
その人のことを思い出すからだ。
人と薬は関係ないとは思えないのだ。モノを通じて嫌な
場面を思い出すのだ。
その薬を手にとって、不快になるならば、治るわけはない。
だから、その薬自体には罪がないけれど、ゴミ箱行きとなる。
一方、名医でもなんでもない、地道にやっている薬屋さんが
心配して分けてくれた塗り薬は、塗るたびにその人の顔が
浮かび、ありがたいと思えてきて、患部も和らぐ感じがする。
事務的にリハビリを教えてくれるより、家族が手伝ってくれる
テーピングの方が自分には効果がある。
そのモノからそれにかかわる人の愛や気持ちが伝わる
からだ。
店にならんでいる、ネットを飾るあまたあるモノたち・・。
結局、リピーターとして買い続けられるものは、
きっとそのモノから、透けてくるものがあるはずだ。
透けてこないものは、もしかしたら、本当に必要なもの
ではないのかもしれない。
不思議だけれど、モノからは透けて見えてくる人や
時間がある。
自分自身も、どこかで透けて見えている側になっている。
何事に対しても、心して、丁寧に寄り添ってかかわる
ことはとても大切だと思う。
毎日が最後の晩餐であっても・・。
毎日が終活というわけでもないが、
最近は、今日が最後でも悔いないようにと、以前より
より強く思うようになってきている。
ありがとうと言えなかった人、お礼ができなかった人、
言い忘れたことがある人、生まれてここまで来るまでに
いくほどの人の、いくほどのお世話になり、ここまで
やってこられたのか。
それは直接だけでなく、間接的にというのも含めてだ。
つい最近は、45年前に、急死した叔母の旦那さんと後妻さん
と家族で一緒に中華料理のテーブルを囲んだ。
「これが、最後やな」
と、耳が遠くなった叔父はその会食のことをしみじみそんな
風に言った。
そんなに特別なことなのだ。
「いえいえ、またこれからもそういう機会つくろ」
と言いつつも、確かにおじさんたちも、高齢であるし
これから誰が欠けてもおかしくない。
そういう意味で最後になるかもしれない。もちろん
そうでないことを願いつつ・・。
耳が聞こえないおじさんは、周囲の会話が入ってこない代わり
食に専念しているように見えた。
「野菜から食べないといけないんや」といって、
野菜をパクパク、肉もパクパク・・。
気が付いたら一番食欲があったようで、驚いた。
楽しそうで、幸せそうで良かった。
親戚や地域の中での会話は苦手であるので、静かに
見守りつつ、この場をかみしめる。
感謝をしなければならない人に、感謝したい人に、
感謝しないと死んでも死にきれない人に・・・
どんどん伝えていこう。
終活という言葉は好きではない。
が、生きている今、毎日ひとつでもふたつでも
悔いが残らないように、実行するのみだ。
「また、来なくっちゃ」と思わせる憎い店。
靴やカバンの修理や、合いカギのチェーン店といえは、ミスターなんとかを思い浮かべる
人も多いだろう。
実は、最近、この業態・このチェーン、この店のサービスに感動している。
1回目 出張先で靴の底のゴムがちょっと擦り切れてしまっており、前から
見ると目立つ。明日は人前に出なければならない。
デパートの靴売り場に駆け込んだものの、ほしいものはない。
ダメもとで、そこの1階にあるそのミスターに飛び込み聞いてみる。
「こんなの、直りますか?」
「ああ、これだったら、底のゴムを変えればいいですよ」
お値段は大変リーズナブル。すぐお願いした。待ち時間の20分もスリッパを
貸してくれるので、その店があるデパート内の用事も済ませる。
ああ、よかった靴1足買わなくて済んだわ。丁寧で安くて、うまくてとても気に入った。
2回目 その1週間後。今度は別の靴の脇のベルトが撮れそうになっていることに
これも出先で気づいた。
1回目、気に入った同じ店に駆け込む。違うスタッフが対応。
「ああ、これは、ちょっとすぐには直らないですよ。1日預けてもらえば
できますけど」
「今、出張中で1時間しか時間ないんですが・・・」
「じゃあ、応急処置だけしておきますから、落ち着いたらまた修理に
出された方がいいですよ」といって、先にやっていた靴の修理の手を
止めて、両面テープを使って私の靴の応急処置をしてくれた。
これでまずは十分。今日は乗り切れる。助かった!
「おいくらですか?」
「あ、これはあくまでも応急処置なのでいいです。また今度持ってきて
ください。ちゃんとした修理のとき、いただきます」といって
お金をとらない。
3回目 上記の靴の修理を出そうとそのミスターに向かった。但し
出張先ではなく地元の店に持ち込んだ。出張先では1日も預けられないし
またの機会にと思って、同じチェーンなら許されるだろうと・・。
その地元の店のスタッフの対応も素晴らしく、私の靴を見ながら
「ああ、これは縫ったりできませんし、できる限り、貼り付けること
しかできないものですが、よろしいですか?」
「いいです、できる限りで」
「じゃあ、時間みつけてやっておきますよ」
「お代はおいくらですか?」
「いえ、完全に直らないかもですので、今回は無料でいいです。
また何かあったらお持ちいただければ」
と笑顔で答え、靴を預かってくれた。
半日後、取りに行くと、見た目おかしくないように、きれいに
仕上げてあった。
「できる限りの処置でしたが、これでよろしいですか?」
十分だ。
「はい、ありがとうございます。お金払いますよ、おいくらですか?」
「いえ、今日はいただきません。また何かあれば、お持ちください」
とブレナイ対応に驚く。
この店は靴、カバンの修理、合いカギ、靴のお手入れグッズ、時計のバンドの他
印鑑も扱っており、こんなにバラエティ豊かなサービスをしているとは
と驚き、次回、このなかの何かが必要になったら、
絶対ここに来なくちゃ。地元も、出先でも。
と、すっかりこのお店のファンになった。
損して得とれ。とチェーンの経営方針にあるかどうかは知らないが
ここに駆け込む人は、困った人が多いかも・・。その人には
かなりぐぐっと刺さる応急サービスである。
今回、この店舗に何度か行くことにより、こういった仕事をする
方々にも興味をもつようになった。
道具を大切に、長く使えるようにしてくれるビジネスとは
エコビジネスだ。
感動、感謝、尊敬。
ミスターはなかなかの暮らしコンシェルジュ・チェーンだ。
「完璧じゃなくてよかったわ~。」!?
いやはや、これだけはしてはいけないと思っていることなのに、
大失態をした。
いつの間にか、ハガキの送料が52円から62円に変わっていた
らしいが、まったく!!!知らないでいた。
普段より、ハガキは年賀状ぐらいなもので、ほとんどは封書を利用し
その場合も、少し分厚かったり、封筒のサイズが違うこともあるため、
多めに切手を貼る習慣がある。
少なかったら、相手に迷惑がかかる・・という点でそうしている
のに、今回は、まったく知らないでハガキをお送りした方、何名かに
52円の切手を貼って、投函していた。
親しい人から、夜、
「MASAKOさん、ハガキ届きました。ありがとうございます。
それで、切手代、最近値上げしたようですが、ご存じかな?
もしかしたら、他の方にも送っていたらいけないので、
お知らせしておきますね。」
と、なんと親切な方。やんわり教えてくださって、顔から火が出る思い。さらには
きゃー、あの人にもこの人にも、同じものがいっているんだー。
早速、そのうちの何名かにすぐ連絡つく人にメール、電話で確認する。
「値上げしたみたいだけど、不足分請求されませんでしたよ。」
「いやー、実は僕たちも値上げしたこと知らなくて、送っていただいた
おかげでわかりましたし、いい勉強になりました」
と言われてしまい、本当にみなさん良い方ばかりで・・・と頭が
下がり、顔からは火が出っぱなし。
郵便局さん、いつの間に?本当に知らなかったのだ。
間違って出した方には、お詫びと切手代をちゃんと返そうと
しているところへ、郵便局のTVCFを見る。
なんでも、年賀状の売り上げが落ちているから、
お正月の限定期間は52円に戻すそうだ。
そんなことしたら、また間違えたままになりそうだ~。
気を付けよう。
それにしても、教えてくださったAさんは、
「昌子さんが、完璧じゃなくてよかった~」
と言ってくれて・・。いやはや、本当に優しい、
ありがたすぎる貴重な存在だ。
原因のない結果は、なし。
印刷会社で働いていた時代、数々のプレゼン、コンペに企画を出してきた。
指名でいただける仕事ばかりであればよいが、同業がいる限り、比較検討
されるのは、発注側からすれば良い選択の手段だ。
しかし、見積もり競合であれば電卓の世界なので、まだいいが、
企画案自体を出すというのは、本当に骨が折れる仕事なのだ。
企画というのは、見えないから、見えるようにしなければならない。
文章でビジュアルで・・。ある程度作り込んでしまわなければ伝わらない。
受注するための仕事が、実際には、受注したと同じぐらいの労力を費やすことが多い。
しかもコンペとなると、少しでもいいものをと企画制作の担当者は知恵を絞る。
それが採用にならないことが続くと、戦っているクリエイターたちは疲弊する。
勝てば、とれたらうれしいプレゼン。負けが続くと、いろんな意味でのダメージが多い。
今、社会問題になっている某広告代理店のハードワークの実態のひとつには
このようなことがあるのだと最初から思ってみている。
広告代理店とも勝負してきたから、相手の苦労もよくわかる。
さて、そんな準備が大変なプレゼン。
負けたら、悔しい、残念・・とだけ終わってしまっては、かけた労力が
無駄になる。
なぜ、勝てなかったのか。
この理由をできる限り、細かく、担当者にヒアリングすべきであるし、
担当側もプレゼンをお願いした責任として、それはすべきだ。
理由も言わず、「残念でした」では、あまりに中途半端であり、失礼だ。
なぜ落ちたのか、とれなかったのか。対外的にプレゼンした人がちゃんと
原因をわかる限り情報収集した上で、担当者間で反省会をし、次に生かせるよう
改善策を練っていくのが良い。
仕事をしていたら、おのずと結果が出る。その結果が思わしくない、
望んだ結果でなければ、なぜそうなったのかをしっかり敗因を追求すべき。
オリンピックの選手たちは、きっとそのことをきちんをやっているはずだ。
本当はコンペはなくなった方が世の中に無駄な仕事も少しは
減るわけであるが・・。
もちろん競争するから、いいアイデアが沸いたり、クリエイティブが
生まれたりする・・のも正直あるのでなんともいえないが。
いずれにしても、出た結果の原因究明、分析をしっかりしておくことが
大切だ。
再放送で再会。
出張先のホテルに疲れ果ててたどり着き、テレビのスィッチを入れる。
低俗なもの、胡散臭いものらを避けて、世界の旅モノの
番組。しかもあんまりやらせ臭くない、自然な感じの
旅モノ。
場所は、ナポリ。
おお、ナポリか~。もう7~8年行けてないな~。
MIYAちゃん元気かな。と、ナポリ在住の
ガイド、通訳などをしている知人のことをふと
思い出したら、本人がその番組に現地のガイド役
で出ているではないか。
「あっらー、MIYAちゃん変わってないな~」
女優らしき美しき女性と一緒にナポリ市内を
街歩き、オススメどころを案内していくという
一時間番組だ。
彼女が連れていくカフェ、チョコレート屋、
pizza屋、手袋屋、すべて一緒に行った場所。
どれも懐かしく、変わらない。
東京と違って、新しい店を紹介するのではなく、
いいところはずっといいという紹介であるから、
さすがイタリアと思いながら、
ずっとMIYAちゃんの仕事ぶり
に引き込まれ、ナポリの町を思い起こしていた。
そして、番組の終盤には、彼女と最初に出会う
きっかけになった、イタリアマンマの料理を
教えてくださった現地のお母さん(おばあちゃん)
のご自宅訪問と彼女の家庭料理のおもてなしが
登場。
そうそう、ここに実際に企業のみなさんを
お連れして、お邪魔して、家庭料理のレクチャーを
きいて、食事して・・・ナポリの海を
ベランダから見下ろし、彼女の家にある
古いピアノを弾いたな~~などなど、
10年以上前のスローフードツアーのことを
鮮明に思い出した。と同時に、
MIYAちゃんに何年振りかにメールする。
「テレビつけたら、出ていたのでびっくり。
変わってないね~。」
・・・・メールしながら、ナポリへ
再び行きたいと思い、眠った。
朝目覚めたら、MIYAちゃんから早くも返信。
「マーサさまお久しぶり。
あの番組はもういいというぐらい、再放送
しているものです。ですので、私は実際
もっと老けていますよー」
と変わらぬ、いい距離感の返事。
よし、今度は久しぶりに再会を果たそう。
しかし、テレビもそんなに再放送しているとは。
制作費もかかるし、元をとらないといけないし・・。
いずれにせよ、害のない旅番組は、自分を
世界にいざなう旅番組は好みのコンテンツだ。
MIYAちゃんがナポリで健在、奮闘していることを
知り、こちらも元気が満ち満ちてきた。
記念日が多いセプテンバーに。
9月のはじまりは何かと記念日が多い。
本日1日が母の誕生日、3日が妹の誕生日、7日が甥っ子の誕生日そして
その日は、私が幼き頃にとてもかわいがっていただいた叔母の命日・・。
その叔母がこの世を去って、もう45年になるが、その間も
彼女のだんなさんや後妻さんが、親戚づきあいを
続けてくださって、時折手紙を送ってくださったり、ふるさとライブにも
参加してくれている。
とくにおじさんは80歳を越えても現役。ずっと仕事を続けておられる。
耳が聞こえなくなってきたけれど、いつも私のライブに
来てくれて、聞こえないのに、どうしているんだろうと
いつもおじさんの顔が視界に入ると、胸がつまりそうになりながら、
演奏をしてきた。
この週末は、このおじさん夫妻と両親と妹で、セプテンバーの会食
をしようと思っている。
長年のおつきあいのお礼を、そして元気なうちに
一緒に食事を・・。
思ったタイミングに、実施する。
そんなことはこれまでしたこともなかったけれど、
ひとつひとつ、感謝を気持ちを込めて、
楽しい時間を作らねば思うのだ。
「あのとき、ああすればよかった」と、思わなくても
いいように・・。
天国のおばさんにも、感謝を込めて。
いい旦那さんでよかったね。
おばさんが亡くなる前に作ってくれた卵焼きのあの
味が・・・蘇る、セプテンバーは記念日多き月。
セプテンバーは、秋を感じるとともに、
人生の秋をも思う、人恋しくなる季節だ。
灯台下暗しのおもてなし。
思えば、18歳に家を飛び出して35年が経過。なんと月日の流れるのは
早いことかと思う。よくその間、家族たちが元気に、無事に自然に年を重ねて
いてくれることが何よりの宝であり、これ以上ありがたいことはないと
最近思う。
思えば、とくに家を出るとき、妹という存在を、妹が出ていく姉の背中を
どう見るか・・など、考えたこともなかった。
今になって思えば、なんだか罪深い気がしてくる。
親とはそのうち、別れる日が来る。妹は順番でいけば、もっと長くつきあえるはずだ。
そう思うと、ああ、大切にしなくちゃな~と素直に思えてくる。
と、だからというわけではないが、このたび、妹がたずねてきたときに
コーヒーを淹れたり、好きそうなお菓子を入手して出したり、
サンドイッチを作って出してみたりした・・。
すると、妹は美味しい、美味しいと喜んで食べてくれた。
そして、図録を観たりしながら、いろんな作家のことやアートのことも
話すと、興味を持って聞いてくれたのがとても新鮮で・・・。
これまで、何もしてきてないな。
これからは、もっとコーヒーやお茶を淹れてあげたい
これは年をとってもいい楽しみのはずだ。
おもてなしは、灯台下暗しの人たちにも。
改まったこと、大したことではない。
目の前にいる人が心から喜ぶことをすればいい。
こんな発想ひとつで、心豊かなひとときが、生まれそう。
もっとも大切にしなければならないことは、足元にある。