作品に込める本当の意味。

最近、昭和の歌謡曲は本当に素晴らしいと思う。
たまに見る歌謡ショーでは、思わず手を止める懐かしの名曲に出会え、
社会や変化や歴史を感じ、胸が熱くなることもしばしば。

子供だった当時、深い意味がわからないまま口ずさんでいたが
今改めて聞いてみると・・こういう意味だったのか・・としみじみ感動することも
多い。
記憶するときは、メロディで覚えていることが多いが、深く感動するには
やはり歌詞だ。
いい歌詞の曲が最終的には、名曲ということになるだろう。

40年ほど前、弘田三枝子という歌手がいた。
彼女が歌った「人形の家」という大ヒット曲があった。
子供の頃からも とても好きで、憧れもあった。
ほんとうに人形のような容姿で、カンツォーネのような歌い方。
聴く人の心を離さない。
この曲を、作詞家なかにし礼の自伝番組で久しぶりに聴き、
思わず手が止まり、釘付けになった。

いい曲だ、なんという情念の、愛の・・曲。いつか機会があったら
挑戦したい・・とその名曲に酔いしれていたら、
その曲の解説を作詞家本人が語った。

なんと、これは男に捨てられた女の愛の、情念の歌ではなく、
戦中、お国のために命をかけて戦ったにもかかわらず、
戦後、中国からの引き上げを許されなかった人の、国に捨てられた人たちの
哀しみを歌った曲だと知って、大変ショックを受けた。

一見、この曲は愛の曲だと思う。ほとんどの人がそう思うはずだ。
しかし、作詞家は自らの戦後の悲しみ体験を思って書いたとのこと。
一曲の制作意図には、「実は・・・」という思いがあるのだ。
露骨に、直接的に言えないこと、言ってはならないことを
このように表現する・・・。凄いなと感心した。
その曲が流行れば流行るほど、哀しみが増していたはずだ・・。
ご本人はどんな思いで書き、聴いていたのかと思うと心が
震える。

改めてこの名曲をしっかり味わい、いつか演奏してみようと思う。

それにしても、なかにし礼は、素晴らしい。
言葉を音楽にのせて表現する仕事。やっぱりあこがれる。

一曲に、いろんな思いを込めることができる。
よく生きていないと、それもできないはずだ。

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地下街メモリーと夢。

名古屋は地下街が発達している町として知られている。
すでに私が小学生の頃からそうであり、当時
毎日学校が終わったあと、名鉄電車に乗って岐阜から
通った名古屋の音楽教室。
毎日、電車で30分。岐阜から名古屋まで毎日だ。
低学年の頃から電車に一人で乗ることも多く、
その時から、移動生活に慣らされてきたのかもしれない。

最近、名古屋駅前の地下街をよく歩く。
上に上がればすぐJR名古屋駅。今は高島屋があるが
当時はなかった。
地上よりも地下が賑わっていた。
そこには当時、まだ珍しかった焼き立てパンの店と
名古屋に初進出したマクドナルドが並んでいた。
そこを毎日小学生である田舎者の私は通りながら、
「なんだろ、いいなあ」
と興味津々であった・・。

実はその店たちがもちろん改装はしているが、今も当時と
同じ場所にあり、営業を続けている。

最近、そこを通ると小学生時代の自分が現れるような
気がする。
駅前の地下街、平日は小学生はあまり通らない、大人の
町だ。
この頃から背伸びをしていたのだろう。
子供のくせに、都会である名古屋の地下街を毎日
ウォッチングしていたのだ。

「ハンバーガーなんか、食べたらあかん。あんなもん
カラダに悪い」
「コーラなんか飲むな、骨がとける、あほになる」
マクドナルドの話を親にしようものなら、こんな
返答であったことも今は懐かしい。

今、45年も前の自分と名古屋の地下街で遭遇している。
少女は、一生懸命目の前のコンクールに向かって
がんばっていた。
今、私は何に向かっていくのだ?
少女時代の自分と対話しながら、自分の行先を
考える。
地下街のメモリー。夢は地下に?

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表情変化を楽しむ闘い

どなたかの紹介を得て、その紹介者とともに、面談に来てくださる社長さんたちがいる。
自分から「よし、ここへ行こう!」との思いでおいでになる方は最初から、積極的であり、
言葉もはっきりされており、限られた時間の面談、忙しい合間をぬってきたんだから、
元を取ってやるぞ!ぐらいの気迫に満ちている方もおられる。
が、いかにも連れてこられている、しぶしぶ来られたような場合は、かなり違った空気から
のスタートとなる。
同席者がいると、確かに緊張もする。なんとなく重い。
ではあるが、名刺交換がはじまれば、こっちのもん?。いかに楽しく話をしていただき、
それに応えるか。
一生懸命、その方がおっしゃる一言一言に耳を傾け、相づちを打ちながら課題が見えて
きたところで、こちらからの提案をしていく・・。
話をよく聴いている間から、社長さんたちの顔色が変わっていく。
お、血流がよくなってきているようだ。
と同じくして、会話に笑いも生まれる。そして話が流暢になってくる。
ちょっとしたきっかけで、人は話し始める。
そして、それに対して、出てくるアイデアをボンボン出していくと、社長さんはうれしそうに
ききながら、メモをとられる。
「よー、そんだけ出てきますなあ」
初対面であれ、何であれ、話していれば浮かんでくる。
そして、すっかり打ち解けて、やる気に満ち満ちて・・・。
なんだか整理できたようだ、今せねばならないことが見えてきたようだ・・。
お別れのときは、笑顔だ。
1時間の面談は、私自身の闘いでもある。
絶対に顧客満足を達成しなければならないといつも思う。
その人にどこまで向き合い、その人の会社に役立つことをどれだけ
出せるか。
お客様のビフォアアフターの表情の差があればあるほど、その後の結果も期待できる。
これからも、ひたすら表情の化学変化を求めてつとめていきたい。

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シューカツ?イマカツ?

久しぶりに再会した友人。10年ぶりか。
会社員時代、お互い元気印だという点で気が合い、
その後も細く、長くつながっているという関係だ。

その間、結婚離婚・ダンサーとしての活動、さらに
外国語教師を目指しての猛勉強・・・・・。
そして50歳を越えて次のステップに向かうための新たな勉強を開始。
病を抱えながらも、持ち前の強い精神力と努力で
克服され、10年ぶりの再会は、最初の出会いのとき
のように元気いっぱいで、いきいきした笑顔
を見せてくれた。
そんな彼女。今年、お父様が亡くなり、そのことがきっかけとなり
自分の仕事、自分の人生を冷静に考えはじめたとのこと。
そして、よりよく生きるために、
今から自分の最後をどうしたいか・・をきちんと整理し、周囲にも
伝え、毎日を悔いなく生きるのが良いとの考えに至ったという。
まさに、今からの終活だ。
年老いてからのそれではなく、50歳を過ぎた今だからのシューカツ。

彼女は、最近遺言を書いたと、すっきりした顔で言う。
そのなかには、延命治療について、葬儀について・・・ももちろん
含まれている。
葬式も予約したと言ったのには、ちょっと驚いたが、
彼女らしいとも思った。
全部、人に迷惑をかけないため、自分らしく人生を閉じるための
早期対策だ。

一方、そんな話題を他の同世代の仲間に打ち明けると、
「まだ終活はいいかな。まず、今やりたい夢に向かって
挑戦することが先ですね。」と、
今すべきことは他にあるという。

それも理解できる。

生きる限りは挑戦を続ける。
と同時に、いかに人に迷惑をかけずに一生を結ぶか
は確かに考えておくべき大切なこと。

いずれにしても、明日でいい。ではなく
自分が大切だと思うことを止めておかないで、
今日すべきことは、行動するということが大切だ。

婚活、就活、終活・・・いろんなカツがあるが、
私は、今活をまず、忘れずに生きたい。

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音の可能性にもっと注目

人間に備わっている五感の世界には、はてしない可能性がある。
現代社会は映像・画像が容易に撮影・編集でき、誰もが発信・配信できる
という点で、見る・見える行為は、現代コミュニケーションの主流である
が、「見えること」が当たり前ではなく、とてもありがたいコミュニケーション
手段であることを忘れてはいけない。五感でもっとも短距離・短時間に
物事を直線理解できるのが視覚であると思う。
目を開ければ、開いていれば、見える。見えるということは、大変ありがたいこと。

一方、耳から入る情報は、緊急音などはもちろんすぐ耳に入ってくるが
いろんな音が混ざり合っている社会の中では、耳を澄まさないと
入ってこない音もあり、また耳を澄ますことで、いろんな想像が
湧き上がるという点で、無限の可能性がある。

音楽に親しんできてよかったと思うのは、響く音色からいろんな世界
が見えてくること、タイムトリップもできるという点。
音の世界で、この世にないものをイメージできるのだ。
ラジオの仕事をしてきてよかったと思うのは、ラジオはテレビの世界
よりも地味ではあるが、聴く人が意識して聴いてくれること、
対話性を感じられること、そしてやっぱり想像が膨らむという点だ。

目に入ってくる情報を無条件に受信することに慣れるのではなく、
ときには耳を澄まして自分をとりまく音を意識して、選んで
聴いてみたい。
そして、いろんな世界を大きく想像してみたい。

音コミュニケーションは、人により受け止め方、膨らませ方も
異なる点、自由度がある。可能性がある。

今改めて、人間のもつ五感の可能性を見つめ直してみたい。

自由で創造的なコミュニケーションは、耳を澄ませることから
はじまる。

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今年、まだ挑戦できる。

もう今年は終わり?そんなことはない。
来年何をするか考える前に、まだ今年も半月以上あるのだと思うと、
まだ新しいことを始めても良さそうだ。

とくに、まだ今年やりきっていない感があるならば、何かしたほうがいい。
一週間あればできること、1日あればできること、いろいろある。
今年がちゃんと着地せずして、来年のことばかり、年末年始の心配ばかり
しているのは、順番が違うという感じだ。

今年したかったことはできているだろうか。
自己点検をして、まだいけると思えば、迷わず進もう。
走りながら、歩きながらでも反省も、計画もできるのだから。

ということで31日までに新たなことに挑んでみようと思っている。
まだ今年は終わらない。

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生涯、何に力を注ぐのか。

ノーベル賞という存在が、なぜこんなにも世界的な権威を持ち続けているかは
不明なところはあるが、毎年各部門の受賞者を巡り、さまざまな予想・憶測が
飛び交い、毎回いろんな反応、話題があり、注目を浴び続けている。世界にとって
人類にとっての普遍性ある行動と功績。これは受賞しようがしまいがどっちでも
尊いことであるが、少なくとも受賞することで世界中が注目することで、その
運動が加速し、影響が広がるという点では大変有意義だ。
まさに、今回の平和賞のように。

私はあのサーローさんが国連で演説をされたときにも、今回の受賞講演のときも
心が震えた。
この核廃絶への思い、被爆者の切なる思いを世の中の権力者とりわけ核兵器を
武器として世界の緊張を高めている国に対して・・。
広島や長崎の経験は二度と繰り返してはいけない。
と、被爆者たちが生きている間に、みなさんの苦労苦難を無駄にしないために
核を地球から失くさねばならない。
あの力強い演説に、心うたれる人は多いことだろう。

さて、彼女の演説を聴きながら、私の人生は?これから何に注力していくべきか。
内面から湧いてくる、自身の経験から生まれる動機以上に、強いものはない。

被爆者の方々の活動を心から応援しながら、自分も世の中をあるべき方向に
近づける、まさに人間貢献・社会貢献の人生にしなければと改めて思う。

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傾聴の年末は、宝もの。

年末になると、今年会えなかったから、ゆっくり話せなかったから
などの理由で、再会の時間をもつことが多くなる。
いつまでもご縁をつないでおきたい人とは、たとえコーヒー一杯
であっても、今年中にぜひご一緒したい・・と思うものだ。

今回、都内の午後、3組のアポを入れる。
いずれも自分より年上、大先輩の素敵な紳士たち。
ある方はもう四半世紀のおつきあい、
ある方は、15年ぐらいのおつきあい、
ある方は、今年出会ったけれど、長いおつきあいのような感じがする。

いずれも自分にはできない立派な仕事を
勤めあげられ、定年などの節目をクリアされ、
さらに現在も自身のキャリアを生かし
現役で活躍されている。

それぞれとの会話時間を楽しむ。
いろんな生き方、人生を聞かせていただき
それぞれの充実した生き様に
心から感動する。

日本の父ちゃんはえらいな。
もちろん父ちゃんを支えてきた母ちゃんも
えらいけれど。

私が積極的に会いたい紳士は、
生涯現役を目指しておられたり、
いくつになっても自分の夢を
追い求め努力されている人たちだ。
決して
会社人生にしがみつかずに、
次のステップにどんどん進まれていく
方たちだ。

地域の、企業のためにお世話される方、
息子のビジネスを助けながら、そろそろ次の挑戦をと
考えておられる方、仕事の傍ら、スペイン語を
身に付けて、巡礼の旅に出かけたい、その次は海外での
ボランティア活動もやりたいと
燃える方・・・。
いずれも、ほほえましくて頼もしくて、大好きだ。
出会うときも、別れるときも両手でしっかり握手。

傾聴する時間をもつことはとても大切だ。
人生の先輩を大切にしたい。
もちろんそういう先輩を選びたい。

また今後は選ばれる先輩にも
なっていかねばならない。と、
素敵な先輩たちの背中を見ながら
そう思う。

再会。対話。傾聴。握手。
年末にふさわしい対話時間。
もうあまり時間がない・・。

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レストランは、人生の素敵な思い出づくりのために・・・。

世の中には、いろんな店がある。
さまざまな商品やサービスを売る。
お客はモノを買ったり、食事をしたりしながら、その対価を払う。
「いらっしゃいませ」ではじまり、「ありがとうございました」で
結ばれるお客とお店の関係。

一度開店したら、永久に営業・・・というのはなかなかむつかしい。
もちろん創業何百年、何代目と看板を掲げている老舗も多く存在するが、
とくに都会の店舗では、賃貸条件や市場環境の変化で、ある期間を
過ぎると閉店するという店も、決して珍しくない。
そう、開店することも閉店することも珍しくない。それにより商業施設は
また新たな店舗の出店を迎え入れることで新陳代謝を図り、新たな利用客を
呼び込む。
世の中は開店には注目し、何かと話題にするが、閉店にはあまり目を向けない。

このたび、何年も時折お世話になってきた都内のレストランが閉店することになった。
近隣のビジネスマンや観光客に愛された和食レストラン。
昼はビュッフェで、夜はテーブルサービスのお店として。時間帯によっては、
団体客も招き入れた。

今回の閉店は、会社としての、将来を見据えた前向きな閉店。
近々、近隣に新店舗をオープンさせる予定でその準備も進んでいる。

とはいえ、そこの店でもう食事ができない・・という名残惜しさで
営業最終日のランチタイム、営業時間の前に店に向かう。
当店を愛用されたお客様と待ち合わせをする。

もうおしまい。と言われると、本日限りと言われると行きたくなるのが
人間だ。
営業時間前15分前に着いた。
まさかまだ誰も並んでいないだろう…と思ったらすでに
何組かのお客さんが並んで待っていた。
とくに最前列の紳士は常連客とお見受けした。最終日とわかって
来られているようなオーラを感じた。

開店時間までの間、今日で営業を終わる店舗を店の前からもう一度
眺めてみた。何度も何度も足を運んだ店だ。いろんなお客さんとここに
来た。その中では、再び食事を楽しみにされながら、
帰らぬ人となった人もおられた・・・そんなことも思い出す。
お元気だった何年か前、一緒に誕生祝いをし、喜んでいただいた1枚の
写真が今もスマホに入っている。
また、この春、両親を東京に招いたときも、ここでお世話に
なった・・。などなど、ここで過ごしたわずかな時間ではあるが
いろんなことがあったな・・・と、忘れかけていたこの店での思い出が
次々と蘇り、そこでのさまざまな人との交流が懐かしくなった。

そして、最後のランチをいただく。
最終日でもあるためか、12時になる前から店内は賑わってきた。
今日は早めに退散しなければ、店に申しわけないと思いつつ
居心地の良さから、しっかり楽しませていただく。

スタッフたちは少し休んで、次の勤務地へ異動していく。
「お疲れさんでしたね。いろいろありがとうね。また次の店へ
行くね。今日最終日がんばってね」
まだ会えることはわかっているが、この店での最後の時間が
愛おしく思える。
営業時間前から並んで待っておられた最前列の紳士はやっぱり
常連さんだった。お店のスタッフに声をかけておられ、
存分に最後の食事を味わっておられた。

店は単に美味しい料理を提供しているだけではない。
お客様を迎え入れる快適な空間があり、スタッフのおもてなしがあって、
訪れる人たちに、喜びと楽しみの時間を提供する。
そう、サービス業は総合力だ。

その時間は、一期一会。その時間がお客様の人生のなかの
大切な思い出になっていく。

開店するときには、お客様のどんな思い出づくりのお手伝いが
できるだろうかという思いを持ちながら
がんばってほしい。

閉店と言う節目に接し、店なるものについて、改めて考えてみた。
長い間、お世話になったこの店に、
改めてお礼をいい、お店に「お疲れ様でした」と告げたい。
形は変わっていっても、思い出は永遠である。
思い出に残るお店に・・・。

そして、お店はお客様の人生に、素敵な思い出を残す、創る
場所であり続けてほしい。
と、改めて・・・。

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ずらす楽しみ。新たな発見。

今、世間は年末年始の休みに向けてまっしぐらだ。町のあちこちで休業日の案内を見かける。
それらを見ながら、今年という残された時間をカウントダウンしながら正月の準備をはじめる。

その昔、お正月は今以上に特別な存在であった記憶がある。
お店はすべて閉店するので、年末に買い出しに行って、正月に向かう緊張感を
味わい、そして家族でおせち料理をいただき、自宅で年賀状を見てゆっくり過ごし、初詣に行き・・・・
お年玉をもらって・・・。と、とにかく静かなハレの日であった気がするが、
今やコンビニもあり、スーパーも元旦から営業して、買い出しは必要なく、
福袋も元旦に販売し始めるデパートもあり・・・。
大晦日も元旦も、普段通りの消費生活ができてしまう・・・という点では
お正月が日常の延長になってしまって、ありがたみがなくなっている。

その点は大変寂しく残念であるが、そんななかでも、
この時期、日本中を人が大きく動く、一度に行き来するという現象は、今も昔も変わらない。
帰省ラッシュ、出国帰国ラッシュは年末年始の風物詩のようで、一斉に休みになり、一斉に
動く。だからこの時期の交通・宿泊費は急上昇する。
それでも、その期間が休日だから、限られた時間の中で人々は動く、動く・・・。
新幹線も飛行機も混雑、高速は渋滞する。

さて、次の新年からは、この波に乗らなくて良さそうで、とても楽しみにしている。
人が休むときに働く。人が働いているときに休む。出かける。
これはなかなかいい。
混雑した状況に出くわさない、静かに移動できる、ゆっくり過ごせる。
料金も高くない。
なんでも少しずらすと、経済的にもリーズナブルという以外にいろんなメリットがある。
これまで世間のカレンダーを当たり前に見てきたが、そうではない生活があるということを
知ることができたのはとても良い。
すいているときに、出かける。これは大変贅沢なこと。
だから、今度の三が日は、静かに仕事をしようかなと思っている。
もちろん、新年らしい仕事を。

いろんなことを徹底的にマイナーな道を選ぶ。
そうすることで見えてくることがあり、これまで知らなかった楽しみも
みつかるはずだ。

ちょっとずらす。この視点を大切に行動すると、面白い発見がまたまた生まれそうだ。

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