台風直前の静けさと海の美しさと・・。


この三連休は、日本列島が大型台風に振り回されている。
私自身もそうだ。グラン・ルー19周年を飾るはずの、長崎そとめでの、オルガンコンサートは、
まさに台風接近と同時刻・・。
その予報が心配で、前日に会場の念のための下見と、打ち合わせに現地に出向く。
長崎駅からバスで1時間以上かかるこのさいはての地。江戸時代は、潜伏キリシタンが多く移り住み、
さらにここから五島へ流れた人も
いた・・・という村であり、遠藤周作もこの地が大好きだった。
この地のことを詠んだ、「沈黙」の冒頭に出てくる言葉が記念碑にもなっている。
台風を待つこの週末。外海は見た目には優しく、静かでいつもどおりの私の好きな「そとめ」であった。が、強風で実は飛ばされそうに
なった。強風は障害物がないと、見えないから、余計に怖い。
さてさて、本日17日は本番だ。台風がそれてくれるように、予定どおりおいでいただけるお客様に感謝の歌を、オルガンの音色をお届けできるように・・。
飛ばされそうにしながら、なぜ、自分はここでコンサートをするのかを自問・・。
いい記念日にしよう。おかげさまで、19周年。心の観覧車はどんな天候でも回り続けます。

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まさに、神頼み。

ああ、なんということだ。
もう、雪はまさか降るまい。
前回の長崎でのコンサートは、まさかの大雪での実施となった。
一生忘れられない、ホワイト・ナガサキ。

そして、今回は、グラン・ルー19周年の記念日に、
遠藤周作の「沈黙」の舞台、潜伏キリシタンの里、長崎のそとめ(外海)にて
ド・ロ神父寄贈のオルガンにて、コンサートを企画。

さあ、新潟の仕事を終えて、いざ九州へ・・・。
と気持ちを切り替え、出発だと思ったら、なんと台風情報。
まさに、本番当日、コンサートの時間がまさに
台風到来・・・上陸・・・との予報。
「また・・・」。今回はこれか・・。

お客様からは
「飛行機が飛びますかね」との問い合わせも・・・確かに心配になる。
このお客様は雪のコンサートにもおいでいただいた方だ・・。

「神頼みですね」
とメール。
私もそう思っていた。
沈黙の土地に向かい、神様~お願いします~。と
手を合わせたくなる。

いろんな思いを抱きながら、それでもぎりぎりまで開催を信じ
予定どおり、西方へ向かう。
ミサイルに、台風に・・。
本当に、いろんなことがおきまくる世の中だ・・。

まあ、なるようになる。
とにかく、開催したい、とにかく 予定どおり、
あのオルガンの音色をお客様にお届けしたい。

ああ、神様、たすけて・・と、思い浮かぶのはなぜか
こんなときに、左卜全の歌・・。悲壮感を吹き飛ばし
なんとか、なんとか笑って乗り越えたい長崎クライシス。

台風がそれることを、予報がはずれることを
祈る朝だ。

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本当に不思議な本番パワー

文字がうまく書けず、また本来得意?な長文も書けず、鍋やカップを持てず・・
・人前ではそんな動作に関わるときに
「腱鞘炎になってしまったので、すみません」というと、
「いやー、ピアノの練習のしすぎですか」
と、同情していただくがそうではない。
パソコン、さらに長年の荷物運び・・。こっちの方の職業病だ。
そして、その影響は、肝心なピアノにも大きく左右する。
オクターブが開きづらい、指をくぐらせる奏法がしづらい、
思い切って指を開くと激痛が走る・・。ということで、
練習をするのも怖い感じ・・・。
そうはいってられない本番。
練習していると、指が慣れてきて、どうすればどうなるかわかってくる。
そして、どんどん調子が戻ってきて、本番には、まるで何事もなかったように
演奏できるのだ。
とはいえ、今回はベートーベンのテンペストを弾くときは、力が入らず指が
泳いだ。が、これも嵐や津波や、人間の苦痛を表現したかったので、
指が連れて、演奏が多少荒れても、よりその効果が出るという皮肉な状況。
とにかく、一心不乱に鍵盤に向かった。
本番終わるとき、何もいたくない。無事終わったという達成感と安堵に包まれる。
・・・・・・・・
でも、ここで終わらない。
しばらくしてから、うずき始める。そして翌日、翌々日・・とだんだん
痛みが激しくなる。

アスリートたちもきっとそうだろう。
痛いな~。
でも、なんとかカバーして、次の本番に向かう。

パソコンのキーボードを叩く指はなんでもいい。打てればいいのだ。
ピアノを弾くのはそうはいかない。

「手の使い過ぎですよ。安静にしてくださいね。」

ドクターの優しい声が、身に染みる。

長崎のコンサートはピアノではなく、オルガンだ。
だから、やさしくやさしく、触れることにしよう。

毎日が本番。加減しながらパワーを出せるように。
それがプロなのだから。

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犬山でも、ザビエルに再会!?

何十年ぶりかに、犬山市にある明治村をたずねた。小学生のときに開館した、当時画期的と言われた博物館。
文明開化後の、近代日本を代表する明治時代の建築物の数々が広大な敷地に移築されている。
開館後に、そして岐阜を離れる前に来て以来、ずっと無沙汰していたこの博物館。
正直、その間関心をもつ機会すらなかった。

今回、あるきっかけで平日に久しぶりに訪ねてみる。人もまばらで、ゆったりしている。
へえ。こんなところだった。なんだかすごいな~。
北門から入ってすぐにSLの乗り場・・。へえ。村内をSLが走っている?
驚きはここから始まり、一歩村内に入って、びっくり。素晴らしい近代建築たちが、確かにひとつの村の中に
うまく、ほどよく自然に建っている。庭園もきれいに手入れされている。
こんな本物感のある、スケールの大きい博物館は類を見ないのでは・・。
これを発案、具現化した会社(名鉄)ってすごいな~。
当時、日本は高度経済成長時だったから可能だったのか、はたまた、名鉄の経営者に深い哲学があったのか
明治へのあこがれがあったのか・・と勝手な想像であるが、どちらもあったから実現できたのだろう。

帝国ホテルの玄関にまず度肝を抜かれる。前来たときは、御用列車と監獄しか正直記憶になかったのに、今回は
まったく違う感動を受ける。
ディズニーランドなど巷で人気の、想像世界のテーマパークよりも、歴史に根づくリアルな体験ができる、
生きた歴史を五感で感じることができ、しかも村内はSLや市電が走っていて。・・。

感動につぐ感動・・。ふるさと界隈にこんな名所があったとは~。

そして、感動の頂点は、聖ザビエル教会だ。明治時代、京都に建築された大聖堂がここに移築されている。
「京都に、こんな立派な教会があったんだ~。しかもザビエル教会・・・」。
私にとってはとても不思議なことであるが、信長が亡くなった本能寺にほど近い場所にこの教会があったという。
ステンドグラスも美しいこの聖堂を見学しながら、犬山でもザビエルに会えたことに深い感動を覚えた。
次なる目標が沸いてくる、犬山でのザビエル教会!

明治村。素晴らしい博物館。きっと大人になったから、良さがわかるようになったのかもしれないが。
また来たいと、全部回らず、半分残して、今回は帰ることにする。
そうそう、宇治山田郵便局では10年後の自分に手紙を送るという面白いサービスもやっていた。
明治時代って、そんな風に未来を描ける時代だったのかもしれない。

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ふるさとで小さな活動をこつこつと。


岐阜市今小町という住所は、実は私の小学・中学生時代にとって、忘れらない住所であった。
岐阜ラジオのスタジオの住所であったはず。今から思い出すと赤面しそうな、面白いラジオ
番組もあり、そう、時代は深夜番組の黄金時代。
毎日聴いていて、投稿のハガキも出していたような・・。だから、その住所は今も懐かしい。

その住所は、現在、岐阜新聞社の本社がある場所でもある。
すっかり立派な建物に変わったこの本社。最近、時々足を運ばせていただいている。
それは、ここのロビーでコンサートを行うためだ。
岐阜新聞では地域貢献活動の一つとして、地元の音楽家たちに、毎週月曜のお昼、ここを
解放し、演奏の機会を与え、読者(地域住民)に無料で聴いてもらえる、マンデーコンサート
を行っている。
岐阜新聞 マンデーコンサート

昨年からNOBUNAGAの曲をふるさとで演奏したいと思い、いろいろ考え歩いていたとき
たまたまここの存在を知り、すぐエントリーをした。
担当者の方に了解いただき、ご協力を得て、地元での継続活動がまたひとつ始まった。

ということで、現在、隔月に1回、このラウンジでコンサートを行っている。
ご近所さんも、また日頃より応援してくださる方も・・・。
わざわざ駆けつけてくださる応援団の方も嬉しいし、新聞の告知記事を見ておいで
いただけるというのも嬉しいし・・。
今は地元でじわじわ、活動を広げたい、続けたいとの思いだ。
観客のみなさんから、そして主催者である新聞社のスタッフのみなさんから
「元気もらいましたわ~。」
と喜んでもらえるのがうれしい。
たった30分のコンサートでも、いろんなことが組み込める。
ふるさとのステージはこれから、ますます大切に。ずっと親にも演奏する姿をたくさん
見せてあげたい・・と思っている。
きっかけになったNOBUNAGAさんに感謝を込めて・・

写真は9月11日演奏分。今後の日程はこちら。
マーサコンサート案内

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経験は記憶を薄めない

9月11日。という日を日本人はだんだん忘れていくだろう。
「被害者」は、現地に住んでいた方、そこで仕事をしている方、そのご家族
たちであるという点では、ある意味、ほとんどの日本人には直接関係がなかった
のかもしれない。
とはいえ、その当時は、「テロ」という言葉自体も非日常で、インパクトもあったため
実被害がない人の間にも、恐怖を与えたことは間違いがない。
映画のようなことが、現実に起きるのだ。
そんなことがあるんだ・・。ニアミスという経験をした私にとっては、今もその日の
こと、その1週間のことを鮮明に覚えている・・・。あれから16年が経つ。
その10年後、巨大地震、津波が日本を襲う。
この経験はほとんどの日本人に大きな影響を与えた。6年経つ今も、その日から時が
止まったまま・・という方もおられると聞き、心が痛む。
直接経験していなければ、痛みも少なく、時間の経過とともに忘れていく。
メディアも次々と新しい話題を取り上げるため、人々の関心事も移っていく。
これは自然のこと。しかし、自分自身が直接関係したことについては、自分の中で
その記憶が永遠のものになる。
9月11日。ニューヨークとアラスカを思い浮かべ、そこで出会った人たちのことを
思いながら、地球儀をぐるり心の中で回しながら、世界に真の意味で平和が訪れる
ことを願い、わがオリジナル曲「レクイエム11」を心を込めて演奏した・・。

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台湾流通の神様との再会


台湾に通っていた30代後半から40代前半。優秀な通訳が支えてくれたおかげで、
中国語の上達は叶わなかったが、今から思えば自分にとって自営業を行う上で、
この上ない貴重な経験を積ませてもらった時代だ。日本の流通の良さを台湾に・・。
コミュニケーションの観点から、台湾の流通関係者の皆様にお伝えし続けた8年間。
そのチャンスを授けてくださったのが、当時から「台湾流通の神様」と呼ばれてきた
徐さんだ。
マーケティングの世界組織での交流からの出会い。台湾での国際会議のパーティーで
ぺーぺーの会社員であった自分が、運よくこの台湾のトップ企業の社長の隣に座らせてもらえた。
若かったから、女子だから・・という特権だったのだろう。
隣の席に座れたことが今後につながったのだから、なんとラッキーな人生か。

文通、書籍の送付からe-mailの時代になり・・・今はSNSの時代へ。
台湾との仕事もe-mailがある時代になり、助かった。そう、
パワーポイントがない時代のプレゼンはやたら荷物が重かった。
(腱鞘炎はこの時代の重い資料運びも影響しているのかもしれない・・。)

とにかく、自営業の自分を常に勇気づけ、支えてくれたのは、この台湾時代の
経験。
この恩人であり、私の人生の恩師である、徐さんと久しぶりに再会。
しかも名古屋でお会いできることになった。
台湾の企業のオフィスの立派な総経理室でお会いする時と違い、緊張感もない
くつろいだ感じで握手する。何年振りか、懐かしくてくしゃくしゃの笑顔になる。
そして、お茶を飲みながら、近況含め、人生や仕事のことについて語り合う。
いや、拝聴する。

次の誕生日に70歳になられるとのこと。
そしてその春、新たなステージに向かわれるとのこと。組織のトップとしての仕事は
卒業されるとのこと。
「70歳から80歳はね。自分の好きなように、好きなことのために生きるのです」
と笑顔で語られた。
台湾では、流通の神様といわれてきたこの方。私にとってはその領域を越え、
人として、ひとりの人間としての生き方にも心底共感でき、尊敬し続ける人だ。
努力の人であり、慈愛の人だ。
社会活動、奉仕活動にも大変熱心だ。
卒業といっても、やはり地域創生、障がい者雇用・・・などなど仕事の話になると
目はきらり輝く。
あっという間の90分が過ぎる。

「台湾でコンサートやりますかね」
よし、来年に向けて・・。
また、くしゃくしゃの笑顔で、握手して別れた。
台湾の人とはいつも「さよなら」ではなく、「再見」だ。ここがいい。

日本と台湾を結ぶ大きな仕事をし続けてこられた、この神様には会うたびに
新たなるパワーを授けてもらえる気がする。
「今尾さんは、いい友達だからね」
もったいなく、ありがたいお言葉が私の新たな底力になる。

人は肩書きを越えて、人対人でつきあえるのが一番だ。

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9月11日は岐阜新聞で2回目のミニコンサートです

マーサのホームページ(グラン・ルー公式サイト)
ふるさと岐阜でのミニコンサートです。
9月11日にちなんだオリジナル曲「レクイエム11」、NOBUNAGA小品集よりタンゴ他、秋のマーサワールドを
お楽しみいただきます。岐阜新聞本社ロビーにて 12時半より。入場無料 申し込み不要です。
お昼休みにお立ち寄りください。

※この岐阜新聞での演奏は隔月1回(月曜お昼)連続開催です。(2018年5月まで決定)

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ときに失敗、反省。は成長への一歩

いい年をしていても、時には「しまった!」ということがある。
人生は、成功か失敗かのいずれかでもないし、どちらも表裏一体であるし、
その繰り返しでもあるし・・。
毎日が未来で、新しい時間を生きるのだし、また慣れたつもりでいることで
失敗することもあるし・・。
そう、人生は油断ならないものなのだ。

そして、たまに痛い目にあうことは、自分自身への見直しにもなるので
失敗もときには必要だ。

取返しがつかない失敗とは、人を傷つけたり、人に迷惑をかけたり、
命にかかわることだ。
それでない限りは、後で笑っていい思い出になる・・そんな失敗談も
ありだ。

毎日に緊張感。そして、想像力。
ああしたらこうなる、こうしたらこういうことにもなる。
イメージをしながら、行動する。
そして、自分の行動がどのように他に影響するのかも
考えながら行動する。

とくに仕事の場合は、それを丁寧にそのことを考え、行動する。

いつも、いい結果をイメージし、かかわる人々が全員笑顔で
いられることを思い浮かべ行動すると、そのとおりになる。
イメージすることを怠ると、いい結果が得られないかも・・。

最近、いろんなことに遭遇し、新しい世界で生きるときの
難しさと、それを乗り越えるやりがいを実感する。

失敗は恐れない。熟考とイメージを大切にどんどん挑戦しよう!

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大変だけど、何かを変えないと・・

いつもいつも前向きに挑戦し続けている知人がいる。
本当にいろんな事件がその身におきても、いつもいつも前向きに
立ち向かっておられ、本当に逞しい。心から尊敬する。
旦那さんが倒れて、半身不随になったときも、とにかく励まし
最善策をみつけ、夫婦で一緒に乗り越えて、今はお元気に旅行する
までになられ、今後は旦那さんがリハビリできる環境を自分が
つくるといって、勉強されている。障がい者の雇用促進、賃金アップ
にも一生懸命取り組まれている。そのおかげで成果も出てきている。
しんどいことを「よし!」「よし!」と切り開いてこられている。
とにかく、どんな苦難にも負けず、その苦労を楽しむというか
凄い強い生き方が身に備わっているのだ。
久しぶりに会って、いろいろ近況についてお互いに語り合う。
別れたあとメールが来る。
「お互い、いろいろ大変ですが、何かを変えていかないと
運勢も開けないですね。動いていれば、いいことがありますね。
がんばりましょう!」
と、うれしいメッセージ。その言葉の後ろに、その人の満面の
笑みが見えてくる。
そうそう、ずっと同じじゃダメ。変わろうとするから、成長や
発見があるのだ。
彼女の人生もそうだ。
前向きの人といると、こっちも伝染してくる。
そう、大変なことこそ、挑戦する価値があるのだ。
前向きな人として、私も誰かもいいインフルエンサーになれたら
いい。そうなれるように。

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