人生を少しだけ変えられる。

小さなイタリアの村が登場するBS番組があり、何年も前から気に入り、
可能なときに視聴している。できればずっと続いてほしいと思っているコンテンツのひとつだ。

今回は、北イタリアの自然豊かなベッラモンテという、見知らぬ村のことをやっていた。名前のごとく、山間の静かな美しい村・・。
おそらく、このような番組に登場する小さな村々に住む人々も、今はコロナ禍で皆さん大変な暮らしを送っておられると思うが、放送されているのは、マスクなしののどかで牧歌的な暮らしのとき。
早くそんな日が戻ると良いなあ・・・と心から願いながら、見ている。

ある村人が、家族との食事のあと、自宅のリビングでお気に入りのアコーディオンを弾きながら、自作の曲を歌う場面が出てきた。
それが毎日のランチ後の習慣になっているようで、家族相手のコンサートだ。

人口も少ないのどかな村。そこで住まい、静かに暮らす。
いろんな苦難を経て、最終的にこの村に住まい、落ち着いた人生とのこと。
今は、毎日の食事のあとに音楽を楽しむのが楽しみだとその主人公は言う。
「音楽は、人生を少しだけ変えられるんだ。」
確かにそうだ。
唄うことで、弾くことで、もう一人の自分になることができる。
場所も時間も越えて、新しい自分に出会うことができるのだ。

日常生活のなかで、
人生を変えられるもの、ことって、実はそんなに多くはないのかもしれない。
もちろん、おいしいものを食べたり、キレイな装いをする。これも人生を少し変えることになるかもしれないが、
音楽では、心が満たされるのだ。映画を見るのもそれに近いかもしれないが、
音楽は誰もが、自分自身で表現することができる。

心豊かになることで、もっと優しくなれたり、楽しい気分を維持できたり・・・。
音楽がある人生は、ほんとうに幸せだ。
歩きながらでも、それは実行できる。

さあ、今日も歌いながら、歩くとしよう。
きっと今日が最高の、楽しい1日になる。

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自分が「守る」番。

介護というのは、ほんとうに正解がない。
と、その言葉を教えてくれたのは、知人のコピーライターであるが、
日々そのとおりであると、実感することが多い。
自分の力で生活するのが難しくなってきた父は、施設にお世話になっている。
一年前、入院していた病院のリハビリの報告書を整理していると、病院の看護士さんたちの記述の後、本人のコメント欄があり、
「家に帰りたい」
と毎月書かれているのを見て、胸がつぶれそうになった。
家に帰りたいと書いてあるのに、実際、家に帰れていない。
脳梗塞で倒れ、入院した一昨年前の9月以来、家に帰っていない。
その後の父の生活の変化を思い出しながら、そのときそのときは、一番いい選択をしてきたつもりが、ほんとうにそれでよかったのか、よいのか・・は
疑問のままだ。
せめてもと、コロナで面会がままならない状況でも、こまめに施設に差し入れを
持参しているが、これは私の自己満足でしかないのかも・・・。

そして、母は父の入院から、ひとり暮らしに。その後、コロナでこれまた大きな変化が起き、前のように一人で暮らすことが難しくなった。施設での短期利用を経て、現在は家で、ケアマネさんのお世話になり、1年前までは知ることもなかったデイサービス、ヘルパーさん、ショートステイ・・・の各サービスを併用し、近所の皆さんにお世話になりながら、なんとか自宅での暮らしを続けている。

と、なんとか親たちは、紆余曲折しながら安定した毎日を過ごしているということもできるが、このカタチが良いのかどうかは、わからない。
ともすると、家族たちの自分都合で行動している、そんなことはないだろうか?と思うことが多い。
ただ、心の奥にあることは、「自分が守る」ということ。
父母がいい人生の結びができるように、そうでなければと思う。
口では怒ってばかりいても、私が守る。
と、そんな気持ちでいる。
ただ、そう思うと、今のカタチがこれでいいのか?はわからない。

守る。このことは、大切ではないだろうか。
私もおかげさまで、周囲に守られて生きている。
そして、親に守られて、幼少期を過ごした。それがなければ今はなかった。
だから、
今度は、自分が守る番。
と、心の奥底では思っているが、その行動にはまだまだ迷いが多い。



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通信の回復を待つ。

大好きだった人が、長年のがん闘病中、コロナ禍のなか、亡くなってもうすぐ1年になる。
そんな状況での別れとなったせいか、今も現実感がなく、いつも困ったときにエールをくださった、あの元気な笑顔に背中を押され続けているような気持ちでいて、ほんとうにあの方は亡くなったのだろうか?と思えたりもする。

共通の知人に、そんなことをメールすると、こんな返事が返ってきた。
「〇〇さんのことでは、今でも元気でコロナ禍のために会えないくらいに感じます。 メールや電話の連絡に返事はありませんが、きっと本人の都合ではなく、
あの世とやらの通信事情が原因と思いたく、通信の回復を待ちたいと思います。 」

同じ気持ちでおられるんだと思い、安堵しながら納得する。
もし、大切な人がこの時期に亡くなっても、いや、もし今後いつでも、そういうことがあっても、こんな風に思いたい。

前に何度も触れたことがあるが、
こちらが思っていれば、相手は永遠の存在だ。その人は心のなかで、生き続ける。
今もこの原稿を書きながら、「そうですよ~。応援してますからね~今日もがんばってくださいね」と、そんな声が聞こえてくる。

あの世との通信は、相手の存在を「信じる」というところでつながることができるのかもしれない。と、そんなことも勝手に思っている。

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生きているから、次から次へと、喜怒哀楽。

毎日、何もない日はない。
とくに親のことが本格業務に加わったこの1~2年は、ほんとうに次から次へと何かが起きる。
人生、自分のことだけ考えていられるときは、ほんとうに幸せで、今はその時代が懐かしくもある。

現在は、心配なことが何もない日はありえない。
必ず頭の中に、何かがある。寝ていても 気になって、起きてしまうことも日常になった。
「もう、次から次へと~~」
と投げ出したいぐらいの気持ちになるときもあるが、
まあ、それが生きているという証拠なのかもしれない。

何もなかったら、つまらない。と思っておこう。
時が動く、人が生きているとは、つまり次から次へのドタバタ劇だ。
喜劇か悲劇かわからないけれど、その両方かもしれないが、
日々、その連続だ。
人生、喜怒哀楽というが、まさにそれが次々襲ってくる毎日を
前向きに、かみしめるしかない。

次から次へと難問がふりかかっても、次から次へとさばいていけばよい。
じっとおいておかない。嫌なことほど、苦しいものほど、先に解決させる。

まあ刺激的な人生をいただいていると、喜んで受け留めるように。と、そんな人になりたい。

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夜の街を昼、歩くと・・・。

名古屋の栄といえば、全国でも知られる繁華街。最近は、名駅もがんばっており、ちょっと厳しさもあるが、それでも、栄はファションやグルメの町として昭和の繁栄を誇り、今も進化している町である。
そして、その栄に隣接する錦(にしき)というエリアは、飲食店の集中地区。
東京に住んでいるときは、時々、出張や岐阜への帰省時に、この地域で食事をするのが楽しみであった。・・・と、そんな頃が今となっては懐かしい限り。
とくに「きんさん」と呼ばれている、錦3丁目は小池さん流に言えば、いわゆる夜の街。名古屋の夜といえば、タクシーに乗って、ビジネスマンたちがこの周辺に駆け付けた・・・そんな町だ。
コロナ感染拡大後、名古屋ではこの地域がマークされ、厳しい営業制限を強いられ続けている。1か月の我慢ならなんとかなったかもしれないが、もう1年だ。
そして、今回の緊急事態のさらなる延長・・・。
近くまで行ったついでに、昼間のこの錦三ストリートを歩いてみた。
以前は元気に営業していた店舗が、どんどん空き状況になり、撤収工事をしている店舗もちらほら・・。
コロナ終息して、この町は元に戻れるのだろうか?とても心配になってくる。
中には、営業を続けたり、列を作り、順番を待つラーメン屋も一部あったが、
それでも夜に向かう準備の忙しさなどはなく、働く人たちの影も少なく、昼だから静かなのではなく、今は夜の方が静かである・・・。
宴会、歓迎会、食べ放題・・・・ちょっと前までは、何の違和感もなかった言葉の書かれたPOPやポスターたちが、空いた店に寂しく掲示されているのを見ると、たまらなくなる。
宴会という機会は、今後もあるのだろうか?

外で食べる楽しみをコロナが一度奪ってしまったあと、人はそこに戻るだろうか?
世界中の飲食関係の皆さんが、今も外食のたのしみを伝えるべく、それぞれ工夫してがんばっておられる。
安全に外で食べる楽しみをうまく、うまく伝え続けてほしい。
まずは、普通に営業できる環境にならなければ、話にならないのであるが。

ああ、錦三の、柳ケ瀬の、祇園の、先斗町の、歌舞伎町の、銀座の夜が・・・私なりにも、懐かしい。
なんとか頑張れるように、早く終息してほしい。
夜の街の賑わいが、安心して、再びみられるように。


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会いたい人とは。


会いたい人に会えない日々が続く。
年賀状で様子がわかって少し安心した人もいるが、音信不通になっている方のことを最近よく思い出す。
どうされているかな?久しぶりに会いたいけれど・・・。と、そんな気持ちになる。なんとか元気でいてほしいと願うばかり。

世の遠距離の恋人たちにとっては、このコロナは本当に厄介者だろうと思う。
ネットで、ある程度の安心感は得られるかもしれないが、仕事と違って、愛しい人とのコミュニケーションは、、。
会いたいのに、会えない。苦しい1年だと思う。他人事ながら、こんな状況でちゃんとおつきあいできる?
できるならば、それこそ、本物の愛!なのだろう。
今年のバレンタイン、そんな恋人たちにいいきっかけになるといい。

人に会えない、会いづらい今。
本当に会いたい人ってどんな人なのだろう。
改めて考えるこのごろ。

大好きな人。愛する人。はもちろん、
自分のことを大切に思ってくれる人、応援してくれる人、自分に何かを与え、
導いてくれた人、理屈なしに気になる人、相手も会いたいと思ってくれる人・・。
いろんな人が頭に浮かぶ。コロナが終息したら、会いましょう!
そんな約束も増えている・・。

会いたい人とは。
まず、私自身が、誰かにとって会いたい人!であるならば、うれしい。
会いたい人と思ってもらえるように、日々の行動、言動をしっかり積み重ねて
いこう。

会いたい。人間だから、結局ネットだけでは生きられない。
ますますそんなことを思う。

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コロナ終息後を、楽しく夢見る。

2月になった。月替わりのたのしみのひとつは、カレンダーをめくって
新しい月の絵や写真に出会う瞬間。
パリのカレンダーの2月はエッフェル塔。
めくる瞬間に「お~。」という気持ちになる。たちまち飛行機から降り立った時と同様のわくわくがはじまる。
コロナ禍の社会不安とは別物の、あの素敵なエッフェル塔が、大好きなパリの町と空が、蘇る。
そして、そのカレンダーの横には、ブエノスアイレスで大好きなカフェの店内を
描いた1枚が飾ってある。
そう、北・南半球のパリたちが、目の前に並んでいる。
それだけで、テンションが高まる。

今、遠くへ行けないけれど、いつか、ここへ再び。という気持ちが
高まる写真、イラスト・・。
音楽からもそんな気持ちが湧いてくるかもしれない。

行動の自粛をしながら、せめて、心は自由に旅をしたい。
このようにビジュアル的な楽しみから、あるいは音楽で行きたい国の音楽をかけたり、朝は好みの紅茶で香利を楽しむ、あるいはカフェオーレとバケットで
あの日のパリの朝を再現してみたり・・・。

小さなことではあるけれど、あきらめず夢をいつも持ち続けるために、心を旅させたい。

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ガラスドア越しで、対話。

2回目の緊急事態宣言より先に、面会制限をとりはじめた介護施設。
とくに入居者を抱えるホームでは、外からの接触を避けようと徹底。
その状況はもちろん理解でき、そうしなければ、万一、施設に感染者が
出たりしたら、大変だ。だから、家族の協力も欠かせない。
でも、だからといって、まったく家族への関わりをなくすのはよくない
と思い、週に何度か可能な限り、差し入れや手紙を届けた。
今回も、受付で渡すだけのつもりで訪問。すると担当の職員さんが
「今、ちょうどお父様、近くにおられますので、お連れしましょうか?
ただ、玄関のドア越しでお顔見ていただくだけしかできませんが・・」

そうか 近くにいるなら、ぜひ!ということで、父が職員さんに連れて
もらって現れるのを玄関で待つ。玄関のドアはガラス。だから見える。
2~3分で車いすに乗った父が職員さんとともにドアの向こうに現れる。
1メートルぐらいしか離れていないが、ドアは閉鎖されているため
顔は見えるが、声は聞こえない。

新年、顔を見たのは、初めてかも。
「お父さん、元気?元気?わかる?」
誰もいない玄関で、ひとり大きな声で、父に聞こえるように話しかける。
「コロナやで、会えんで、ごめんね。」
「おやつ、今日も持ってきたよ。プリンと今朝つくったおにぎりと・」
「チューリップも持ってきたんで、職員さんにどっかに飾ってもらやーね」
など、父に話しかけながら、自分がもってきたものを袋からひとつづつ
取り出して見せる。ゼスチャーで、父に話しかける私。
プリン、おにぎり、チューリップ・・・袋から次々出して見せる。

半年前と比べて、随分と静かになってしまった父の表情は乏しいが、
それでも、かすかに反応しているのがわかる。
「で、手紙も書いてきた。お母さんも書いたよ」
とハガキも見せたら、泣いているような・・・。

こっちも、この状況に泣けてきた。
ドアの向こうにいる、すぐそばにいるのに・・・遮断されている。
「お父さん、お父さんコロナ終わったら、外に出かけようね。」
「また、来るで、元気にしててね。じゃあね。またね」・・・

父が手を振った。そして職員さんにさっきまでいた部屋に連れて
行ってもらうのを、ドア越しに見送った。

その後、差し入れを職員さんに渡して、帰った。
外に出た瞬間、涙があふれてきて、駅に着くまで、ずっと泣きながら歩いた。
元気でいてよかったという気持ちと、コロナでまともに会えない、
こんな形でしか会えない、もしこれから感染したり、何かあったら
もう会えないかも・・という気持ちと父のなんともいえない表情の
乏しさの中の涙・・・。
どんどん変わっていく。どんどん別れが近づいているのだろうか・・。

ドア越しの面会。
コロナは冷酷だと、今回そう感じた。
でも、まだ会えたから、良かった。

めげずに、時々差し入れを継続しよう。

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コロナ禍に生まれた、新発想の防災ドラマ YouTubeでいよいよ公開!

なぜ、あの瞬間にそれを思いついたのかは、今となってはさだかではないが、
会議中、すぐにその絵が浮かんだ。
「この時期こそ、コロナだけでなく、首都直下地震のことも視野に入れ、東京の人に防災の自助の必要性について発信したいんですけど、何かいい方法ないでしょうかね?」と新潟で防災商品を開発・販売する会社の社長さんからの相談をいただいた瞬間のことだった。
東京といえば、いわゆるビジネスパーソンも多く生活しているが、それ以外さまざまな志をもって頑張っている人も多い。そこで、ふとコロナの影響を受け、演劇の公演が減り、リモートで挑戦しながらも苦労している演劇の仲間のことが頭に浮かび、そしてこの企業の防災用品が演劇で使われたら、それがネット上で見られたら、面白そうだ。と直感した。
「演劇で、防災商品のPRしたら面白いかも?と思いますが、いかがですか?良かったら声かけられる仲間もいますが」
社長や社員さんは、「演劇ですか~」としばし沈黙があったが、それは今から思えば、未知への手探り時間であった。
「聞いたことない、新しい発想ですね。ぜひやってみたいです」そんな話から
急きょ、東京の演劇仲間、脚本家に会いに行き、この件を相談した。
コロナ禍のなか、演劇も東京から地方へ、劇場からネットへ・・・ということで
さまざまな変化に対応していたせいか、二つ返事、前向きにこの企業とのコラボ企画は受け入れられ、そして10月後半からこのプロジェクトは始まった。
オンラインミーティングも実施しながら、脚本制作、キャスティング、稽古・・昨年末、赤坂で撮影をし、年末に編集、正月中に完成。
そして、この緊急事態宣言のさなかの公開。
もしかしたら、今なら、日ごろ忙しいビジネスパーソンたちにとっても、何かと時間もとりやすいかもしれない。だからこのタイミング。

ぜひ、この時期に、コロナ禍に発想し、仲間たちのおかげで完成した防災ドラマをごらんいただきたい。
そして、よろしければ、これから起きうる防災について、ひとりひとりが自分ごととして、向き合い、日常からの準備・行動をお願いしたい。

防災ドラマ「東京(携帯式)ヘルメット物語」は、こちらから。
3編のシリーズ作品です。そのダイジェストが告知編。こちらからご覧いただけると、より興味深く楽しんでいただけます。
https://a4t.jp/language/tokyohelmetmonogatari.pdf

ぜひ、それぞれ皆さまの周囲の方にも、このドラマの存在をお知らせ頂けると
うれしいです。コロナ禍から生まれた、新潟の企業と、東京の劇団の初コラボ。
涙あり、笑いあり?ちょっと考えさせられる、作品。
劇中の音楽は、マーサオリジナルのあの曲が??
どうぞ、ステイホームの本日、お楽しみください。

意外なコラボ、これからもわくわく、仕掛けたい。

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電車はすいても、ネットは混雑。

今週は東西に出張があった。いずれも新幹線移動。車内はガラガラだ。
二人掛け、三人掛けの椅子をだいたい一人で利用している約この1年間。
二人分、三人分の座席料がとれるはずが、1人分・・。
しかも空席も多数・・・。
このまま新幹線は、走り続けて大丈夫だろうか?走るたびに赤字では?
と心から心配になる。
また山手線の夕方もすいており、昔の乗る覚悟を要した満員電車は何だったのか?と思える緊急事態下。

一方、その電車に乗らない人たちが、会社へ行かず、自宅で、カフェで
ホテルで仕事。
本来ならばオフィスで使うパソコンもネットも、全部そこで使う。
そのことについて、これまであまり関心がなかったが、ついに影響が出てきた。

わが事務所のネット環境が劣化している。メールが送信できなくなった。
まだネットで調べたりすることはできるので、まだ良いが、
それでも送信がすぐできないと仕事に影響が出る。
そんなこんなで、原因究明や改善に向けて 調べたり、
わからないことを教えてくれるサービスを探したり・・・。
業務をやりづらい環境で続けながら、それでも
元通りの環境にはならず、日が暮れた。

電車はすいても、ネットは混んでいるんだ~。
早く、元通りの生活に近づいてほしい。と思う一方、もう回線を見直した
方が良いかも。

ずっと電車は混まない感じだから、ネットは混むのだろう。
身体の移動はなくなったが、コミュニケーションは見えない世界を飛び交っている。

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