やっぱ、生のプロに相談!

ある保険を見直そうと今どきなので、まずはAI にも
問うてみる。
すぐ二人称で話しかけてくるあたりが、
勘違いしてしまうポイントかもしれないと思いつつ、
相手が瞬時に出してくる回答は素直に評価。

よくこんなに早く、欲しい情報を出してくるねえ~。
でも、本当にそれがいいのかどうかは、別の話。
AIがいいと進めてくれから買います。とはならない。
AIは考えて教えてくれているのではなく、
あまたある情報の中から探してくれている。

「考える」とは、パスカルが教えてくれたように、
人間に与えられた能力。人間がする仕事。(と、
私は思い続けている)

結局、その後、それ以外にもいろいろ調べた結果、
信頼できる人の紹介で、保険の専門家にコンタクト。
少し電話で話した。すると、
AIが出した答えとは違う答えが出てきた。
AIが教えてくれた案より、選択肢が多い。
また、話して相談すると、コミュニケーションに温度を
感じる。入力だけのやりとりとは、ちょっと違う。

もちろん、最近ではかなり会話もできるAIが存在するので、
複雑な内容にも相談に乗ってくれるのかもしれないが、
やはり人間に相談するのは違う。
伝え方によるので、そこをこちらが考えないといけない。
生のプロに相談すると、言葉のニュアンスも読みながら、
相手が自分の悩みに対して、考えてくれていることが
伝わる。正解をすぐに出すのではなく、少し時間をとって
提案をいただけるというのも、ありがたい。

また、対話による相談にはこんな面もある。
いろいろ話すことにより、相手のことを知り、
聞きたい商品のことだけでなく、それ以外にも話題が広がり
最後は、いい人に出会えたという喜びもわく。
相談したあと、安心した気持になれる。
一緒に考えてくれる仲間が増えたという感じ。
ATとの対話はそこまでできるだろうか?
もちろん個人差があるため、一概にではないけれど
私にとってはこのような印象だ。

とにかく、AIもいいけれど、人との対話がうれしい。
お互いを知る、理解することが目的だから。

簡単に答えを引き出したいのではないから。
じっくり考えて本当にいい答えを得られるのが良い。

当たり前のことであるが、やっぱり、人がいい。

AIとのコミュニケーションは一見容易であるけれど、
課題も多い。もちろん人間とのコミュニケーションも
悩まない日はないため、どちらもむつかしい。
でも、生きるため、コミュニケーションは不可欠だから
自分で学び選び取っていくしかない。

でも、やっぱり生の対話に勝るものはないと思っている。

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書いた文字は「いのち」。

中学生時代、夏の自由研究は、ベートーヴェンの一生を自分なり
にまとめるというものだった。ホワイトノートを用意して、1冊の
本にした。それは今も保管している。
当時は、各家庭に普及していなかったエアコンがあるだけで
毎日通った県立図書館で、そこにあるだけのベートーベンの
本を借り開いて、写真のページはコピーをとり、テキストの部分は
手書きで写しながら、自分なりにまとめた。
今もセミの鳴き声とともに、当時の様子を断片的に思い出す。

ずいぶん、久しぶりな行為であるが、今回少しだけ似たことを
やってみた。
尊敬するアストル・ピアソラについて。資料は決して多くないが
見つけた文献を開いて、最初はスマホのメモに記録していたが、
果たしてあとで見るか、頭に入るか?と思ったとたんに中止。

買い置きしてあった新品のノートを取り出し、
読みながら覚えていたい箇所を、書き写していった。
不思議なことで、書き写すと安心感がある。
なぜかスマホのメモ機能に入れるときとは、感覚が違う。
自分の手で文章として書いていく行為自体が、記憶につながっている
のか。スマホに記載するときは、センテンスというよりはワード。
でも、手書きにするときは、センテンス~文章で書き残す。

ということで、オンラインでしか読めない何冊かの雑誌の特集から
ポイントをしっかり書き写したら、とても気持よい。
久しぶりに本を読んだという読後感。
そして、書いたノートを開いて復習をする。
書いた文字に「いのち」が吹き込まれた感じがする。
文字が自分のものになった感じがする。
手書きはやはりいい!。
夏の小さな宿題の第一章を終えたとちょっと安堵。

実は仕事の現場では、聴きながら話しながらメモをしながら
という同時の行動で、頭に手元が付いていかないチグハグ感を
不安に思うことも多いが、読書や自分との対話においては、
ゆとりをもてるせいか、頭も手先も同時に動ける。

ピアソラノート。
さらに違う文献をみつけ、さらに書いていきたい。
いつか、自分なりのまとめ方をしたい。そして表現に活かしたい。
新たな世界の創造のための一歩だ。
そのために、頭と手先を使いながら、吸収していきたい。

そんなわけで、時にアナログな時間を選び取るのが良い。
AIに聞くではなく、1冊の本に向き合う。一曲に向き合う。
そんな時間をもっともっと、とること。とれるようにすること。

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ユーズド イン ジャパンの人気。

以前、実家の片付けをお手伝いいただいた企業さん。
もう数年以上前になるが、終活の手伝いやいろいろ
されているとお聞きし、さらには遺品やさまざまなものを
集めて海外に送っていると聞いたことがあり、それが新しい
ビジネスになるのだと聞き、当時は、ちょっと想像ができないで
いた。

ところが最近タイで、日本の中古品を大々的に販売している
マーケットの存在を知り、驚き、こういうことだったのかと
改めて理解した。

日本から骨董品から家電製品、衣類など大量に現地に荷物
が届く。コンテナに乗せて、船便で送っているのだろう。
あるマーケットには週に2~3度、新しい商品がドーンと
届く。それを店先に大量に並べて、販売。
来店客は中学生から大人まで、年齢層も幅広い。
自分のお宝探しから、なんと業務用仕入れまで。
家具や調度品をトラックに積んで運び、自分で販売する。
売り歩く人、ネット販売する人・・・。

とにかく日本の中古品がちゃんとタイで有効活用されている
だけでなく、ビジネスになっていると知り、これを始めた
人の着眼点に感心した。
私のその知り合いもその一人だろう。今度、ぜひ近況を
聞いてみたいと思う。

タイの人にとっては、
日本の製品は、とても物が良いそうだ。
メイド イン ジャパン。これは昔から日本人の誇り。
作りがしっかりしている。
素材がいい。デザインがいい。カッコいいそうだ。
そして、大切に使われてきている。
ユーズド イン ジャパン。が今、人気だとのこと。

カセットテープのデッキを買って、テープで音楽を
聴くなんて、若者もいるそうで、(日本にもいるかも)
超アナログが新鮮な文化な様子。

もしかしたら、親が使っていたものも海外にも流れていったかな。
決して悪い意味ではない。
誰かに使ってもらえていたら、うれしい。

ふと、自分が今愛用しているさまざまなモノたちを見ながら、
これは海外の人も喜ぶのかな?と想像してしまった。

もし、日本国内にパリの「蚤の市」のようなものがあったら
流行すると思う。
もちろん期間限定の催事出店は多くあるが。

おフランスの骨董品が好きな日本人と同じように、
タイの人たちは日本製の商品が好きだ。
(骨董品に限らず、まさに生活用品・・・)

日本のモノが良い!
この強みは時代を越えて、普遍。
誇らしい。

こういったリサイクルはとても意義がある。
一方、毎シーズン大量生産をして、セール販売し、
アウトレットで販売し、その後は・・・と
いうメーカーのビジネスサイクルを見ると、
そんなに費用をかけ、無理して売り回すなら、
もっと少なく作れば良いのに・・と
思ってしまう・・・。
世のなかに、そんなに新品が生産され続ける
必要があるのかと。
何か無駄なことをしてはいないかと。

改めて、モノを大切にしたい。と
心から思った。

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研究、創造、そして探求。

自らが目指す世界を求め続ける生き方は、そのプロセスが素晴らしい。
自分ひとりで創造できる世界もあれば、ひとりではなく大勢の人の力が
必要な世界もあるが、
前者の場合、芸術の分野がそれに当てはまると思う。
自分の力で何かを生み出すことができ、それが人々にいい影響を
与えることができるならば、最高の人生だ。
できればそれを実践したい。最近、そんなことを強く思う。

バッハもベートーベンもそれに続く多くの音楽家たちはそれを成し遂げた
人たち。何百年経っても人々がその楽曲を愛し続けている。
人々の心をより豊かにしている。創造は人間にしかできない偉業。
模倣の技術とはまったく違う。

最近、生み出された楽曲だけでなく、その背景や作家の意図を考えること
が大変興味深い。なぜこの曲が生まれたのか。その作家はどんな人生を
生き、作品を生み出したのか・・・。
それを知ると、より深い理解が深まり、見えてくるものがある。
美術の世界も同じことだろう。
そんな意味からも、美術館通いをすることも多い。

最近、そんなことから、尊敬するアーチストの研究を始めた。
やはり、この人だと。この人が生む魅力的な音楽を学びたい、
それをヒントに自分の表現に磨きをかけたい。
研究とはまず知ること。作品にふれ、人生にふれ、自分なりに
解釈しながら、自分の創造に活かす。
そして、そこから自分が目指す世界に向けて活動する。
研究は研究のまま終わるのではなく、物事の解決や目的に活かされる
べきであるが、今は自己探求のためのステップとして考える。

古い本を探して読んでみたり、メモをとったりしながら
自分の中に収めていく過程が懐かしく、新鮮だ。
学生の頃、時々はそんなこともしていたと、学びの楽しさを
思い出す。

ここからスタートしても遅くない。
気づいたときが、学びのスタート。
研究、創造、そして探求。
これを繰り返して、人生が過ぎたらいいなと思う。
いずれも一人でできる。この自由さもとても良い。

自分の研究テーマを持ち続ける人生は、いつからでも、
いつまででも。生きる限り、続けたい。

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弾丸NYの旅に青春重ね。

2年前、大阪でたまたま知り合った同郷の青年は
現在、40歳。
よく考えたら、そんなに違うの?と思うほどの年齢差
であるが、出会い方もユニークであったが、その後も
なかなか興味深いキャッチボールが続いている。
会って話せば、軽く2時間以上、話題は尽きない。
だから、会うときは一大イベントに参加するぐらい
時間に余裕をもって臨みたい相手である。

その方との共通点が、まさかこんなところに!
という発見もあり、今回はその話題である。

今週いただいた、暑中見舞いのメールの最後に
「今月後半はちょっとニューヨークへ行ってきます」
とあったため、思わず、「おお!」
とそこに注目する。

その人は大変真面目な会社員であるが、
毎月のように、国内外に出かけているとのこと。
出張の場合もあるが、プライベートな旅にも頻繁に
出かけている。
飛行機に乗るのが好きなんだろうでは済まないほど
に移動の達人であり、「ちょっと行ってきます!」
「今回は子ども(幼児)も連れて行きます!」
と言うノリの旅も多い。
最初は驚くこともあったが、最近は慣れた。

今回は、年に一度は!と決めているNYに
1泊で行くそうだ。

その「年に一度は」と言うところに興味がわいた。
どうやら、初めてNYを訪ねたのは10年ほど前。
であれば、30歳の頃か。出張で足を踏み入れた初NYは
本当に刺激的で、とくにタイムズスクエアに来た
ときには、ここが世界の中心だ!と興奮。
そして、そこで見るものだけでなく、行き交う人々も
大変刺激的で、たまたま出会った日本人はじめ
出会う人が皆優しくて、NYが大好きになり、
何度も通うことになった。

そして、滞在するたびに同じ道を通り、町の変化を
楽しみながら、NYのパワーを得て帰る。
そしていつしか、毎年行こう!と決行。
そして今月も!予定されているとのこと。

このNYの体験談を聞いて、
自分のNYの思い出とぴったり重なった。
私の場合は、25歳が初のNY訪問であったので、
今から35年以上も前のことになるが、当時、
初めて見た世界が本当に刺激的で、そこから
NY通いが始まった。
あれから20年以上は毎年1回と言わず、通った。
NYに行けば、必ずまた戻ってくる!と言う気持ちで
マンハッタンを背にした。
頑張る糧になっていたといっても、過言ではない。
NYの存在のおかげで、自分の世界は広がり、
それから世界各地へ足を運ぶきっかけにもなった。

今はワケあって、かれこれ10年、降りたっていない。
もちろん大好きでたまらないNYであり、
私のモチベーションを上げ続けてくれた拠点のひとつで
あり、NY愛は、まったく変わっていないけれど、
今のアメリカには・・今のNYには・・との気持ち。

でも、こうして世代を超えて、若き青年が
あるきっかけでNYに出会い、毎年通って、限られた時間であっても
その世界に触れることで、パワーを注入し続けて
いることを知り、何とも言えない嬉しさと懐かしさを感じた。

そして、グルメをするわけでもなく、ただ町を歩き、
店を見て、町の人と会話をして、
五感をフル回転して滞在している様子が浮かび、
まさに四半世紀前に、自分が歩いていたマンハッタンを
思い浮かべた。
私が毎回歩き続けたのは、ブロードウェイ。
歩きすぎて足の裏が暑くなるほどに、歩きまくった。

そんなに通っている間に、例の911とニアミスすることにも
なったのであるが・・・。

とにかく、自分から旅をする人は心からエールを送る。

わが青年友の、子連れ弾丸NYツアーの無事を祈る。

BON BOYAGE!


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お見舞い続く夏。

熊本の地震からもう2週間が経過。過酷な暑さのなか、断水の状況
でどんなつらい思いをされているかと思うと、心悼む日々。
そうこうしていると、今度はいつも違う接近をしてきた台風。
そして、千葉での集中豪雨。
まさか、そんなことが?天気予報があるけれど、予報で全てわかる
わけではなく、今や天気予報はある種、行動するうえでの目安。
もちろん大切な情報であるため、毎朝チェックは欠かせない。

この一晩での千葉での雨記録。
夜の間の大量の降雨は、夜明けが怖い。
被害が見えてくる。
知人が住む町も特別警報地区に含まれており、心配な朝。

お盆休みのピーク。
楽しいはずの時間が、計画どおりにいかない。
暑中お見舞いの季節に、地震、台風、洪水・・・。
お見舞いばかりが続く。

何事もなく、穏やかに過ごせる。そんな時間は
もう取り戻せないだろうか?

いつも、スマホで情報をチェックし、リスク管理をしながら
行動をする。
本当に楽しいのかな。と
無防備出会った、子ども時代を懐かしく思い出す。

各地域での被害が、早く収まって、いつもの時間を
取り戻せるように。

被災地の方々に、心からお見舞いをお伝えしたい。

暑さも、水も、風も・・・
ほどほどが良いけれど、そんなこちらが思うようには
いかないようだ。

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そこに〇〇があるから。


約100年前、初のエベレスト登頂を目指したイギリスの登山家、
ジョージ・マロリー。
実は、実際頂上まで初登頂を実現できたのかどうかは
謎のままであり、その後に登頂に成功した人物は
ヒラリーとテンジンというペアであったそうであるが、
初の挑戦は、マロリーだった。
世界最高峰のエベレスト。写真を見るだけでも、おじけ
づいて、あのような山は写真で見上げるだけで十分でしょう。
と思ってしまうが、冒険家である登山家からすれば、
それは登るべき存在なのだ。

そのマロリーが、その挑戦をする際に、アメリカの新聞社
から取材を受けた際、
「なぜ、エベレストに登るのですか?」
との問いに、
「そこに山(エベレスト)があるから」
(Because it’s there )
と答えたことが
話題になったとのことを知り、なるほどと思った。

そこに、月があるといえば、月に行きたくなり、
宇宙があるといえば、宇宙に行きたいと思い、
行動するのが冒険家なのだ。

理屈はない。あると聞けば、挑戦したくなる。誰よりも早く
行きたい、見たい、知りたい、体験したい。
それが挑戦する人間の野望、本性なのだそう。

少なくとも、
そこにおカネがあるから・・ではない。
(最近は、そんな野心家もいる?)

では、自分の場合は?
「そこに〇〇があるから。」
ここに入るものは?

ここにピアノがあるから。だから、私はそれを弾く。

それでもいい

損得なく、ただ純粋に、
そこに○○があるから・・ということだけで、
人生を賭けられるものがあることは、とても美しいと
思う。

ジョージ・マーローは消息を絶ったまま、その挑戦が
終わった。
そして、75年後、その遺体は山中で発見された。

そこにエベレストがあるから登り、そして
そこで人生を終えた。

と書いていたら、ふと11年前に富士山で帰らぬ人
となった新潟の知人を思い出した。
あの方も登山が大好きだった。
「そこに富士山があるから」
真冬の山頂を目指したのか。

ジョージ―・マーローと知人が重なった。





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水と電気、ガスに感謝する休日。

長期休暇となれば、家族で旅行を楽しんだり、田舎へ
帰ったりととにかく、人が動けば、モノもお金も動く。
楽しみにする家族のために、この時間はとても大切だ。
普段できないことをする。

一方、こういう時こそ、喧騒に巻き込まれず、ただ静かに
過ごすのも良い。

とくに暑いこの季節は、インドアでの時間を大切にと
思う。運動不足にはもちろん気を付けながら、外出せず
に過ごす。

熊本の被災地のことを思えば、涼しい部屋で過ごせる
だけでも、こんなありがたいことはない。

日ごろできないことを、インドアで行う。
見れずに溜まっている録画物の確認から、書類整理、
片付けもこの機会にしたらいい。
どこに行かなくても、できることはたくさんある。
また読書も、オンライン講座も、映画も・・・。
そして、珈琲や紅茶とおやつ、お酒とおつまみ・・・。
家にあるものでローリングストックも。
普段連絡できない人への連絡も・・・。

追加の消費をしない休日は、なかなか良い。

もちろん、それでも水、電気、ガスは消費する。
生きる上で、これだけは必要であることを
改めて知る。
被災地の方を想えば、贅沢なこと。
水も、電気も、ガスも使えることは、
当たり前ではない。
昼夜エアコンをつけっぱなしで、電気代が
怖いが、これはやむなし。

と、そんな風に
消費を考える時間にする。
生活を考える時期にする。

ゆっくり時間が過ぎる静かな非日常を
しばし、楽しむ。

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心重ねる、ちょい甘な時間。

人生はミルフィーユのようだと、自作の「人生は
観覧車のように」の歌詞の中にも書いているが、
本当に生きていくこと、時を重ね続けること
は時に、繊細で壊れやすいものであると思う
一方、バウムクーヘンのごとく、年を重ねた分
だけ年輪となっていく楽しみもある。

その人生の年輪の多くは、人との出会い、
交わりによって出来上がってくる。
生きている限り、いろんな縁をいただくことで
生きた証ができ、思い出が残る。

このお盆休みなど、少しまとまった時間がとれる
ときには、家族との団らんももちろんであるが、
久しぶりに会う人との時間も大切にしたい。
日々、忙しく動いていることでなかなか会えない人や
ふるさとにいることで、再会できる人もある。

肩書など、まさに鎧を脱いで、素の自分のまま
向き合える人との時間を過ごすのも良い。
新たな気づきや発見も大いにあることだろう。
普段している会話とは違う、お互いの人生を
ふりかえったり、これからのことを思い描いて
みるのも良い。
家族や職場での時間だけでは得られない対話を
もつのも良い。

そんな自分も、東京でなかなか会えない心族
のひとりと久しぶりに地元で再会。
気づけば2時間半も話を続けていた。
そして、別れ際、ずっと姿が見えなくなるまで
見送ってくれていた・・・。
何とも言えない余韻をいただく時間となった。
このような。ちょっとした非日常の時間は、
ちょっと忘れていた、人生のアルバムを
久しぶりに開くような、心に染み入る
素敵なひとときだ。

なかなか会えない人と、心を重ねる時間は
普段走り続けている自分への良きふりかえり
の機会にもなる。

会いたい人には会っておく。
普段会えない人との時間を大切に。
もちろん、身近な人との時間も大切に。

久しぶりにいただいた小倉あんのモーニングと
おみやげにいただいた、かりんとう。
ちょい甘な時間の記憶は、消えないだろう。

こんなことを言えるのは、平和であるから。
そして心を重ねることで、平和を貫けるはず。



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さざなみのない、ドナウへの憂い。

ウィンナーワルツの代表作のひとつ、シュトラウスの「美しき
青きドナウ」を歌う、ウィーン少年合唱団の美声に心が高揚
した少女時代。あの頃から、ヨーロッパへの憧れがあった。
そして、ルーマニアで生まれた「ドナウ川のさざなみ」は
19世紀末のパリでの万博で初演奏されたそうであるが
この曲は自分に東欧の憂いをも教えたが、Eマイナーから
はじまるこの曲の高揚感が好きでたまらず、東西のヨーロッパを
むすぶ川として、さらに憧れを抱いた。

その後、15年ほど前のことか、ブエノスアイレスの楽譜店でも
このワルツ曲の譜面をみつけ、世界中で演奏されていることに
感動し、自らもアレンジして演奏するようになった。
第二次大戦時に、バンドネオンがドイツから南米に戦火を逃れ
かなり送り込まれたという説があるので、もしかしたら、
そのときにこの曲も一緒に伝わったのか?これは私の推測で
あるが。
最近では、なんと近鉄特急のホームでこの曲が使用されて
いることを知り、近鉄への企業イメージが一気に上がった。
なんというセンスのいい企業だろうかと・・・。

と、「ドナウ」にまつわる話題はつきないが、ラテン語で
河の神を語源とするこの川はまさに東欧をつなぎ結ぶ海路と
して人々に愛されてきている。

最近、そのドナウの水量が激変して、干ばつ状態にあるという。
上流はアルプスだというから、雪どけ水の減少がしているのか、
いずれにしても地球の温暖化がこんなところにも影響してきて
いることに危機感を抱く。

水運を担ってきた、人々の暮らしを支えてきたドナウが
「さざなみ」もなく、からっからになってしまっている
とは、深刻すぎる事態。
ニュースでは、現地の人がそこに住む動物たちはどこへ
いってしまったのか?と嘆いておられた。
川底に眠っていた戦争の道具もこの干ばつでみつかって
いると聞くと、複雑な思いにもなるが、とにかく、
水不足にあえぐ現地の人々のご苦労を想う。

ドナウを歌うワルツのように、気持ちよく流れてほしい。
早くその状況になるように、水位が戻るように祈る。

世界のあちこちでの温暖化は、想像を絶する情景を
生み出している。
温暖化の原因の二酸化炭素ガスを大量に排出する人たち。
減らす努力をしない人たち。
戦争を続ける人たち。その練習をする人たち。
その働き自体が、ドナウ川のこの不幸にもつながって
いることをわかっているだろうか。

ウィーン少年合唱団の美しき声色を思い出し、
ドナウ川の流れの復活を心から祈りたい。

河なくしては、人は生きられない。
日本でも、他人事ではない日が来るかもしれない。

ワルツを歌い、踊り、人と自然が共生すること。
当たり前と思っていたことが・・今は昔に
ならぬように。

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