会社の歴史は、その存在価値を知るためにも大変重要だ。
どれほどの時間をかけ、事業を続け、育んでこられたのだろう。
継続は力なり。であるので、まずは長きにわたり、事業を止めることなく
続けてこられていることは何よりも尊い。
その間に規模拡大をされる場合も、もちろん素晴らしいけれど、
拡大せず、小さい規模でも社会的役割をしっかり果たし続けておられる
企業にも頭が下がる。
企業が存続し続けるために、さまざまな変遷はある。
吸収合併、事業承継、拠点移動・・・そして売却・・・。
今回のわがままな主張による関税騒動により、その事業の継続を危ぶむ
例や厳しい選択を強いられることもあるかもしれない。心が痛む。
事業を興し、続けることはあらゆる環境、そしてそれを
続けるという自らの意志との闘いである。
そんななか、最近出会った家族経営の企業さん。
企業サイトの情報によると会社設立から約40年。
それだけでもすごいと思っていたが、創業から数えれば73年だとのこと。
お聞きしてみると、
初代のおじいさまが、太平洋戦争に行かれ、後シベリアで4年間の抑留生活。
のち無事に生還され、それから創業されたとのこと。
現役で事業を継いでおられる皆さんは、幼い頃からおじい様にシベリア
生活の話を聞いて育ったため、戦争とシベリアの過酷な労働と環境に耐えて
帰国され、創業された会社を大切にしたいという特別な思いをお持ちで、
それが日々の原動力になっているかもしれない・・とのこと。
これを聞いて、設立も大切であるが、「創業のこころ」を技術とともに
受け継いでいくことの尊さを改めて思い、胸が熱くなる。
規模ではない。
志である。
モノではない。
人である。
大変な戦争の経験を経て、創業された経営者のみなさま。
どんな思いで・・・と想像するだけでも、頭が下がる。
そして、そのメッセージをしっかり受けとめ、未来に向け
進み始めている三代目の皆さんのやる気を、挑戦を心から
応援したいと改めて思う。
いつの時代もゼロから始める。もしかしたらマイナスからの
スタートもあるだろう。
始めること。諦めることなく続けること。
それが未来への希望の道になる。
その道に灯りをともす。そんなお手伝いがしたい。
創業、起業のこころを。
報じる責任。
世界が揺らいでいる。
と感じない日がない。
地震が毎日起きる不安と同じように、空中、ネット上で。
心地よい「揺らぎ」なんてものではなく、
突飛な思い付きのような発言、方向転換で、世界規模で
仕事をしている企業、それを受けてものを造ったり、
動かしている企業などへの、この影響力は計り知れない。
責任あるべき人たちの、日替わりメニューはもうお腹いっぱい。
いい加減にしてくれ。
怒り以上の感情は何か?諦めか?
そんなことまで考える今日。
一方、SDGsの達成率は2割にも満たないとの国連報道も。
地球を守るために協力して、何かを実践するということは
もう夢物語なのか?
また、自分の言動、行動がもたらす社会への影響を考慮し、
調和の世界を作っていこうとする挑戦はもう不可能で、
無駄な抵抗なのだろうか・・・。
と、そんなことが頭をよぎってしまう。
大手放送局がある大手自動車メーカーの工場閉鎖に
ついて、トップニュースとして何度も報じる。
一度目は驚き、自動車産業の明暗について考え、
そしてその企業の知る範囲での歴史をふりかえり、
ああ、あの経営者はいったい・・。など思った。
このニュースは夕方も、深夜も、朝も続いた。
トップニュースとしてインパクトがある話題なのだろうが、
途中から、もう見ないことにした。
こちらの企業、工場で働いている人、家族のことが
頭に浮かんだから、見ていられなくなった。
お父さん、お母さんが働いている工場がなくなる。
という報道は、その子供や家庭、地域に広がり、
不安が増幅する・・。
その顔が浮かんだのだ。
今日、学校に行って大丈夫かな。そんなことまで・・。
報道する側は何度も何度も報ずれば、そのネタで
番組がもつ。伝えっぱなし。
それを見た人、受けとめた人の気持ち、不安を
どうしてくれるのだろう。
報ずる側は、報ずることの責任は?
少なくとも発信することと、報道は違う。
公的かつ、もともと価値がある存在であった
マスメディアとしての役割を担ってきたはずの人たちが、
単に発信することにとどまらないことを心から祈る。
報道とは?報じて生きる道を作らねばと思うのである。
尊敬するジャーナリストの一人、横村出さんが
「いのちを守るジャーナリズム」を自身の
仕事のコンセプトとして掲げておられるが、
このように、報道に関わる人は、
自分がやっていることは何のため?と、
改めて目的と意義と、責任をもって
その目的に向かって行動してほしいと
思っているが、大手のメディアは?
それを誰に、何のために伝えるのか?
みんなが元気になる、いい話題をもっと
発掘してきては?
世界が揺らいでいる。
人が揺らいでいる。
地が揺れても、人は、自分はしっかり立っていかねば
と思っている。
強みはアットホーム
新たな企業さんとの出会い。
創業以来約40年、モノづくりを家族経営で行ってきた。
現社長が現役でまだまだご活躍されている今のうちに、
次代を担う人たちが、新たな挑戦をして、新市場を造る。
若手で新たな挑戦を!ということでお声がけをいただいた。
「強みは何ですか?」
「サンプルつくるのが、すごく速いと皆さん驚かれます」
そうか、お客様の思いをカタチにするのは、得意ともいえる。
サンプルが早くできあがれば、本番のことを検討しやすい。
「では、それ以外にもありますか?」
「お客さんとしっかり話しをして、聞いてから仕事にとりかかります。
この対話も強みかと思います。さらに家族経営というのも、。
それも他にない特徴かも」
確かに社内コミュニケーションも良さそうで、お客様との距離も
近そうだ。
単なる下請けに終わらず、しっかりお客さまに寄り添い、欲しいものを
カタチにできる。
その行動には、コミュニケーションが欠かせない。
アットホームなモノづくり。
とてもいいフレーズだ。
小さい規模であっても、コミュニケーション力で市場を広げることが
できる。
アットホーム。
大切にしたい。
内からの目、外からの目で自社の強みをとらえなおす。
どこにフォーカスすれば、差別化ができるか。
未来に向けて走り出す企業の伴走は、とてもわくわくする。
無への想像はできるか?
ここのところ、少しづつ終活に取り掛かり始めている。
もちろん、日々、公私ともにめいっぱい、
全力でやり続けている。この生き方は変わらない。
だからこそ、今のうちに、元気なうちに。
そうではなくなったときの自分を想定して、周囲に
迷惑をかけないように・・・と考えるようになただけ
のこと。
病気になってだんだん体力がなくなり・・・
あるいは、認知症になり、自分が自分でコントロール
できなくなる・・・
動くことができない、そのうち呼吸が止まって・・・。
いろんな人に出会い、いろんな交流をするなか、
自然と、自分の行く末のことも考えるようになる。
人生が終わるということは、誰にでも訪れる
平等の決まりであるのに、自分の死にはまったく実感が
湧かない。当たり前のことではあるが。
いろいろ想定して、整理をしていくけれども、
ここにいない自分というものが、どうも想像できない。
今こうして元気でやっている自分がちょっと体調を
崩すぐらいは、まだイメージできるが、
ここにいない自分。が考えられない。
まっくらな世界なのだろうか?いや、その世界自体が
ないのかもしれないことに想像が追い付かない。
そんなこともあり、終活をするのはなんとなく違和感。
本当はしたくない。
でも・・・いつどうなるかわからないから・・。
存在する自分。存在しない自分。
いよいよ、わが人生も哲学的になってきた。
無である自分。
まだまだ想像できないでいる。
それでよい。
あまり考えずに、進んでいく方がいい。
今ある自分に、とことん打ち込みたい。
さあ、今日という1日を存分に生きるとしよう!
広い心、利他の心を改めて。
日本人は、鎖国時代に戻りたいのか、やっぱり島国なのか。
そんなことを思う最近の日本。憂いの夏である。
移民の問題は世界的な問題。
生まれ育った国で生きたくても生きられない人が
存在するのには、さまざまな理由がある。
その国の経済、政治の状況が、生活できる家族を養える
環境ではないという理由も多い。
今、日本で介護の仕事をしている外国人の皆さんは、
勉強をして、訓練を重ね、その職業に従事して、
日本の高齢化社会を助けてくれている。という現実も
ある。
また、インバウンドのおかげで、多くの観光客の
訪問で、潤っている観光地もある。
もちろん、さまざまな問題や課題はある。
ただ、一律に外国人がどうとはいえない。
また、自給率が低い日本は、外国との協力関係がなければ
これから、生きていけない。
もう少し俯瞰して、日本が自分がこの世界でどう生きていく
べきか、を考えることが必要。
今、ちまたで一見、耳障りよく、覚えやすい言葉が
もっともらしく、拡散されているが、
人は助け合わなければ生きていけない。
交わって、知り合って異なる存在を知り、理解し合い、
学びながら、成長することができる。
日本は誇り高き国である。とするならば、
その素晴らしい「和の心」やモノづくりの技を
後継者が少なくなってきた国内だけではなく、
門戸を開いて志ある外国の人にも教え、一緒に
遺し、さらに未来向けて発展するように試みるのも
良いことだ。
〇〇ファーストと言い始めたら、その考え方は、
どんどん狭くなって、自分がよければ・・という
ことになっていく。最後は日本人の中で争いが
生まれる。それは絶対避けなければならない。
おかげさまの心があれば、もっと受け入れる器も
もてるだろう。
マナーを知らない人には教える。
それで変わることも多いだろう。
と個人的には思っている。
世界中が利己主義に走っていく。
そこに宗教や教育はどう貢献できるだろうか。
大きなことはできないけれど、
広い心、利他の心は忘れたくない。
SDGsを推進しながら、一方で利己主義を
求める人が増えている。
これは何だろう?
いろんな意味で憂いの夏である。
払しょくするには、自分がブレずに
しかも柔軟に生きるしかない。
そして、ポジティブ思考が一番だ。
そう、今こそひまわりスマイルで!

言葉のお守り
瀬戸内寂聴さんを思い出させる、関西の尼僧の存在を知る。
姫路の不徹寺の庵主、松山さん。
NHKの「視点・論点」でやたら、元気いっぱい語っておられる
姿に、こういう尼さんが瀬戸内産以外におられたんだ。と思わず
手を止めて話しぶりに注目した。
調べてみると年齢もほぼ同世代。
ご自身の人生もなかなか波乱万丈であったようであるが、
その経験が今のお仕事に生かされているのだろう。
悩める人たちの駆け込み寺として、いろんな相談を受けて
おられるのだとか。
苦労、苦難の道を歩んで生きてきた人にこそ、僧職という
仕事、生き方は意味はあるのかもしれない。
瀬戸内さんもそうであったが、自分をさらけ出したり、
生々しい生き様を見せてくれて、同じく悩める存在である
と人々が共感を抱いた時、心開き、手を合わせる。
寺がまさに、駆け込み寺というのは、良いことだ。
と、この姫路の松山さんの話を聞きながら、思った。
いろんな相談に向き合っておられるのだそう。
どうしたら楽に生きられるかを悩む人たちにわかりやすく
説く。
その生き方のヒントのなかで、ひとつ、印象に残った言葉。
「まあ、いいか」
この一言で、気持ちが楽になる。
いろんなもの、人、自分を許したり、開放したりすること
ができる。
早速、昨日企業での面談時間で、相談を受けた際に、
「まあ、いいか」の話をしてみたら、相談者の表情が
変わった。
覚えやすいワンフレーズの言葉は、ときにお守りになる。
難しい経本や教本よりも、
わかりやすいワンフレーズの方が人の心には即効性がある
こともある。
そういえば、お寺の門の掲示板に書いてある言葉にも
時々、そういう例もある。
そんなときはつい、足を止める。
ワンフレーズで人の気持ちが楽になる。
生きる元気が湧いてくる。
「まあ、いいか」、自分にも言い聞かせる。
ファッションで表現し続ける。
尊敬するファッションデザイナーのひとり、
山本耀司さん。
最近、国際ニュースでも取り上げられており、
まさにその名は世界に知られ、日本を代表する
デザイナーとして今もバリバリ現役だ。
TOKYOだけでなく、NYやPARISにも拠点を
構えていることが、この業界では重要で、
パリコレでの作品発表は、毎回どんな作品
が登場するかと世界のファンが期待する。
そう、コレクションでは商品というよりも
作品を発表。コレクション限定の作品もあるが
もちろんコレクションに出た作品が商品として
売り場に販売されることもある。
「これは、パリコレでも好評で・・」
その商品をすすめるときのお店のスタッフは
誇りに満ちている。
山本さんはずっと黒を基調にしたデザインを
続けている。色でのメッセージではなく、
カタチにこだわっている。
色での主張ではなく、フォルムでの美しさを
追求する。
ここが特徴なのだろう。
なぜ、黒なのか。
ずっと考えていた。
そして、今回開催されたパリコレで
モデルが着用していたシャツの背中に
「NO MORE WAR」と書いてあった
ことに気づいた。
今年が戦後80年ということもあるかも
知れないが、山本さんご自身が81歳。
終戦前に生まれた。
そしてお父様が戦争で亡くなっておられる
とのこと。
そうか・・・。その思いが洋服
にも込められているのだ。
なぜ、黒なのか。の答え。
このことを、直接語っておられるかどうか知らないが
きっと、この意味も含まれているのではないかと
勝手に想像する。
言葉では言い続けられないから、
洋服でファッションで表現してきた。
とインタビューで言われた言葉が印象的だ。
その思いで今日まで走り続けておられる。
生き様自体が、素敵でカッコいい。
思いで生涯、走り続ける。
少しでも見習いたい。
全国のお店の店長やスタッフが、
山本さんの生き方自身に敬意を表して
いるのだろう。
そしてファンも・・・。
洋服の丈がなかなか合わない身であるが
ヨージ ヤマモトのことは、
学生時代から、ずっとあこがれであり、
宝物である。
そう、学生時代に購入した最初の
コートは(セール品であったけれど)
ワイズであった。
ずっと着ていた。
あれから、半世紀。
それ以上の時間を、山本さんは
ずっとファッションで思いを表現し続けている。
それぞれできることで、平和への
願いを伝える。
これも素晴らしいお手本だ。
現在、パリのルーブルで作品展示されているそうだ。
素晴らしい。日本の美意識の誇りである。
これからのますますのご活躍を祈る。
自分は何で表現するか?
さらに考え続け、進みたい。
節目は次のために。
戦後80年、昭和100年。
今年は大きな節目の年である。
戦後生まれの自分にとって、また敗戦から日本が
立ち直って、経済的成長を遂げていく中で
生まれ育った自分にとって、昭和という時代は
良かったと思うことが多いけれど、それは
あくまでも、その前のあってはならない苦く、
取り返しのつかない経験があったから・・で
ある。
戦後80年。昭和20年までの戦争の経験を記憶
し、伝えることができる人は毎年減っている。
近い将来、ゼロになる。
また、生きていても伝えたくない、伝えられない
現実が無数にある。
言わないで、言えないで亡くなっていかれる
方も多いと聞き、その人生は・・・と思うと
胸が痛くなる。
戦争とは本当に残酷である。
と自分が持ち得るわずかな情報で言うのも
恥ずかしいけれど、それでも
戦争は絶対にあってはいけないと思う。
こんな平和な日本に、戦争なんか・・と
他人事に思う人も多いかもしれないが、
それは、知らないから‥ともいえる。
だから、知ることが大切だ。
そして、戦争で苦しんだ人々の経験を
思いを、絶対に風化させてはいけない。
同じことを繰り返してはいけない。と
日本人は、日本人の経験をもって発信し続けて
いかねばならない。
被爆地の広島や長崎をはじめ、各地で
戦後生まれの人や、若き学生たちが戦争体験を
伝え続ける活動を行い、国内だけでなく海外でも
その発信を行う人もおられる。
若い人の活動を見ると、光を感じる。
世代を越え、思いがつながっていてよかったと・・・。
昨年のノーベル平和賞はそのひとつの成果
であり、また今後の活動の新たなステップに
なっている。
この節目の年、広島や長崎ではさまざまな
記念行事が行われており、8月をピークに
全国でさまざまな取り組みが繰り広げられる。
さまざまな表現を通じて、反戦への祈りが
捧げられる。
今、受講しているジャーナリズムの講座も
戦争をテーマに行われ、戦争に関わる報道
から戦争の実態を知る機会を得ていることは
大変貴重だと思っている。
どんな表現からでもよいので、とにかく現実を
学び、ひとり一人が世界平和を実現する意志を
もたねばならない。
「節目」とは、過去を振り返るだけでなく、
改めて現実を知り、そして考え、より良い
明日になるために、新たな一歩を踏み出す
ためにある。
節目はいつも未来のために。
改めて、しっかり考えたい節目の年。
「広く浅く」学ぶ、知る歓び。
いくつになっても学ぶということは楽しい。
まさに、「知の旅」である。
知らなかったことを知る。知っていることがまたひとつ
増える。
どれだけ学んでも学びつくせないほどに、世の中には
知るべき情報がまだまだある。
昨今流行りの瞬間風速的な、拡散情報ではなく、
先人たちにたずねること、さまざまな知見を通じて
自分が生きている現在を自分なりに見つめ、そして
どう生きるのかを考える。
ということが、私が言うところの「学び」である。
自分の周囲、そして俯瞰して見た時空を超えた
世界を知ること・・・この探検こそ、生きる
歓びにもつながると思っている。
そういう意味で、学び続ける人と過ごす時間は
とても楽しく、貴重である。
つい最近、長崎の歴史の第一人者として知られる
長崎学アドバイザーの本馬貞夫先生と久しぶりに
お会いし、お話をお聞きすることができた。
今年喜寿を迎えるとおっしゃっていたが、
お会いし始めた頃は、十年以上前で、長崎が
キリシタン関連施設で世界遺産を目指していた
頃。早稲田でのシリーズ講座を受講したのが
初めての出会い。
もともと高校の歴史の先生ということで、
その豊富な知識だけでなく、ふるさと愛に満ちた
ユニークな語り方、伝え方が心に染み入った。
長崎が好きになるきっかけにもなった。
当時、私自身も、ザビエルの曲をつくり、その
その演奏地を求め、平戸はじめ長崎との
ご縁づくりの旅をしていた頃だった。
その後、遠藤周作原作の「沈黙」が映画化
されたときも、地元の専門家として情報提供
に関わり、ご尽力されていた。
ブラタモリの長崎編のときも、地元の専門家
として笑顔でご出演されていたが、とにかく
長崎の知といえば、この方。という先生に
久しぶりに再会でき、学ぶことの楽しみ
を改めて感じさせていただいた。
先生は今、ご自身の新たなプロジェクトに
とりかかっておられ、日々図書館通いを
されており、戦時中の新聞広告について
発見されたことなどを教えてくださり、
相変わらず、興味深い。
その豊富な知識について感嘆の声をあげると
「広く浅くですよ。」
先生は、このようにおっしゃった。
そう、学びはここからである。
興味があることを広く、浅く。
でも、実は本馬先生は広く、深くでもある。
いろんな事象から真実が見えてくることも
ご存じである。
今回の再会で、改めて長崎愛が深くなり、
先生の背中を見て、もっと自分も勉強せねばと
背筋が伸びた。
お元気な先生にお会いでき、暑さも吹き飛んだ
夏の入り口。どうぞ、お元気にずっと学び続け
後に続く人たちに語り続けていただきたい。
人間って何なんだ。
長崎の夏。特に1945年以後の夏は、精霊流しだけでなく、原爆の記憶
が蘇る80年となってしまった。それは広島においても同じで、楽しい
夏休み、先祖を迎えるお盆というだけでなく、忘れることができない
残酷で惨い記憶が蘇るあの日、、。実際に被爆された方もだんだん
少なくなり、もう何年もしたら忘れ去られていくのではないか・・・。
それではいけないと被爆地では学校でも市民レベルでも体験を伝えていこう
とする人たちが頑張っておられる。その活動には本当に頭が下がる。
罪のないごく普通の人々が、あの瞬間で、人生を変えられてしまった。
と、ほんの一部の情報を知るだけでも、背筋が凍り、人間って何なんだと
何とも言えない感情が沸き上がってくる。自分の家族が被ばくしたという
わけでもないのに、そのことは他人事ではない。少しでも知っていれば、
関心をもって世界を、歴史をみつめていたら、今の世界にも疑問が湧いてくる。
昨年、ノーベル平和賞を受賞された被団協の皆さんの、その活動を支えて
きた多くの地元の方々にも頭が下がる。
そして、昨日7月7日は核兵器禁止条約の採択から8年を迎えた日とのことで、
原水協(原水爆禁止日本協議会)が、全国各地で本条約への批准を政治に求める
署名活動を行っていた。
そのことを知らず、長崎市内の商店街を歩いていたら、その現場に遭遇。
地域で活動されている方、ボランティアの方々が、最初に「ふるさと」を
合唱してから、それぞれが分かれて、署名活動をされていた。
歌を歌ってからの署名活動とは初めてだ。みなさんの思いがあふれて
通行人の人も一緒に口ずさんでいた様子が印象的。
あまりの熱心さに足を止める。すると、係の方が「署名お願いします。
絶対に集めて、声を届けないといけないのです。」その熱心な様子に
この署名が自分ごとになった。
(あとで調べたらオンラインでも署名活動を行っているようだ)
長崎だから余計にそうだ。
自分の家族や地域の人々が、実際に経験されている。
だから、真剣な取り組みになる。
もう二度と・・・。ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ。
このような訴えの一方、世界では、80年であろうが関係ない
といわんばかりに戦争、紛争が続いている。
人間って何なんだ。
素朴で純粋な人々の署名活動と対極的な世界が、同じ空の下
にあるとは・・・。
最後の被爆国であるように、心から祈る。